Crimson Eye 08

 秋が過ぎ去り、冬の訪れを告げる初雪が降った。
 大陸は雪におおわれ、人々はなめし皮や布を織って細々と生活の糧を得る。
 南方を除いて、ほとんどの農村や町が静寂に閉ざされる季節。
 ……しかし一部の大都市は、真冬でも、その活気に衰えはない。
 中でも≪帝国≫の首都・ペスカーラは、そのような大都市の代表とも言うべき存在であった。

 新しい年を迎え、大陸最大の都市であるペスカーラは、いつにもまして熱狂に溢れていた。
 日付が変わると同時に大鐘が打ち鳴らされ、広場から大きな歓声が上がった。夜空に色鮮やかな花火が咲き乱れる。
 暗い空を赤や青に彩る光。市街北に聳える聖帝の城、碧天宮からもそれはよく見えた。
 光に遅れて、破裂音が響き渡る。耳を澄ませると、人で埋めつくされた広場のざわめきもかすかに聞こえる。
「陛下、大広間の準備が整いました」
「今、行く」
 銀灰色の髪が、室内の光を弾いて揺れた。窓から視線を移し、青年は苦笑する。
「新年の正装は、重くてかなわない」
「今しばらくの辛抱でございます」
「やれやれ」
 豪奢な衣装をまとった青年は、軽く肩を竦めて椅子から立ち上がる。彼を待つ人々が、城の大広間に集まっているのだ。
 これから彼らの前で新年の祝辞を述べなくてはならない。それが、彼の今年最初の公務であった。

 宮廷料理や酒が並べられた大広間は、給仕の侍女が行きかい、正装の貴族たちがさざめいている。
 これから、新年の宴が始まるのだ。
 華やかに着飾った女たちや身なりを整えた男たち。彼らは知り合いを見つけては上品に挨拶を交わす。
 そのざわめきは、壇上に青年が現れた途端にぴたりと止まった。
 恭しく膝をついた人々を見渡し、壇上の青年は鷹揚に右手の杯を高くかかげた。
「顔を上げよ。杯を取れ」
 涼しげな声音が響く。
 彼にならい、貴族たちは一斉に杯を高く掲げる。
「今年もこの国と余のために力を注いでほしい。≪帝国≫に、太平の繁栄と栄光を」
 朗々とした声で告げた若き聖帝は、酒を一息に煽った。
 全員がそれに続いて酒を飲みほす。
「今宵の宴を楽しんでくれ」
 そう締めくくると、聖帝メレンディアは玉座に腰を下ろした。
 ≪帝国≫の頂点に君臨する聖帝の優雅な所作に、貴族の姫たちの唇からため息が漏れた。
 彼の言葉を合図に、後方に控えていた舞姫たちが進み出て、妖艶に舞を始める。奏でられる楽の音に重なるように、盃を交わす高い音があちこちから響いた。

 宴の開始と同時に、かわるがわる訪れる大貴族の口上に耳を傾けていた聖帝は、喉の奥であくびをかみ殺した。長ったらしい挨拶の中身は、どれも似たり寄ったりだ。さすがに飽きてくる。
 最後の一人に応対し終えた頃には、愛想笑いも尽きかけていた。
 理由をつけて自室に戻ろうと考えていた時、側近の一人が足早に歩み寄ってきた。「失礼いたします」と慇懃に頭を下げると、顔を近づけて囁く。
「……リンデンヴルムが動いたか」
 耳打ちされた内容に、メレンディアは軽く頷く。
「そのようです。二、三日後には出立の準備を終え、エストワに向かうでしょう。また、救援を求めるエストワの使者が先ほど到着しました。陛下へのお目通りを願っておりますが」
「エストワの使者には、会わぬ」
 メレンディアの即答に、側近は困惑と驚きの表情を浮かべる。
 エストワは古くから≪帝国≫に友好的な国であった。その国を見捨てるなどとは予想しなかったのだろう。
「ですが……」
「会わぬと言ったら会わぬ。追い返せ」
「……かしこまりました」
 頭を垂れた男は、立ち上がって踵を返す。去っていく彼の背中を一瞥して、聖帝は宴に視線を戻した。
(まだ、機は熟していない)
 三年前の屈辱的な大敗は、彼の足元を大きく揺らしたが、どうにか持ちこたえた。一時は離れかけた人心と権力も、今は大敗前の求心力を取り戻している。
 竜騎士によって甚大な被害を被った魔術師部隊も、以前とほぼ同等の戦力まで回復した。だが、リンデンヴルムと正面から戦って勝てるかは分からない。勝つにはもっと決定的な切り札が必要だった。
(リンデンヴルムの老いぼれた狂犬め、エストワを手に入れて、ひとときの勝利に酔いしれるがいい)
 その罵倒とは裏腹に、若き聖帝は、天上の彫刻のように麗しい微笑を浮かべた。



* * *



 来る途中見上げた異国の空は、暗い鉛色であった。野営地に戻る頃には雪が降り出すかもしれない。
 大天幕の隅に火鉢が据えられていたが、あまり用をなしていなかった。吐く息が白く染まる。軍議の末席で、ナルージャは外套の胸元を引き合わせた。
 年明け早々に出された王命によって、王都を出発した軍は、エストワとの国境を超えてその領内に侵入した。最初の標的、ハルナバルの要塞は目前に迫っている。
 エストワ側も要塞に軍を集結させ、リンデンヴルム軍を迎え撃つ姿勢であった。
「地上軍は、竜騎士が破壊した要塞の城壁から、内部へ侵入し……」
 参謀であるシアスの声が大天幕に響く。
「……要塞内を制圧。このハルナバル要塞を落とせば、あとは王都まで我々の進軍を妨げるものは何もない。≪帝国≫が怖気づいたおかげで、我々は楽にエストワを手に入れることができるだろう」
「ははは、確かに」
「≪帝国≫の魔術師どもは巣穴にこもっているからな」
 シアスの皮肉に、将軍たちが声をあげて笑う。
 ひとしきり場が緩んだ後、沈黙していた大将軍が重々しく口を開いた。
「長年の友好国をこうもあっさり見捨てるとは、≪帝国≫も落ちぶれたものだ。しかし、狡猾な奴らのこと、罠を張っている可能性もある。油断するな」
 腹まで響く重低音に、天幕の空気がシンと静まりかえった。
 軽口を好むシアスと、実直そのものといった性格の大将軍は、影で「飴と鞭」と呼ばれている。二人の見事な連携で瞬時に真顔に戻った将軍たちを見て、ナルージャの口元に思わず微笑が浮かぶ。
 薄布の奥で小さく笑った少女の視界に、ふと、魔術師の副長である中性的な美貌の青年が映った。途端、少女の胸に苦々しさがこみあげてくる。
 魔術師の青年から意識的に目を逸らし、少女は作戦会議に集中する。
 与えられた任務を頭の中で反芻しながら、隣に座る妹をちらりと見た。彼女は身じろぎもせず、ひたすら会議の終了を待ちわびているようだった。

 長い軍議が終わり、ナルージャは大天幕から外に出た。
 思った通り、幾重にも張られた天幕の上に広がる暗い空から、白い粉雪が舞い降りる。
 雪がちらつく中、少女は急いで左右を見回した。しかし、妹の姿は見当たらない。
 声をかける隙もなく、軍議の後に姿を消すクローシャ。その目的を思ってナルージャは肩を落とした。
 仕方なく野営地へ歩き出した彼女は、ふと足を止めた。天幕の後ろから人影が現れたのだ。
「驚かさないで」
「お前もまだまだだな」
 さり気なく並んで歩き出した長身の青年を、少女は冷たく一瞥した。
「相変わらず神出鬼没ね、フィグ」
「お褒めいただいて光栄」
「褒めてない」
 ナルージャの皮肉を意にも介さず、彼は飄々とした調子で尋ねる。
「まあ、んなことはどうでもいいけど、お前の妹はあの色男のところじゃないのか?」
「……そうみたいね」
「悠長だな。急がないと、そろそろ上にばれるぞ」
 青年の忠告に、少女は渋面を浮かべた。
「分かってる。何とかするから、お願い、もう少し黙ってて」
 竜騎士候補の一件によって生じた亀裂。姉妹の関係は、修復されるどころか、思わぬ事態を招いてしまった。
 姉妹が仲違いした日、クローシャと接触した魔術師団の副長イーリオが、妹だけを頻繁に呼び出すようになったのだ。それを不審に思った矢先、彼らが恋愛関係にあるとフィグから聞かされた彼女は、思わず頭を抱えた。
 姉と生じた隙間を、クローシャは他者で埋めようとしている。
 しかし、竜騎士に恋愛は許されない。上層部に知られたら二人とも懲罰必至だ。フィグは、「そうなる前に何とかしろ」と警告してくれたらしい。この件は他言していないようだった。
(恋愛……他人を好きになる、か)
 正直、妹の気持ちは彼女にとって理解しがたい。
 妹には言葉を選んで何度か忠告したが、彼女は適当な返事を返すばかりで、一向に行動を改めない。今夜こそきちんと話し合わなければならないだろう。
「なぁ」
「何」
「お前も、恋愛とかに興味あるのか?」
 物思いにふけっていたため、虚をつかれた。視界が反転し、積み上げられた資材に体を押しつけられる。
 強く抱きすくめられ、首筋に顔を埋められた。顔を覆っていた布が音もなく地に落ちる。
「……はなして」
「いやだね」
 耳元で低く囁かれた。瞼に、頬に、唇が落とされる。
 最初は手足をばたつかせて抵抗していたが、抑えこまれて思うように抵抗できない。そうしているうちに、抵抗する気力が失せていく。
 押し返す腕が弱々しくなる、その頃合いを見計らったかのように、唐突に体を離された。
「……っ」
「もう少し抵抗しろよ。そんな態で、妹に忠告できるのか?」
 人の悪い笑顔を浮かべ、青年は彼女を見下ろした。
「からかわないで」
 血色の瞳が青年を睨みつける。
 フィグの戯れは最近ますます酷くなっている。誰かに見られたら、自分もフィグもただではすまないというのに。
「何を、考えてるの」
「別に? 難攻不落の竜騎士の女を落とすのも面白いかもな、とイーリオの奴を見てたら思っただけさ」
「趣味が悪いわ」
「性格が悪いって女どもによく言われる。顔はいいのに、だとさ」
「私なんか相手にしないで、彼女たちと遊んだらいいじゃない」
 彼はそれには答えずに、喉の奥で笑った。まるで獲物を弄ぶ肉食の獣のようだ。
 十八歳に見えない落ち着きを纏った彼は、鋭い面立ちと、均整の取れた長身で人目を引いた。人を食った笑みも、女性には魅力的に映るに違いない。
「イーリオは上手く立ち回っているが、妹がかわいかったら早めに何とかしろよ」
 怒っているナルージャを置いて、青年は長身を翻し、さっさと歩み去った。
(むかつく、本当に)
 足元に落ちた布を拾いあげ、少女はさっと周囲を見回す。誰もいないことを確かめ、彼女は足早にその場を立ち去った。



 赤々と燃える薪が、パチンと爆ぜた。
 辺りに薄く積もった雪が星明りを反射し、夜の闇を仄白く照らす。
 少し離れた場所に、身を寄せ合う竜たちの影が浮かびあがっていた。身じろぎもせず眠る獣から、ナルージャは再び視線を赤々と燃える炎に戻した。
 揺らめく火をじっと見つめる。しばらくそうしていた少女は、雪を踏みしめる足音に顔を上げた。
「……クローシャ」
「まだ起きてたの」
 少しの温かさもない声。冷ややかな眼差しに怯んでしまいそうになる。
 しかし、もはや曖昧に釘を刺す段階ではない。このままでは何も解決しないことだけは分かり切っていた。
「イーリオ様と会ってたんでしょ?」
 ナルージャの問いに、妹の表情が強張る。
「なんで知って……もしかして、フィグのやつが?」
 顔を顰めた妹の問いに、無言で答える。クローシャは鋭く舌打ちした。
「……あんたには関係ない」
 言い捨てて、焚火の反対側に向かった彼女の腕を掴んで引き留める。
「待ちなさい、ちゃんと答えて」
「関係ないって言ってるじゃない!」
「それで通ると思ってるの? 誰かに知られたら、二人とも懲罰を受けるんだよ。イーリオ様とはもう、二人きりで会わないで」
「離して」
 ナルージャの腕を乱暴に振り払い、クローシャはきつく彼女を睨んだ。
「あの方はそれでもいいって仰ってくださってる。あたしも罰なんか怖くないよ」
「そういう問題じゃないでしょ!」
「……ねぇ、ナルージャ。少しだけ先に生まれてきたからって年長者気取りはやめて。あたしはもう、誰の指図も受けたくない。それに、あんたを見てるとイライラするんだ。自分だって隠れてフィグとこそこそしてるじゃないか」
「彼は私をからかってるだけだよ。今はクローシャの話をしてるの」
「何が違うっていうの? 矛盾してるよ」
 フィグとは、彼女が言うような艶っぽい関係ではない。けれど、妹とイーリオを頭ごなしに否定できるほど潔白かと問われれば、否だ。
 後ろめたいところをつかれて、言葉に詰まる。どうしたら、説得できるのだろう。ナルージャの心に迷いが生じた。
 逡巡した姉に、クローシャはぽつりと呟く。
「ねえ、ナルージャ」
「……何?」
「あたしね、あの方と一緒なら、死んだってかまわないんだ。それくらい好きなの」
 軽く息を飲んだ姉に、クローシャは自嘲めいた笑みを浮かべる。
「どちらにせよ、竜騎士は所詮、使い捨ての道具だよ。戦場で生き残ったって、引退なんかできない。
竜を御する技を外に出すわけにはいかないから。どれだけ功績を上げても、最後は殺されるしかない。秘密を守るために」
「……」
「リネイは引退したんじゃない。たぶん、殺されたんだ」
 師であった女の不自然な失踪。フィグもジュノも口を揃えて言っていた。「城を出て行った」と。
 だが────ナルージャも、うすうす気づいていた。おそらくそれは真実ではない。
 暗黙のうちに二人の間で禁句となっていたそれを、妹はついに吐き出した。
「あんたは知らないだろうけど、あたしは一度、竜騎士候補の子を助けようとしたことあるんだ。ずいぶん昔だけどさ。怪我はしてたけど、その子はまだ息があった。でも、ジュノはあたしの目の前でその子を殺した」
「……っ」
「竜騎士になれなかった子たちは、道具ですらなかった」
 淡々と紡がれる言葉。抑揚の無さが、かえって深い絶望を伝えていた。
「あたし達は、ただの道具だ。用がなくなれば死ぬ。忠誠の呪いがあるから、逃げ出すことも叶わない。なら、それ以外は好きなようにさせてほしい」
「クローシャ……」
「どうせ、ちょっとやそっとじゃ殺されないよ。戦が続く限り竜騎士は必要だ。簡単に代わりは見つからないしね」
 投げやりに呟いた妹は、何かを思いついたように楽しげに口元を歪めた。
「いいこと考えた」
 彼女は毛皮の外套の下から、小型のナイフを引き抜いた。
「……何をするの」
「ずっと思ってた。同じ顔、同じ声なんて、もううんざりだよ。喉をつぶすわけにはいかないけどさあ、二つも同じ顔なんていらないと思わない?」
 鏡に映る像のような妹の顔。その頬に当てられた銀色の刃が、炎を反射して煌めく。
「っ」
 止める間もなく、妹の右手が動いた。
 右の頬を紅く染めたクローシャは、絶句する姉に手を伸ばし、その顔に飛び散った自分の血を指で拭う。
「家族とか姉妹とかくそくらえだ」
 吐き捨てると、彼女はナルージャに背を向け、焚火の向こうでごろりと寝転がる。
「……」
 少女はその場にぺたりと蹲った。泣きたい気持ちで膝を抱える。
(今は、これ以上何を言っても無駄だ)
 懲罰覚悟で将軍に妹の行いを報告し、目を覚まさせるべきだろうか。だが、そうすれば、自分たちの関係が悪化するのは目に見えている。
 どうしてうまくいかないのだろう。この世に妹以上に大事なものなどないのに。
 考えても答えは出ない。少女は自分の膝に顔を埋めた。
 氷のような青白い月が空に浮かぶ。その光を深海の底に似た暗闇が二人を包んでいた。


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