Crimson Eye 07

 ────彼は笑った。血を分けた肉親の返り血を浴びて。
 一面に広がる不吉な色は、古い記憶を浮上させ、束の間過去と現在を曖昧にした。
 赤茶の目の女。彼女によく似た赤い瞳の幼い少女たち。
 怨嗟の声。竜を駆る騎士への呪詛。狂った哄笑。

 盤上の遊戯は、終わりに近い。
 最後の舞台の幕が上がった。



 贅を尽くした王の私室。
 けれど閉め切った室内の空気は重く淀んでいた。
「≪帝国≫へ侵攻する前に、国をひとつ落としてやろうか」
 嗄れた声が絨毯の上に落ちた。
 リンデンヴルム国王、ラグレスはひび割れた唇をゆっくり舐めた。
「どの国にいたしましょうか」
 王の傍に控えていた青年が聞き返す。
「エストワがよい。あの国は、前々から≪帝国≫に擦り寄って、目障りであったからのう」
「……かしこまりました」
 青年は恭しく頭を下げた。それから、ふと何かを思い出したように主に問う。
「退官なさるザイロ副長の後任は、いかがいたしましょう」
「ふむ……」
 王は考えこむそぶりを見せた。
 長年、魔術師団の中核を勤めてきたザイロ翁は、病気の悪化を理由に先月引退を表明している。
 リンデンヴルム王軍の魔術師団はそれほど強くない。が、後方支援部隊として、薬師団と同程度に重要な役割を果たしている。ザイロ翁の後釜も、それなりの実力者をあてがわねばなるまい。
「ザイロは誰を推薦しておる?」
「イーリオ殿です」
「イーリオ? 聞いたことのない名だが」
「団長に見出され、王宮魔術師に取り立てられた方です。若くはありますが、彼の実力はザイロ翁を遥かに上回るそうです。もしかすると、団長より上かもしれません」
 青年の言葉に耳を傾けながら、老王は記憶を手繰り寄せた。
 そういえば、以前、並外れた実力を買われ、魔術師団に入団した者がいた。当時二十代前半であった彼は、美しい顔立ちで貴族の娘たちの間で噂になっていた。おそらく、その男だろう。
「出身は?」
「リンデンヴルム貴族ではありません。モルジューム出身です」
 モルジュームか、と老王は顎に手をやった。
 何年か前に、あちら側の申出で平和的に併合した小国だ。併合した領土の中では摩擦が少なく、反乱の可能性が低い。そのため、優秀なモルジューム出身者が中央に取り立てられることもあった。
「身元は確かか?」
「ええ。モルジューム王家の分家筋にあたる貴族の出身です」
「ふむ……お前の考えを聞こう」
 問われた青年は、数瞬考えて目を上げた。
「悪くない配置だと考えます。組織的に硬直化しつつある魔術師団に、新しい風を入れてもよいのでは」
「……」
「それに、陛下の寛容さを示す機会となりましょう」
 その返事に王は重々しく頷く。
「なるほど。であれば、そやつに副団長の任を与えようぞ」
「かしこまりました」
 青年は一礼して、退室しようとした。
 国王はその背中に笑みを含んだ声をかける。
「余はお前を信頼しておる。裏切るでないぞ、フィグ」
「……私の忠誠は全て、陛下とこの国に捧げております。陛下のためとあらば、卑小なこの身など惜しくはありません」
 扉の前で居住まいを正した青年は、恭しく頭を下げた。老王は鷹揚に頷く。
 もう一度慇懃に頭を下げ、フィグは王の私室を辞す。
「エストワを落とし、≪帝国≫を倒す……」
 部屋にくぐもった笑い声が響いた。
 青年との会話を意識の隅へと追いやり、王はひとり愉悦に浸る。
 ラグレスにとって、他者の存在は覇道のための駒でしかない。だから彼は、今しがた自分に忠誠を誓ってみせた青年の内心など、想像すらしなかった。



* * *



 広間の四隅には、部屋を温める火鉢が置かれていた。
 それでも足元は寒い。天井がやたら高いからかもしれない。
 十一月初旬のある日。竜騎士の二人は、定例軍議が始まるのをじっと待っていた。
 上級軍人と、薬師団・魔術師団の代表などで構成された顔ぶれは、リネイに代わり出席するようになってから、ほとんど変わらない。
 長方形の卓は、入り口に近いほど上座となり、階級が上がる。竜騎士の定位置は、奥の末席。発言を求められることもあまりないので、目立たない席の方がありがたい。
 いかにもな軍人や、長いローブを着こんだ薬師団の老翁。卓を囲む人々を何となく眺めていたナルージャは、ふと一点で目を留めた。新顔だ。
「……ウィズロ将軍、あの方は?」
「ああ、竜騎士殿は初めてお会いするのか。新しく魔術師団の副長に任ぜられた、イーリオ殿だ」
 隣の将軍が、よく通る低い声で説明する。
 その声が聞こえたらしい。斜め向かいに座る男は、ナルージャに向かって会釈した。
 年齢は二十四、五歳だろうか。厳めしい武人や薬師団の老人たちの中にあって、線の細い秀麗な顔立ちが際立っていた。
「お二人にはお初にお目にかかりますね。どうぞよろしく」
「……ナルージャです」
「クローシャです」
 頭を下げた姉妹に、男は柔らかく微笑する。
「お会いできて光栄です。お二人の勇名はよく存じておりますよ」
「恐縮です」
 ナルージャは小さく返す。正面から称賛されると、何となく居心地が悪い。
「お二人は双子であるとか。布で隠されたお顔も、よく似ておられるのでしょうね」
「鏡を見てるみたいに、そっくりですよ」
 イーリオに澄まして返した妹は、そっとナルージャに耳打ちした。
「この人、女みたいな顔だけど強いんだろうね」
「……クローシャ」
 小声でたしなめたが、言いたいことは分かる。この若さで副長に抜擢されたのなら、彼は相当な実力の持ち主だろう。
 その時、先触れの文官が大将軍と参謀の来訪を告げた。二人は背筋を伸ばし、前を向く。
 青年魔術師はしばし二人を見つめていたが、すっと視線を外した。
 入口の文官が一礼し、大将軍とその参謀であるシアスが入ってくる。
 いつも思うが、対照的な二人である。大将軍は、いかにも戦場が似合う屈強な大男だ。雷のような野太い声は戦場のどこにいても聞こえる。竜に騎乗して、上空にいても。
 一方参謀のシアスはひょろ長い、貴族的な外見の男である。腕は立つらしいが、一見そうは見えない。やや落ち窪んだ大きな目が印象的だ。
 二人はこのシアスが苦手だった。彼が時々双子に向ける粘ついた視線が、どうしても嫌悪をかきたてる。なるべくなら、あまり顔を合わせたくない相手だ。
 それでなくとも、軍議への参加は気が重い。ウィズロ将軍は気のいい男だが、他の将軍や薬師の長たちは二人を小娘と侮っている。
 その裏に透けて見える彼らの複雑な感情は、少女をいつもうんざりさせる。竜騎士は王軍に不可欠だが、同時に軍人たちの嫉妬を駆り立ててしまうのだろう。戦果では、竜騎士に及ぶべくもないから。
 竜騎士の地位を譲れるものなら、喜んで譲り渡したい。ナルージャは常々そう思っているのだが、彼らにしてみれば彼女の内心など知ったことではないのだ。
 ナルージャは小さく嘆息した。
 いつもなら早く終わってほしいはずの軍議。しかし、この後、気が重い仕事がある。
 壇上に立つシアスの声を聴きながら、厩舎から妹を遠ざけるための理由を考えていた。

 軍議は二刻ほどで終了した。
 まるで城のような巨大な王軍府から出た時、日は中天に上っていた。
「竜騎士殿」
 妹に頼む用事を言いかけたところで、後ろから呼び止められる。
 振り返ると、声の主はイーリオであった。彼は足を止めた二人に、少し困ったような顔で言葉を継ぐ。
「あなた方のご意見をお聞きしたい案件があるのです。お時間をいただけませんでしょうか?」
 彼は控えめに続けた。
「どちらかお一人で結構ですよ」
「……どうする?」
 初対面の者には手厳しいクローシャだが、彼の丁寧さに好感を持ったらしい。
 迷いはあったが、すげなく断るのも悪いと思っているようだ。
(ちょうどよかった)
 しばらく厩舎から妹を遠ざけるつもりであった彼女にとって、イーリオの申し出は願ったりだ。それに新任早々、竜騎士におかしな真似はしないだろう。
 これが、シアスの申し出であったなら、絶対に妹を一人で行かせたりはしないが。
「竜の世話は私がやっておくわ。お願いしてもいい?」
「では、執務室へご案内いたしましょう。こちらへ」
 魔術師は端正な笑みを浮かべた。
 美しい青年に好意的な笑顔を向けられることなど、そうあることではない。一瞬硬直したクローシャは、ぎこちなく彼に歩み寄る。
 一方、ナルージャはこれから行う作業に気を取られていた。
 踵を返し、彼らとは逆方向に歩き出す。重い鉛を飲みこんだように、自分の体がひどく重かった。



 冷たい風が頬を撫で、ナルージャは軽く身震いした。
 背の高い青年と子供の人影が厩舎の前に佇んでいる。フィグと、彼に連れられた幼い少女であった。
「この子?」
 歩み寄ったナルージャは、可能な限り平静を装ってフィグに声をかけた。
「そうだ」
「……そこで待ってて」
 見下ろした視線の先で、幼児特有の柔らかい髪が風に揺れる。茶に近い赤い瞳が、せわしく揺れ動いていた。
「こっちよ、来て」
 手招きすると、少女は大人しくついてくる。
 厩舎の扉を開け、中に入ると、背後で少女が躊躇する気配がした。しかし、意を決したのか恐る恐る入ってくる。
 ナルージャは扉を閉めた。少女はその音にびくりと体を震わせた。

ズズッ

 大きなものを引きずる音が、厩舎の奥から聞こえる。竜の長い尾と床の摩擦によって生じるそれは、ナルージャの耳に馴染んだ音であったが、少女は恐怖に身を竦ませていた。
「ひっ」
 彼女が凝視する薄闇から、すっと竜の首が現れた。
 膝から力が抜けたのだろう。少女は、その場にへたりこんだ。小さな体がカタカタと小刻みに震える。
 厩舎の奥からゆっくり近づいてきた飛竜、ベルダが鼻先を少女に近づけた。
 ナルージャは息を詰めて見ていた。胸が苦しい。
 次の瞬間、獰猛な牙が並ぶ顎が、大きく開かれた。
「ベルダ!」
 制止は間に合わなかった。少女の悲鳴が空気を裂く。
「下がりなさい、ベルダ!」

ドサッ

 赤く染まった体が無造作に投げ出される。
 硬い表皮が擦れる、金属質な音がした。侵入者への興味をなくした竜が、奥の寝床に身を寄せ合って蹲る。
 薄暗い厩舎に濃い血の匂いが漂っていた。少女の体は、二、三度痙攣し、そして動かなくなった。

 生気を失った、人形のような小さな体。少女の濁った瞳が恨めし気に自分を見上げる。
 ────早く、彼女を妹の目につかない所へ。
 クローシャがいつ戻ってくるかわからない。急がなければ。
 ナルージャは軽く息を吐いた。少女の体を荷車にそっと乗せて、外に運び出す。
 外で待っていた青年は、顔色一つ変えずに少女の躯を見下ろした。
「まーた骨折り損か。この娘は瞳の色が薄かったから、予想はしてたけどな」
「なら、なぜ連れてきたの」
 咎めるような血色の眼差しが、彼を睨む。
 そのきつい非難の視線を平然と受け止めて、フィグは皮肉っぽい笑みを返した。
「なぁ、ナルージャ。これは仕事だ。仮にこれが罪だとして、俺とお前はすでに同罪なんだよ。くだらない責任転嫁はやめろ」
「……」
 それ以上何も言えず、ナルージャは黙りこむ。
 反論などできようはずがない。
 紅い瞳の少女たちを攫い、竜騎士の素養があるか試す。素養がなければ、ほぼ確実に彼女たちは死ぬ。
 もちろん進んで協力しているわけではない。だとしても、ナルージャが罪のない子供の死に加担していることは、紛れもない事実であった。
「さて、クローシャが戻ってくる前に退散するとしようか」
 重い沈黙を、飄々とした声音が破った。
「……そうしてくれた方が、嬉しいわ」
 ナルージャは彼から視線を外して頷いた。
 今回の件は、妹に知らせてない。竜騎士候補の選別に、クローシャは立ち会わせない────初めて選別に立ち会った後、妹の状態があまりに酷かったため、フィグと相談して決めた。
 竜に殺された幼い少女を前に、ポロポロと涙を零した妹は、夜も眠れず、食事を受けつけない日がひと月ほど続いたのである。
 一方自分は、吐き気を催す所業を、仕方がないとどこかで割り切っていた。彼の指摘は図星だ。
(私は、罪人だ)
 足元に黒くわだかまる自分の影に目を落とす。中途半端な罪悪感など、覚えない方がいっそ楽なのかもしれない。
 物思いに沈む少女を、青年は片眉を上げて見下ろした。彼は猫のようにしなやかな動作で距離を詰める。
 俯けた顔に影が差した。ナルージャの頬を吐息が掠める。
「……っ、何するのよ!」
「ただの挨拶。元気づけようと思って」
 さっと体を離した青年は、人を食った笑顔を浮かべた。
「お前、そんなに無防備でこの先大丈夫だろうな? 男にもっと警戒心を持てよ」
「言われなくても、わかってるわよ!」
 彼の唇が触れた頬を押さえる。顔が熱い。
 大人の男女間で行われる行為を、ナルージャは知識としては知っている。従軍する娼婦たちが何をするのか。戦いで気が立った男たちが、時として娼婦でない女たちにどんな振る舞いをするかも。けれど、本当に知識だけだ。
 そんな彼女をからかって楽しんでいるのか、フィグは時折このような戯れを仕掛けてくる。
 追加で怒鳴ろうと口を開きかけたナルージャは、視界の隅に見慣れた人影を捉えた。
 高い塀で囲まれた竜のための敷地。その角にある厩舎の対角線上に、人間の出入口である鉄の門が聳えていた。
 堅牢な門がいつの間にか開いていた。その手前にいるのは、妹だ。
 彼女の背後で、鉄の門扉が閉じる。
 ナルージャの唇から、小さな呻きが漏れた。
 双子の妹はゆっくりと布を外した。自分と瓜二つの顔が露わになる。激しい嫌悪と失意の入り混じった眼差し。それが隣の青年と自分に注がれていた。
「クローシャ……」
「お早いお戻りで」
 薄い微笑を浮かべた青年に、歩み寄ってきたクローシャは低く問うた。
「……あたしに黙って、何をしてたんだ」
「見てわからないか? 竜騎士候補が見つかったんだけど駄目だったのさ」
「それで、見殺しにしたんだ?」
「俺の仕事だ。本来なら、お前の仕事でもあるんだが」
「クローシャ、聞いて……竜を止めようとしたけど、間に合わなかったの」
 挑発的な青年を制し、ナルージャは慌てて言い繕う。
「そんなの……止められるわけないよ。竜が、敵だと見做した生き物をどうするか、あたし達が一番分かってるはずじゃないか!」
 クローシャは吐き捨てるように叫ぶ。
「しかも、子供を見殺しにしといて、よくふざけてられるね。信じられない」
「どこで何しようと俺の勝手だろ?」
「フィグ!」
「……そうね。勝手にしたらいいよ。ただし、あたしの見てないところでやって」
「待って、謝るから」
 妹の腕を掴んだ手が、振り払われる。
「今は何も聞きたくない」
 自分を一瞥した妹の双眸は、ぞっとするほど冷やかだった。
 彼女の背中が家の中に消えるのを、呆然と見送る。

「……本気で怒ってるな」
「大丈夫、後で謝り倒して、赦してもらうわ」
 半ば自分に言い聞かせるように呟く。
 他愛ない喧嘩なら何度もした。その度にどちらかが謝って仲直りした。きっと今回も同じ。
 ……そう思う一方で、嫌な予感に胸がざわめく。
 もしかしたら────取り返しのつかない間違いを犯してしまったかもしれない。
 血の気の失った自分の指先を、ナルージャは力なく握りこんだ。


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