Crimson Eye 05

 夜気を裂いて、一気に空を駆け上がる。
 地上の矢をかいくぐり、三人の竜騎士は誰の手も届かぬ高みへと到達した。
 ドクドクと心臓が波打つ。耳元で唸る風よりも、自分の鼓動の方が大きく鳴り響いているような気がした。

 暗い夜空に月はない。
 かわりに、雲の切れ間からのぞく無数の星影が地上を淡く照らしていた。
 その千切れ雲に手が届きそうな上空。水平の姿勢に転じた竜の背で、ナルージャは息と一緒に緊張を吐きだす。波立っていた心を静めねばならない。竜に動揺が伝われば、制御に失敗する恐れがある。
 三頭の竜が暗い空に弧を描く。
 ナルージャは竜の首越しに下へ目を凝らした。予想外の奇襲を受けた本営は、いまだ反撃できずにもたついている。
 逃げ惑う兵士が矢に打たれ、次々と倒れてゆく。風に乗って怒号と悲鳴が彼女たちのいる空にまで届く。
 混迷が増す地上で、突如、光の奔流が迸った。それより半瞬遅れて、轟音が空気を震わす。
 森の中から生じた閃光は、リンデンヴルムの本営にかけられた結界に遮られ、直進を阻まれた。しかし結界は負荷に耐えきれず軋んだ。金属の擦過音に似た悲鳴をあげ弾け飛ぶ。大きくたわんだ閃光の大蛇が本営に襲いかかった。
(≪帝国≫の上位魔法……!)
 生まれて初めて目の当たりにする魔法に、絶句する。
 雷撃が通過した後に残されたものは、薙ぎ倒された天幕と、無数の骸。それらが折り重なり、地表を埋め尽くしていた。
 戦慄するナルージャの視界の隅で、幾つもの淡い光が動いた。我に返って、地上に視線を走らせる。
「リネイ、あそこ! 森の中で光ってるの!」
 ナルージャは森の一部を指を示した。その下で蛍のように淡い光が無数に蠢いている。────森の中に隠れた、≪帝国≫の軍に間違いない。闇で発光する塗料を塗って、味方を識別しているのだろう。
「潜伏する≪帝国≫軍に、集中攻撃をかける! 自軍を立て直す時間を稼ぐよ!」
「はいっ!」
「はい!」
 双子の返事に頷いて、リネイが鐙を蹴った。その騎竜クエレブラが、地表へと滑空を開始する。
 ナルージャとクローシャは僅かに遅れて鐙を蹴る。リネイの後背にそれぞれの騎竜をぴたりと寄り添わせる。演習通りの三角の陣営を保ったまま、竜騎士は何者よりも早い速度で地上に迫った。
 木々の形が夜目でも視認できるほど森に接近した瞬間、少女は両足で竜の横腹を強く蹴った。三頭の竜が大きく口を広げる。ほぼ同時に、彼らは喉の奥から火炎の球を吐きだした。同時に、竜騎士の三人はきつく手綱を引く。
 地上へ向かっていた竜が、軌道を変えて上昇に転じる。
 一方、竜が吐いた赤い炎は、暗い森に一直線に吸い込まれた。
 轟音が夜の空気を震わせる。火口から吹き上がる溶岩さながらの火柱が、炎球の着弾点から吹き上がった。
「もう一度行く!」
 リネイの鋭い声が飛ぶ。
 幾何学的な正確さで陣を維持した竜騎士は、再び敵軍に殺到する。刃物のように冷たい風が頬を掠め、ナルージャの茶色の髪を煽る。
 攻撃開始点に達し、ナルージャが鐙を蹴ろうと足に力をこめたその時────肌を微かな刺激が走った。
 唐突に、先行するクエレブラの巨体が斜めに傾き、急角度で旋回する。反射的に、双子も回避行動を取る。
 リネイとクローシャが右、ナルージャが左。二手に別れた竜騎士の間を、光の柱が横切った。
 高圧電流が擦れて、獣の咆哮に似た音が響く。
(今のは、私たちを狙った攻撃だ)
 反撃を予想はしていた。けれど、すべてを灼き尽くす電撃を目の当たりにした後だけに、平静ではいられない。
 少女の額に冷や汗が伝う。リネイの判断が遅れていたら、魔法は三人を直撃していただろう。
 ……怖い。逃げたい。
 恐怖が心の奥に湧き上がる。
 けれど、怯んでいる暇などなかった。
 攻撃魔法の圏外へと脱し、三頭の竜が虚空に弧を描く。
「大規模な魔法攻撃の直前は、空気が変わる。その感覚をよく覚えておきな!」
 リネイの叱咤が響く。
 双子の少女は声を張り上げ、師に了解の意を示す。
 弓などの通常の物理攻撃では、頑強な竜は掠り傷すらつかない。だが、上位の魔法攻撃ならば、飛竜の表皮で最も薄い、翼の皮膜を傷つけることが可能だ。
 翼が損傷した竜は、制御不能に近い。竜騎士すら振り落としてしまう。リネイの同僚であった二人の竜騎士も、それで命を落としたと聞いていた。
「もう一度、魔法攻撃があった地点に攻撃!」
「わかりましたっ」
「はい!」
 リネイの檄に、二人は三度目の攻撃態勢に入った。
 闇を裂いて、飛竜が疾駆する。
「うあぁああぁぁぁぁぁ!!!」
 唸る風に自分の声が紛れる。黒々と広がる森を掠める瞬間、ヴィーヴィルが吐きだした火炎が地上で炸裂した。

 状況を冷静に観察する余裕などなかった。ひたすらリネイの指示に従って、森に潜む≪帝国≫軍を叩く。
 ≪帝国≫の魔術師に対抗しうるのもまた、大陸中で竜騎士だけだ。
 何としても、魔術師たちを引きつけておかねばならない。そうしなければ、地上の軍はあっという間に瓦解する。
 ナルージャたちは空中を滑り降りて、魔術師が潜む森に集中砲火を浴びせた。それに対し、地上から上位魔法が放たれる。
 幾度となく繰り返される、閃光と火炎の応酬。
 雷撃が翼を掠め、肝を冷やした場面もあったが、二人の少女は師の背後に食らいつき、攻撃をやり過ごす。
 一方、地上のリンデンヴルム軍は混乱から立ち直り、攻勢に転じていた。

 気づけば東の空が白み始めていた。果てしなく長い夜がようやく終わろうとしている。
 白く冴えわたる朝は、強張った心身も僅かながら溶かしていくようだった。
「地上も押し戻し始めてる。一気に叩くぞ!」
 リネイの号令で、木々の隙間に見える敵軍に飛竜の火炎を投げ落とす。
 戦闘が始まって数刻。≪帝国≫の魔術師たちはおそらく疲労の頂点に達している。散発的な魔法攻撃をやり過ごし、竜騎士は地上の軍と共に敵軍を追い詰めていった。



(終わった……)
 ナルージャは地上に降りた瞬間、余りの疲労にその場にへたりこんでしまった。クローシャのほうも、ベルダの腹に寄りかかり、ぐったりと地べたに座りこんでいる。
 クエレブラの背から降りたリネイが、二人に歩み寄ってきた。多少疲労を滲ませているものの、彼女の足取りは普段とさほど変わらない、きびきびしたものだった。
 これが、経験の差なのだろうか。顔を上げたナルージャは、女の強靭さに改めて尊敬を覚える。少女たちは、疲れた体に鞭打って立ち上がった。
「初陣にしては、二人ともよくやった」
 女の掠れた声が頭上から降り注ぐ。
 竜騎士になってから、リネイに褒められたのは、初めてだ。二人は驚きに目を丸くして、「ありがとうございますっ」と同時に頭を下げる。その様子が可笑しかったのか、薄布越しの女の表情が微かに和らいだ。
「……私は本営に顔を出す。少し休んだら、お前たちは竜に食事と水を」
「はい!」
「わかりましたっ」
 勢いよく返事する双子に軽く手を振ると、女は踵を返した。
 残された二人は、顔を見合わせて笑いあった。



 始まりこそ危なかったものの、今はリンデンヴルムの方に勢いがあった。
 趨勢に乗って、遠征軍は明日、≪帝国≫の最西端の領土に攻め入る。
 竜騎士の活躍によって、≪帝国≫の魔術師団の戦力は相当削りとられたようだった。リンデンヴルムの有利が揺らくごとはないだろう。
 早くも勝利に酔いしれている自軍を遠目に仰ぎながら、二人の少女は体を起こした。
「ベルダたちはあたしが川に連れてくよ」
「じゃあ私は本営に行って、餌と、何か食べられるのもらってくるね」
「うん、お願い」
 ナルージャは、クローシャに竜の水やりを頼んでその傍を離れる。
 本営まで、そう遠くない。すぐに行って戻ってこれる距離だ。休憩して軽くなった体で一つ伸びをして、ナルージャは歩き出す。
 しかし、初陣での勝利を確信して浮かれた心は、すぐに打ち砕かれてしまった。

 本営は、初陣の少女には衝撃的な光景が広がっていた。
 ……あちこちから聞こえる、怪我人の呻き声。彼らの間を駆けずり回る薬師団の者たち。何かが焦げた異臭。
 そして、土の上に寝かされているたくさんの骸。布がかけられているものもあったが、そうでないものもある。
 上空から見ていただけでは分からない戦場の姿だった。
 喉の奥を苦いものがせりあがってくる。
 しかし、多くの人間が見ている前で無様な姿を晒すわけにはいかない。竜騎士の誇りが、恐慌をきたしかけた彼女の精神をかろうじて支えた。
 顔に巻いた薄布がせめてもの幸いだった。青ざめた顔を誰にも見られない。また、外の風景を直視する勇気もまた、彼女にはなかった。薄い膜の覆われた視界は、生々しさを多少は薄れさせたから。

 支給を受け、そそくさと本営を離れる。
 ナルージャは、一頭の牛を連れて、早足で森の方へ向かった。その先の小川に、竜たちと、妹がいる。
 一刻も早く、彼らの傍に行きたい。森に倒れている敵兵の体を視界に入れないように、黒く炭化した木々を踏み越えていく。そのナルージャの足が不意に止まった。
「よお」
「っ!」
 反射的に、ナルージャは剣に手をかけた。しかし、相手は意に介した風もなく、のんびりと尋ねてくる。
「お前、どっちだ? 昨日のやつか?」
 昨日の少年、フィグだった。ナルージャは剣に手を添えたまま低く答える。
「……そうだけど」
「お前ら二人とも、生き残ったんだってな」
「ええ」
「ふうん」
「何」
 不躾に自分を眺める視線に、ナルージャは眉間に皺を寄せた。
「どんくさそうだから、死ぬんじゃないかと心配してた」
「……余計なお世話よ。そこを通して」
 少女は、彼の横をすり抜けようとした。その通り道を、ひょいと一歩移動したフィグが塞ぐ。
「で、お前はナルージャ? クローシャ?」
「……」
「言ったっていいだろう? これから長い付き合いになるし」
「ナルージャ」
 少年のしつこさに若干呆れながらも、小さくつぶやく。
 ナルージャね、と繰り返した少年は、やっと道を空けた。
 飄々とした顔を薄布越しにひと睨みして、ナルージャはその横を通り過ぎる。
「またな」
 すれ違いざま、ナルージャの耳元で囁いた少年は、身を翻して木立の中へと消えた。



 小山のような竜は、向こうの水際の草地でまどろんでいた。
 その手前で、クローシャは膝を抱えて蹲っていた。
「クローシャ」
「……おかえり」
 クローシャが顔を上げた。その表情はひどく青ざめている。
 双子の妹の考えていることは、相手が口に出さなくてもおよそ察しがつく。
 ナルージャは、引いてきた牛を木に繋いだ。
 再び顔を伏せた妹の隣に、腰を下ろす。
「……」
「あたしたち、たくさん殺したんだね」
 せせらぎにかき消されそうな声で、クローシャが呟く。
 彼女も森の中で倒れているたくさんの骸を見たのだろう。その大半は、飛竜の攻撃によって死んだ敵兵だった。
「そうだね」
 殺さなければ殺される。頭では分かってても、現実は覚悟していた以上に残酷だ。
 震える妹の背をナルージャはさする。そうしながら、自分も赤い双眸を伏せた。

「大丈夫?」
「うん」
 ずずっと鼻を啜った妹の顔色は、先程より良くなっている。
「竜たちに餌をあげるわ」
「わかった、私は今日の分の薪を集めてくるから」
「あとで私も手伝うよ」
「じゃ、先に行ってる」
 クローシャは素直に頷いて立ち上がり、森の中へ消えた。
 ナルージャは、竜たちに向き直る。十数歩離れた場所にいる彼らは、いかにも腹を空かせた様子でこちらを窺っていた。
「ほら、食べなさい」
 言いながら、ナルージャは後ろに退がった。
 グルグル、と低く喉を鳴らし、彼らはしなやかに獲物に近寄った。
 引き裂かれる獣の悲鳴を聞きながら、ナルージャはぼんやり考えた。
 竜の餌やりにも慣れたように、戦場にもすぐに慣れてしまうのだろうか、と。



 翌日、リンデンヴルム遠征軍は、カルナ森林とナハヴィー河を踏破し、≪帝国≫領へと一気に侵攻した。潰走した軍を立て直しきれなかった≪帝国≫は、敗戦を受け入れ、リンデンヴルムと接していたトゥカーナ地方の割譲を認めた。
 大陸最強を誇った≪帝国≫にとっては屈辱の大敗、そして、リンデンヴルムにとっては歴史的な大勝利で、この遠征は幕を閉じた。


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