Crimson Eye 09

 吐く息すら凍りそうな夜明けの空気を、低い鐘の音が震わせた。本営の、目覚めを知らせる鐘だ。
 ナルージャは薄く目を開けた。
 空にはまだ星が瞬いている。東の地平線だけが、白く霞んでいた。
 毛皮の外套を巻きつけたまま、体を起こす。
 かじかんだ手足をすり合わせていると、目の前に、椀によそったスープを無言で差し出された。
「ありがとう」
 火番だったクローシャが用意したその朝食を、ためらいがちに受け取る。
 妹の頬には、昨日彼女自身が切りつけた生々しい傷跡がある。それは二人の間に生じた決裂をまざまざと思い出させたが、
(……しっかりしろ。悩むのはあとだ)
 動揺する自分をナルージャは叱咤する。
 今日、この遠征の正念場を迎えるのだ。何が起こるかわからない戦場で、妹と肩を並べて戦えるのも、そして彼女を守れるのも自分しかいない。
 何よりもまず、生き残ること。生き残ればきっと、和解できる日も来るだろう。
 ナルージャは目を閉じ、軽く息を吐く。
 次に血色の瞳を開かれた時には、彼女の表情から一切の迷いが消え去っていた。



 夜の帳が外された薄水色の空を、ヴィーヴィルとベルダが同時に旋回する。
 地上のリンデンヴルム軍が陣営を整えるまで、哨戒と示威行為を兼ねて双子は彼らの頭上を飛びまわっていた。
(……だいじょうぶ)
 二人の呼吸はぴたりと合っている。
 いつもそうなのだ。どんなに気まずくても、竜に跨っている間は言いようのない一体感に包まれる。相手が何を思っているかが、肌でわかる。
 まだ見習いだったころ、同時に竜の背から転げ落ちたこともあった。失敗でも息がぴったりだった二人に、リネイは「双子だからか?」と珍しく呆れていた。
 この場にいない女の声を、ナルージャはほろ苦く思い出す。
「……ナルージャ、下。見て」
 妹の声に、ナルージャは気を引き締めた。今は感傷に浸る余裕があるが、この先は生きるか死ぬかの戦場となる。
 指し示された方向には、赤い狼煙が上っている。攻撃開始の合図であった。
 要塞をめぐる攻防の戦端を開くのは、彼女たち竜騎士だ。
 双子の少女は視線を交わし合う。ひと呼吸後、二頭の竜が要塞へと襲いかかった。

 耳元で風が唸る。
 目標からそれて着弾した炎が、ハルナバル要塞の分厚い壁を破壊した。けれど、穴を開けるには至らない。
 失敗を視界の端で見届けて、ナルージャは上空に退がった。
 ……「地上の味方を援護しつつ、城門を破壊する」
 二人に下された命令は簡潔だが、実行はかなり難しい。
 言うだけなら簡単だ。ナルージャは舌打ちを堪えた。
 この要塞は、山脈の裾野に広がる平野の、いわば扇の要の部分に建造されている。
 要塞の平地側は、三重の城壁をはりめぐらせた入れ子のような構造で、防御に優れている。更に、増築を繰り返したためであろう、城壁には塔が乱立している。それを避けようとすれば、竜の飛行速度が鈍ってしまう。
 第一の門は何とか破壊したが、次に立ちはだかる第二の門に二人は手こずっていた。
 騎首を持ち直して、再び第二の門へ接近する。
 攻撃の直前、不意の閃光が視界を灼いた。ナルージャとクローシャは紙一重でそれを避ける。
 閃光の発生源は、塔の内側。
 塔は単に飛行の邪魔というだけではない。安易に近づけば、内部に潜む魔術師に狙い撃ちされてしまう。
 再び旋回し、塔にぎりぎり近づいたところで竜の腹を蹴る。
 炎の球が塔を直撃し、轟音をあげて崩れ落ちる。
(もう一回!)
 次は門。二番目の門を吹き飛ばした瞬間、空気が変わった。
「ナルージャ、右だ!」
 妹の悲鳴が響く。飛んできた雷撃を、少女はどうにか避けた。塔と塔の狭い隙間をすり抜けて空へ逃れる。
「くそっ、塔は全て破壊だ! でないとやってられるか」
 妹の悪態に、ナルージャは頷く。
 要塞はできるだけ破壊するなと、参謀のシアスから指示されている。占拠した要塞をのちのち利用するつもりなのだろう。
 しかし、最も内に守られた三番目の門は、今までのようなごり押しで壊せるものではない。
 目配せをかわし、双子は目標を変えた。
 無秩序に建つ塔を、次々と落していく。



* * *



 数刻にわたる攻防が続き、ベルダの放った火球がようやく三番目の門を壊した。
 地上軍が一気になだれこみ、要塞内を制圧していく。
 城壁の内側に立て籠もっていたエトワス軍は、必死の抵抗を試みた。しかし、リンデンヴルム軍は圧倒的に数で勝っている。
 エトワス側も粘り強く抵抗していたが、ついにハンナバル要塞は陥落した。

 その後、リンデンヴルム軍は数日間かけて街道を直進し、エストワの王都に攻めいった。
 王都は要塞に比して守りが薄い。要塞を失ったエストワ王都はもはや、丸裸も同然であった。
 要塞戦に比べて、王都はあっけなく陥落した。
 王都攻防戦の直前、エストワの王族や貴族たちの一部は祖国を捨て、長年の同朋であった≪帝国≫に亡命しようとしたが、リンデンヴルム軍は街道に罠をはり、彼らのほとんどを捕えた。
 そして、王都に残ったエストワ王と共に民衆の前で処刑し、この国がリンデンヴルムに併合されることを改めて宣言したのだった。



* * *



 勝利に沸く遠征軍が、王都に凱旋した翌日。
 式典用の重い装備を解く暇もなく、双子の姉妹は緊急の呼び出しを受けた。
 王軍府の一室では、シアスと将軍数名、壮年の魔術師団長が彼女たちを待ち受けていた。
 穏やかではない雰囲気を感じ取って、ナルージャは薄布の背後で軽く眉を上げる。
「……要塞戦において、俺は≪破壊は最小限≫と言ったはずだ。お前らに耳はついているのか? 命令になぜ逆らった」
 立礼した二人に、シアスは高圧的に口を開いた。
「命令は確かに承りました。しかし、塔から魔術師に狙い撃ちされては、門の破壊などできないと判断したんです」
「竜はそれほどに軟弱な獣なのか。お前らの腕が足りぬのだろう」
 シアスの隣にいた将軍が、クローシャに皮肉な笑みを向けた。権威を傘にきて、部下に威張りちらすことにかけては有名な男だ。そのあばた面に唾棄したい欲求を、かろうじてナルージャは抑える。
「あたしたちが未熟なことについては、おっしゃる通りです。でも、竜は魔法、特に電撃にあまり耐性がありません。直撃したら、翼が破れることもありえます。そうなったら、誰にも制御できません」
「だとしても、許可を得ずに行動に移るなど、どういうつもりだ?」
「門の破壊を優先すると、戦いの前に確認したので……私たちにとってはあれが、最低限の」
 バン!
 机を叩く激しい音が響き渡り、部屋が静まり返る。叩いたのは剣呑な表情を湛えたシアスだった。その鋭い眼光に射抜かれ、少女は口を噤む。
「図に乗るなよ、小娘が。どこまでが最低限か、判断するのはお前らではない」
 シアスの一喝に、周囲の将軍たちは同調して頷いた。シアスの言葉は確かに正論だ。けれどこの場には、別の意味合いが含まれていることを少女は悟った。
「……申し訳ありませんでした」
 ナルージャは反論を飲みこんで慇懃に頭を下げた。
 彼らは、申し開きを聞きたいのではない。双子を罵倒することで鬱憤を晴らしたいのだ。
 大方、彼らが予想していたより戦の褒賞が少なかったのであろう。
 実に馬鹿馬鹿しいが、このような呼び出しを受けることは稀ではなかった。そうだと悟ったら、彼らの神経を逆撫でするような言動を慎み、あとは早めに解放されるよう祈るしかない。
「たった数年戦場に出ただけで、一人前の口をききおる。思い上がりも甚だしい」
「我々に意見するなど、小賢しいにも程があるというもの」
「獣と寝食をともにするなど、汚らわしい。人間扱いされるだけましと思え!」
 その獣に頼り切っているのはどこのどいつだ、という言葉を双子は飲みこむ。
 思えば、リネイに対しては、彼らももう少し丁寧な態度だった。
 実績と年齢を重ねれば、今よりましな待遇になるのだろうか────耳障りな罵声を聞き流しつつ、少女はぼんやり考える。だとしてもそうなるのは、ずっと先の話だろう。
 延々と続く将軍たちの罵倒を、二人は黙って耐えた。それに終わりが見えてきた頃、シアスが口を開いた。
「……竜騎士でなければお前らなど生きている価値さえ無い。それをよく肝に銘じておくがいい」
「────身の程をわきまえず、すみませんでした」
「申し訳ありません」
 頭を垂れる二人に侮蔑の視線を送り、彼らは次々に退出する。
 ナルージャは横の妹をちらっと見た。怒りで拳が震えている。
 頭に血が上っている様子だが、何とか堪えてくれたようだ。
 やっと終わった。うんざりしながら、肩の力を抜く。
 その時、最後に席を立った壮年の魔術師団長が、扉の前でふり返った。
「……イーリオが副団長の任を解かれることになったぞ。その理由に身に覚えがないとは、よもや言うまいな?」
 かさついた声が、二人に思いもよらぬ冷水を浴びせかけた。ナルージャの全身から血の気が引く。隣の妹が小さく呻いた。その体が小刻みに震える。
 凍りついたように沈黙する二人の反応から、老人は答えを「是」と取ったようだった。
「竜騎士に手を出したその見せしめに、奴はおそらく死罪になる。クローシャよ、おぬしも覚悟するがよいぞ。今日のような生ぬるい追及では済まされぬじゃろう。おぬしは竜騎士と魔術師団、両方の面子に泥を塗ったのだ」
 魂が抜けたように立ち尽くす妹に、「愚かな、卑しい売女め」と吐き捨て、老人は部屋を去る。
 妹は、自分たちの関係が公になったとしても、まさか相手が死罪になる可能性まで考えていなかったのだろう。それはナルージャも同じだった。
 考えが甘すぎたことを痛感する。二人はしばらく、その場から動けずにいた。
「……ねえ、クローシャ。フィグに相談してみようよ」
 先に我に返ったのはナルージャだった。震えている妹の肩に遠慮がちに触れる。
「……あいつは! 王家の犬だ。助けてくれるはずがない」
 妹は彼女の手を激しく振り払い、頭を振った。
「そんなこと言ってる場合!?」
「余計な手出しはしなくていい。自分のことくらい、自分でケリをつけるよ」
「何ができるっていうの!?」
「こんな時まで姉貴面するんじゃない! もううんざりだって言ったはずだ」
「……わかった。私はもう何も言わない。勝手にしなよ」
 あくまで己を拒絶する妹に憤慨して、ナルージャは部屋を飛び出した。
(このわからず屋!)
 自業自得だ、と思った。こっちはいい迷惑だ、と。
 怒りに任せて建物の外に出ると、早足で厩舎に向かう。けれど頭が冷えてくるに従って、その足取りは重くなっていった。
(イーリオ様が死刑……そしたら、クローシャはどうなるの……?)
 ついに足を止め、ナルージャは考え込んだ。彼女には黙って、フィグに相談した方がいいかもしれない。
 自室に戻ったナルージャは、乱暴に衣装を脱ぎ捨てながら、どうにか彼と連絡をつけられないか思案していた。
 しばらくして戻ってきたクローシャとは廊下ですれ違ったが、互いに声はかけなかった。
 彼女はずっと部屋に閉じこもったきりだ。夕食の時間になっても、姿を見せない。
 一人、味気ないスープを飲み下すナルージャの脳裏にふと、廊下ですれ違った妹の顔がよぎった。
 妹は昏い目で足元を睨んでいた。
 鏡のように自分そっくりな顔。けれどなぜか、その時は妹が見知らぬ女のように見えた。




「ヴォオォォオオ───────」
 深夜、自室のベッドで寝返りを打っていたナルージャは跳ね起きた。
 殺気だった咆哮は戦場では珍しくない。しかし、厩舎で休ませている竜がこのような声を上げるなど、彼女の経験上一度としてなかった。
(何があったの?)
 ベッドから飛び降り、最低限の身支度を済ませたその間に、今度は尋常ではない竜の悲鳴がつんざく。
 何らかの異変が起こっている。嫌な予感を覚えながら、素早く廊下に出た。
「クローシャ、いる!?」
 妹の部屋の前で呼びかけても返事がない。
 思い切って扉を開ける。薄暗い室内に、彼女の姿は見当たらなかった。
(まさか……)
 弾かれたように外へ飛び出す。
 途端、爆発音が響き地面が揺れた。熱風が吹き荒れ、まばゆい炎が立ちのぼった。
 闇の中に厩舎の輪郭が浮かびあがる。
 その正面で翼を広げ、威嚇するベルダ。
 足元には、焼け焦げた巨体がぐったりと横たわっている。王国が所有する三頭の竜で、最も年長のクエレブラであった。
「クローシャ!!」
 勝ち鬨の声を上げるベルダの背に、完全に武装を整えた妹の姿を認めて、ナルージャは叫んだ。
 引きあうように血色の瞳が交差する。
 頬に傷跡のある瓜二つの顔が、いびつな笑みを浮かべた。
「……ナルージャ、あたしはベルダと≪帝国≫に行く」
 ナルージャはその言葉を反射的に否定した。
「嘘よ、何を言っているの。そんなことが……」
「できるはずないって思う? ≪忠誠の花≫が、あたしを殺すから?」
 同じ呪いを背負う双子の姉に、クローシャは哀れむような視線を投げかけた。
「あたしの≪忠誠の花≫は無効化されてる。一時的に、だけどね」
「そんなこと……できるの?」
 ナルージャは息を飲む。妹の言葉が信じられなかった。
「イーリオ様が、この国で一番力のある魔術師だってこと、忘れたのか? よく見てみな、あたしを。クエレブラを倒しても、何ともない」
 目を見開き絶句する姉に、妹は嫣然と笑って続ける。
「≪帝国≫に行けば、完全に解除できるだろうって、あの方はいつも言ってたんだ」
 背に刻まれた魔法を解く方法はないと、ずっと思いこんでいた。
 しかしそれは「リンデンヴルム国内」の場合であって、優れた魔術師が多くいる≪帝国≫なら解除できるのかもしれない。
 その可能性に、妹の言葉で初めて思い至る。
 ふと、脳裏に妹の恋人の姿がよぎった。
 長い白金の髪を束ねた、上品で整った顔立ちの男。
 彼は以前から、妹と≪帝国≫へ逃亡するつもりだったのだろうか。
「……あたしが軍の注意を引けばきっと、イーリオ様への監視は手薄になる。あの方なら脱出できるよ」
 妹は薄く笑った。炎に煽られた彼女は狂った魔女のように見えた。
「本当に、それがうまくいくと思ってるの?」
 見上げるほど高い竜の背から、クローシャが自分を見据えた。
 その顔に浮かんだ不敵な微笑は、けれどなぜか、泣いているように見えた。
「一石二鳥の方法があるんだ。……そう、あんたのその首を持ってったら、竜騎士の追跡なんか誰もできないし、≪帝国≫はあたし達を受け入れるだろうね」
 少女は自分の耳を疑った。妹は今、何を言った?
「ナルージャ、あんたを殺す」
 思考停止した脳に、妹の声は届かない。体だけは本能で動いた。
 一撃目は横に転がって避ける。鋭い歯列の並ぶ顎は、体をのけぞらして躱した。
 しかしベルダが先程放った火球の痕に、足を取られて均衡を崩す。
 襲いかかる鋭い爪に、なす術もなく身を竦ませる。その瞬間、大きな影がベルダと自分の間に割って入った。
「ヴィーヴィル!」
 褐色の鱗が砕け散る。ナルージャに最も懐いていた竜の肩に、同族の爪が食いこんだ。
 しかし、ヴィーヴィルは威嚇するように激しく咆哮した。ベルダとクローシャが後退る。
 その隙にナルージャはヴィーヴィルに走り寄った。身軽にその背へ飛び乗る。
 激しくこちらを威嚇する飛竜に、クローシャは顔を顰めた。
 彼女の赤い瞳に迷いが浮かぶ。互いの力量を知っているだけに、下手に手が出せないのだ。相討ち覚悟で戦うか、引くか。
 一瞬の逡巡の末、彼女は手綱を引いた。竜が空へと舞い上がる。
「待って、クローシャ!」
 数瞬遅れて、ヴィーヴィルが飛び立つ。
 空にかかる半月が二頭の竜を照らし出した。
 ベルダの影を追うナルージャの眼下で、めまぐるしく景色が変わっていく。
(どこに向かってるの)
 森を越えた先に丘陵が途切れ、平らな草原が広がった。
 もうすぐ国境だ。
 竜騎士が勝手に≪帝国≫の国境を侵犯すれば、大問題になる。
 しかし、妹との距離は縮まらない。見失わないようにするだけで精一杯。
「……あれは……?」
 ナルージャは目の前に広がる地平線に目を凝らした。そこは、王都から最も国境に近い平原だ。その国境の遥か向こうに何かが蠢いている。
(≪帝国≫軍……!)
 敵軍がこれほど近くに集結している。
 ベルダが更に速度を上げた。クローシャはどうやら、あの軍を目指しているらしい。
 その妹がついに国境を越えた。
(一人越えれば、二人も一緒だ)
 覚悟してナルージャも≪帝国≫領へと飛びこむ。
 月光が平原を青白く照らす。そこに集結した軍の陣頭にベルダが舞い降りた。
 ナルージャはもはや追跡を諦め、ヴィーヴィルを大きく旋回させた。
 戦局を左右するほどの力が竜騎士にあるとはいえ、≪帝国≫軍に単騎で突っ込むほど無謀ではない。
 陣営の鼻先に佇むベルダを横目に、ナルージャは王都へ引き返した。


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