Crimson Eye 02

 ────大陸東南に位置する、リンデンヴルム王国。
 約百五十年ほど前まで、そこは、≪森の王国≫と呼ばれる平和な小国であった。
 主な特産物は、木材と、森で育つ薬草を調合した薬品類。
 細々と永らえていた古い王国は、しかし、ある時を境に覇道へと突き進み始めた。

 最初のきっかけは、ほんの偶然だった。
 ある日、王宮の薬師団の一人が、材料を取り間違えて、薬の調合に失敗した。けれどそれが、リンデンヴルムに代々伝わる秘薬の発見に繋がったのである。
 針の先ほどの僅かな量で、数十人を殺す劇薬。
 それをある時、竜に用いてみようという算段になった。
 竜はしばしば、森を切り開いて作った村や、薬草の畑を襲うことがあったのだ。
 結果的に、薬をたっぷり塗った餌を与えても、竜の致死量にならないことがわかった。代わりに、簡単には目覚めぬ深い眠りを彼らにもたらした。
 眠れる竜の捕縛は、呆気ないほど容易い。
 今まで自然界の王者として君臨していた彼らは、そうして人間の手に落ちた。

 この時から、リンデンヴルム王家は、覇者となる夢に取り憑かれた。
 彼らの強大な力を、何とか利用できないものかと、試行錯誤を始めたのである。
 王家は、あらゆる実験を推奨した。
 薬。魔術。考えうる限りの方法で、竜を従えようとした。また、その住処に、魔導師から赤子まで様々な人種の老若男女を放りこんだ。その中にたった一人、無傷でいられた女がいたのである。

 ────大陸で、稀に生まれる赤眼の女。彼女達に竜が攻撃を加えない理由は、未だに判明していない。
 ともかく、飛竜を操れる人間がいるという事実が重要であった。
 かくして、リンデンヴルムで大陸初の竜騎士が誕生する。王国はその力を奮って、野望を実行に移した。
 周囲の国々を瞬く間に飲みこみ、王国は大陸第二の強国へと膨張していった。



「……同時に二人か。よくやった、ジュノ」
 腹心である騎士の報告に、現王ラグレスは狡猾そうな笑みを浮かべた。近頃目立つようになった皺が、一層深くなる。
「恐れ入ります、陛下」
「で、今回の娘はどうだ?」
「竜は、とても気にいった様子です。あとは、リネイが鍛えてくれるでしょう」
 歴代の王たちの野心を受け継ぐ彼もまた、領土拡張に熱心な王であった。
「あの忌々しい≪帝国≫を倒し、歴史に名を刻むのは私だ」
 くくく、と喉を鳴らす王に、ジュノは無言で頭を垂れる。
「だが、竜騎士が一人前となるには、数年を要する。そうだな?」
「仰せのとおりです」
「それに、あの娘たちも、訓練の間にいつ命を落とすかもわからん。引き続き、司祭の占いに従って赤眼の娘を探せ。
これまで通り、内密にだ」
「心得ております、陛下」
 ジュノは深く頭を下げた。
「頼んだぞ。……では、下がってよい」
「はっ」
 長年玉座を温めてきた王は、退出する部下の背中を見ながら、悦に入った。
 周囲の国々を併呑し、肥大化したリンデンヴルム。しかし彼の代で、強力な魔導師を擁する≪帝国≫と国境を接し、かの国と矛を交えた途端、状況は一変した。
 四年前の大戦で、リンデンヴルムは大きな痛手を負った。三人いた竜騎士のうち、二人を失ったのである。彼女らが乗っていた竜を連れ戻せたことだけが、不幸中の幸いだった。
 多少の小競り合いならば、一人の竜騎士でも何とかなる。しかし、大勢を覆すにはやはり力不足だった。ラグレスは、早急に、そして秘密裏に竜騎士候補を見つけ出すよう、ジュノと司祭たちに命じたのである。
 司祭の占術によって所在を明らかにされ、次々と連れてこられた赤眼の娘たち。しかし、彼女らは訓練の途中で死んだり、竜を抑える力が弱かったために食い殺されたりした。
 帝国との大戦以来、命を落とした赤眼の娘は、八人。愉悦の表情を浮かべる壮年の王は、それにひと欠片の痛痒をも覚えてはいない。



 四角く区切られた冬枯れの空は、どこまでも高く澄んでいた。
「凶暴な馬だと思えばいい」
 リネイは、抑揚のない声で言う。
 その隣には、ヴィーヴィルと名づけられた飛竜が、その巨体を白日の下に晒していた。
「お前たちが恐慌をきたすと、こいつらにも伝染して暴れ出す」
 幼い双子は神妙に女の言葉に耳を傾けている。
 竜に引き合わされて、数日が経った。訓練用の粗い綿の服に隠れた、彼女たちの小さな背中には、師のリネイ同様、薔薇を象った紋様が彫られている。
『背けば死を賜らん』
 竜騎士が背負う、忠誠の花。王宮に仕える薬師の長自ら行う、秘術だという。
「王家を裏切った時、背中の茨がお前たちを内側から食い殺すだろう」
 長である老人の、嗄れた声がナルージャの耳の中で反響する。
 竜騎士を、王家に繋ぐための鎖だ。それは、幼いナルージャとクローシャを恐怖で縛り、反抗する気力を失わせた。
「……ナルージャ、お前からヴィーヴィルに触れてみな」
 リネイに促され、少女は恐怖心を抑えて、ゆっくりと歩み出る。
 妹の心配そうな視線を感じながら、ナルージャは小さな手を上げた。飛竜の足の付け根の、黒い鱗をそっと撫でる。
 竜の赤い瞳が細められる。
 不思議な感覚が、指先から生まれた。目の前にいる生き物は、瞬時に自分を殺せる。それなのに、冷たく固い感触が彼女の内なる迷いや恐怖を和らげる。脳裏を覆う黒い霧が晴れ、不確かだった未来が明瞭に浮かび上がる。
 ────この生き物と、生きていくしかない。
 残された選択は、事実を受け入れるかどうか、それだけ。
 最後に見た、父親の顔。その記憶を打ち消すように、ナルージャは冷たい空気を吸いこんだ。


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