虚空の方舟< 11/h2>

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車を降りた後、街をしばらく巡り歩く。
尾行がないのを入念に確認した後、二人はとある集合住宅の裏口の前に立っていた。
認証キーを打ちこんで扉を開け、入ってすぐの階段を下りる。
突きあたりの 「倉庫」 と書かれた扉の前で、もう一度認証キーを入力し、少女は扉を押し開ける。




────そこは、倉庫などではなかった。
広くないスペースの壁一面に、銃や手投げ弾などの武器が並ぶ。
「もっと前にここに来たかったけど、『Belenus』 を開発してた部屋は遠くて今まで来れなかったの」
「・・・この武器は?」
「父が用意したの。 自分の身は自分で守らなきゃいけないし、いろいろ役に立つだろうって」
それは、間違ってない。
下手をしたら、彼女は暗殺されていた。  浮遊都市の存亡を左右しかねない 『Belenus』 が知られるほど、彼女は危険な立場に立たされる。
けれど、「ここの武器は目を閉じても組立てができるの」 と少女が得意げに言うのを聞いて、やっぱり何か間違ってる、とエドは額に手を当てた。

「威力が物足りない」
ウルスの諜報員から奪った銃を、レナはあっさりと戸棚にしまう。
エドが携行していたナイフも、彼の希望で同じ運命を辿った。
扱いきれない物を所持しても意味がない、と思っていた彼は身も心も軽くなってほっとする。

戸棚の扉を閉じると、レナは奥のデスクに移動し、そこに設置されたコンピュータを立ち上げパスワードを入力した。
軽やかにキーボードを叩き、画面に何かの地図を表示させる。
手招きされたエドが覗き込むと、その地図上の一点に、点滅する赤い丸が見えた。
「あの男の情報は、確かね」
「これは?」
「教授の現在地よ。 発信器をポケットに入れさせてもらったの。
 あなたの上着にも入ってる」
え、と呻いてポケットを探ると、指先に小さな楕円形のチップが触れる。
「セジルの車を降りる時、シートの隙間にも入れといた」
「・・・いつの間に」
両方とも、全く気づかなかった。

非難めいた言葉を口にしようとして思いとどまったのは、その理由に思い当たったからだった。
彼女は誰も信用していないのだ。
彼女自身と亡くなった博士を除いては。
気安さの裏で、少女が常に自分を用心深く観察しているのにエドは気づいていた。
裏切られた場合を見越して、このチップには発信機以外の機能もあるかもしれない、とそこまで考えて、黒髪の青年は小さくため息をつく。




彼の様子に気付かず、少女は画面を睨みながら思案に耽っていた。
セジルからの連絡は、別れてから24時間以内、つまり明日夜七時までに入ることになっている。
彼は今、ウルスへの根回しと、二人を受け入れる準備のために動いているはずだ。
だが、レナとしては、その間に危険を冒してでも確かめたいことがある。
コンピュータを操って一通り情報を確認すると、少女はデスクの引き出しから一枚のカードを取り出して立ち上がる。
「もう一度外へ出るわ。 どうしても、あの男に会っておきたいの」




外はすっかり暗い。
見上げた青年の視界で、少女に初めて会った晩と同じ形の月が、ドーム越しに輝いている。
かつて人類はあの月に到達したが、軍事衛星のレーザー放射、すなわち 『神の雷』 に阻まれ、今は誰もそこへ辿りつけない。
決して触れることのできない月を見ながら、青年は傍らを歩く少女を想う。

エドは白い横顔に視線を移した。
────やがて、二つの足音は夜の街に吸いこまれていく。




* * *




オーガスト・レメーニ────裏切り者の名。

セジルが提供した情報の一つに、それはあった。
ハーコヴィッツ博士の死の直前までその秘書として働き、例の大物政治家に 『Belenus』 の情報を売り渡した、というのがその男だ。
レナの写真と偽名が刻印された身分証で車を借りると、二人はレメーニの家に向かう。
道すがら、あなたの偽造カードも作ってあげようか、という彼女の申し出をエドは丁重に断った。




その一軒家のガレージに、車はない。
男はまだ帰ってきていないらしい。
エドが表を見張っている間、レナは扉の電子ロックを解除する。
二人は素早く家の内側へまわり、扉を閉める。
再び自動で鍵がかかるのを確認し、柱の陰で息をひそめて待ち続けた。

ほどなく、鍵を開ける音がした。
同時に酒の臭いが漂う。
男は酔っていると見えて、影がふらついている。
玄関の電気をつけようとした手を、音もなく背後に近付いたレナが押さえた。
「騒がないで」
自分に向けられた銃に、男はうろたえる。
「・・・な、何だ? 金なら出す、撃たないでくれ」
「そんなんじゃないわ。
 あなたとは、小さい頃何度か会ったきりだから分からなくても無理ないけど、私はレナリアよ。
 レナリア・ハーコヴィッツ、覚えてない?」
「レナリア・・・ハーコヴィッツ博士の・・・」
「そう。 久しぶりね、レメーニ。
 父を裏切ったと聞いて、話を聞きに来たの」
銃を手にした少女は上品に笑う。
しかし、茶色の瞳は氷の如く冷たい。

禿げかけた冴えない容貌の中年男は、冷汗を浮かべつつも薄く笑った。
「・・・裏切る? 血塗られた科学者の末裔が、偉そうな口をきく」
「・・・どういう意味?」
「そうか、ハーコヴィッツは、世間ばかりでなく自分の娘も欺いていたらしい。
 なら、俺が真実を教えてやろう」
・・・嘲りと侮蔑を込めて、男は己の知る事実を告げた。
────「先の戦争を引き起こしたのは、お前の祖父だ」、と。




* * * *




その頃。
乱暴に止血の処置を受けたスタイナー教授が連行された先は、クラシックな家具が随所にあしらわれた豪華な屋敷であった。
警察署へ移送させられるものと思っていた教授は、状況が飲み込めぬまま、重い扉の先へ促される。
そして、厚い絨毯が敷かれたその部屋に見知った顔を発見し、老人は瞠目した。

「ゲルン・・・」
「ひさしぶりです、スタイナーさん。 いや、今は、スタイナー教授ですか」
灰色の髪を後ろに撫でつけた、壮年の男。
内閣政務長官にして、エイオス次期元首と囁かれる彼の名は、イゴリー・ゲルン。
『Belenus』 を狙っているとしてセジルが告げた男だった。

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