虚空の方舟 12

イゴリー・ゲルン。
スタイナー教授にとって、ハーコヴィッツ博士同様、旧知の同士と言ってもいい。

ゲルンはブルーニアに国境を接するアルザス共和国の名家に生まれ、若年ながら、浮遊都市の建造に政治の面から力を尽くした男だ。
その経歴は、政治家として一人立ちするのに充分な名声だった。

やがて、ゲルンはエイオスの政治家として、その手腕を如何なく発揮していく。
特に三年前、浮遊都市エイオス、デルタ間で結ばれた協定についての功績は高く評価されている。
旧ブルーニア領にあるエイオス、そして旧ドゥール領にあるデルタは、十数年に渡り資源採掘をめぐって争っていたが、彼は、交渉の先頭に立って両都市の利害を調整し、新たな協定を取り纏めることに成功したのだ。
かつて敵対した大国出身の人々が多く住むこの二つの都市は、何かと争う傾向にあったが、それ以来表立った対立は沈静化している。

そんな輝かしい実績を持つ彼が、『Belenus』 やハーコヴィッツ博士の娘を狙うなど信じがたかった。
慎重を期すレナが迷ったため実行しなかったが、彼に助力を得るという選択肢もあったほどだ。

目の前の男が何らかの勘違いをしているのなら、自分が正すべきだ。
スタイナー教授が自分に言い聞かせた矢先、相手から口を開いた。




「『Belenus』 とレナリアについて知っていることを、全部話してもらいましょう」
「・・・なぜ? あれを手に入れて、一体どうしようというのだ?
 むしろ、お前は我々に協力すべきだ。 いいか、レナは 『Belenus』 で・・・」
「ええ、存じていますよ」
教授の言葉は遮られた。
「それを知った上で、事故に見せかけてハーコヴィッツ博士を殺せと命じたのは、私だ」
その言葉を飲み込むのに、数瞬を要した。
喘ぐように、声を絞り出す。
「何を言って・・・」
ゲルンは、ハーコヴィッツ博士を尊敬していたのではなかったか。
博士の目的に賛同し、浮遊都市開発に関わる障害を取り除くべく奔走していたのは、他ならぬ彼だったではないか。
老科学者は首を締められたかのような息苦しさを感じる。

「教授は、パウロ・ハーコヴィッツの何もご存じない。
 お教えしましょう。 なぜ彼があれほどまで、浮遊都市の建造に必死になっていたか」
冷たい声音に、隠しきれない憎しみが混じる。
「彼の父は、ディノ・ハーコヴィッツ。
 『Belenus』 の元となるRウイルスを開発した、ベルディシア連邦の科学者だ」




* * * *




─────32年前。
西の大国ドゥールと東の大国ブルーニア、覇を競う二つの大国があった。
彼らは資源を産出する国を取り込もうと躍起になっていた。  日々、地下資源の枯渇が深刻さを増していた世界で、それを有することはそのまま相手への優位に繋がる。
やがて、両大国は、彼らのほぼ中間に位置するベルディシア連邦の豊かな鉄鋼に目をつけた。
ドゥールとブルーニア両国から、どちらかの陣営につくように同時に迫られたベルディシア連邦政府は、苦悩する。

それは、過酷な選択だった。
どちらを選んでも、選ばれなかった方から制裁を受けるのは間違いない。
回答を引き延ばして時間を稼ぎ、いよいよ両大国の軍事衛星の照準がベルディシア連邦首都アリグレに向けられたと知った時。
あせったベルディシアの首脳陣は、未完成のプログラムを使用するよう命じた。
それは、軍事衛星を乗っ取るために密かに研究開発中だったRウイルスだった。
最終的に、開発チームの要だったディノ・ハーコヴィッツ博士が使用の決断を下す。
結果、不完全だったそのウイルスによって軍事衛星は暴走。
飛行物体を無差別に撃ち落とす 『神の雷』 が誕生であった。

突如として制御不能に陥った軍事衛星に、その主(あるじ)であったドゥールとブルーニアは互いに疑心暗鬼に陥った。
元々緊張状態にあった両国は、衛星の暴走から一週間後、インド洋での小競り合いを契機に宣戦布告。
一瞬にして、均衡は崩れた。
世界は戦争へと引きずり込まれ、『暗黒の火曜日』 により人類は多くの命と自ら生きる環境を破壊し尽くした。




* * * *




「パウロ・ハーコヴィッツは、聖人でもなんでもない」
嘲笑うようにゲルンは言う。
ただ、父親達の所業の結果に耐えきれず、贖罪の場所を求めていただけ。
言外に込めたゲルンの皮肉は、スタイナー教授の精神を消耗させていく。
「彼が英雄だというのなら、なぜRウイルスや父親のことをひた隠しにしたのです?
 ベルディシア連邦が瓦解し、真実を知る者がほとんどいないのをいいことに、隠匿を決め込んだのだ」
男は手袋を外し義手を見せつける。
「私の家族は、『暗黒の火曜日』 に全員死んだ。 そしてこの右手も失った」
ギリギリ、と音がするほど、強く義手を握りしめる。
「私は、浮遊都市の建造で人々が安寧に暮らせるのなら、それでいいと思っていた。
 だから、ハーコヴィッツの素性を知らないまま、それに協力した」
男の口が、自嘲の形に歪む。
「だが、現実はどうだ? 人々は今でもなお、資源を巡って醜い争いを起こす。
 これでは、業火に灼かれ死んでいった者も浮かばれまい」

レメーニからハーコヴィッツの正体を聞かされた時の衝撃は、計り知れない。
胸の内に燻ぶる憎しみはやがて炎になり、はけ口を求める。
「なら、私がこの手で全てを動かそうと言っているのです」
「・・・お前は間違っている」
教授は、ようやくそれだけを言った。
「そうかもしれません。 でも、もう止まれない。 私は 『Belenus』 と世界を手に入れる」

軍事衛星の暴走は、今もって謎とされていた。
ドゥールとブルーニア、どちらかの仕業ではないかと言われていたが、世界が灰燼に帰してしまった後、それを証明せしめるものはほとんど残っていなかった。
ゲルンの話も、どこまでが真実か今の教授に確かめるすべはない。
ただ、壮絶な憎しみの前に、何を言っても徒労に終わる気がして、教授は頭を振る。
再び手袋をはめた男の右手を、老人は無言で見つめた。




* * * *




「イゴリー・ゲルンは、『暗黒の火曜日』 で家族を失った。
 事実を知った奴の内には今、ハーコヴィッツ一族と世界に対する憎しみが渦を巻いている」
ゲルンと同じ話を、レメーニはしたり顔で語ってみせた。
『Belenus』 の最も古い部分に、大戦前のコンピュータ言語が含まれていることを、エドは戦慄しながら思い出す。

初め、イゴリー・ゲルンの名前を聞いた時にエドは半信半疑だった。
なぜなら、マスコミが知らせるゲルンの実績や潔癖さは、自分たちの身に起こっていることとどうしても結びつかなかったし、何より彼はハーコヴィッツ博士やスタイナー教授とともに浮遊都市の建造に関わった人間だ。
けれど、男の話の少なくとも一部には真実が含まれている。
それを、エドは認めざるを得ない。
彼以上に 『Belenus』 を知るレナも、同様だった。
少女の整った顔は、薄闇の中でもそれとわかるほど青白かった。

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