高楼

 まるで、巨大な銀色の生き物のようだ。
 尖った背骨を思わせる屋根の向こうには、見上げるほど大きなメインゲートが聳える。
 照明塔に照らされた宇宙港。この圧倒的な構造物を前にすると、いつもそんな感想を抱く。
≪当機は、あと五分ほどで離陸いたします。ご着席の上シートベルトを────……≫
 指定の座席に身を預け、右側の小さな窓から外を眺めていた俺は、そこから視線を外した。
 惑星間シャトルの機内に、淀みない機械音声が流れる。
 座席の埋まり具合は、八割といったところか。乗客の多くは静かに席について思い思いの時間を過ごしている。
 俺は、着古した上着のポケットから、小型の端末を取り出した。掌ほどの大きさのそれは、日常のあらゆる場面で使用される電子機器である。レストランの会計から搭乗手続き、日用品の通販、株の売買まで、この小さな機械一つでこなせてしまう。
 つややかなその表面に指を押し当てると、指紋認証の完了をあわらす光が点滅し、ブ……という微かな振動とともに、入力用のキーボードと画面が目の前に映し出された。
 備え付けのテーブルにその端末を置き、実体のないキーを打つ。

『マディラ』

 Enterキーを押すと、検索結果が表示された。その中の一つを選んで、更にEnterキーを押す。
 ホログラムの立体画面に、青い硝子玉のような惑星が、映し出される。この惑星間シャトルの最終目的地だ。
 マディラは、150年前の第一次惑星改造計画で、人類の居住範囲となった星だ。太陽系の隣の星系にあるこの惑星が、今回の俺の旅行先である。
 こぶし大くらいの大きさで再現されたミニチュアのマディラは、膝の上の空間で緩やかに回転していた。
 『水の星』とも称されるこの星の表面は今、ほとんどが海に覆われている。
 人類が入植する前は、マディラにも大陸があったという。しかし、惑星改造の段階で、予想以上に広範囲の氷が溶け、地表の大半が水没してしまった。
 そのマディラでは、ごく稀に、奇妙な現象が観測されるという。いまだその理由は解明できていない、と観光情報サイトには書かれてあった。
 見れたらラッキー。見れなくても、それはそれでよし。
 三十も半ばを迎えて、フラフラしているのはどうか、という向きも世間にはある。しかし、俺にとって旅は人生の一部。
 旅行の行先も、いつも適当に決める。今回も大して深く考えず、幾つかの候補地の中から、旅先をマディラを選んだのだった。



≪────このシャトルは、あと十分でマディラの宇宙港に到着いたします≫
 離陸の時と同様の機械音声で、目が覚めた。
 寝ぼけ眼を擦りつつ、窓の外に視線を移動させると、青一色の海が広がっていた。
 その真ん中に、広大な人口島、エルシオンが浮かぶ。
 天空に向かって伸びる海上の高楼群。中央に突き出たひときわ高い建物は、セントラル・タワーだ。
(すげえなぁ)
 思わず、小さな歓声が口から洩れる。
 機体が旋回し、シャトルの両翼が鈍い光を放つ。いい年して窓に張りつき気味のオッサンを乗せた機体は、マディラ最大を誇る宇宙港へ吸いこまれていった。

 マディラに降り立って、最初に感じたのは湿度の高さだ。
 室内は快適な温度に保たれているはずだが、軽く圧迫感を覚えるほどである。広大な海と、暖かい気候のせいかもしれない。
 荷物を受け取り、セントラル・タワーに直行しようとして、少し気が変わった。
 透明度の高いあの海を、間近で覗き込んでみたくなったのだ。
 メインゲートを出て、周囲を見回す。視界の隅に、海洋に面した小さな公園が映った。
 人々の群れから離れ、鼻歌交じりでそちらの方に歩き出した。

 宇宙港の壁に沿って歩いていると、ふと、弱々しい声が聞こえた。
 ひと気のない周囲を見回したが、近くには誰もいない。
(……気のせいか?)
 首を傾げて、再び足を踏み出した瞬間、うめき声がはっきり聞こえた。
 旅先で気が大きくなっていたのか、俺は何の躊躇もなく声の主を探した。声が聞こえた生垣に近寄り、茂みをかきわけ、首をつっこむ。
 その低い樹木の奥に、子供が横向きに倒れていた。
 美しい銀色の髪。天使かと思うようなかわいらしい顔はしかし、苦しげに顰められていた。
「おい、大丈夫か?」
 助け起こすと、子供は緩慢な動作で顔を上げた。
 閉じられていた瞼が開かれる。思わず息を飲んだ。髪と同じ銀色。鏡のように輝く双眸が、自分を見つめ返す。
「具合が悪いのか? それとも迷子か?」
 できる限り優しく話しかけたつもりが、子供は怯えて震えはじめる。これはまずい、と内心焦る。
「それとも、怪我してるのか?」
 最上級の穏やかな声音で再度問いかけた。
 それは功を奏したらしい。その子の表情から、少しずつ警戒心が薄れていく。
『けが、ない』
 唐突に、頭の中で声が響いた。
 驚いた拍子に、子供の体を放り出しそうになる。が、何とか堪える。
「……今のは、もしかして、お前がしゃべったのか」
『そう』
「超能力者ってやつか」
『たぶん、ちがう』
「へ、へえ。それにしても、何でこんな場所に一人でいるんだ? 親とはぐれたのか?」
 その時、俺はどうしてだか、気味が悪いとか思うより先に、こいつをどうにかして安心させてやりたいと思ってしまったのだった。その子供が、あまりにも頼りなげで、心細そうに見えたからかもしれない。
『にげてきた』
「えーと……どこから?」
『よくわからない。でも、つかまったらきっと、また、とじこめられる』
 全く状況が飲みこめないが、ひどく切羽詰まっているらしい。それが、声の響きで伝わってくる。
『おねがい。あそこにつれていって』
 戸惑っていると、小さな手が俺の背後を指差した。
 振り返れば、競うように天空へ伸びる摩天楼の、最も高い建物を指しているようだった。
『あの、いちばんたかいところ』
「セントラル・タワーか。あそこに、誰か知り合いがいるのか」
『いえに、かえる。みち、ひらく』
 ……やっぱりよくわからない。困惑する俺を、子供は、『おねがい』と懇願するように見上げた。
 この子が普通の子供じゃないってことはわかる。でも、こんな幼気な子供を捕えて閉じ込めるなんて奴は、ろくな人間じゃないに決まってる。根拠はあまりないが。
 可能なら、助けてやりたい。しかし一方で、冷静な自分は「トラブルは面倒だ」と考えていた。
 葛藤しつつ唸っていると、無垢な視線にじっと見つめられた。その視線に、ついに降参してしまった。
「……わかった、タワーに連れてってやるよ」
 そう答えた己に、自分でも驚く。俺って行きずりの子供を助けるような人間だったっけ。
 でも、こいつにじっと見つめられると、どうしてだか居心地が悪いのだ。……昔拾った鳥の雛に、少し似ているからかもしれない。
『ほんとに?』
 子供は、あの時の雛のように瞬きした。
「男に二言はない」
 俺は腹をくくって頷く。
 ふと、こいつのなりを確認して、俺は顎に手をやった。
 簡素な白い布を巻きつけただけに見えるこの恰好では、目立つこと間違いない。
 俺は背中の荷物を下ろし、そこからフードつきの上着を出した。そいつに着せてやるついでに、銀色の髪もフードの中に隠す。
「お前、目立つから、それ着てな」
 ぶかっとしていて、膝丈のワンピースに見える。袖口を折ってしまえば、それほどおかしくないだろう。立たせた子供の前で屈み、袖を折ってやる。
「これでいいか。……なあ、名前は何ていうんだ? いつまでも『お前』って呼ばれるのも居心地悪いだろ」
『イーシュ』
「イーシュね。俺はヒロト。じゃ、いくぞ」
 緊張の面持ちで、イーシュが頷く。
 生垣からそっと顔を出して周囲を窺ったが、幸いなことに人の気配はない。
『……あっ』
 植込みを下りた俺に続いて、段差を下りようとしたイーシュが、バランスを崩して倒れかける。
「あぶねえ」
 羽のように軽いその体を支え、ゆっくり地面に下ろしてやると、
『ありがとう、ヒロト』
 ほっとしたように、イーシュが小さく笑った。



 宇宙港の駅は、大きな荷物を持った人々で溢れかえっていた。人混みに紛れたことで、少し緊張がほぐれた気がする。
 イーシュを連れてエスカレータを上がり、ホームで列車を待つ。
 高速で移動するそれに乗れば、街の中心部にあるタワーまでほんの十数分ほどだ。
 ふと、横を見ると、イーシュが身を強張らせて俺の影に隠れた。
 視線の先には、灰色の制服を着た男たちが、何かを探すように向かいのホームをうろついている。
『あのふく、きてるひとに、つかまった』
「……そのまま、俺の後ろにいろよ」
 小さく呟くと、俺はイーシュを隠すように前に立つ。
≪列車が参ります────……≫
 ホームにアナウンスが流れる。滑らかに停車した列車に乗ると、男たちに背を向けるように席に座った。
 何事もなくドアが閉まり、俺は安堵の息をつく。幸いなことに、列車の中にあの制服は見当たらない。
『……なんで、ヒロトは、たすけてくれる?』
 しばらく隣でじっとしていたイーシュが尋ねる。
 ずっと疑問に思っていたのだろう。声には、やや戸惑った響きがあった。
「むしろ、それは俺が自分に聞きたいぜ。でも、本当に何でだろうなあ」
 ぽりぽり頭を掻く俺に、隣の女性が怪訝な視線を向けた。独り言を呟いているように見えたようだ。
 イーシュの声は、俺にだけ聞こえているらしい。慌てて声を低める。
「……しいて言うなら、昔拾った鳥の雛に、イーシュが似てるからかもな」
『とり?』
「そう、鳥」
 わかったような、わからないような顔をして、イーシュは首を傾げる。
 その感じが似てるんだ、とは言わず、苦笑だけを返す。そして気になっていたことを口にした。
「俺もいろいろ聞きたいぞ。イーシュ、お前は何者なんだ?」
『てんぞく』
「てん……?」
 思ったより、あっさりと返事が返ってきた。しかし、てんぞく、とは何のことだろうか。俺が理解できていないことに気づいたのか、イーシュは言葉を継ぎ足した。
『あのふくのひとたちは、マディラびとって、よんだ』
「マディラびと……」
『ひとが、ここ、くるまえから、すんでたもののこと』
 ごくり、と唾を飲みこむ。
 そんなことが、あるのだろうか────驚きに目を瞠る俺に、イーシュは淡々と説明を続ける。
『おおむかし、ひと、きた。てんぞくは、じげんのはざまに、うつりすんだ。
このまちのした、てんぞくのふるい、せいち。じげんのとびら、ひらきやすい』
「…………」
 もしかして、いやもしかしなくても、俺は、ものすごい秘密を知ってしまったんじゃないだろうか……? 空調が効いているのに、変な汗が滲み出てくる。
『イーシュ、まちがって、おちてきた』
 子供は肩を落として、言った。
 このドジッ子め! とつっこむべきだろうか。
 
 この惑星を発見した当時、地球には人々が溢れていて、新居住地の確保は急務だったという。
 しかし、マディラで発見された知的生命体が、惑星改造計画の延期を余儀なくさせた。
 マディラ人と地球人との間で話し合いがもたれたが、ある日を境に、マディラ人は忽然と姿を消してしまったらしい。
 実際、話し合いの結果がどうなろうと、惑星改造は強行されていたらしい。マディラ人はそれを察知して、惑星を去った、という説が一般的だ。
 その後、人類はここに入植を開始した。
 歴史の教科書には、そう書いてあった気がする。
 しかし、イーシュの言葉が本当なら、彼らは惑星を去ったわけではなく、別次元に民族大移動をして、今もまだそこで生きている、ということになる。
 イーシュの存在は、世紀の大発見だ。
 壮大すぎる内容に軽く混乱はしたが────しかし、俺はイーシュの秘密をあっさり忘れることにした。別に俺は、歴史の発見者になりたいわけじゃない。
 こいつを家まで送り届けたいだけなのだ。



 優美な曲線を描く鉄の門を見上げ、俺は安堵の溜息をついた。
 無事に目的地に着いたせいか、肩の力が抜けていく。
 ここはもう、セントラル・タワーの真ん前だった。
(……案外簡単なもんだなあ)
 林立する建物の隙間には、空中道路や列車のレールが網の目のように張り巡らされている。その隙間から、地球よりも濃い色の空が覗いていた。
『ヒロト……?』
 立ち止まった俺を、目深にかぶったフードの影から、イーシュが見上げた。その小さな掌をきゅっと握る。
「何でもねえよ。さ、いこうぜ」
『うん』
 イーシュの手を引いて、高さ数メートルはある門をくぐる。
 セントラル・タワーの展望台は、エルシオンでも人気スポットだ。建物の一階は、ここのオフィスで働く人々の他にも、観光客らしき団体や、カップルで混雑していた。
 窓口の列に並んで展望台のチケットを買い、高速軌道エレベータに乗りこむ。
 傍からは、観光客の親子連れのように見えるのだろう。俺たちに気を留める者は誰もいなかった。
 僅かな圧力を生じさせ、エレベータは上昇を開始する。
 エルシオンの最新技術を用いた大型の箱は、ほんの数秒ほどで目的の階層に着いた。

 ────静かにドアが開いた。
 一緒に乗り込んでいた子供たちが、わっと外に飛び出す。続いて、お喋りに興じる大人たちやカップルがエレベータを下りた。
 エレベータに最後に残された俺たちは、彼らの背後に隠れるように降りる。
 カフェや売店が並ぶ最上階。エレベータはそのフロアの中心に位置していた。エレベータを出て、裏に回れば、屋上の展望台に通じる階段がある。
 その階段が見える位置まで歩き、ぎょっとして立ち止まった。急に止まったせいか、俺の腰辺りにイーシュがぶつかってうめく。
『いたい……ヒロト、ひどい』
「……イーシュ」
『なに』
「あれ」
 駅で見た男と、同じ制服の人間が、三人。階段の前に立っている。
 イーシュはさっと顔色を変え、俺の後ろに回った。
「なあイーシュ、お前の目的地って屋上?」
『……うん』
 前に注意を払ったまま小声で呟く。
「……今更だけど、屋上に行くと、どうなるんだ?」
『じげんのすきま、できる。かえるための、みち、ひらく』
 うーむ、と唸って俺は腕組みした。頭の中に直接話しかけるような変な力を持っているくらいだ。こいつが屋上から家に帰れると言うのなら、本当なのだろう。そこはもう、信じるしない。
 相変わらず状況は理解不能だけれども、ここまできたからには、イーシュの言う通りにしてみようか、と再度腹をくくった。
 俺に隠れるように、後ろからぎゅっとしがみついてくるイーシュを、首を捻って見下ろす。
「このフロアからじゃ、その道ってのは開かないんだよな?」
『そと、でなきゃだめ』
「そうか……どうしたもんかねえ」
 俺はきょろきょろと周囲を見回す。
 売店に目を留めて、よし、と軽く頷き、自分にひっついているイーシュの腕を解いた。
「あいつらの注意を引くから、ここで待ってろ。やつらの目がそれたら、走って階段をのぼれ。できるな?」
『……うん。やってみる』
 男たちから死角になる、大きなとラッシュボックスの影に不安そうなイーシュを隠す。
 それから、俺は売店に向かった。
 店のおばちゃんに頼んで、毒々しい色のアイスクリームを三段重ねで購入する。見るからに体に悪そうだ。
 俺は、観光客らしくきょろきょろしながら、階段の方へ近づいていく。男たちは注意深く周囲を警戒しているが、俺のことはちらっと見たきり、眼中に無い。
 屋上に行く風を装って、階段に歩み寄る。と、そこで躓いた振りをして盛大に転んだ。その際、制服の野郎に、アイスクリームをべっちょり押しつけてやった。
「あああ、すいません」
 思い切り顔をしかめた男に、座ったままぺこぺこ頭を下げる。
「すいません、クリーニング代を弁償します!」
 謝りながら立ち上がる際に、更によろけた演技をする。別の男の腕に思わず掴まったように見せかけ、そいつを引き倒す。今度は少しわざとらしかったかもしれない。
 アイスを胸に塗りたくられた男が、俺を見据えて舌打ちした。倒された男も、残りの一人も、「何をする」と凄む。
「す、すいません。わざとじゃないんです」
 彼らの殺気に怖気づきそうになったが、へらへら笑いを浮かべて謝り倒す。額に浮かんでいるのは、本物の冷や汗だ。
「にやにやしやがって」
 アイスの男に胸倉を掴まれて、持ち上げられた。完璧に足が浮く。
 と、ここで予想通り、揉め事の気配を察知した野次馬どもが、俺たちを囲み始めた。
 その群衆の中から、小さな影が素早く飛び出す。
 頼む、気づかないでくれ、と俺は必死に願う。けれど、祈りも空しく、怒りの形相を浮かべだ男が、イーシュの姿を認めて顔色を変えた。
「……おい、あいつは」
「待て!」
 男たちがイーシュの後を追おうとする。どさっと床に投げ出された俺は、その足に縋った。
「……行かせるかよ!」
「離せ、こいつ!」
 アイスの男が、均衡を崩して倒れる。奴の大柄な体が階段を塞いだ。
 その足を掴んで離さない俺を、別の男が蹴り上げる。ぐっと息が詰まり、胃液が逆流する。俺は咳き込みながら床に這いつくばった。
 その間に、子供は二段飛ばしで階段を駆け上がり、屋上に到達する。
(……やったぜ)
 明るい陽射しの中に躍り出た子供を視界の端で確認して、俺は大の字に床に転がった。
 今、思い出した。イーシュ、お前を助けたかった本当の理由は────




* * *




 ────俺の実家は、そこそこの名家だった。今じゃ、単なる旅好きのオッサンだから、誰にも信じてもらえやしないが。
 教育にも、無茶苦茶厳しかった。本当は、生き物を飼ってみたかったし、いろんな場所にも行ってみたかった。しかし、自分の要望は、ことごとく却下された。

 今の地球では珍しい、植物がふんだんに植えられた広い庭は、そんな親の顕示欲を象徴しているようで決して好きではなかった。しかし、小さかった俺の逃げ場所はそこしかなかった。
 ある日俺は、その庭で、巣から落ちた雛を拾った。
 その傷ついた雛を、見つからないように、隠れて飼った。餌の種類やあげ方も熱心に調べた。怪我は次第に良くなって、雛は羽ばたきの練習をするようになった。
 いつかそいつを空に帰してやれる日を、俺はとても楽しみにしていた。

 しかし、その雛は両親に見つかってしまった。有無を言わさず、奴らはその小さな鳥を捨てた。
 ガレージのごみ置き場で、鳥籠に入れられたまま冷たくなった雛を見つけた時、俺は声を上げて泣いた。
 そいつを空に帰してやれなかったことが、悔しかった。
 その時、俺は泣きながら、早く大人になって、誰かを守れるような力と自由を手に入れてやる、と誓ったんだ。
 
 そうして、いつの間にか俺は年を取り、自由を手に入れた。
 自由を謳歌するあまり、誓いの方はすっかり忘れてしまっていた。
 でも、心のどこかで、これでいいのか、ってずっと思い続けていた。理由はわからなかったけどな。
 お前がそれを思い出させてくれた。

 世界なんて救えなくてもいい。
 そんな大それた望みは持っちゃいない。
 ただ、目の前で困っている誰かを、助けることができたら。
 そしたら俺は、あの時なりたかった大人になれるんじゃないか。そう思ったんだ。




* * *




 男たちが何事か喚きながら、階段を上っていく。
『────!』
 寝転がった俺の頭の中に、イーシュの声なき声が響く。しかし、今度は何を言ってるのかさっぱりわからない。呪文のような、祈りのような、しかし今までに一度も聞いたことのない言葉だった。
「……見ろ! 外!」
 誰かが叫んだ。その声に誘われて、野次馬が一斉に窓の外を見た。俺ものろのろと体を起こして、そちらに視線を移す。
 セントラル・タワー最上階に大きく嵌めこまれた窓からは、エルシオンを取り囲む海と、海の上に広がる雲がどこまでも見渡せた。
 そのたなびく雲海の遥か彼方に、山の稜線のようなものが薄く浮かび上がる。
 雲の上に姿を現す、幻の大陸。これが、ごく稀にマディラで観測される現象だった。
 見れたらいいな、程度だったその光景は、想像以上に幻想的で美しかった。
 窓際に押し寄せた人々の後ろから、陽炎のように浮かび上がった山影にじっと見入る。目を凝らすと、実体はないとされるその頂から、一筋の白い光が差したように見えた。
(あれが、イーシュの帰り道なんだろうか……)
 確信はないが、きっとそうなのだろう。
 不思議な白光の中で、銀色の子供が笑っているような気がした。


<END>


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