Crimson Eye 01

 戸を激しく叩く音で、ナルージャは目を覚ました。
 隣で眠っていたクローシャも驚いて身を起こす。
 七歳になったばかりの幼い双子は、粗末な掛布から慌てて這い出た。薄い壁のそばで体を寄せ合う。
 ドンドン、と乱暴な音はまだ続いている。
 夜明けの光が世界を染める時刻。
 壁の隙間から忍びこむ冷気で、吐く息が白い。
 赤色の瞳に不安を浮かべて、二人は抱き合いながら外を窺う。
 隣室から慌ただしい足音が聞こえた。足音は隣の部屋を出ていき、玄関で止まった。ギイ、と聞きなれた音がする。家の戸をあける音だ。
 父親が、突然の訪問者のためにそうしたのだろう。
「この家に双子の娘がいるだろう」
 戸口から、聞き覚えのない低い声が響く。
「え、ええ。あのぅ、娘たちが、何か……?」
「二人を預からせてもらう。これは王命だ。双子はどこだ」
 訪問者が戸惑う父親に言い放つ。
(おうめい……?)
 聞いたことのない言葉だ。
 だが、彼の目的が自分と妹であることは、幼い彼女にも理解できた。
「ま、待ってくだせぇっ」
「構うな、探せ」
 客は、父親の制止を無視した。次いで、複数の乱雑な足音と、室内を荒らす音が響く。
「向こうの部屋を見ろ!」
「はい!」
 固唾を飲む二人の視界で、部屋の扉が唐突に開いた。
「いたぞ!」
 大柄な男たちの腕が伸びる。素早く抱えられた双子は、腕や足を振り回して抵抗する。
「いやっ」
「はなせよっ」
 クローシャが、自分を捕らえた男の腕を思い切り噛んだ。
「……っ、このっ」
 男の平手が飛んで、クローシャの小さな体が宙に浮いた。壁にぶつかり、ずるりと床に横たわる。
「クローシャ、クローシャっ!」
 妹は床に倒れたきり、動かない。もがきながら、ナルージャは叫んだ。
「乱暴に扱うな。殺したら厳罰だぞ」
 背後から、低い声がした。反射的に首を曲げ、そちらを見る。
 おそらく、彼は最初の声の主。集団を統率しているのはこの男なのだろう。堂々とした体躯を誇る男は、自分より十歳は下の若い部下を、冷ややかに一瞥した。
「申し訳ありません、抵抗したのでつい」
 クローシャを殴った若い男が、恐縮した様子で詫びた。
 彼は、うつぶせに倒れたクローシャの傍らで屈みこみ、手袋を外した指で少女の息と脈を確認する。
「気絶しているだけです。すぐに目を覚ますでしょう」
「ならいい。引き上げるぞ。全員、外で待て」
「はっ」
 若い男はクローシャを抱え上げ、戸口に向かった。
「いや、はなしてっ」
「大人しくしろ」
 ナルージャは再び抵抗を開始したが、太い男の腕はびくともしない。あっさりと外へ連れ出される。
 四人の部下を全員屋外に退出させ、一人居間に残った男は、感情のこもらない目を部屋の隅に向けた。視線の先で、妻と息子の肩を抱いた父親が震えている。
 その、痩せて顔色の悪い農夫に、彼は懐から小さな布袋を出して床に放り投げた。軽い金属音が響く。袋の口がほどけ、金色の光が煤けた板の上に散らばった。
「代価だ。受け取れ」
「……」
 ごくり、と父親の喉が鳴る。
「いや、お父さん、行きたくないっ! 助けて」
 ナルージャは戸口の外から父親に手を伸ばした。
 泣きじゃくる娘の顔。床に散らばる金貨。父親の虚ろな視線が、二つを往復する。
 金貨を投げた男は、ここにもう用はないと言わんばかりに、踵を返した。武骨な手が、古びた取っ手にかかる。バタン、と音を立て、扉は無情に閉ざされる。
「お父さん、お母さん! ねぇっ、おにいちゃんっ」
 傾いてみすぼらしいけれど、家族で慎ましく生活した場所。遠ざかる自分の家に向かって、少女は泣き喚いた。家族が追いかけてきてくれるのではないかと、一縷の望みに縋って。
 一方で、ナルージャはそれが起こりえないことを理解し始めていた。心の奥が、冷えて凝っていく。
 扉を閉まる瞬間に、少女の赤い瞳に映ったもの。それは、金貨を拾う父親の、両目に浮かんだ歓喜の色だった。


 二人は、近くで待機していた馬車に放りこまれた。
 馬車がガタゴトと動き出し、その振動で妹が目を覚ました。
「う……」
「クローシャ! へいき?」
 ナルージャは起き上がる妹を支える。
「静かにしろ」
 一行を統率する男の声が、狭い幌の中に響く。
「……」
 口を閉ざした二人は、彼らの足元に膝を抱えて蹲った。

 太陽が西に傾く頃、二人を乗せた馬車はようやく止まった。
「この先は一切声を出すな」
 ナルージャとクローシャは、警告された直後、麻袋に詰められた。
 不意に体が宙を浮いて、荷物のように担がれ、馬車を降りる。
 雑踏のようなざわめきが、荷物のふりをするナルージャの周囲を満たした。しかし、麻袋越しにナルージャの耳が拾ったのは、不思議と男性の声や馬の嘶きばかりであった。
 担いだ者がどこへともなく歩き出すと、ナルージャは、妹と別々の場所に連れて行かれるのではないかと、不安に駆られた。しかし、「声を出すな」と言われた以上、ひたすら大人しく振動に耐える他ない。
 誰かの肩で揺られるうちに、次第に辺りが静かになっていく。人の少ない場所へと移動しているようだった。
 振動は唐突に止んだ。ナルージャを担ぐ者が、何者かに「門を開けろ」と言い、更に、背後に向かって袋を下ろすよう指示した。
 直後、ギギギ、と低い摩擦音が響く。
 再び、男は歩き出した。今度はほんの数歩歩いただけで、ナルージャの入った麻袋を、乱暴に地面に降ろす。
 固い土と衝突し、ナルージャの息が詰まった。
「出てこい」
 命じられて、少女は袋から這い出した。隣では、同じようにクローシャが袋から出てくるところだった。
 妹と離れ離れにならなかったことが嬉しくて、ナルージャは泣きそうになった。それは、クローシャも同様だったらしい。二人は麻袋を払い除けると、互いの手を強く握りしめた。
「来い」
 二人をここに連れてきたのは、やはりあの男であった。他の者は見当たらない。近くにいるのは、彼だけだ。
 男は、踵を返して歩き出す。
 ナルージャは、男のうしろを早足で追いながら、周囲を見回した。
 奇妙な広場だ。小さな村が丸ごと、入りそうなほど広い。
 その四角い敷地を、石壁が囲んでいる。見上げるほど高い壁だ。
 赤く染まる夕日によって、地面には石壁の濃い影が伸びる。
 剥き出しの土や石壁にはなぜか、その陰影より黒々とした、円形の焦げ跡が幾つもあった。
 ちらりと振り向いた背後に、頑丈そうな鉄の門が見えた。先程の金属が擦れる音は、この鉄の門扉が発条で開閉する音だったらしい。光を反射せぬ漆黒の巨大な扉は、地獄の門のような禍々しさを漂わせて佇んでいた。この門が、広場と外を結ぶ唯一の出入口らしかった。
 広場の奥には、大きな建物があり、男はそこに向かって歩いている。
 一見倉庫のように見えるが、先程の門によく似た、頑丈そうな金属の扉が取りつけられていた。
 その扉によりかかり、背の高い女が煙管をくゆらせている。
「待たせた」
 男は彼女の前で足を止めた。
「ジュノ、これが今回の双子か?」
 ふうっと紫煙を吐きだし、女は掠れた声で尋ねる。
 肩で切り揃えた黄昏色の濃い金髪。女鹿のように俊敏そうな体つきだ。年は、三十代半ばほどだろうか。
「そうだ」
「……見事な赤眼だな。今回は、王宮の司祭どももまともな占いをしたようじゃないか」
 自分を見下ろす瞳の色を見て、ナルージャは息を飲んだ。まるで、冷え固まった血のような赤だ。
「リネイ、竜が暴れたら止めてくれ」
「できるだけのことはする」
 女は軽く肩を竦めた。男は扉に歩み寄る。彼は鉄の閂を軽々と外すと、重厚な扉を押し開けた。振り向いた男は、その隙間を指さし、姉妹に告げた。
「入れ」
「でも……」
 クローシャが震える声で呟く。
 薄暗い扉の奥から、ずずっ、ずずっと何かを引き摺る音がする。一呼吸後、地を這うような低い唸りが鼓膜を震わせ、双子はますます身を固くした。
「先に入ってる」
 リネイという名らしい女は、無造作な身のこなしで扉の向こうに消えた。
 一方、ジュノ、と呼ばれた男は忌々しげに舌打した。手を伸ばし、動けないでいる二人の襟首を捕まえ、扉の内側へ突き飛ばす。建物の中で倒れたナルージャとクローシャが顔を上げるより早く、ガタン、と背後で扉が閉まった。
 小さな姉妹は、恐る恐る体を起こした。女は扉の横の壁にもたれ、二人の様子を眺めている。高窓から弱々しい光が射して、灰色がかった暗がりを照らした。ナルージャは目を凝らした。そこは、村の長が所有する厩舎に似ていた。床に敷かれた藁。充満する獣のにおい。けれど────
「ひっ……」
 仄暗い空間に浮かびあがる、生き物の輪郭。彼らが近づくにつれて、その姿は次第にはっきりとしてきた。
 黒灰色の鱗に包まれた巨大な胴。蛇のように長い首。禍々しい蝙蝠のような翼は、広げればどれほどの大きさになるのだろう。
 寝物語で聞いたことはあった。一頭で町を灰にする、竜という強大な生き物がいると。
 人を遥かに超越した力を持つ竜が、三頭、頭上から見下ろしていた。
 竜たちは、長い尾を猫のように揺らして、二人を囲む輪を狭める。大人もひと飲みできそうな口の隙間に、刃のような鋭い歯が見え隠れした。
 一頭が鎌首をもたげ、ナルージャの顔を覗き込んだ。
 深淵を思わせる、昏く赤い瞳が、少女を捉える。
(食べられる……?)
 ふしゅー、と生臭い息が顔にかかった。同様に、妹の蒼白な顔を別の竜が覗き込む。歯の根が噛み合わない。ナルージャは、目を見開いたまま妹の震える手をぎゅっと握った。
「……ひっ」
 突然、視界が反転した。固い鼻面で押されたのだ。それに気づく暇もない。かわるがわる、竜は二人を鼻先で小突いた。
 されるがままの双子に、やがて竜は興味を失ったらしい。すっと離れていく。

 それから、数瞬の間があった。震えている二人に、背後のリネイが淡々と声をかける。
「竜は、あんた達を気に入った」
 彼女は小さく嘆息し、扉を開けた。暗がりにさっと光が射す。
「生きてたか」
 薄く開いた扉からジュノの顔が見えた。
 二人は転がるように建物の外に出た。がくがくと膝を震わせる姉妹を見下ろして、彼は告げた。
「お前達は今後、ここで竜騎士の訓練を受ける」
「りゅう……?」
「……くんれん?」
「リネイ、後は頼んだぞ」
「ああ」
 素っ気なくリネイが応じ、男は踵を返す。
 大人たちのやりとりを、ナルージャとクローシャは呆然と眺めていた。
 傾いた日の光が、地面に彼らの長い影を落としていた。


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