始まりの合図は音もなく A-@

 ────灰色の砂浜に寄せては返す波を、私は眼鏡越しに眺めてため息をつく。
 ここは学校近くの海だ。
 砂の色のせいか全体的に黒っぽいこの海は、お世辞にも綺麗とは言いがたい。

「はい、しゅーーごーーー!」

 大きな声と共に、委員顧問の矢田先生が駐車場から現れた。
 所在無く佇んでいた高校生たちが、声に引かれて集まる。
 背中にかかる髪を二つに結い、学校指定である深緑のジャージを着た私もそれに倣った。

「よおーし、頑張ってみんなの海をきれいにするんだぞ!」

 やる気のない生徒とは対照に、矢田先生は熱の篭った激を飛ばす。
 少し肌寒いというのに、先生は半袖のポロシャツだ。
 そんな彼を、私の友人、ミチカは 「まつおかしゅーぞー」 と呼んでいる。
 時代劇一筋の私には聞き覚えのない名だが、どんな人物かは何となく想像できた。

 見渡すと、参加者の大半は一年生の青いジャージを身に着けている。
 二年生の緑ジャージは、私を含めてほんの三、四人。
 一年生が多いのは、単に彼らがサボリの要領を得ていないからだ。
 私が参加している理由は、このような行事をサボらない程度に真面目だという、それだけのことである。

「じゃあ、袋一杯になるまでゴミを拾うこと。 以上!」

 ゴミ袋と軍手の配布が終わり、よく響く声を背に受けたジャージ集団は思い思いの方向に散らばっていった。
 私もその二つを手に、砂浜の上を歩き出した。



 九月ももうすぐ終わり。
 秋らしくひんやりとした風が吹きぬける海に、人影ははまばらだ。
 だが、夏の「負」の名残はそこここに散らばっていた。
 灰色の砂の上に落ちているペットボトルやお菓子の袋を、目に付いた端から拾う。
 来た時よりも美しく、は常識だ。 常識の守れない奴は海などに来るものではない。
 内心で悪態をつきながら、黙々と作業を進めていると────

「・・・とおこさん」
「・・・」
「透子さんですよね」

 屈んだ背を伸ばして振り向くと、見知らぬ青ジャージの男子が立っていた。
 誰だ、と訝しんだのが顔に出たのだろう。
 相手は片方の眉を僅かに上げた。

「・・・岡本愁です。 一樹の友人の」
「・・・・・・ああ、思い出したぞ。 随分と久しぶりだな」

 おかもと、しゅう。 会うのは三年ぶりくらいだろうか。
 思わず頬が綻んでゆく。
 ────彼は、弟の小学校以来の友人だ。

「元気か」
「はい」
「背、伸びたな」
「そうですね」

 彼は目を細めて微笑した。
 その怜悧な印象を与える目元や、薄い唇に昔の面影が残っている。
 すっかり大人びた少年へと成長した彼は、手足の方もすらりと伸びてダサいと評判の学校指定ジャージを非常に格好良く着こなしていた。
 何となく悔しさを覚えたが、はた、とあることに気づいて首を傾げた。

「・・・あれ。 一学期、美化委員にはいなかったよな?」
「クラスメイトに代われって頼まれて、二学期からやっています」
「ああ、なるほど」

 納得して頷く私の手元に、彼は目をやった。

「・・・それ、もう終わりですか?」
「ああ。 早く終わらせて帰りたいんだ」
「じゃあ、もう矢田先生ところに戻るんですね。 僕も終わりです」

 彼の手にある袋は私のと同様、ほぼ一杯だ。

「行くか」
「ええ。 ・・・それ、持ちましょうか?」
「いや、いい」

 慌てて首を振ると、「そうですか」 と彼はあっさり引き下がった。
 女性扱いされるのは慣れてはいない。 少し緊張しながら歩き出す。

「ほーら、ちゃんとゴミ拾えよー!」

 駐車場の入口近くに戻ると、矢田先生はやる気のない生徒を熱く鼓舞していた。
 戻ってきた私たちを見て、キラリと輝く白い歯を見せる。

「お、お前ら終わったのか。 早いな! 偉いぞ!」

 自然とは言い難いが憎めない笑顔を向けられて、少々たじろいだ。

「あー・・・先生。 このゴミ、どうしたら良いですか」
「あそこのトラックの荷台に乗せてくれ」

 先生は駐車場の高校の名前が書かれたトラックを示した。
 歩み寄り、言われた通り荷台に袋を乗せる。
 そこにはまだ、私たちの分しかない。 どうやら一番乗りだったらしい。
 先生のいる場所に戻り、その足元に置かれた段ボールに軍手を返せば清掃活動は終了だった。

「えーっと、高石透子と、岡本愁、だっけ。 もう帰っていいぞ!」
「はい、失礼します」
「失礼します」
「おう。 気をつけて帰れよ」

名簿に印を入れると、矢田先生は笑って手を振る。
挨拶して私たちは歩き出した。

「愁も、バスか?」
「いえ、引っ越したんでこの辺に住んでます」
「じゃあ、歩いて帰るんだな」
「はい」

 淡々と相槌を打つ横顔をちらりと見上げると、彼は目を細めた。
 かつてご近所様であったが、転居していたとは初耳だった。
 弟とともに、この高校に入学したと聞いていたが。

「・・・まだ、一樹と遊んでいるのか?」
「ときどきは」
「あのアホが、迷惑をかけてすまない」
「いえ、そんなことないです」

 淡々とした受け答えに、そういえばこういう子だったなと思いながら歩く。
 バスがやって来る通りは、すぐそこだった。
 海側の歩道に錆びたバス停がぽつんと立っていて、その横に色褪せたベンチが置かれていた。

「あ」
「バス、来ましたね」

 道の向こうから、古びたバスがのんびりとやってくる。
 待ち時間がないことを喜びつつ、バス停の横に立った。
 バス待ちであることを明確にアピールしないと、たまにスルーされる。
 その虚しさは、晴れた冬の空によく似ている。

ガコッ

 確実なアピールの成果でゆっくりバスが止まり、自動ドアが開いた。
 一緒に待ってくれた背後の人物に、じゃあ、と言おうとして振り向いた。
 けれども相手の方が先に口を開いた。

「・・・一樹から透子さんのメアドを、聞いてもいいですか」
「・・・・・・。 委員のことで、何か聞きたいことでもあるのか?」
「そうじゃなくて・・・」

 彼は俯いた。
 切れ長の目を伏せたせいで、わずかに赤味が差したその頬に気づく。
 彼氏いない歴17年、渋系女子高生の名を欲しいままにする私でさえ、彼の言わんとしていることを察した。 察せてしまった。

「・・・」
「・・・」
「・・・透子さんが良ければ、これから会ったりとかしたいんで」
「・・・」
「・・・」

 ────ほんの二分前まで。
 これほど呆然とする自分を、誰も想像できなかっただろう。

「────ゴホン」

 運転手さんの咳払いで我に返る。

「あ、ああ、すみません」

 運転席に向かって慌てて謝ると、「少し、考えさせてくれ」 と言い残してバスの段差を駆け上がる。
 この状況に陥れた張本人の視界から逃れるように、道路側の席に座った。
 直後、車体がブルンと震えて走り出した。
 背もたれの隙間に、歩道に立つ愁の青いジャージがちらりと見えた。

 恥ずかしすぎて、顔から火を吹きそうだ。
 赤い顔を隠すように俯く。
 けれども早くなる動悸と溶けていく思考は、どうすることもできなかった。

 恋愛に興味を持ったことはほとんどなかった。
 友人の話を聞いて、驚いたり関心したりするだけだった。
 ・・・それで、何となく分かったような気になっていたのだ。
 他人事と自分に身に降りかかるのとでは、全く次元が違う。
 ────眩暈を覚えながら、私は自分の体をシートに深く埋めた。


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