Crimson Eye 04

 ──王都を発って、八日目。
 夕刻、リンデンヴルムの遠征軍は当初の予定通り、広大なカルナ森林の手前で野営の準備に入った。
 一方ナルージャたち三人は、本隊からつかず離れずの草地を今夜の野営地に選んだ。
 短い草に覆われた大地に、三頭の竜が舞い降りる。
 クエレブラの背から、リネイは軽やかに地に降り立った。双子も彼女に倣って、それぞれの騎竜から降りた。
「お疲れ様」
 ナルージャはヴィーヴィルの横腹を軽く叩き、彼の傍を離れた。
 主を下ろした三頭の竜は身を寄せ合い、柔らかい草の上でひとかたまりになる。
 そこから少し離れた場所で、リネイは双子の姉妹に今夜の指示を出す。
「……ナルージャは竜に餌を。クローシャは薪と火の準備だ。私は将軍のところに顔を出す。食事は先に取ってていい」
 かさついて平坦な女の声が、てきぱきと分担を決める。竜騎士は全員に同じ階級を与えられるが、三人の場合、経験の差は歴然としている。そのため、あらゆる場面において、リネイが纏め役となっていた。
「はい」
「わかりました」
 ナルージャとクローシャが頷く。役割を果たすために動き出した彼女たちの顔に、迷いや戸惑いの色はない。
 出立の当初は浮足立っていたが、二人はすっかり落ち着きを取り戻していた。
 それには彼女たちの柔軟な若さと、ここまでの順調な行軍が一役買っている。竜騎士の日常と比べれば、穏やかですらある。今のところは、であるが。
 ナルージャは、薪を拾いに行った妹とは反対方向に歩き出した。その横にリネイが並んだ。
「途中まで一緒に行こう」
「あ……はい」
 一緒に行こうと言いながら、リネイは歩調を調節する気がないらしい。頭一つ高い女にすぐに追い抜かれ、ナルージャは小走りで彼女の後をついていく。黙々と歩く女を、無言で追いかけた。
 歴戦の竜騎士である彼女は、遠征中も淡々と己の役目をこなしている。初陣の双子に目を配り、将軍たちとの作戦会議に参加して戦術の確認などを担う。
 ナルージャの目の前にある、鋭く鍛えられた背中。誰よりも頼もしいそれは、けれどこの七年間で、僅かに小さくなったような気がした。

 リネイとは途中で別れ、ナルージャはひとり補給部隊の方へ向かった。
 屈強な兵士たちの間を縫うように歩く、顔を隠した細身の少女は、本営では異質であった。
 少女が纏う甲冑もまた、一般の兵には見慣れぬものだ。竜騎士用に特別に誂えた鎧は、肩や胸、膝下や肘から先を守る軽量化された部分鎧である。
 肉付きの薄い腰には、少女には相応の細剣を佩いている。式典で使用した、儀礼用に磨き抜かれた剣と違い、柄や鞘には細かい傷が無数に刻まれていた。年単位で使いこんだそれは、彼女の一部と言っても良いほど、手に馴染んでいる。
 好奇の視線を跳ね返すように、少女は昂然と顔を上げた。
 衆目に晒されることにはまだ慣れない。だが、周囲の兵士たちに狼狽を気取られたくはなかった。
 リネイは「いかなる時も堂々としていろ」と常に口にしていた。味方に侮られるようでは、戦場でまともに戦うことなどできはしない、と。
 顔を上げた先、行き交う兵士の頭越しに、大きな天幕が見え始めた。その手前に、補給部隊の目印である、三角形の青い旗がなびいている。
 青い旗の下には簡素な台が並び、手前に兵士が列をなしていた。補給部隊が糧食を配る、配給所だ。
 少女は兵士の列を回りこみ、台の後ろに立つ補給部隊の一人に声をかけた。
「すみません」
 男は一瞬驚いた表情を浮かべた。だが、相手が竜騎士だと気づくと、「お待ちください」と告げて天幕の裏側に消えた。
 そして、さほど待たせずに二頭の山羊を引いて戻ってきた。
「どうぞ、あとこれも」
 彼は山羊を繋いだ紐を差しだし、三人分の糧食も手早く用意する。
「ありがとう」
 包みを受け取って、ナルージャは礼を言った。純朴そうな男は、照れた笑みを返す。
 山羊を連れて、少女は騒がしい天幕の前を離れた。
 大人しく後ろをついてくる山羊は、二頭ともひどく痩せている。
 ふと、行軍中に幾度となく見た光景が、脳裏を掠めた。
 街道沿いの長閑な田園風景は、人々と同じ地平に立ち同じ高さの視線で眺めると、印象を大きく変える。
 麦の世話をする手を休めて、遠征軍を遠巻きに眺める村人たち。彼らは一様に痩せて、顔色が悪かった。表情もどこか暗い。
 ナルージャは薄布の奥で嘆息した。
 従軍して以来、ふとした折に覚える違和感。けれど、彼女はその理由をうまく言葉にできない。
 漠然としたもどかしさが、雪のように降り積もっていく。少女はそれを胸の奥で感じていた。

 煌々と輝く篝火の間を抜けて、ナルージャは薄闇が支配する草地に歩み出た。
 等間隔に焚かれた篝火は、巨大な野営地の内と外を区切る、境界線だ。今立っている場所は、境界線の外。周囲に人影はない。
 広い草原には、浮島のような灌木が点在している。右手には、鬱蒼とした森の木々が藍色の天に向かって枝葉を突き出していた。国境のナハヴィー川東岸に広がる、カルナ森林の畔(ほとり)だ。
 息とともに少女は緊張を吐きだす。三人だけの生活を寂しいと思うこともあった。けれど今は、本隊にいるより、荒れはてた野に一人でいる方がよほど気が楽だ。
 道なき道を辿って、クローシャが待つ自分たちの野営地へと足を早める。
 だが、数歩進んだところで不意に頭の布を引っ張られ、少女はたたらを踏んだ。
「……っ!」
 するりと布が外れ、顔が露わになる。
 いつの間にか────そう、本当にいつの間にか、背後に少年が立っていた。
 肌が粟立つ。
 これほど近づきながら、相手は全く気配を悟らせなかったのだ。
 反射的に数歩下がって、少女は腰の剣を抜いた。
「誰だっ!」
「……そう、ピリピリするな。俺が暗殺するつもりで近づいたんなら、とっくにお前は死んでるよ」
 物騒な言葉を平然と口にして、少年は軽い調子で肩を竦める。少女は眉間を険しくして相手を睨んだ。
 冷静に考えれば、彼の言葉はおそらく正しい。全く気配を感じさせず相手に近づける彼ならば、ナルージャの殺害など容易く実行できただろう。
 けれど、彼の馴れ馴れしい口調がナルージャの神経を逆撫でした。
「だからって、気が許せる相手とは限らない。何者なの」
 警戒心を募らせる少女を、相手は「毛を逆立てた猫みたいだなぁ」とからかい交じりに評した。
 ナルージャは更に殺気立つ。本気で攻撃に移りそうだと見て取ったのか、彼はあっさり自分の正体を告げた。
「……俺はフィグ。ジュノの末の息子だ」
「ジュノ、の息子?」
 ナルージャは目を丸くして、相手の顔を見つめた。
 薄布越しでないため、夕闇の中にあってもその目鼻立ちはよく見える。
 確かに、顔の輪郭や鋭い眼差しはジュノによく似ていた。
 ただ、ジュノが明るい緑色の瞳であるのに対し、彼は夏の夜空のような藍色の瞳だ。
 その双眸を覗きこんだ時、ナルージャは再度目を眇めた。相手も自分の顔を観察していることに気がついたのだ。
「……布を返して。私の邪魔をしたら、あなたは軍規に従って厳罰を受けるわ」
「軍規は、俺には関係ない。いずれ俺は親父の跡を継ぐし、今もお前ら竜騎士の身辺を警護しろって言われてきてんだ」
「……」
「竜騎士は空中では最強だが、地上では普通の兵とそう変わらないしな」
 躊躇いの末に剣の切っ先は下げたものの、少女は疑念の眼差しを崩さずにいた。
 彼の言葉が真実かどうか、ナルージャに判じる術はない。
「……まだ疑ってるのか、俺のこと」
 少年は、にやにやしながら無遠慮に自分を眺める。
「お前、意外とかわいいな。どんな不細工かと思ってたけど、予想が外れた」
「だから何。さっさとその布を返して」
 ナルージャは相手の言葉を無視して、無表情で手を差し出した。
 少女の余りの素っ気ない態度に面食らったのか、少年は目を丸くしたと苦笑を浮かべる。
「態度はかわいくないな。一応褒めてやったんだけど。ほら」
 少年が布を投げた。向こうが透けるほど薄く織られた布が、ふわりと空中に広がる。
 ナルージャは慌てて剣を鞘におさめ、布の端を捕まえる。その時、笑いを含んだ声がナルージャの耳に届いた。
「それより、山羊を追いかけなくていいのか?」
 言われて、ナルージャはハッと周囲を見回した。反射的に剣を抜いた際に、山羊の紐から手を離していた。
 視界の隅に、森に向かって逃げていく山羊が映る。
 山羊を追って、少女は走り出す。闇に溶けるように小さくなってゆく彼女の背中を眺めながら、少年は忍び笑いを漏らした。
 
 

 森に逃げこむ寸前の山羊たちをどうにか捕らえ、ナルージャは少年と相対した場所へと戻った。途中、とりあえず肩にかけていた布で顔を覆う。
 戻ってみると、彼の姿は跡形もなかった。
 ナルージャは布の向こうの誰もいない空間を睨んだ。山羊を逃がしかけたことへの文句を言いたい気分だったのだ。それに、彼の正体をきちんと見極めたくもあった。
 だが、向こうは、これ以上自分と関わるつもりがないのだろう。
 それよりも飛竜たちが食事を待ちかねている。もちろん妹のクローシャもだ。
 山羊の紐と一緒に放り出した糧食を拾い、ナルージャは野営地の方へ足早に歩き出した。

 小山のような影が、少し離れた闇に浮かぶ。
 身を寄せ合う飛竜たちが、主の帰還に気づいて細長い首をもたげた。
「遅くなってごめんね」
 山羊を近くの灌木に繋いで、ナルージャは数歩下がった。
「食べなさい」
 主の許可に、赤い野生の瞳が爛々と輝く。
 竜は巨体の割に静かだ。食事の時はその習性が顕著に表れる。彼らは、猫型の猛獣のように物音を立てず忍び寄って、獲物に襲いかかる。
 竜たちが、ナルージャの足でほんの数歩の距離まで山羊に迫った。灌木の影から迫る捕食者。獲物が彼らに気づいた時には、すでに目と鼻の先まで飛竜は迫っていた。恐慌に陥った山羊が暴れ出す。
 獣の悲痛な鳴き声が闇を裂く。痩せた山羊たちは、死に物狂いで首の紐を引いた。だが、木の幹にきつく縛られた戒めは、解けるはずもなく。
 すっと獲物に近寄ったクエレブラが、山羊の頭に食らいつき、噛み砕いた。ゴリゴリと音を立てて、竜はそれを咀嚼する。その横でヴィーヴィルが別の山羊の胴に、ベルダはその後ろ足に噛みつく。
 強靭な顎の力によって裂けた山羊の前半分を飲み下し、ヴィーヴィルは満足そうな声を上げた。分け前の少なかったベルダは、物足りなさそうにクエレブラの周囲をうろついている。
 三頭の中で最も年長のクエレブラが、血の滴る山羊の足をベルダの鼻先に押しやった。ベルダが嬉しそうに一声鳴く。一番小柄な雌の竜は、鳥が魚を飲みこむ要領で咥えた足を嚥下した。
 竜は生餌を好んで食べる。竜騎士になった当初は、彼らの食事風景は恐怖でしかなかった。しかし、ナルージャは今ではすっかりそれに慣れてしまった。
 竜は獰猛だが、食べ散らかすことはしない。幼い頃、家の近所をうろついていた猫よりも綺麗に獲物を平らげる。後には骨の一片も残さない。
 そうして、二頭の山羊はあっという間に彼らの口腔に消えた。満足そうに喉を鳴らして、竜は元いた寝床に蹲る。
「おやすみ」
 食事を終えた彼らに声をかけて、ナルージャは歩き出した。今度は人間が食事を取る番だ。
 少し離れた暗がりに浮かぶ明かりは、クローシャが用意した焚火。近づくと、炎に照らされた彼女の姿が浮かび上がった。
「クローシャ」
 焚火の傍に座るクローシャが、顔を上げる。
「遅かったね」
「うん、ちょっとね」
「どうしたの」
 隣にすとんと腰を下ろしたナルージャの返答に、クローシャは怪訝な表情を浮かべた。
「ジュノの息子って人に会った」
「ジュノの?」
「私たちが地上にいる間、その辺で警護してくれてるんだって。本当かどうかはリネイに聞いてみないと分からないけど、たぶん本当」
「何それ」
 クローシャは露骨に顔を顰めた。彼女は、ジュノを忌み嫌っている。
 妹の気持ちは、分からなくもない。
 二人は望んで竜騎士になったわけではく、無理矢理に家族と引き離され、訓練の間に何度も死にかけた。その上、ジュノは赤眼の少女を次々と攫って、竜と引き合わせている。
 それに関してはリネイが対応していたが、新人の竜騎士見習いが二人の他に現れなかったということは────彼女たちの末路を想像するとやりきれなかった。少なくとも、五体満足で竜の厩舎を出られたとは思えない。
 妹がジュノを憎む理由など、掃いて捨てるほどある。けれど、ナルージャは彼を憎んではいなかった。
 あの大柄で威圧に満ちた男はただ、彼自身の仕事を実直にこなしているだけなのだろう。冷めた気持ちで、ナルージャはそう思うだけだ。
 こんな自分は、双子の妹よりも遥かに冷たい人間なのかもしれない。
 冷え冷えとした心を隠すように、ナルージャは血色の目を伏せた。
「……んな奴に守ってもらわなくてもいい」
 隣で、クローシャが吐き捨てる。
「近くに誰かがいるって思ったら、気持ち悪いしね」
 微妙に論点をずらして、ナルージャは返した。
「それより食べようよ、お腹すいちゃった」
 ナルージャは糧食の包みを膝の上で広げる。不機嫌そうなクローシャも、促されて食事を始める。
 固く焼いたパンと干し肉、軽く砂糖をまぶして乾燥させた果物。簡素な食事を、皮袋の水で流しこむ。
 焚火の炎が風に揺れた。
 二人は黙って食事をたいらげていった。



 ────同時刻の、暗闇に包まれた森の中。
 人影が、音もなく倒れた。
 地に伏した男の首筋から赤い水が滑り落ち、草の葉を濡らす。
 魔術師らしきその男は、≪帝国≫が放った刺客なのだろう。
 森の中から双子を狙い打ちしようとしているところを、少年が背後から音もなく忍び寄り、頸動脈を切り裂いた。
 体温をなくしていく死体を、少年は冷たく見下ろす。
「あの双子を殺すのは、俺だよ」
 彼は昏い目で笑った。



 その夜。
 火の番をリネイに任せて眠っていた双子は、夜半に叩き起こされた。
「────≪帝国≫の奇襲だ!」
 双子が飛び起きるのと同時に、リネイが火を消す。
「騎乗しろ!」
 リネイの檄が飛ぶ。
 目覚めたばかりのナルージャの眠気が、一気に吹き飛んだ。森の中から飛来した矢が、身を起こした彼女のすぐ傍に突き立ったのだ。
 リネイが鋭く口笛を吹く。
 音に反応して、重い羽音とともに竜が夜空に巨大な翼を広げる。
 その威容に、木々の影に身を隠した敵軍が怯んだ気配がする。生じた間隙に、三人は身を低くして竜に走り寄る。
 暗闇でも間違えようがないほど馴染んだ己の騎竜に跨り、ナルージャは手綱を引いた。
 ヴィーヴィルが咆哮する。呼応するように、ベルダとクエレブラが鬨の声を上げる。
 飛竜の巨体が浮かび上がった。
 双子の竜騎士が真の初陣を迎えた瞬間。
 それは、リンデンヴルム遠征軍と≪帝国≫の軍がなし崩しに戦闘へと突入した瞬間でもあった。


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