Crimson Eye 03

 人々の頭上を、巨大な黒い影が差す。
 畏怖と好奇の視線を浴びて、三人の竜騎士は、広場に舞い降りた。


***


 式典の開始を知らせる銅鑼が鳴り響く。
 雷鳴のような音に一拍遅れて、王宮前の広場を埋め尽くす兵士と群集から、大きな歓声が上がった。
 今日の式典で、国王自身が直々に勅令を発する予定だ。
 勅令は≪帝国≫領への大規模な遠征であった。
 十年前に大敗を喫して以来、停滞していた国内の空気を一掃し、≪帝国≫への雪辱を果たす好機とあって、その場にいる者の多くが、興奮を隠しきれぬ様子で口々に王を讃えている。彼らは王の登場を今か今かと待ちわびていた。
 広場中央には、騎馬隊と歩兵部隊が整然と列をなしている。その様子は壮観というほかない。その彼らを、詰めかけた王都の民が三方から囲んでいる。
 兵士の列と、王宮の大階段との間に、竜に跨る三人の女が佇む。
 今回の遠征より、ナルージャとクローシャが正式に竜騎士となる。十年前の大敗で生じた空席は、数年の空白を経て、ようやく埋まった。
 三頭の竜に、三人の竜騎士。
 それが、長く王国の伝統だった。
 実際、この体制が定着してから≪帝国≫と矛を交えるまで、王国は負け知らずだったのである。
 屈辱的な敗北から十年────リンデンヴルムは再び鳴動を始めた。
 二人の成長が今、その覇道を大きく後押ししていた。

 兵士たちの最前列で、三人の竜騎士は静かに顔を伏せていた。
 彼女たちは、揃いの黒い甲冑を身に纏い、頭部から垂らした薄布で顔を隠している。左のナルージャは雄竜ヴィーヴィル、中央のリネイは最も年長の雌竜クエレブラ、右のクローシャは一番若い雌竜ベルダに騎乗していた。
 ナルージャとクローシャが竜騎士候補に選ばれて七年が過ぎた。二人は十四歳の少女に成長していた。
 そのナルージャは今、極度の緊張状態にある。リネイを挟み、反対の端に控えるクローシャも、おそらく同じだろう。
 今度の遠征は、双子にとっての初陣。式典は、そのお披露目の意味もある。
 しかし、誇らしい半面、ひっそりと訓練に励んできた双子にとって、これほど多くの視線に晒されては、緊張するなという方が無理だった。
 ナルージャは自らの顔を隠す薄布に感謝した。これなら、ガチガチに強張った顔を見られずに済むだろう。
 竜騎士は、基本的に顔を晒すことができない。彼女らにとって、顔を隠さずともよい相手は、竜騎士同士かジュノなど赤眼の秘密を知る人間に限定される。
 双子の間にいるリネイも、薄い紗で顔を覆っている。その表情は窺えないけれど、緊張はしていないだろう。
 彼女は、今朝も普段と変わらぬ態度で準備をこなしていた。甲冑姿もさまになっていて、風格すら漂う。
 今や彼女は、リンデンヴルム軍の象徴のような存在だ。しかし、本人に気負った様子はあまりない。

 広場に集う人々の熱気は徐々に高まり、最高潮に達した。
 王宮の正面、白亜の階段の最上から、深い青の長衣を纏った王がその姿を見せたのだ。
 リンデンヴルム国王が甲冑などで武装することは、あまりない。王自身による親征も、この国ではほとんど例がなかった。
 リンデンヴルムは元々武断の国ではなかったため、それは当然のこととして受け止められている。王は、王都で戦果を待つ。それでも、竜騎士を御する王家に背く者はいない。
 詰めかけた人々を高みから見下ろして、国王ラグレスが右手を掲げた。人々のざわめきは、潮が引くように静まる。
「我が国の勇敢な兵士たちよ」
 王の老成した声が、階段上から響き渡る。
「そなたらの働きに期待している。≪帝国≫に思い知らせるがよい、覇道を行くのは我がリンデンヴルムであると!」
 野心を持った王の、力強い宣戦布告。その余韻が消えた瞬間、兵士たちの熱気が再度沸騰する。
 地鳴りのような歓声に、ナルージャの竜がやや興奮気味に首を揺すった。
「……気を静めて、ヴィーヴィル」
 ごつごつした岩のような首筋を撫でて竜を宥める。
 毛の先ほどの量で人を死に至らしめる劇薬。それを多量に投与された竜の意識は朦朧とする。攻撃性は抑制されているものの、絶対に安全とは言いきれない。
 ナルージャは、獰猛な竜の生態を身に染みて知っている。
 赤眼を持つ彼女らであっても、訓練の最中に、興奮した竜に牙を剥かれたことが幾度となくあった。人が密集するこの広場で、竜がもし暴れ出したら大惨事どころではない。
 王の勅令に続き、大階段の踊り場に設えられた壇上で、軍を率いる大将軍の口上が始まった。王はそれを満足そうに見下ろしている。
「……必ずや、リンデンヴルムに勝利をもたらしましょう。御身に栄光あれ」
 大将軍が締めの言葉を口にして、王に膝を折った。
 ナルージャたち竜騎士が、儀礼に則って剣を掲げる。青い空を背景に、剣が鈍い輝きを放った。
 兵士が剣を打ち鳴らし、広場は歓喜の声に包まれた。
 再び銅鑼が打ち鳴らされる。国王は長い裾を翻し、家臣を引き連れて、王宮に消えた。
 リネイが剣を下ろし、ナルージャも自分の剣を鞘に戻す。彼女は空いた右手で、ヴィーヴィルの首の付け根をさすった。この竜と過ごして七年。初めて会った時は恐ろしいだけの生き物であったが、今では自分の家族のような存在だ。
「厩舎に帰るよ」
 主の声に応えて、ヴィーヴィルが鼻を鳴らす。
 つつがなく、式典は終了した。薄い布の奥で、ナルージャは軽く息を吐いた。



 式典の翌日、遠征軍は王都の東に向けて出発した。
 遠征軍の構成は、騎馬隊・歩兵、後方支援の魔術師団と薬師団、合わせて約一万。これだけの大軍なので、国境に到着するまで約十日かかる予定であった。
 その間、竜騎士は上空を旋回しながら、街道を行く軍を守る。
 飛竜に騎乗したナルージャは、深い碧空を背景に、真下の風景を見下ろした。
 今は、視界を遮る薄布を外している。そのため、遥か遠くまで見渡せた。
 物々しい街道の両側は、対照的に、平和な田園風景が地平まで続いている。
 千切れ雲の柔らかい影が落ちる畑に、一陣の風が吹き抜けた。麦の苗が波打つように揺れる。季節は春だ。
 牧歌的な風景は、ただの村娘であった頃の記憶を想起させる。
 かつて住んでいた村も、空から見たらこんな風景であったのだろうか。
 家族との別れは今でも苦味を伴うものだったが、七年の間にそれ以外の思い出は多少美化されたらしい。貧しくも平穏な生活の記憶は、甘くナルージャの胸に刺さった。
 一方、彼女の妹は、そんな感傷とは無縁であったようだ。
 隣でベルダを操るクローシャの罵声で、思い出から現実に引き戻された。
「……ったく、地上の連中のとろさったら!」
「でも、しょうがないよ」
 ぶすくれる妹に、ナルージャは苦笑した。
 ナルージャとクローシャは、外見は良く似ているが性格は正反対である。ナルージャはどちらかというと内気で、妹は短気で我が強い。
「……クローシャの言うことも、分かるけどね」
 口を尖らせた妹の横で、ナルージャは肩を竦めて同意を示す。足の遅い大軍では十日ほどかかる距離。けれど、飛竜が本気で飛べば、一日もかからずに到達可能なのだ。
 とはいえ、竜だけで勝てるほど≪帝国≫は甘くない。だからこそ今回、リンデンヴルムはこれだけの兵士と後方部隊を揃えたのである。
 田園地帯を横切る街道は、王軍の兵士で埋め尽くされている。まるで、蟻の巣の大移動だ。
 もう一人の竜騎士、リネイは、その騎竜であるクエレブラと共に、軍のしんがりで休憩中である。
 竜も生き物である以上、無理をさせれば疲労がたまる。戦場で最大限の力を発揮させるためには、その調整も竜騎士の務めだ。もちろん、竜騎士自身にも休息は必要となる。そのため、行軍中は交代で休みを取ることになっていた。
 ≪帝国≫の奇襲を警戒しながら、双子は上空に竜を飛ばしていた。
 斥候によると、≪帝国≫はリンデンヴルムの動きを察知し、国境近くに軍を進めているという。リンデンヴルムのほぼ中央にあるこの王都付近で、≪帝国≫の奇襲を受ける可能性は低いだろうが、用心に越したことはない。
 ヴィーヴィルが軽く弧を描くと、冷たい風が吹き抜けていく。黄金色に浸食され始めた空が、一日の終わりを告げようとしていた。
「もうすぐ日が暮れるよ、クローシャ。下に降りようか」
「あぁ、そうだね」
 二人は頷きあう。そろそろ野営の準備を始めなくてはならない。
 ナルージャはヴィーヴィルの手綱を引いた。翼を大きく羽ばたかせた竜は、命令に従い高度を下げ始める。
 地上が近づくと、軍の最後尾からやや離れた、街道沿いの空き地で休むクエレブラが見えた。二人は首に巻いていた薄布で顔を覆った。本隊から多少離れているとはいえ、顔が見えない距離ではない。
 竜の羽ばたきによって、草が水面のように揺らめく。双子は巧みに竜を操り、クエレブラの近くで軽やかに着地した。

 今日の分の餌を竜に与えると、双子はリネイの指示で、野営の準備を整えた。
 野営の訓練は何度も行っている。身に染みついた動きで、焚火を作り、支給された食事を取った。
 簡素な食事を食べ終えると、あとは布にくるまって眠るだけだ。明日は、夜明けとともに行軍が始まる。
 クローシャとリネイは、焚火の傍の地面に直接横になった。一方、ナルージャは今夜最初の火の番である。
「おやすみなさい、リネイ、クローシャ」
「おやすみ。時間が来たら起こしてくれ」
 次に火の番を担当するリネイが愛想のない声を返し、布に顔を埋める。クローシャも、「おやすみぃ」と欠伸するが早いか、すぐに寝息を立て始めた。
 「眠れる時に眠れることが、戦場では重要だ」と、リネイは双子に繰り返し言って聞かせた。彼女が頻繁に野営訓練を行ったため、当初固い地面では眠れなかった双子も、今ではすっかり寝る場所を選ばない。慣れとはそういうものなのだろう。
 二人が眠りに落ちると、辺りは薄い膜に似た静寂に包まれた。
 竜騎士の野営地は本隊から外れている。竜は、赤眼以外の者を見境なく襲うからだ。
 少女は、細い膝を抱えた。
 静けさの中、風に乗って、本営の兵士たちの喧騒が聞こえてくる。人と交われない自分の孤独を、彼らの声は否が応でも意識させた。
 竜騎士としての己に、誇りはある。けれど、他者から隔絶された死と隣り合わせの暮らしに、不満がないはずもない。
 竜騎士は、他人との接触が厳しく制限されている。ジュノがたまに姿を見せたり、食事を入れる者と二、三言交わす程度だ。あとは、命がけの訓練に精を出す。そんな日々の繰り返し。
 その上、竜騎士となった二人には、国王の、ひいては国全体の期待がのしかかる。十四歳の少女には大きすぎる重圧だった。
 ────この赤い目じゃなければ。あのまま、ただの村娘として普通の人生を歩んでいたら。
 そこまで考えて、逃避しかけた自分をナルージャは自嘲する。
 ……竜騎士としての勤めをしっかり果たせば、この寂寥は癒されるのだろうか。
 本隊を囲う篝火から目を背けるように、少女は暗い空を仰いだ。
 夜の天蓋が空を覆い、闇を彩るように星が瞬く。どこか遠くで、梟の鳴く声が聞こえた。
 ……答えはおそらく、この初陣で分かるはずだ。ただし、それが分かる前に死ぬ可能性もある。運が悪ければ。
(死、か────)
 ナルージャは小さく息をついて、夜空から焚火に目を戻した。足元に転がっていた木の枝を、火にくべる。
 おそらく自分はこれから、ヴィーヴィルを使ってたくさんの敵を殺すのだろう。いまだに、実感がついてこないけれど。
 ナルージャとクローシャはまだ、人を殺したことがない。
 初陣に当たって、リネイは「躊躇うな、常に冷静でいろ」と言った。普通の兵士でも、初陣が最も死ぬ危険が高いのだという。相手を殺すことも恐かったが、自分の死はきっともっと恐ろしい。痛くて、昏い。そんな底のない深淵を彼女は想像した。
 その時、クローシャがもぞもぞと身じろぎした。それから再び、すうすうと安らかな寝息が立てはじめる。闇に溺れそうな気分を味わっていたナルージャの唇が自然と綻んだ。
(クローシャがいて良かった)
 命を落としかねない厳しい訓練や、寂しい生活の中にあっても、クローシャがいたから耐えられた。
 何にも代えがたい、大切な存在。
(何があっても、クローシャは守る)
 ナルージャは固く心に誓った。

 深まりゆく夜の気配。
 本営の兵士たちも寝静まったらしい。喧騒が絶え、本格的な静寂が周囲に満ちた。
 少女は、ぶるっと冷気に身を震わせた。乾いた枝を火の中に放り投げる。赤い瞳に反射する炎が、一際大きく爆ぜた。


copyright (C) 2008 * 水 中 花 * All Rights reserved.