Coloria

 耳に届くのは、寄せて返す静かな波音だけ。崖に囲まれた砂浜を、ひんやりとした風が吹き抜ける。
 水平線から顔を出した太陽が、その浜に佇む一人と一匹の姿を淡く照らし出した。薄い靄がかかった海辺に、彼ら以外の人影はない。
 のんびりと砂の上を歩くリアスは、足元にまとわりつく毛むくじゃらを見下ろして笑った。
「朝っぱらから元気だねえ、お前は」
 崖の上の一軒家に住む彼は、明るい茶色の髪と目の、ごく普通の容姿の少年だ。
 ただし、その視線は、孤独に慣れた者特有の憂いを帯びている。
「ジン」
 落ちていた木ぎれを拾い上げ、つぶらな黒い瞳の前で誘うように揺らす。
 主の意図を理解したジンは、尾を左右に振りながら身を低くして走り出す体勢を取った。
「ほらっ」
 少年の腕から離れた木片は綺麗な弧を描いて飛ぶ。それを追って薄茶の毛玉が駆けた。
 砂を蹴散らして瞬く間に小さくなった後ろ姿を見送り、待つこと数分。
 いつもなら、ジンは投げられた枝を咥え、一目散に戻ってくるのだ。しかし、
「・・・・・・あいつ、また拾い食いでもしてんのか」
 今日に限って一向に戻る気配のない飼い犬に、リアスは顔を顰めた。
 枝を投げた方向に目を凝らすと、砂浜の一点をうろうろと歩き回る、点のような毛玉。
 その毛玉は、「こっちに来い」とでも言うように、リアスに向かって「ワン!」と一声吠えた。
 普段と異なるジンの行動に訝しげな表情を浮かべた少年は、一瞬の迷いの後、鳴き声の方向に歩き出したのだった。

「ワン! ワン!」
「どうした?」
 パタパタと尾を振る犬は、リアスをちらりと見た。
 だが、砂の上に転がる流木のようなものの側を離れようとしない。
「それ、見せたいのか?」
 砂の上に横たわるそれは、流木か、何かの廃品のようだった。だが、その輪郭が明らかになるにつれ、少年の顔色が変わる。
(人……? 死んでる?)
 力なく投げ出された華奢な体。
 こわごわと歩み寄ったリアスの目が、微かに上下する薄い肩の上で止まった。
「生きてる……」
 安堵したのは、束の間。リアスは行き倒れの人間を拾った経験などない。
 緊張する腕を伸ばしてうつぶせの体を起こし、灰がかった金色の髪をかきわける。
(女の子……?)
 晒された繊細な面立ちは、まだ幼さの残る少女のものだった。年は自分と同じか、少し下くらいだろう。
 リアスはふと、彼女の服に目を留めた。不思議な光沢を放つ布地は、この辺では見かけないもの。隣国の人間かもしれない。
 人形のような青白い顔を眺め、リアスはしばし思案した。ここから一番近くの村までかなり遠い。しかも、医者は更に遠くの町にしかおらず、呼んだとしても相当時間がかかる。
(とりあえず、連れて帰って様子を見ようか……)
 細い手足には小さな傷が幾つかあるものの、目立った外傷は見当たらない。気を失っているだけなのだろう。
「よいしょ、と」
 少女の体を軽々と抱き上げた少年は、「帰るぞ」とジンに呼びかけ、家の方へ踵を返したのだった。




 ────体の機能が正常化するに従って、覚醒していく。ゆっくり瞼を持ち上げると、薄青の瞳が木組みの天井を映しだした。
「……あ、起きた」
 横を向くと、至近距離からこちらを覗きこむ茶色の瞳。
「いやっ……!」
「あああ、そんな、驚かなくても大丈夫だよ! 何もしないから!」
 布団を跳ね上げて後退った少女に、リアスは慌てて釈明した。
「崖下の浜辺で君が倒れてたから、家に運び込んだだけだよ。俺はリアス、近くの鉱山で機械の修理をしてるんだ」
 怪しい者ではないと早口で言い募る少年の、頭からつま先へと視線を動かした少女は、彼の足元で目を止めた。そこにはつぶらな瞳の犬が首を傾げている。
「あ、こっちはジン」
 少年が手を伸ばして丸い頭を撫でると、ジンはパタパタと尾を振った。
 見開かれた瞳がパチパチと瞬きを繰り返す。
 幾分か警戒を解いた少女は、それでも用心深く周囲を見回した。それからようやく肩の力を抜き、口を開いた。
「……助けてくれたんでしょうか」
「まあ、そういうことになるかな。あ、どこか痛むところない?」
「だいじょうぶ、です」
「そうか、医者を呼ばなくても良さそうだね」
「……ええ」
 リアスはほっと息を吐いた。そして、人懐っこい笑顔を浮かべる。
「遠くから流されてきたみたいだけど、きっと家に帰れるから心配いらないよ。役所に行けば何とかしてくれるだろうし」
 元気づけようとしたリアスの言葉に、けれど少女は顔色を変えた。
「私のことは誰にも言わないでください! すぐ出て行きますから」
「ええと……どこか、行く当てがあんの?」
「いえ……」
 うなだれる彼女に、少年は頭を掻いた。
(訳ありかよ……)
 溜息をつきそうになったリアスは「えーと」と無駄に呟いた。が、それで名案が浮かぶわけでもない。
 しばらく天井の木目に視線を彷徨わせていたが、時計の針が八時を指していることに気づいて彼は顔色を変えた。
「こんな時間!? やべー遅刻じゃん! あ、お腹すいたら適当に冷蔵庫のぞいて! シャワーも適当に使っていいから。 俺は気にしないから、好きなだけここで休んでってよ」
 一気にまくしたてると、家の隣に建つガレージに駆けこんで旧式のエアロモービルに跨る。
「ああもう、爺さんにどやされる!」
 壁にぶら下げたゴーグルを装着すると、スロットルを全開にしてエンジンを唸らせる。

ウォォォオオォォン

 瞬時に発進したエアロモービルは、青い空へ向かって一直線に飛び出したのだった。

「…………」
 少年が風のように出て行った後、一人残された少女は彼が出て行った扉を呆然と見つめていたが、我に返って改めて周囲を見回した。
 ────不思議な部屋だ。古びたマントルピース、アナログの時計に木製の家具。骨董品というべきそれらは、きちんと手入れされ、おさまるべき場所におさまっている。自分が知っている白く無機質な空間とはまるで違うが、居心地は悪くない。
 顔を上げると、正面の板張りの壁には真新しい世界地図が飾られていた。レトロな家具の中で異彩を放つそれに、少しの間、見入る。
 不意に空腹を覚え、少女はソファから降りた。少年の言葉を思い出し、キッチンの隅にあったこれまた旧式の冷蔵庫を開けてみる。しかし、中に入っていたのはなぜかゼリーや甘い菓子ばかり。
 少女は首を傾げると、無言で扉を閉めた。
 ソファに戻ってぽすんと腰かける。すると、ふかふかの毛皮に足が触れた。そっと覗きこむと、黒い瞳がこちらを一瞥する。彼の主の仕草を真似て、少女は蹲る薄茶の犬の頭をそっと撫でてやった。




「くっそう、まだ痛え」
 暮れていく空を仰いで、額のたんこぶをさする。今朝の遅刻で、リアスは大目玉を食らったのだ。
 気を取り直し、リアスは器用に機体の高度を上げた。そして森の向こうに現れた、水平線上の空を見渡す。立ち仕事で疲労した体に、冷気を帯びた風が心地良い。
 一日の中で、彼は夕方の空が一番好きだった。瑠璃色から赤、そして藍へ刻々と変化する色彩は、事故で死んだ両親から贈られたバースデイプレゼントによく似ていたから。

 家に着いたリアスは、ガレージにモービルをしまって屋内に続く扉を開けた。中は、明かりはついておらず薄暗かった。
 行く当てのない少女はまだ家にいるものと思っていたが、どうやら去ってしまったらしい。少しだけがっかりした気分で照明をつける。
「…あ……お帰りなさい」
 不意に響いた声に振り向く。
「寝てたの?」
 ソファから身を起こした少女は頷いた。その手に丸い石が握られている。マントルピースの上に飾ってあったものだ。
「お腹すいてる?」
「…………何で分かったんですか」
 不思議そうな彼女のお腹がきゅるると鳴る。リアスはくすりと笑うと、小さな手の中で緑色の光を放つ石を指した。
「その石、触った人の心の状態に反応して、色が変わるんだ」
 緑は空腹、と笑いかけ、微妙な表情の少女をキッチンに誘った。鍋に湯を沸かし、冷蔵庫から菓子を次々と取り出す。
「あの、豆、ありますか」
 控えめな問いかけに、リアスは手を止める。
「豆? 甘いもの嫌い?」
「嫌いではないですが……」
「あ、遠慮はなしね。確かこの辺に……あった」
 冷蔵庫の横の戸棚をあさって出てきた缶詰を皿に移し、レンジに押しこむ。
 それから、リアスはむしったキャベツと鶏肉を茹で、軽く冷ましたそれを今か今かと待ち構えるジンの皿によそった。
「こいつが一番贅沢だよねえ」とぼやきながら、夢中で食べる犬の背を一撫でして顔を上げる。
「そういえば、名前、聞いてなかったね」
「ティエラ、です」
 ティエラ、と心の中で反芻しながら、リアスは温まった豆をレンジから取り出してテーブルに置いた。ティエラに席に着くように促して、皿の隣に匙を並べる。
「どうぞ」
 少女は躊躇いがちに石を手放し、代わりにその匙を取った。
「これ、神経の微量な電気信号を感受するようにできてるんだ」
 リアスは、元の不透明な乳白色に戻った石に手を伸ばした。皿の中身をペロリとたいらげたジンの頭に乗せると、それはうっすらと黄色い光を帯びてゆく。
「黄色は満足とか、嬉しい色」
 ティエラの硬い顔立ちが和らぎ、笑みが浮かんだ。
「じゃ、俺らも食べよっか」
「はい」
 そうしてしばらく、食卓にはカチャカチャと食器の音のみが響いた。

 食事をしながら、リアスは向かいに座る少女を盗み見た。昼間身なりを整えたようで、灰がかった金髪は本来の艶を取り戻していた。丁寧な喋り方から、どこかのお嬢様かなと適当に見当を付けてみる。
 ───その彼女は急にすっと匙を置き、動きを止めた。
「静かに」
 顔を上げた少年は、低い呟きに口を噤む。
「何か来ます」
 直後、少女はテーブルの上に飛び乗り、リアスめがけて突っこんできた。
「わぁっ!!」
 二人は縺れ合って椅子ごと後ろに倒れこむ。更に、テーブル下のジンを少女が引き寄せたその時。
 ────壁をぶち抜いて飛来したミサイルがテーブルを粉々に砕いた。
「!?」
「あなたも捕捉されました。逃げましょう」
 足元に転がる石を反射的に掴んだ少年と犬を両脇に抱え、少女はガレージに飛びこむ。
 少年は、信じられないものを見る目で少女を見上げ、更に驚愕した。
 白い肩口がぱっくりと割れ、そこから伸びたコードが生き物のようにエアロモービルの制御装置に潜りこみ始めたのだ。そして、コードの一部がガレージの隅にあったショットガンをリアスの前にぶら下げる。
「操縦は私がします。あなたはこれで反撃を」
 防犯用に買ってガレージに放置していた銃が目の前に差し出される。
 それを少年に押し付けると、少女は自らの肩から伸びたコードの間にリアスを座らせ、自身はジンを抱えてその後ろに素早く座った。
 同時に、機体が矢のような勢いで闇へ飛び出す。

ドガッ

 ───紙一重の差でガレージは爆音とともに炎上した。
「な、何!?」
「攻撃用の四足歩行ロボットです」
 振り向くと、節足動物のような四本の足を持つ戦車型のロボットが三台、炎に照らされて蠢いていた。

ガガガガッ

 マシンガンの攻撃を浴びてリアスは慌てて首を引っ込めた。エアロモービルは左右に蛇行しながら弾幕をかわす。
 やらなければやられる。状況は全く飲み込めなかったが、それだけは分かった。少年は身を捩りショットガンで狙いを定める。

ドンッ!

「当たった!」
 見事命中し、ロボットがバランスを崩してよろめいた。続けざまに引き金を引く。ロボットの足が吹き飛び、ガクリと地に伏す。
「よっしゃ!」
「素晴らしい腕です」
「まーね」
「このまま燃料が切れるまで飛びます」
 襲いかかる弾丸を、ティエラは巧みな操縦でかわし続ける。
 しかし、エアロモービルのメーターが指す燃料は残り僅かだ。リアスは補給を怠った自分を心の中で罵った。
「ティエラ、東に向かってくれ!」
「はい」
 東の鉱山の麓には、仕事場の修理工場がある。最も近い補給場所だが、重量オーバーな上に無理な操縦では辿りつけるか微妙だ。
 ふと振り返ると、闇の一点を照らす炎が次第に小さくなっていくのが見えた。両親の思い出をなぞるように、彼らがいた頃の状態を維持してきた家が燃えている。だが、リアスは不思議と寂しくも、怖くもなかった。

 飛び始めて数分で、機体の速度が鈍る。燃料が底をついたのだ。夜の森に降下した二人は、周囲を見回した。
「敵が────」
 辺りの気配に神経を尖らせていたティエラが、不意に向き直った。髪をかきあげ、爪の先で細いうなじに切れ目を入れる。
「リアス、これを破壊してください」
「え……?」
 ティエラは、血が滴る隙間から覗いた小さな螺子を指した。
「行動を抑制するプラグです。自分では壊せないようにプログラムされています。だから」
 リアスは息を飲む。
「……君は」
「彼らを止めなければ、あなたが殺されてしまう」
 そこでティエラが、はっと顔を上げた。ジンが毛を逆立てて唸る。不気味な振動が少しずつ接近している。
「このプラグの破壊と同時に再起動に入ります。あなたはジンとできるだけ遠くに逃げてください」
 振り向いた薄青の瞳が、リアスを真っ直ぐ射抜く。
 出会ったばかりの彼女の、何を信じればいいのだろう。今になって、リアスの理性が疑念を囁いた。
 しかし────リアスは迷いを振り払った。無理矢理外したモービルの部品を握りこみ、膝をつく華奢な体の背後に立つ。

ガッ!

 プラグの上に、尖った先端を突き立てる。同時にティエラの瞳が光を失った。がくりと頂を垂れた彼女は微動だにしない。
 不穏な振動が至近距離から響いた。
 ざわり、と木々が蠢いて四本足の機械が姿を現した瞬間、リアスはショットガンの引き金を引いた。
「こっちだ!」
 走りながら撃った最初の一発が後方の機体の足を掠めたが、よろめいただけで倒れない。
 けれど、機械の注意を引くことに成功した。彼らは、ティエラではなくこちらに向かってくる。流れ弾が地面とぶつかって火花を散らし、ジンは慌てて茂みの中へ飛びこむ。
 マシンガンの攻撃を転がりながら避けて、至近距離で撃った二発目は、前方の敵の目に相当するソナーに命中した。方向感覚を狂わされた機体が暴走を始め、後ろの機体の前進を妨げる。
(これで時間が稼げる)
 一瞬の安堵が油断を招いた。無茶苦茶に振り回された足の先端が、下がろうとしたリアスの片腕ごとショットガンを弾き飛ばす。
「!!」
 反動で後ろに倒れながら、リアスは腕を押さえこんだ。

「……再起動完了」
 少女の唇が動いた。燐光が宿った瞳に、片腕がちぎれた少年の姿が映る。
「リアス!」
 失った腕を庇う彼のポケットから石が零れ落ちた。赤い光を放ち始めるそれに、少年は腕を押さえながら目を瞠った。
「馬鹿な……」
 触れずに色が変わるなど、ありえるはずがない。
 空間が、電気を帯びて震えた。その中心を目で追う。彼女は青白い顔に怒りを浮かべてすっと立っていた。

 しなやかな動きで跳躍する。少女は闇雲な射撃を身を捻ってかわし、四本足のロボットの胴体部にふわりと着地した。
 白い肩から伸びたコードが敵の可動部の隙間に入り込んでその制御を奪う。
 ガクガクと痙攣した機械は、一旦しゃがみこんだ後、再び動き出す。
 闇にほの白く浮かび上がる少女は、もう一体の攻撃を避けながら鋼鉄の塊を自在に操る。揺れ動く胴体の上で器用にバランスを取るその足元から、小型ミサイルが煙幕の尾を引いて発射された。

ドン!

ドン!

 二発が命中し、敵のロボットが爆発とともに砕け散る。同時に、彼女の手足となっていた機体が動きを止めた。
 地に降りた彼女は、四散したもう一体の足を拾い上げた。それを、停止したロボットの胴体に垂直に突き刺す。

ピーーーー。

 電子音が途切れた。ロボットは完全に機能停止し、ただの鉄屑に変わる。
「破壊完了。通信記録消去」
 小さな呟きは、誰の耳に届くこともなく消えた。

 森に、静けさが戻る。
「すみません」
 泣き出しそうな少女に、リアスは苦笑しながら押さえていた腕を見せた。そこにはひしゃげた金属とコードが覗く。
「気にしないで。俺、体の七割が機械なんだ。昔、両親と一緒に事故に遭ってさ。だから腕一本くらい痛くないんだよ」
 だが、彼の予想に反してティエラはただ目を伏せた。
「……あれ、知ってた?」
「はい」
「どうやって」
「民間人かどうかを識別するために、スキャンしましたから」
 どうやら、彼女に組みこまれているパーツはかなりの高性能らしい。
 旧式の機械に身を固めた自分が恥ずかしくなり、リアスは照れたように続ける。
「……頭はオリジナルだから、ここは怪我するんだ」
 こめかみにできた擦り傷を指差して笑う。
「大丈夫ですか?」
「平気平気」
 わずかな沈黙の後に、ティエラが口を開いた。
「────私は、諜報専門のロボットとして開発されました。体はほぼ人間ですが、脳はナノチップ主体のAIです」
 俯いて、彼女は言葉を継いだ。
「私のAIは、初めから感情を強く持ちすぎていました。
 普通は、徐々に学習して感情の制御を覚えていきますが、私は規格外だと見なされ────廃棄されそうになりました」
 感情に左右されると、的確な状況判断ができませんから、と苦しげに目を伏せる。
「それで、逃げたんだ」
「はい。国境を越えれば大丈夫だと考えたのですが……巻き込んで、すみません」

 ……彼女に伝えたいことはたくさんあった。けれど。
 黙って腕を伸ばし、そばに落ちていた丸い石を拾って手に乗せる。
「俺だと、色が変わらないんだ。でもさ」
 乳白色のそれは、ティエラの掌に乗せると、藍に変わり内側に白い燐光を浮かび上がらせた。
「君にあげるよ」
「……いいんですか」
 見開かれた薄青の瞳を見ながら、頷く。
 言葉で説明しきれない思いを、彼女なら理解できるだろう。今すぐではなくても。
「いつか動かなくなるのは、機械も人も同じ。それまでどう過ごすかが大事なんだ。
 だから────ティエラがいいなら、一緒に泣いたり笑ったりしよう」
 白い小さな手の上の藍が、朝方の空の如く変化する。少女はその淡い光を、壊れ物を抱くようにそっと掌で包みこんだ。

 いつの間にか戻ってきたジンは、吹き飛んだ腕を咥えて尾を振っていた。褒めて、と言わんばかりに尾をパタパタと動かしながら、黒い瞳が彼を見上げる。
 その光景に苦笑しながら腕を受け取ると、ジンは得意げに鼻を鳴らした。やれやれ、とリアスは伸びをしつつ立ち上がった。 「工場で燃料をもらって、腕も直して、ついでに何か食べよう」
 彼は、ロッカーに隠しておいたおやつを頭で数える。
「体はオイル差しときゃいいけどさ、脳の疲れには甘いもんに限る。
 ……って、そういえばティエラは何で豆好きなんだ?」
「研究所でそればかり与えられていたので」
「うげ。俺にはそんな食生活、無理。お前もだよな?」
「ワン!」
「世の中には美味いものがいっぱいあるんだぜ。これから好きなだけ試せばいいよ」

 木々の梢がさわさわと歌を紡ぐ。世界を包む夜の闇に、歩き出した寄り添う影が溶けこんで消えた。夜明けは近い。


<END>

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