Crimson Eye 06

 ≪帝国≫に勝利した遠征の翌年、リンデンヴルムは南の小国を併合した。
 それから二年、大きな外征は行われなかった。いや、その余裕がなかったと言う方が正しい。
 広がりすぎた領土は相対的に中央の権限を弱め、支配の行き届かぬ地域が生じ、小規模の内乱が頻発したのである。
 それらを、王家は力でもって制した。容赦のない鎮圧の結果、これらの内乱は静まりつつあった。……王家への不満は炭火のように燻ってはいたが。
 国内の混乱を押さえた国王ラグレスの目は、再び国外へと向けられた。今や、王の覇道への執着は、熟しすぎた果実のように落ちる時を待っていた。



 その日は、国境沿いの小競り合いをおさめた直後で、滅多に訪れぬ休日だった。
 平穏なひと時、双子の少女は他愛ないおしゃべりに興じていた。窓から太陽の光が差して、食堂を明るく照らす。
 自由に外を出歩けない二人は、休日もこの平屋で過ごすことが多い。
 厩舎の裏手に立つ慎ましやかな家は、快適に整えられている。ナルージャにとって、もっとも安らげる場所だった。
 この家には、代々の竜騎士たちの気配があちこちに残っている。食堂には、二人が来る以前からタペストリーがかけられ、足元には毛皮の敷物が敷かれていた。
 春の初めで、外はまだ寒い。しかし、日当たりのよい食堂は、暖炉に火をくべずともあたたかかった。
 茶を飲みながら、くすくすと笑いあう双子の耳に、バタン、と扉が開閉する音が聞こえた。リネイが戻ってきたらしい。
 予想通り姿を現した金髪の女に、「お帰りなさい」と声をかける。
「ああ」
 リネイは少女に頷き返すと、棚の隅に転がっていた燐寸を擦って煙管に火を点けた。一口煙を吸いこんで、紫煙を吐く。一連の動作には一切無駄がない。それでいて、大人の女だけが持つ気怠さが漂っている。
「あの男、何か言ってました?」
 クローシャの問いに、血色の目を伏せていた女は顔を上げた。
 先程、ジュノと話している彼女を見かけたが、男はもう帰ったのだろう。軍との連絡役も兼ねているあの大柄な男は、竜騎士候補を連れてくる以外にもたまに顔を出す。
 特に用がない限り、ナルージャは彼を避けていた。ナルージャ自身が悪感情を抱いているわけではないが、彼と親しくすると妹の機嫌が急降下するからだ。リネイはそんな双子を諌めはせず、彼の話を聞き、後から双子にその内容を伝えていた。
 そのため、リネイとジュノは二人で話をすることが多いが、寡黙な質だからか、彼らが世間話に興じる様子はない。
 なのに、厩舎のそばで言葉を交わす二人を見ていて、ナルージャは不思議に思うことがある。何となく、彼らの間に独特の空気があるような感じがするのだ。簡単に他者が入りこめない、そんな空気が。彼らが長年の知己だからだろうか。
「来年の秋、大規模な遠征があるかもしれない、ってさ」
 女は、煙と共にかさついた声を吐きだした。
「≪帝国≫へ、ですか?」
「そうだ。一年以上先の話だし、決定ではないけどね」
 紫煙をくゆらせた女は、軽く肩を竦め、食堂の壁に身を預けた。無愛想な彼女にしては珍しいが、双子のおしゃべりに加わるつもりらしかった。

 少女たちのはしゃいだ声と、女の相槌がふと途切れた。僅かな沈黙が食卓の上を通りすぎる。
「……近々、引退しようと思ってる」
 その空白に落とされた静かな言葉に、ナルージャとクローシャは同時に目を剥いた。
「そんなに驚くことないだろ」
 絶句する二人の様子がおかしかったのか、リネイが苦笑する。
「引退したら、仲間の墓参りでも行くかなぁ」
 彼女は冗談めかして続けた。その血色の瞳に複雑な感情が浮かび、すぐに消え去った。
 十二年前に戦死した竜騎士たちのことを思い出したのだろうか。
 しかし、ナルージャは師の胸を去来する感情を想像する余裕などなかった。
 縋るような眼差しで自分を見上げる双子に、リネイは軽く笑った。
「引退はたぶん、もう少し先だよ。だから、雛鳥みたいな目で私を見るんじゃない。……自室で休んでるから、夕食の時間になったら呼んでおくれ」
「……はい」
「わかりました」
 もたれていた壁から体を離し、長身の女は踵を返した。双子は、複雑な表情でその背中を見送る。彼女が自室に消え、二人は思わず顔を見合わせた。
「リネイが引退……」
「信じられないね」
「うん。……でも」
 ナルージャは妹と目配せを交わした。言葉を続けなくても、双子の妹が何を考えているかは分かる。
 戦場で、鬼神と恐れられる女。
 リネイは、血の滲むような努力で、その強さを維持している。
 しかし二人は、鋼のように鍛え上げた肉体に忍び寄る、老いの気配に気づいていた。
 頑強で荒々しい竜は、騎乗するだけで恐ろしいほど体力を消耗する。
 反応速度の僅かな遅れは、命取りになるばかりか、他の竜騎士を巻き添えにしかねない。
 四十を少し越えた彼女にとって、現役を退くことは現実的な選択肢なのだろう。
「…………」
「…………」
 食堂に残された二人の少女は、手元のカップを弄ぶ。頭でわかっていても、気持ちは単純には切り替わらない。リネイは二人にとって精神的な支えであり、家族のようなものだ。
 重い沈黙を破ったのは、ナルージャだった。
「引退したら、会えなくなるかもしれないけど……自由になるんだよね」
 「そうかもしれないけどさぁ」と妹は食卓に突っ伏して唸る。
 クローシャは食卓に頭を乗せたまま、横を向いた。ふてくされた彼女は食卓の木目をぐりぐり指でなぞった。
「寂しいのは私も一緒だよ」
「寂しいなんて言ってないし」
「泣いてるのに?」
「泣いてねえし!」
 食卓に顎を乗せる姿勢でこちらに向き直ったクローシャは、怒った顔で抗議する。
 小さく唸った自分そっくりの少女は、ため息をついて体を起こした。
「わかってるよ。……リネイもあたし達も、永遠に竜騎士なんざやってらんないってことはさ」
 クローシャは片手で頬杖をついて、手元のカップに視線を落とした。
「人のことより、まず、自分の心配だよね。竜騎士って戦死するのが普通だしさ。あたしらも、いつ死ぬかわかんないもん」
 クローシャの言う通りだ。リネイのように引退の可能性が出てくるまで竜騎士を務めた者は稀。彼女たちの多くは戦場に散った。生き残るより、戦死する可能性の方がずっと高い。
「……私は、ずっと一緒にいるから。何があっても」
「……うん」
「約束」
 しかつめらしく小指を絡ませる妹に、ナルージャは小さく笑った。
 小指が離れた時、ふと小さな疑問がよぎる。
「……引退した後、『忠誠の花』はどうなるのかな」
 リンデンヴルム王家は、竜騎士の離反を何より恐れている。それを未然に防ぐためにかけた枷。
 王家に背けば死を賜るという薔薇を象った紋章は、三人の背に彫られている。普段それほど意識しないが、竜騎士の身分を返上した後も背負っていたいものではない。
「はずしてほしいよ。ていうか、こんなのなければ……」
「クローシャ!」
 ナルージャは零れそうになった妹の本音を急いで遮った。クローシャも慌てて言葉を飲みこむ。
「ごめん、この話はやめよう」
「……だね」
 後に続く言葉は、ナルージャも心の底に抱いているものだ。枷さえなければ……竜騎士の力があれば。
 しかし、反逆の意志があると見なされれば、即座に殺されるだろう。いかなる場合でもそのような言動は慎むようにと、竜騎士になった時に、二人は半ば脅されるように厳命されていた。
 双子の少女は、これを機に会話を打ち切った。そろそろ、壁の外から食事が支給される時間だ。
 スープを温め直したり、食器を用意したりしなければならない。
 二人は席を立って、食卓の上の茶器を片付ける。

 ……休日は平穏のうちに過ぎていく。厩舎の裏にひっそり佇む家は、ナルージャたち三人の楽園だった。そこに、ささやかな団欒の時間が訪れた。
 外から隔絶された石壁の内側と、騎竜の背の上が、彼女たちの世界のすべてと言ってもよい。それ以外のことは、ほとんど知らない。知らされない。
 だから、三人のうちの誰も想像できなかった。
 ────別れも告げず、忽然とリネイが姿を消したのはそれから数日後のことだった。



 軍の本部に呼ばれた。
 そう告げて壁の外へ出て行ったきり、帰ってこない女。
 夕刻はとうに過ぎた。けれど、リネイからの連絡はない。
 こんなことは初めてだった。律儀な彼女なら、遅れるにしても何か言づけてきそうなものなのに。
 ナルージャの脳裏を嫌な予感が掠める。戦場とは違った不安が胸を覆った。向かいに座るクローシャも、落ち着かない様子で足を何度も組み直している。
 夜の帳が外を覆う。腹を満たした竜たちも眠っただろう。
 二人が佇む食卓の上には、リネイの食事だけがぽつんと残されていた。
 食事を差しいれる門番に問うても、彼は「知らない」と首を振るばかりだ。彼女の所在を確認してほしいと頼んだけれど、持ち場を離れることはできないとすげなく断られた。そうなると、二人には外で何が起きているのか知りようがない。
「何か、あったのかな」
 ぽつりとクローシャが零す。
「……すぐに戻ってくるよ」
 ナルージャはなるべく明るく返した。しかし、その声音に混じった動揺は、自分でも取り除きようがなかった。

 音もなく、空が白んでいく。暖炉の火はすっかり燃え落ちていた。冷えた空気が部屋を包む。
 不安な夜が明けた。
 ナルージャとクローシャはじっと待ち続けたが、リネイは戻ってこなかった。
 食卓に頬杖をついたナルージャは、昼間の訓練の疲労もあって浅い眠りに身を任せていたが、扉の音で跳ね起きた。
 クローシャも、ガタン、と椅子を蹴倒して立ち上がる。
 しかし、扉の向こうから現れたのは待っていた師ではなかった。
 大股でやってきた男を見上げ、ナルージャは「リネイは……?」と問う。
「彼女は軍を去る。少し早いが、竜騎士を引退させた」
 腹に響くような低い声が告げる。双子は信じられない思いで、息を飲んだ。あまりにも急すぎる。
「これから、竜騎士はお前たち二人だけだ。やれるな?」
 ジュノは冷やかに二人を見下ろした。その彫りの深い顔はなぜか、憔悴しているように見えた。
 つかつかと男に歩み寄ったクローシャが、燃えるような血色の瞳で彼を睨む。
「せめて最後の挨拶くらい、させてくれてもいいじゃないか」
「竜騎士を辞した以上、会わせることはできない。リネイのことは、忘れろ」
「忘れろって……どういう意味」
「そのままの意味だ」
 クローシャの青ざめた唇が奮えた。次の瞬間、彼女は自分より頭二つ大きな男に掴みかかっていた。
「……あんたはいつもそうだ! あたし達から、平気で大事なものを奪っていく! 何様のつもりだよ!」
「クローシャ!」
「黙れ!」
 妹を男から引きはがす前に、太い腕がクローシャを殴りつけた。吹き飛んだ細い体は、棚にぶつかって崩れ落ちる。
 これは、いつか見た光景だろうか。自分たちが家族と引き離された時の。己が無力な子供に戻ったような錯覚に飲みこまれそうになる。
 クローシャがぶつかった衝撃で、蝋燭や小皿がけたたましい音を上げて床に落ちた。それを払いのけ、少女は懸命に妹を抱き起こした。
 壁際で蹲る双子の姉妹を無視して、男は扉の外に合図を送った。
 二人の兵士が荒々しく踏みこんできて、リネイの部屋に消える。中から物を動かす音がした。
 リネイという個人がここにいた痕跡を、彼らは全て浚ってしまおうとしているかのようだった。竜騎士であった女の私物を全て運び出させた後、ジュノは双子を振り返った。
「今日もいつも通り、訓練に励め。竜の世話を忘れるな」
 自分を睨みつける血色の双眸を、男は冷酷に一瞥する。
「我々に背くな。背けば、『忠誠の花』がお前たちを殺す。いいな」
 男は言うだけ言うと踵を返した。部屋に残された二人は、呆然とその後ろ姿を見送った。



 ……ひどい喪失と理不尽に打ちのめされても、時間は流れていく。
 体に染みついた習慣を繰り返す日々は、ひどく希薄だ。少女らしくおしゃべりだった双子の口数は、かなり減った。
 時々、妹のもの言いたげな視線とぶつかったが、ナルージャは気づかぬふりでやりすごす。
 彼女もきっと同じことを考えている。けれど、不穏な想像を一度口にしてしまったら、それが現実だと認めてしまうような気がした。直視するには、あまりにも辛かった。

 まるで、暗い洞窟の中を進んでいるような毎日。
 そうして、二か月が過ぎた。リネイの不在にようやく慣れた双子は再度、小さくない衝撃を味わうことになる。
 二人の元に訪れた少年が、うっすらと笑って告げたのだ。「ジュノは死んだ。俺が、父の跡を継ぐ」、と。



「俺はフィグ。こっちがナルージャだから、お前がクローシャか」
「……どうせ、当てずっぽうだろ」
「違う。お前らは見た目そっくりだけど、雰囲気が違うからわかる。ナルージャには二回ほど会ってるしな」
 クローシャの胡乱な眼差しを平然と受け止め、少年は双子を見比べた。
「こっちがとろくて、こっちは頭に血が上りやすい」
「……竜の餌になりたいのか?」
「やめなよ」
 ナルージャは妹の肩を押さえた。敵意をむき出しにしたクローシャを、少年は喉で笑った。
「今日は挨拶しに来ただけだ。もう戻る。またな」
 そう言って、訪れた時と同様、少年はあっさり去っていった。
 厩舎の前に残された二人は、その後ろ姿を見送る。
「……ジュノが死ぬなんて」
「ありえないよね」
 殺しても死ななそうな奴なのに、と毒づく妹の声には、いつもの覇気がない。
 フィグの説明によれば、ジュノは王都で諍いに巻きこまれた、という。けれど、まるで実感がわかなかった。
 彼は軍でも指折りの強さだと聞いたことがある。そのジュノが、こんなに呆気なく死んだりするだろうか。また、父親を失ったフィグが、むしろそれを喜んでいるように見えたことも引っかかる。
 だが、ナルージャに真実を確かめる術はない。
 真綿で首を絞められたような息苦しさを覚える。叫びたい気持ちを堪え、少女はきつく奥歯を噛みしめた。
 立ち尽くす二人のすぐそばで、小さな旋風が埃を舞い上げた。
 無言の黄昏。晩春の西日が、乾いた地面に二つの濃い影を落としていた。


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