水鏡

昼どきの学食はいつもどおりの盛況だった。
その隅で、友人の佳織とくだらない話をしながら、ささやかだけど幸せな昼食のひとときを過ごしていた。
ふと会話が途切れた時。
目の前の友人は、「あ、そういえば」 と小さく声を上げた。

「ねー、えっちゃん。昨日さ、東雲駅の商店街で見かけたよぉ。買い物してたの?」

その言葉に、あたしはうどんをすくい上げるお箸を止めた。
またたきしながら目を上げる。

「いってないよ、東雲駅なんて。昨日は授業終わってすぐ帰ったし」

東雲駅は、うちの大学の最寄り駅から二つ離れた駅だ。
何てことない商店街と住宅街と、なんとか大学のキャンパスがあったような。
要するに、沿線とはいえ特に用事がなければ利用しない駅だった。

「えー? えっちゃん、なんで嘘つくのぅ?」
「嘘ついてないし。見間違いじゃない?」
「そんなことない。ちょっと遠かったけど、あれは絶対、えっちゃんだったよー」

ふんわりした印象の顔が、むぅっとむくれる。
と、ていねいに整えられた彼女の眉がきゅっと寄せられた。

「・・・もしかして、えっちゃん、幽体離脱しちゃったとかー?」
「んなわけあるかい」

佳織にさくっと突っこんで、あたしはうどんを食す作業を再開した。

「やっぱり見間違いだと思うよ。あたし、昨日帰宅してから一歩も外に出てないもん」
「ほんとぉ? うーん、えっちゃんだと思ったんだけどなあ」

首を捻りながら持参の弁当をつつく佳織に、「それよりも」 と目下の懸念事項を切り出す。

「佳織、次の授業なかったよね? 図書館行って、さっき出たレポートやろうよ」
「いいよぉ。二人でやった方が調べものは早く済むもんねぇ」

それから、「あの教授は課題が多すぎる」 と二人でぶーぶー不満を言い合う。
意識が課題のことに切り替わると、さっきの会話はすぐに記憶の狭間に埋もれた。
ただの見間違い。
自分の中で、あっさりそう処理したこの一件は────けれどしばらくの間、あたしの日常を小さく揺らしたのであった。



それから約三ヶ月。
佳織の話を皮切りに、身に覚えのない場所でのあたしの目撃情報は、実に四件にのぼった。
いわく、

「井川のコンビニで立ち読みしてたの見かけたよ」
「火曜、どっかいったの? 電車で、座って本読んでた」
「おとといの夕方、四ツ橋の本屋に入ってったでしょ」
「三日前くらい、東雲駅で電車待ちしてたよね?」

・・・いずれの場合も、あたしの大学がある駅の沿線で目撃されている。
佳織に話すと、「絶対、幽体離脱よぉ」 と言ってたけど、その意見は却下。
そんな非科学的な理由は採用できない。
あたしは科学を信奉する根っからの現代っ子だし。(文系だけど。)

でも、ここまで来ると、あたしもその目撃情報が気になって落ち着かなかった。
なので、目撃した友人達からくわしく話を聞いてみた。
・・・それらの情報をまとめ、比較検討し、あたしは一つの結論に達した。
どうやら、あたしにものすごくそっくりな人が、同じ路線を利用しているようなのだ。

それを決定的づけたのは、「赤い鞄を持ってた」 という友人・佐々木の証言。
なぜならあたしは、赤い鞄をいっこも持ってないからだ。
とはいっても、その一点を除けば、例の女性は、顔つき・身長・服や髪型まで自分に似ているらしい。
一方、行動的な違いはある。そのそっくりさんは読書好きだ。
電車で本を読んでたり、本屋で目撃されてるから、そう推論して間違いない。
ちなみにあたしは、読書はそんなに好きじゃない。どちらかというと、じっとしているのは苦手なのだ。

ならば。次に取るべき行動は。
一人暮らしの狭い部屋で、携帯を弄びながらしばし悩む。
一分ほどしてから、実家の母親の携帯につながる短縮番号を押した。

『・・・もしもしー』

数十秒で電子音がやみ、のんびりした母親の声が聞こえる。

「もしもしお母さん?」
『あらー、あんたから電話してくるなんて珍しいわね。元気なの?』
「元気元気」

しばらくどうでもいい話をして、母親を油断させる。
それから、さりげなく本題に入る、つもりだった。

「ところで、お母さん。あたしに生き別れのお姉ちゃんとか、妹とかいないよね」

さりげなく、どころか直球になった。まぁこの際どうでもいい。
電話口では、大方予想していた通り、母親がぽかんとしてる気配がした。

『は? 何言ってんのかしらこの子は。ドラマの見すぎ?』
「あーーー・・・、何でもないよ。今のは忘れてちょーだい」

だよね。うちの家族に限ってそんなシリアスな展開あるけない。

『テレビばっか見てないで、ちゃんと勉強しなさいよ』
「はーい」
『あ、今度漬物送るから』
「ん、ありがとー。んじゃまた」

ぷちっと通話を切ってしばらく考える。
あたしには同じ年頃の親戚はいない。いるのは、むさくるしい兄と従兄弟が三人。
血縁の誰か、という線はとりあえず消えた。



「なるほどぉ、面白いねぇ」

今日も一緒に学食に来た佳織に、あたしの推論を伝えた。
すると彼女はまた突拍子もないことを口にした。

「でもさ。ドッペルゲンガーっていう可能性も、あるんじゃないのー?」
「だーかーらー、ただのそっくりさんだって」

呆れたあたしに、幽体離脱説から宗旨変えした佳織は声をひそめる。

「気をつけてねぇ。自分のドッペルゲンガーに遭遇すると、死んだり寿命が縮まったりするんだってー。えっちゃんが死んだら、悲しいっ」
「人を勝手に殺すな」

マイペースな友人を軽くにらんで、スプーンを動かす。今日はカレーだ。
学食のカレーはもったりしてて、結構好き。
そして相変わらず、とりとめのない会話をするあたし達。
話題は昨日見たテレビの話へと移った。
そっくりさんの件は日常に埋没し、あたしの関心は薄らいでいく。
食堂の席を立つころには、すっかり意識の片隅へと消え去っていた。
・・・しかしこの件は、その日のうちに急展開 (というほどでもないけど) を見せたのだった。



ひんやりした晩秋の風がすうっと吹き抜ける。
向かいのホームから電車が発車するのを、あたしはぼーっと眺めていた。
こっち側の電車が来るまであと五分。

「すみません、少しいいですか」
「はい?」

唐突に、背後から声をかけられた。そして振り向いて、絶句。
────双子といっても差し支えないほど自分に似ている女性が、すぐ目の前に立っていた。

「突然、ごめんなさい」
「え。いえ」

寿命が縮まるかも、とか、生き別れの姉妹じゃなくて双子か、とか。
一瞬いろんな考えが頭をよぎる。
泡食ってるあたしに、その人はためらいがちに声をかけた。

「あの、最近、行ってもない場所で、自分を見たよ、とか周りに言われませんか・・・?」
「あー・・・言われます」

・・・ああ。きっと。
向こうもあたしと同じ経験してたんだ。
分かってしまって、苦笑しながら頷く。相手も緊張を解いてふっと笑った。

「私、林と言います。今、立英大学の東雲キャンパスに、三ヶ月だけ通ってて。
それでその間、何度か覚えのない場所で友達に「見たよ」って言われたんです。
・・・さっき、反対の電車からあなたが見えて、急いで降りたんです。絶対、この人に間違われたんだ、って」

ですよね。こんだけ似てたら間違われるわそりゃ。
卵形の顔に、ほんの少し吊り目がちな瞳。
小さめの鼻に、薄い唇。配置もバランスもほぼ同じといっていい。
ピーチブラウンに染めた髪は、肩につく長さのストレートボブ。
グレーのロングニットカーディガンに、オフホワイトのインナーは自分もよくする組み合わせだ。
(今日のあたしは紺の長袖シャツワンピだけど。)
彼女の腕にかかった赤い鞄を目にして、全てが腑に落ちた。

「あたしも、自分に似た人がこの路線を使ってるみたいだって、思ってたんです。でも、ここまで似てるとびっくりしますねー」
「ですね」

ふふふ、と笑った彼女の目元には小さなほくろ。
それくらいの違いしか正直見当たらない。
でも、声は彼女の方が少し高いかな。
慌ててたのか、林さんは、読みかけの文庫本を手に持ったままだ。

その後、電車が二つ通りすぎるまで、あたし達は軽く言葉を交わした。
聞くと、やっぱりあたしと彼女に血縁関係はないらしい。
世の中に似ている人が三人いるっていうけど、つまりはそういうことらしかった。

「私、今日で東雲キャンパスの授業を取り終えたんです。
 明日からこの路線は使わないから、最後にあなたに会えて良かった」

三本目の電車が来たのを機に、林さんは会釈して踵を返した。
あたしは不思議な気分のまま電車に乗りこむ。
電車の窓越しに、階段を降りる彼女と目が合った。
小さく手を振ると、向こうも振り返す。
そして、電車はゆっくりと動き出し、彼女はすぐに見えなくなった。



「昨日、あたしのそっくりさんに声かけられたよ」
「えっ」

翌日。いつもの学食。
昼食の乗ったトレーを挟んで、向かいに腰かけた佳織の顔がキラキラと輝く。

「もちろん、写メとったんだよねぇ?」
「とってないよ」
「・・・じゃ、連絡先とかはぁ?」
「知らない。そのまま別れた」
「えー何でぇ」
「だって、そっくりな外見以外は、別に接点とか共通点があるわけじゃないし」

肩をすくめると、佳織はあからさまにがっかりした顔をした。

「えっちゃんって、みょーにかわいてるよねぇ。若者らしい好奇心がないっていうかー」
「失礼なこと言うな」
「んー。そのそっくりさん、会ってみたかったなあ」
「どうして」
「面白いから?」

えへ、と佳織が笑った。
呆れながらも、その友人を 「今日も図書館寄ってかない?」 と誘う。
ささやかに一件落着したこのできごとは、平凡なあたしの少し変わった経験として、その後ずっと記憶されることになったのだった。



予想してた通り、林さんと会うことは二度となかった。
連絡先を聞かなかったことは別に後悔していない。
今はそっくりでも、年月を重ねれば彼女とあたしの差異は広がって、別人になっていくんじゃないかと、何となくだけどそう思う。
ふとした折によみがえる彼女の面影は、もう、水面に映った自分のように曖昧だ。

・・・しばらく見つめていた洗面台の鏡から目を逸らす。
少し急がないと待ち合わせに間に合わない。
手早く身支度を整え、玄関から表に出る。
頭上に広がる空は、よく晴れている。うむ、いい天気だ。

(この下のどこかに、他にも自分のそっくりさんがいたりしてね)

世の中には、似た者が三人いるっていうし。
そんなことを思いながら、あたしは早足で駅に向かった。


<END>


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