虚空の方舟 3

(今度の学会、気合い入れてたのになぁ・・・)
レシートとリストを照らし合わせて溜息をつく。

エイオスでは、大抵の買い物をオンラインで済ませられる。
市内に本拠があるショップなら、注文から最短二時間ほどで商品が届くのだから、非常に便利だ。
それを利用したのだろう、教授の家で会ったレナは、昨日とは違う服に身を包んでいた。
しかし、今朝からエドは店という店を駆けずりまわって、リストの品をかき集めている。
特殊な機材ばかりなので、店頭で確認しながら購入した方が手っ取り早いのだ。

これらの機材に関して、教授は研究室の予算を使うようエドに指示した。
教授の年収なら購入できないこともないが、個人で買うとなれば嫌でも目立ってしまう。
無用な疑いを招かないための判断だ。
だが、その指示にエドは内心驚いていた。
公正明大を身上とする師が、研究費を私用に投じるなど異例のことだ。

ふと、恩師の言葉を思い出す。

────『人類の未来』

かの老人はかつて、英雄と共にそれを背負っていた。
何かが重くのしかかってくる感覚を、エドは首を振ってやり過ごした。




買い物をすませ、エイオス東の外れ、家具付き集合住宅の一室へと向かう。
スタイナー教授が用意した場所だった。

「あれ? 教授は?」
予想に反して扉を開けたのは栗色の髪の少女だった。
彼女は入口に積まれた荷物の幾つかを持ち上げながら答える。
「昨日の怪しい人たちについて調べると言って、出かけられたわ」
「そう。 じゃ、とりあえずはじめよっか」
箱を全て運び入れ、息つく間もなく梱包をはがし、中身の機械やモニターを取り出す。
エドはひょろっとした体をデスクの下に折り込み、次々とコードを繋げた。
のんびりした雰囲気の彼だが、てきぱきと作業を進めていく。
その横で、レナはコンピュータが正常に動作するかを手際よく確認する。
リビングはあっという間に機械とコードで埋めつくされ、その日の夕方には、中堅の専門企業か研究室並にシステム開発が行える設備が整えられた。




「あなたには、このデータの検証を任せたいの」
昨日、大事そうに抱えていた鞄から、レナはチップを取り出した。
読み取りの機械を通し、データを開くと、膨大な文字の羅列が画面に映る。
ざっとスクロールして、エドは一通りの内容に目を通す。
ところどころ古いコンピュータ言語が混じっているが、そちらはさほど問題ではない。
けれど次第に、青年の額に冷たい汗が浮かんでいく。
このプログラムは────。
「なぜ、こんなものを?」
画面から目を逸らさないまま、声を絞り出す。
「分かるのね。 さすがスタイナー教授が認めただけある」
青年の問いに、少女は軽く息をついた。
「これは、コンピュータウイルス 『Belenus』。 父が密かに開発していたものよ」




この強力なウイルスは、感染によってシステムを制御不能に陥らせるばかりではない。
指示を組み込めば、侵入したプログラム自体を思い通りに書き換えてしまう。
ただし、未完成だ。
けれど。
「この段階でも、使い方によっては浮遊都市を落とす事も可能よ」
「そんな危ないもの、破棄した方が・・・」
「それはできないわ!」
少女はぴしゃりと言い放つ。
「『Belenus』 を絶対に完成させなければならない。
 これは、父の悲願なの」

だが、理由も聞かず協力できる代物じゃない。
少女の剣幕に負けそうになりながらも、厳しい押し問答を続けた末。
強い光を湛える茶色の双眸が、エドを見据えた。
「あなたが私自身を信用してくれなくても構わない。
 でも、私は、スタイナー教授とあなたを信用してこれを見せたの。
 悪用は決してしないと、父の名にかけて誓うわ」

・・・躊躇いはあった。
だが、そこまで言い切られては頷かざるを得ない。
エドは、迫力負けしたわけではない、と自分に言い聞かせる。
「────スタイナー教授は少し強引だけど、正義を貫く人だ。
 あの人を信じて、君に協力する」
「・・・ありがとう」
少女は言葉ともに、軽く息をつく。
そして、しなやかな手を差し出した。
花のような笑顔に二人の間の緊張が霧散していく。
「よろしく、エド」
「・・・こちらこそ」
女の子の手を握るのはいつぶりだろう。
そんなことを考えながら、エドは小さなその手を取った。




エドは、この日から研究室には病気だと嘘をつき、レナと共に泊まり込みの作業を開始した。
「彼女に手を出すなよ」 とそれとなく教授に釘を刺されたが、言われるまでもない。
気の強そうな彼女に何かできる度胸など、彼には無かった。
寝室はもちろん別とはいえ、レナも、一つ屋根の下で男と暮らす事を気にした様子はない。

男してそれはどうなのか、という疑問はさておき任された作業に集中する。
「そこは古いSilf言語が混じってるから、慎重にね」
時折、指示を出す以外は終始無言。
彼の実力を確認すると、少女は新たに組み込むデータの作成に取りかかった。
それを横目で見ながら、内心、エドは舌を巻く。
弱冠18歳の少女は、驚くべきスピードでプログラムを紡ぐ。
それは、緻密かつ正確で、美しくすらあった。

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