軌跡

「なぁ寺井ー。ここってどうすんの?」
「……だから、こーなってこーなってこの公式を入れる!」
「おー、なるほど! さすが! 先生よりわかりやす!」

 人懐っこそうな目がますます丸くなり、長谷川は大げさに拍手した。

「お世辞言ってる暇あったら、ちゃっちゃと解け! ほら次!」
「あ、バレた?」

 てへっと笑ったクラスメイトに軽く殺意を覚えて、手近にあった消しゴムを投げつける。

「おおっと。寺井さん、暴力はいけませんよー」

 長谷川は、飛んできた消しゴムをさっと避けた。
 ちっ。無駄に運動神経がいい男め。
 自分で投げた消しゴムを拾いに行くのってすごい屈辱だ。
 忍び笑いを漏らした相手を一睨みする。ガタッと席を立ち、三列向こうの机のあたりまで飛んでった消しゴムを拾う。
 ふてくされて席に戻ると、年中こんがり日焼けした、丸坊主の長谷川は、高校球児らしからぬうさんくさい笑顔で口を開いた。

「あのさー寺井」
「……」
「もしもし寺井ー? 百花ちゃーん? もーもかちゃーんってば」
「気色悪い声出すな」
「まーまー、ちょっと聞いてよ。今、野球部のマネージャー、足りないんだわ。寺井、帰宅部っしょ? やってくんない?」
「やだ」
「即答かよ。つれないなぁ百花ちゃん」
「あんたに百花ちゃんとか呼ばれると鳥肌立つわ。
あのな、おバカな長谷川の面倒見るだけであたし、すっごく時間とられるんだよ。これ以上他人のことに構ってらんないの」
「そこを何とか!」
「マネージャーするかわりに、あんたの勉強見なくていいならやる」
「うーん。それは困る」

 ちぇー、とかなんとか、長谷川はブツクサ言っている。

「んなこたいいから、問題を解け。テストは明日! わかってんの?」
「あーい」

 やる気のない返事をして、長谷川はしぶしぶ、教科書とにらめっこする。
 そして一分。……二分経過。

「どぅあぁーーーーーーっ!! わからん!」
「うっさい! もっと集中しろ!」

 あたしは長谷川の坊主頭を、丸めたノートでスパコンと殴る。

「ひどい……」

 長谷川は頭を抱えてプルプルしている。
 手加減しなかったし、こいつの場合、髪というワンクッションがないからすごく痛いはずだ。

「ったく、先生たちも夢見すぎだよ。あんたに甘すぎ。いくら野球部の有名人だからってさー」
「だって俺、野球以外に才能ねーもん」
「開き直るな」

 去年、こいつの活躍で、野球部は春大会準決勝までいったらしい。
 そのおかげで、先生含め学校中が野球部、ひいては長谷川に夢を見てしまっている。
 今年こそ甲子園出場だ! みたいな。

 みんなの期待を背負い、ハードな部活をこなす長谷川は、授業中は常に寝てる。
 ひたすら寝てる。
 そんな彼を、先生達は生温かく見守っている。

 あたしの不運は、去年の九月の席替えで、こいつと隣の席になったことだ。
 宿題を見せたのをキッカケに妙に懐かれ、また同じクラスになった今年も、このバカの面倒を見る羽目になったのである。

「この問題、難しすぎるだろ」
「サービス問題だっつーの。あんたが赤点取ったら、あたしのせい。みたいな空気があるんだよ! 真剣にやれ」

 筋肉が詰まったこいつの頭に最低限の知識を叩きこみ、これなら赤点を免れるだろう、と一息ついた頃には、下校の鐘が校内に響きわたっていた。



「すっかり暗くなっちゃったなぁ。送ってこーか」
「いい」
「遠慮すんな」
「してない」
「まーまー。いくら凶暴でも、百花ちゃん女の子だもんねー」

 校門まで何となく一緒に来た長谷川は、強引にあたしの家の方向に歩き出した。

「寺井のおかげで、今回も赤点回避できそうだなぁ。助かりますホント」
「……たまには他の人を頼ってくれると、嬉しいんだけどね」
「やだよ。寺井の字、見やすいし、教え方うまいんだもん」

 背の高い長谷川は、こっちを見下ろしてニカッと笑う。
 薄闇の中、きれいに並んだ白い歯がキラリと光る。日焼けしてるだけに、やけに眩しい。

「……長谷川ってさ、黒い服着て夜道歩いてたら、誰にも気づかれなさそうだよね」
「ひどい、バカにしてんの? あ、でもケツは白いよ。俺元々、色白なんだわ。何なら見る?」
「公道でやめてください」
「じゃあ二人っきりの時に」
「遠慮します」
「残念。自慢の桃尻なのにっ」

 ひゃひゃひゃと笑ってた長谷川は、眉根を寄せたあたしの顔を覗きこむ。

「あのさ、勉強のお礼に、今度、試合見に来て?」
「なんでお礼があんたんとこの試合なのよ」

「ホームランでも見してやんよ」と長谷川がまた笑った。

「……何それ。すんごい自信だね」

 ホームランなんて、そうそう打てるものじゃないだろ。それくらい、野球にうといあたしでもわかる。
 呆れた視線で見上げると、どうしてだか長谷川は苦笑した。

「うん。つか寺井って鈍いよなーまじで」
「は?」
「いやこっちの話」
「?」

 くるっと背を向けると、長谷川は鼻歌を歌い始めた。
 その鍛えられた肩をぼんやり眺めて、てくてく歩きながら想像する。

 ……蒸し暑い、土の匂いのするグラウンド。
 ピッチャーの手から放たれた、丸い球。
 しなやかな腕がバットを振りきる。
 白いボールは、会心の音を立てて空に吸いこまれる。
 ────重力に逆らって、それはとてもきれいな放物線の軌跡を描くんだろう。

 生まれてこのかた、野球の試合なんてほとんど見たことがない。
 でも、実際そんなのを目の当りにしたら、夢を見るんだろうか。
 学校のみんなみたいに。

「うー。早く体動かしてえなぁ」

 隣を歩く長身の男が、伸びをする。

「明日テスト終わったら、また部活三昧?」
「まーねぇ」

 試合はともかく、練習くらいは、見てみてもいいかもしんない。
 コキコキと首を鳴らす長谷川を横目に考える。すると、すっと手が伸びてきた。

「何?」
「ゴミついてる」

 髪に触れた長谷川が答える。

「あ……ありがと」
「どーいたしまして」

 その時、「ほんと、隙だらけ」 と長谷川が呟いた。
 だけど、小さすぎた声は、通りかかった車の音に紛れて消える。



 ……バカだバカだと思ってた長谷川が、実は意外に策士で、この時点で自分の外堀八割がすでに埋まっており、数週間後に熱烈な告白を受けて悶絶することを、この時のあたしはまだ知らない。


<END>


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