風鈴と、恋夢

夏休みの、とある昼下がり。

亡くなったおばあちゃんのたんすの引き出しから、風鈴がころりと出てきた。
少しレトロな、かわいい金魚の柄が入ってる。
あたしは、ハサミを探していたのだけれど、そっちのけで風鈴を振ってみる。

ちりん、ちりん

その音は、どこか懐かしくて、とっても心地良かったから、それを軒先にかけてみた。
そして、縁側に寝転がって、涼しげな音色に耳を澄ませる。

ちりん、ちりん

風鈴の音を聞きながら、そのまま、ぼんやり空を眺める。
猫の額みたいに小さなうちの庭から見える、わずかばかりの空は、それでも果てしなく青くて、雲はどこまでも白かった。
夏の風が頬をなでていくのがあまりにも気持ち良くて。
あたしはついつい、寝入ってしまったのだ。

ちりん、ちりん─────




『明日、出発する』

そう言ったのは、あたしの隣に座る男の人。
年は、二十歳を少し越えたくらいだろうか。
カーキ色の軍服のようなものを着て、悲しげな顔をこちらに向けていた。
うちじゃない、どこかの和風の庭に面した縁側に、あたしたちは肩を並べている。

『行ってしまうのね』
『すまない』

その男の人は、形のいい指を伸ばし、あたしの髪に触れた。

・・・あれ?
あたしの髪、こんなに長くない。
黒くて真っ直ぐで、胸の辺りまである。
それに、着物を着てる。
生まれてこのかた、着物なんて、七五三の時にしか着たことがないのに。

・・・ああ、そうか。
これは、夢だ。
夢の中で、あたしは誰か別の人になってるんだ。

『良司さん』

夢の中のあたしは、男の人の名前を呼ぶ。
男の人は、あたしの目を真っ直ぐ見た。
こちらを見つめる切れ長の瞳を見ていると、なぜだか、胸が張り裂けそうになる。
心が悲鳴を上げる、って言うけど、この感情がそうなんじゃ、ってくらいに。
体の内側から、音を立ててバラバラになってしまいそうなほど、苦しい。
映画やドラマなんか見てる時よりも、ずっとずっと生々しい感情の渦。
やがてそれは、あたしの瞳から、涙になってあふれ出した。

そんなあたしを痛ましげに見て、男の人は、もう一度謝った。

『すまない、小百合』

そして、あたしの肩を軽く抱き寄せた。

ああ、そうだ。
肩を震わせて泣きながら、あたしは確信していた。
この人と、夢の中のあたしは、もう二度と会えないのだ。
もう、二度と。
お互いを、ものすごく思いあってるのに。

自分の頬を伝う涙と、服越しに伝わる男の人の感触が、やけにリアル。
・・・ちょっと待て。
あたしは、初恋もまだのお子様。
この年齢の男の人なんて、触ったことないし。
抱きしめられたことがある唯一の男の人と言えば、この人とは似ても似つかない、うちのお父さんだけ。
しかも小さい頃。
そして、お父さんは・・・なんつーか、うん。 もっと 「ふくよか」 だ。

それにしても、『小百合』 ってなんか聞いたことある名前。
この男の人も、どこか見覚えがあるような────。

そう考えてる間に、あたしの意識は、だんだん夢から引き離されていく。
暗闇に落ちる前に、夏風が二人の間をすり抜け、縁側の上にぶら下がった風鈴を揺らした。

ちりん、ちりん─────




「・・・おい、おいったら」

・・・ん。 あれ?

「そんなところで寝てると、風邪ひくぞ」

呼びかける声で、目が覚めた。
わ。 あたし、本当に泣いてる。

「あ? お前、何泣いてんだよ」

そう言ってうろたえるのは、五年前、近所に引っ越してきた悪ガキ、もとい幼馴染。
この春入学した高校も一緒だ。

「変な夢でも見たのかよ」

ちょっとだけ、心配そうにこっちを見てる。
その顔を見て、あたしは息をのんだ。
夢の中の男の人、『良司さん』 の面影が、重なる。
目元や頬や、雰囲気に。
そうだ、こいつに似てたんだ。

微妙な気分になったのは一瞬で、すぐに、あの切ない感情があたしを圧する。
・・・ああ。 思い出した。

「ね、」

『小百合』 は、うちのおばあちゃんの名前だ。
でも、『良司さん』 は・・・たぶん、あたしの知らない人。

「あんたの親戚に、良司、って人いない?」
「は? 何言ってんの突然。 寝ぼけてんのか?」

怪訝な顔。

「・・・ごめん、何でもない」

少し笑ってごまかし、起き上がって涙をぬぐった。
へんなやつ、と言った後、彼は大きな丸い袋を差し出した。

「西瓜。 オカンに持ってけって言われたから来た。 おばさんによろしく」

縁側にその袋を置く。

「そこでまた寝るなよ、玄関から丸見えだぞ。 子供じゃないんだからな」
「ん。 これ、ありがと」
「ああ。 じゃな」

彼は、門の方にまわって、帰って行った。
いつの間に背が伸びたのか、生垣の向こうにつんつんした髪の先が見える。
それが少しずつ遠ざかっていく。




おばあちゃんの名前と一緒に思い出したのは、親戚のおばさんが聞かせてくれた、過去のこと。
おばあちゃんの最初の結婚は、その時代にしては珍しい、大恋愛だったって。
でも、旦那さんはすぐ戦争に行ってしまい、そのまま帰らぬ人になった、らしい。




あれは、あたしの無意識が見せた、ただの夢かもしれない。
でも、どうなんだろう。
それにしては、すごく生々しかったなぁ。
だから、やっぱり疑っちゃう。

もし。
もしもだよ。
おばあちゃんが自分の失ってしまった幸せを、孫のあたしに託したんだとしたら。
それって、ちょっとロマンチックかも、なんて。

もしそうなら、おばあちゃんってちゃっかりしてるなぁ、って思わなくもない。
全く、女ってやつは、どこまでも自分の幸せを求めてしまう、シタタカな生き物なのかもしれない。
あたしも・・・そうなるんだろうか。
今は、ただのお子様だけど。




「風鈴か。 懐かしいものを見つけたな」

いつの間にかおじいちゃんがやってきて、隣に座り、煙草を出す。
箱から一本取り出し、トントン、と形を整えながら、風に揺れる風鈴を優しく見つめる。

おじいちゃんは、全部知ってて、おばあちゃんと結婚したんだろうか。
違う人の面影を心に秘めた女の人を、ずっと好きでいたんだろうか。
そんなこと、聞けやしないけど。
少なくとも、孫のあたしから見たら、おじいちゃんとおばあちゃんはとても幸せそうだった。

夢の中と同じような、柔らかい風が風鈴を揺らす。
何も言葉を交わさないまま、おじいちゃんとあたしは、その音に耳を傾けていた。

ちりん、ちりん─────




そうして、夢から醒めても残っていた胸の痛みは、少しずつ変化していく。
すでに、近所のクソガキとしか思ってなかったあいつのことが、気になって仕方ない。
憎たらしいけれど、不器用で実はけっこう優しい、あの幼馴染のことが。

おばあちゃんの引き合わせだとしたら、そりゃあ、ロマンチックだけど。
でも、この感情は、あたしだけのものだと思いたいな。
あいつのことを考えると早くなる鼓動は、この感覚は、他の誰のでもない、って。
あたしはそうやって、子供から大人になっていくんだ、って。

そして、どうせなら、おばあちゃんより派手に咲かせてみたい。
この、初めての恋の花。

夏は、まだ始まったばかり。

<END>

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