浮島

「結婚?」
 ペルラ・オリーラ最高の真珠は人の姿をしている────と讃えられるヴィアーチェ王女の美貌が、ひく、と引き攣った。
 白皙の頬が紅潮し、珊瑚色の唇がわなわなと震えている。
 怒り心頭な彼女は、取り合えず大きく息を吐いた。罵詈雑言を叫び出しそうな自らを鎮めるために。
 それから、一音一音区切るように言われた言葉を繰り返す。
「わたくしと、あなたが、結婚しなければ、依頼を、受けない、と?」
「仰せの通りです、ヴィアーチェ王女」
 しれっと答えたのは、≪砂漠の国≫から派遣された魔術師、アレイノだった。
 ≪砂漠の国≫現王の甥で、かの国の魔術師の頂点に立つ男だ。彼の名声は、大陸から遥か海を渡り、この≪三日月の島≫にも轟いていた。
 だからこそ、ある問題に頭を悩ませた父王は、アレイノを招聘したのである。
 広々とした謁見の間にある、唯一つの椅子。王座に深く腰かけた壮年の王は、横で硬直する娘と、穏やかな笑みを浮かべる青年魔術師を、弱りきった表情で見比べ、おもむろに口を開いた。
「・・・唐突にそう申されても、困る。依頼の代価は別のもので支払おう。なるべくそなたの希望通りに。いかがか、アレイノ殿」
「陛下、恐れながら申し上げます。私の欲するはペルラ・オリーラ随一の美姫、ヴィアーチェ王女のみでございます」
 威厳ある声で王が諌めても、全く効果はなかったようだ。
 大理石の床に恭しく膝をつき、頭を垂れる男は、柔和な表情を湛えてはいても、頑として要求を変えない。
 王を挟んでヴィアーチェの反対に立つ王妃と妹姫は、困惑した顔を見合わせている。
 唇を噛んで恥辱に耐える王女に、父王が、ちら、と視線をくれた。
 苦渋に満ちた父の目は、彼女にこう語りかけていた。────「諦めて、嫁に行ってくれんかね?」、と。



 ・・・ペルラ・オリーラは、大陸の南西に浮かぶ≪三日月の島≫を代々治める王国である。
 ≪三日月の島≫は名の通り、欠けた月のような形の大きな島だ。
 ペルラ・オリーラとは 「真珠の海岸」 を意味する古い言葉。
 婉曲する細長い陸地に守られた湾の内側は、波が非常に穏やかで、古くから真珠の養殖が盛んである。そして、ペルラ・オリーラの真珠と言えば質が良い事で知られていた。
 また、陸地の中央を背骨のように走る山岳地帯では、茶葉の栽培が行われている。
 真珠と茶。この二つは、ペルラ・オリーラの特産物であり、重要な収入源である。
 しかし今、この島と大陸との貿易が、危機に晒されていた。

 ────遡ること二ヶ月前。
 大陸と≪三日月の島≫を結ぶ貿易航路に、クラーケンが出現した。
 クラーケンは巨大なイカの姿をした凶悪な海の魔物で、たくさんの積荷を乗せた船が既に二隻、その餌食となった。それ以外にも漁船が襲われるなどの被害が相次いでいる。
 事態を重くみたペルラ・オリーラ王は、すぐさま当代きっての魔術師、アレイノを呼び寄せた。
 この時、彼はアレイノに対し 「クラーケン退治の報酬は、あなたの国の希望に添えるよう努力する」 と申し出た。もちろん、報酬の中身は金品で、というごく真っ当な心積もりだった。
 が、謁見に臨んだアレイノは、ペルラ・オリーラ最高の真珠、ヴィアーチェ王女と結婚できなければ依頼は受けない、と堂々と言い切ったのである。



(なーにが 「若い二人で」、なのかしら! 父上もひどいわ)
 美女にあるまじき足音をドスドス立てながら、ヴィアーチェは王宮の庭園を歩いていた。
 その横には、彼女の歩調に合わせたアレイノが付き従っている。
 謁見の後に開かれた昼食会の席で、「まずはお互いの親睦を深めなさい。じゃ、あとは若い二人で散策でも」 と彼女は父王に命令されたのだった。
 そのため、仕方なく≪砂漠の国≫からやってきた無作法者との時間を過ごしている。
 父の命令でなければ、同じ空気すら吸いたくない。
 ツンとそっぽを向いているヴィアーチェに、アレイノは困ったように口を開いた。
「怒らないで私の話を聞いてくださいませんか、王女」
「別に怒っていませんけれど、何でしょう」
 青筋を浮かべた笑顔で振り返ったヴィアーチェに、アレイノはおっとりと笑った。
 褐色の肌につんつんした短めの銀の髪。砂漠の民に特徴的な色彩だ。背はすらりと高く、甘くやさしげな顔立ちは整っていた。が、ヴィアーチェにはどこか掴みどころがなさそうに見える。
 アレイノは、オリーブ色の瞳を嬉しそうに細めた。
「私は以前、あなたとお会いしたことがあるんです」
「え・・・?」
 ヴィアーチェは目を丸くした。
 そんな筈はない。なぜなら彼女は生まれてから一度も≪三日月の島≫を出たことがない。
 一方アレイノは、今回が≪三日月の島≫への初訪問だと聞いた。ヴィアーチェは眉を寄せる。
「どこでお会いしたのでしょう? 記憶にございませんけれど」
「実は私、魔法で猫に姿を変えて、こちらの王宮に忍び込んだことがあるんです。
噂に名高い、ペルラ・オリーラ王宮の真珠を一目見てみたいと思いまして」
「・・・猫ですって?」
「ええ、銀の毛並みの子猫です。覚えておられませんか?」
「・・・あの子猫は、あなたでしたの・・・?!」
 言われて、思い出した。三年ほど前、王宮の庭の噴水で溺れていた銀の子猫を助けたことがある。
「噴水の縁に座ってあなたに見惚れていたら、誤って水に落ちてしまったんですよね。
それをあなたは、侍女が止めるのも聞かずに、噴水に自ら飛び込んで私を助けてくださった。
あの時私は、美しいばかりではなく、何と勇敢で優しい姫君なのだろう、と思いました」
 懐かしむように、アレイノは笑った。
「それ以来、私はあなた一筋なのです。私の一途な思いをお分かりいただけたでしょうか」
「けれど、魔法を使って他国の王宮に忍び込むなど、犯罪ではございませんか?」
 ヴィアーチェは冷たく言い返したが、
「若気の至りというものです。誰にもばれていないのでいいではありませんか。証拠もありませんし」
 さらっと流す男の顔が憎らしい、と彼女は心底思った。それに追い討ちをかけるように、アレイノは続ける。
「というわけで、私とあなたは口づけを交わし、一緒にお風呂に入った仲なのですよ」
「・・・今、必死に思い出さないようにしていましたのに!」
 王女は瞬時に頬を染めて、声を荒げた。
 確かに、胸に抱いた子猫にペロリと唇を舐められた気がする。汚れを落とすために、一緒にお風呂にも入った。でも、それは相手が猫だと思っていたからだ(当たり前だが)。
「あ、あなたなんて、最低ですわーーーーっ!」
 涙目で怒りながら、ヴィアーチェはドレスの裾を翻してその場を走り去った。
「・・・怒った顔も可愛いなあ」
 ぽつんと残された男は、彼女の消えた方向を見つめ、くすくす笑いながら全く悪びれずに呟いた。



 その夜。ヴィアーチェは、気分がすぐれないと晩餐を辞退した。
 侍女を下がらせ、バルコニーにそっと歩み出る。
 夜の風が、腰まで伸ばされた彼女の艶やかな黒髪を撫でた。
「・・・・・・」
 ペルラ・オリーラの王宮は、湾を望む高台に建つ。その上辺に位置する部屋からの眺めは、絶景と言って良かった。
 天高く上った月の光が、染み渡るように青く世界を照らしている。
 湾の海岸沿いに漂う、真珠の養殖のために作られた無数の浮島。それらに、篝火が灯されていた。
 水面が月と篝火を反射して、ゆらゆらと揺蕩う。
(この国は、美しいわ)
 ヴィアーチェは素直に思う。青い海と空が無窮に広がる昼の風景も好きだったが、幻想的な夜景もまた愛していた。ずっと見ていても飽きることがない。
 黒曜石を嵌めこんだかのような瞳を、彼女はそっと伏せた。
 父王の思いは、理解している。
 大陸への貿易航路が途絶えれば、ペルラ・オリーラは大きな打撃を受ける。下手をすれば国民の生活が立ちゆかなくなるかもしれない。だから、クラーケン退治は国家の最優先事項だ。
 また、≪砂漠の国≫と関係を強めることは、この国に有利に働くはずだ。
 今後クラーケンのような魔物が現れた時に、≪砂漠の国≫に要請がしやすくなる。あるいは報酬を値切れるやも。
 豊かと言われるペルラ・オリーラでも、無限の財源があるわけではない。
 そして、ヴィアーチェを報酬に、と言ったアレイノは確かに実力ある魔術師なのだろう。一見頼りなさそうだが、彼は飛翔の魔法で大陸と海を越えてこの国に来た。本来なら帆船と馬で二週間はかかる道程を、たった一日で。

 ・・・城下の明かりが一つ二つと減り、反比例して夜空の星が煌々と輝きだす。
 それらを見つめながら、王女は人知れず溜息をついた。
 王族である以上は政略結婚が当然だとしても、小さな夢はあった。
 正式な使者を立て、相応しい手順を踏み、婚約が整ったあかつきには恥らいつつも相手とご対面するのだと。
 なのに、よりによってイカ退治の報酬に結婚だなんて、しかもあの頭の軽そうな男と────。
(こんなことでは、いけないわ)
 ヴィアーチェは頭を振った。
 ・・・・・・ちっぽけな夢や自尊心が何だというのだ。
 この状況で彼が自分を望むというなら、従うしかない。
 王族としてこの国の役に立ちたいと、常々心に刻んできたではないか。
「いつまでも我がままを言ってはいられないわね。わたくしは王女なのだから」
 ぽつりと呟いた言葉が、風に紛れて消えようとした時。

「決心してくださいましたか」
 ひょい、とバルコニーの天蓋から逆さに顔が覗いた。
 ヴィアーチェは悲鳴を上げそうになったが、軽い身のこなしで横に降り立った男は、さっと彼女の口を掌で塞ぐ。
「大声を上げないでください。不審者が来たと思われてしまいます」
 どう見ても不審者だ、と言いたかったが、口が塞がっていて呻き声しか出ない。
「手を離しますから、叫ばないでくださいね」
 こくこく頷くと、アレイノは体を離す。ヴィアーチェは赤くなって三歩ほど後ずさった。
「あ、あなたという人は、不埒な真似ばかりして一体どういうおつもりなんです!」
 指差しながら小声で喚くと、男は 「すみません」 と困ったように謝った。
「実は、昼間の謝罪に参ったのですが・・・私はあなたを怒らせてばかりのようですね。申し訳ありません、王女」
 おっとりした彼の表情に、ヴィアーチェは少々毒気が抜かれた。
「・・・・・・いいえ。わたくしこそ、怒鳴るなんて失礼なことをしました」
 ヴィアーチェも謝罪し、思い切るように顔を上げた。
「あの、アレイノ様。わたくし・・・」
「・・・お待ちください、王女。もう一度、私にやり直させてくださいませんか」
 男は 「上を見てください」 と天を差し、パチン、と軽く指を鳴らした。
 それを契機に、無数の星が天から滑り落ちてくる。
 ヴィアーチェは、息を飲んだ。
 白く輝く尾を引いて、花火のように燃え尽き、消えていく星の欠片。
「綺麗ですわ。これは、流れ星・・・?」
「幻を見せる魔法です」
 魔術師は王女に歩み寄り、静かに跪いた。
「私の国は砂漠しかありません。ですが、あなたがいらしたら屋敷の庭に大きな池を作り、幻の水を湛え、浮島を浮かべましょう。
夜になったら、そこに毎日魔法の明かりを灯してさしあげます。あなたが、この国を離れてもいつでも思い出せるように」
 真面目な顔で告げる青年を、ヴィアーチェは呆気に取られて見つめた。
「生涯あなただけを愛すると、月と太陽に誓います。どうか、私と結婚していただけませんか」
「・・・・・・わたくしで良ければ」
 ────ヴィアーチェは相手の真剣な空気に飲まれ、気が付いたら頷いていた。
 彼女は知らない。王妃や妹姫が、晩餐の席で、「姉姫は乙女心をくすぐる雰囲気に弱い」、と男に助言したことを。



「では、ちゃっちゃと退治しますか」
 よく晴れた上空で、アレイノはやけに元気な声を上げた。
 その腰に、ぶるぶる震えるヴィアーチェがしがみついている。
 結婚に際して 「夫となる者の実力を自分の目で確かめたい」、と言ったことを彼女は心から後悔していた。
 アレイノはそれに、「ならクラーケン退治についてきたらいいですよ」 と応じた。まるで、散歩に行くよ、とでもいうような気軽さで。
 そして翌日、王の許可を得て────といっても、アレイノが 「絶対安全ですから」 と押し切ったのだが────ヴィアーチェは同行することになった。
 アレイノと彼にしがみつくヴィアーチェ、王宮から選ばれた補助の魔術師数人は、魔物の気配を求めて大海の上空を飛び回っていた。
 しばらくして、アレイノが海上の一点でピタリと静止した。
「うーん、この下にいるみたいですね。まずは、引きずり出しましょうか」
 のんびり呟いた彼は、呪文を唱え始める。
 すると、突如として海上に大型の船が現れた。
 虚像だと分かっていても、ヴィアーチェやペルラ・オリーラの魔術師達は息を飲まずにはいられない。それほどまでに精緻な幻だ。
 水を切って進む様子といい、風をはらんだ帆といい、本物にしか見えない。
「・・・さっそく来ましたね」
 アレイノがにこり、と笑った。次の瞬間、轟音とともに船の周囲に巨大な水柱が上がる。
 水飛沫の中から、何列もの吸盤が並ぶ醜悪な足が姿を現す。
「き、きもちわるいですわ」
「すぐ片付けますからじっとしててくださいね、ヴィアーチェ王女」
 よしよし、と王女の黒髪の頭を撫で、アレイノは再び呪文を唱えた。
『闇を支配する冥府の王たちよ、我の呼び声を聞け』
 二人の足元に巨大な黒い光球が出現する。
『水中で蠢く悪しき獣を暗黒に帰せ』
 パン、という破裂音と共に、漆黒の光球が弾けた。
 その中から、亡霊のような黒い人影が幾つも現れる。
 実際の人間の数倍はありそうな、大きなその影は、風で輪郭を歪めながらクラーケンに迫った。
「えーと、ここからは見ない方がいいかもしれません」
 そう言って、傍らの男はヴィアーチェの目を覆う。
 遥か下の海上から、ゴリゴリ、ブチブチ、と不快きわまる音がした。ついでに、硝子を引っ掻くようなクラーケンの悲鳴も。
「・・・何が起こっているのですか」
「冥府の亡霊にクラーケンを食べてもらってるんです」
「な、なるほど」
 ・・・・・・一応、ここまでついてきたのだから最後まで見届けなくては。
 責任感に駆られて、ヴィアーチェは男の指の隙間からちらりと下を覗き見た────が、次の瞬間、あまりの気持ち悪さに自主的に瞳を閉じた。
 ────当分イカは食べれそうにない。



 それから三ヵ月後。
 貿易航路の復活に伴い、ペルラ・オリーラの港には以前の活気が溢れていた。
 港だけではない。王宮もまた、ヴィアーチェ王女の結婚の支度で慌しさに包まれていた。しかし、それも明日までだ。
 二国間で行われた婚儀の話は順調に進み、いよいよ明日、彼女はペルラ・オリーラの王宮を発つ。
 そして、夜が天上を覆い、騒がしい王宮が眠りにつく頃。
 旅の主役であるヴィアーチェは、生まれ育った王宮で過ごす最後の夜を、寝つけずに過ごしていた。
 何度寝返りをうっただろうか。数えるのも、途中でやめた。
(・・・どうせ眠れないのなら、故郷の風景を目に焼き付けておきたいわ)
 そっと体を起こす。
 足音を忍ばせて、バルコニーの外へ滑り出た。
「・・・あなたは本当にここの景色が好きなんですね」
「っ!」
 背後の声にぎょっとして振り返ると、柱の影で婚約者がくすくす笑っていた。
「時々で良ければ、ここにこっそり連れてきてさしあげますから、悲しい顔はしないでください」
「・・・・・・本当に、あなたって人は神出鬼没ですわね」
 ヴィアーチェは苦笑する。
 そして、軽く眉を顰めた。
「わたくし、ずっと考えていたのですけど、もしかしてあなたがあのクラーケンを呼び寄せたのではなくて?」
「まさか。さすがに私もそんなことはできません。────ペルラ・オリーラ最高の真珠を手に入れる機会に恵まれて幸運だな、とは思いましたが」
「・・・・・・」
 呆れた視線を気にもせず、若い魔術師はヴィアーチェに歩み寄り、その黒髪に口づける。
「私はいろんな依頼を受け、各国へと赴きます。その間は寂しい思いをさせるかもしれませんが、行く先々で見つけた宝石や綺麗な布をあなたに贈りましょう」
「それは、素敵ですわ」
「私は、あなたと結婚できて幸せです。あなたはきっと、老いても魅力的に違いありません」
 なぜ結婚前から老いの話をするのか。
 今なら分かる。この男は自分の世界がありすぎて、女心を一切理解しないのだ。
 むっつりと黙り込んだ王女に気づかず、魔術師は悲しげな微笑を浮かべた。
「・・・もしも、あなたが先に死んだら、それらの品を抱いて、私は部屋の隅で泣き暮らすかもしれません」
「勝手に人を殺さないでくださいませ。それに、ちょっと変態じみておりますわ」
「あなたが大事な人だから、そう思うのですよ」
 美しい顔を顰めた王女に、彼はにっこりと笑った。
「ヴィアーチェ、あなたは長生きしなければなりません。決して私より先に死なないでくださいね」
「・・・ご期待に添えるよう、頑張りますわ」

 ────以前バルコニーで口説かれた時の台詞は、母と妹姫と彼で必死に考えたと後から聞いた。
 しかし、それを知っても不思議と結婚は嫌にはならなかった。・・・彼女らに多少腹は立てたが。
 ヴィアーチェはそっと目を閉じて、アレイノの口づけを受ける。
 目の前に広がる凪いだ水面で、浮島に灯された篝火が、祈りに応えるように揺らめいた。


<END>


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