虚空の方舟 10

「う・・・」
朦朧とする頭を押さえながら目を開けると、ちぐはぐな身長の二人組が自分を見下ろしている。
やけに狭苦しいのは、先ほどの路地から死角となる建物の隙間に引きずりこまれたせいだ。
彼は、己の立場が完全に逆転しているのを悟った。
全ての装備を奪われ、軽くなった半身をゆっくり起こす。
「目が覚めた?」
銃を向けた少女は、茶色の瞳を細めた。
男はかつてない失態に動揺したが、プライドでもってそれを押し殺した。

「あなたの素性を聞かせてくれる?」
「・・・エイオスの保安隊さ」
「嘘は良くないわ」
レナは、にっこりと笑みを浮かべつつ、男が自分に放った言葉を返す。
「他の浮遊都市から紛れこんだ諜報部隊か何かでしょ」
「・・・なぜ、そう思う?」
「私たちを長いこと監視するには、ある程度、組織だった人数が必要よ。
 それに、あなたのしてるような単独行動は、地元の警察やそれに類する部隊のやることじゃない」

理路整然と言う少女は、更に続ける。
「それにしたって、油断しすぎじゃない? どうせ私を舐めてかかったんでしょうけど」
「悪いが、的外れな推測だ」
傲岸さを装った否定に、少女は笑みを深くした。
「・・・正直に話すつもりがないなら、その辺をうろうろしてる警察が見つけやすいように縛って置いてくわ。
 怪しい装備と一緒にね。 捕まった時の言い訳、考えておきなさい」
銃口がわずかに動き、正確に男の足を捕らえる。
「万が一逃げ出して、また私たちを追いかけられても困るし、足の一本や二本、諦めて?
 雇い主が誰であろうと、あなたは、この失敗で間違いなくお払い箱よ。
 仕事がなきゃ治療に専念できるでしょう。 良かったわね」

まるっきり悪役のセリフだ。
味方する人間を間違ったかも、と思いつつ、エドはレナに見えぬように額を押さえた。
だが、それまで少しも動揺を示さなかった男の目に揺れが生じる。
彼は仕事柄、目的のために手段を選ばない人間を多く見てきた。
目の前の少女は間違いなくその部類に入る、と直感が告げる。
これは、脅しではなく、「本気」 だ。

一瞬、男の頭を様々な計算が駆け巡る。
「・・・待て。 正直に話すから、取引をしよう」
「そうこなくちゃ」
望む言葉を引き出した少女は、満足気に目を細める。
「取りあえず、落ち着ける場所に移動しましょう。 案内してくれるわよね」
・・・天使のような微笑に、男は若干の薄ら寒さを覚える。

「こっちだ」
男のオペレーションは完璧だった。
彼の指示に従って厳重な包囲の隙間を突破し、指し示された車に三人は乗り込む。
やがて、彼らは追跡者のひしめく駅周辺を脱した。




数十分ほど走ったところで少女は車を停めさせ、「どうぞ」 と銃の先を振る。
脱出の間、彼女は常に男から狙いを外さなかった。
隙あらば立場を挽回しようと窺っていた男は、とうとう覚悟して口火を切る。
「・・・俺は、ウルスの諜報員だ」

ウルスは、エイオスとは別の大陸に位置する浮遊都市だ。
比較的自然が回復したエリアにあり、緑に囲まれた湖の上空に浮かぶウルスは、中世の城を思わせるその外観から、世界で最も美しい浮遊都市だと言われている。
そのウルスから来たと言う男は、淡々と続ける。
「最近、このエイオスの政治家に怪しい動きがあるっていうんで、俺はウルスの中央の命を受けて派遣された。 奴の動向を探るうちに、『Belenus』 の存在を知ったのさ」
「エイオスの政治家?」
男は、エイオスでも一、二を争う大物政治家の名を告げた。

「奴は、内閣直属の情報部、いわば俺らの同業者を思い通りに動かしている。
 あの黒い制服の男たちだ。
 だが、情報収集力はこっちが上でね。 お嬢さんのことは奴らより先におさえてたのさ」
「・・・それで、あたしを監視してたのね」
「まあな。 本当は、俺はお嬢さんの暗殺を申し出たんだがな。
 厄介なウイルスを完成させないために」
物騒なセリフに少女は眉を顰めたが、特に感想を付け加えることはしない。
「だが、上からは、『Belenus』 の完成を待ってそれを奪うように命令され、
 ─────せっかくのチャンスをしくじっちまって、このザマだ」
男は、浅黒い顔に自嘲の色を浮かべる。

「ま、こんなとこかな、俺が知ってるのは。
 ただ、他の浮遊都市もエイオスの不穏な動きに気づき始めている。
 いずれ、あんたたちは他の都市から来た連中にも追われることになるだろうよ」
その後に続く沈黙は、自分に有利と踏んで男は続けた。
「だから、取引だ。 あんたたちの身柄をウルスが保障するように、上にかけあおう。
 ウルスは、『Belenus』 が自分たちの切り札になればと思っているが、要するに脅威でなくなればそれでいいのさ」
少女を取り込み、ウルスの脅威を排除すれば、彼は手柄を立てたに等しいはずだ。

もちろん、危ない橋を渡っているという自覚はある。
ターゲットである少女に情報を流した時点で、脅しに屈して二重スパイになったと疑われても仕方ない。
この取引に失敗すれば、男は失業どころか投獄もありえる。
だが、少女に撃たれたあげく、敵方の警察に捕まる屈辱を味わうよりは、この賭けを選ぶほうが男にとって遥かにましだった。




「・・・悪くないわ。 でも、一つ条件があるの」
「何だ」
少女の条件を聞いて、男の顔は渋くなる。
「難しいな」
「やらないのなら、この話は無しよ」
そう言われれば、立場上飲まざるを得ない。
「・・・いいだろう、協力しよう」
「では、あなたの名前を聞いてもいいかしら」
「セジルだ」
「よろしく、セジル」
無垢な少女の笑顔に、ウルスの諜報員はただ苦笑いを返す。

二人を残し、車は静かに去る。
去り際、彼女はセジルを脅すのを忘れなかった。
「言っておくけど、裏切れば全てが終わるわよ」、と。
その正確に意味するところは何となく恐ろしくて聞けなかったが、彼は黙って頷いた。

「行きましょう、エド」
「どこへ?」
「秘密基地」
いたずらっぽく言って、彼女は歩き出す。
黒髪の青年もそれにならう。 彼女の歩幅に合わせながら。

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