Crimson Eye プロローグ

 ────どうしてこうなったのだろう。

 ナルージャは自問せずにいられなかった。
 金属を打ち鳴らす音が鋭く響く。平原に展開された戦場に、男達の獣じみた怒号と、鼻腔を刺激する血のにおいが充満する。
 草に火が放たれ、幾筋もの黒い煙が空を鈍い色に変える。
 眼下で、眩い閃光がリンデンヴルムの兵を薙いだ。敵軍の魔導師が放った雷撃の前に、死体が折り重なる。
 しかし、今のナルージャには彼ら魔導師たちを抑える余裕などない。
 ……戦場の遥か上。黒い甲冑を纏った竜騎士たる少女は、悪夢のような戦闘を強いられていた。
 少女が操る飛竜、ヴィーヴィルの翼が羽ばたく。
 眼前の騎影、その喉奥に赤い火が灯った。
 ナルージャは反射的に手綱を引く。騎手の命令を、褐色の飛竜は忠実に実行した。重心を傾け、左に旋回する。
 間一髪、灼熱の球をやり過ごす。
 一拍遅れて、地上で火柱が噴きあがり、爆音が轟く。炎と爆風は、付近の兵士たちを紙の人形のように吹き飛ばした。
「どうした。戦わないのか、臆病者め」
 斜め上から、辛辣な嘲弄が鼓膜に刺さる。
 女にしては、やや低めの声質。それは、自分の声と寸分も変わらない。
 声だけではない。ナルージャの視界に映るその容貌も、あまりに己に似ていた。まるで鏡を見ているかのようだ。
 暗い茶色の髪、血色の紅い瞳。何もかもが同じ。
 彼女と自分を分ける相違は、相手の左頬に深く刻まれた刃傷だけ。
「……クローシャ」
 煤けた空に巨大な翼を広げた飛竜ベルダ、その背に騎乗するのは───ナルージャの双子の妹、クローシャだった。
 彼女は今、最大の敵として自分の前に立ちはだかっていた。

 ……上空を炎が行き交う。
 クローシャが、鐙でベルダの横腹を蹴った。死神を思わせる飛竜の影が殺到する。
 ナルージャの無意識の迷いが一瞬を分けた。回避が遅れ、ヴィーヴィルの羽の付け根の部分が、ベルダの足に捉えられる。
 均衡を崩しながら、ヴィーヴィルは相手の首に噛みついた。鋭い牙が堅い鱗を砕き、肉に到達する。

 互角の実力をもつ二頭の竜と二人の竜騎士は、もつれあって変則的に飛行する。
 ナルージャは鐙にかかった足で飛竜の横腹を叩いた。クローシャも、体勢を整えようと手綱をぐっと引く。だが、痛みで激昂した飛竜は、相手への攻撃を緩めない。
「ベルダ! 引け!」
 あせりの滲んだ声が風にかき消される。もはや竜たちは主の命令を聞ける状態ではなかった。
 天地が数度入れ替わり、両軍がぶつかりあう戦場へ二頭の竜は高度を下げていく。
 蟻のようだった兵士の群れが徐々に大きさを増す。彼らは地面すれすれで曲芸飛行する竜を避け、逃げ惑った。そのさまを、ナルージャはどこか他人ごとのように見る。
 このまま地面と衝突したら、死ぬかもしれない。
 少なくとも無傷ではすまないだろう。
 ────落下の風に煽られながら、彼女は覚悟して目を瞑った。


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