虚空の方舟 13

二人の動揺を感じ取り、レメーニは嘲う。
「ハーコヴィッツは別に英雄なんかじゃあない。 公表すべき事実を意図的に隠した」
「そんなに博士が嫌いなら、今すぐ浮遊都市を出て外で暮らせば?」
エドが皮肉で応酬すると、男はぐっと言葉を詰まらせた。
そのやりとりに、茫然としていた少女は我に返る。
一瞬目を閉じて、冷静さを取り戻す。
再び開かれた茶色の瞳には、強い理性が宿っていた。

「・・・あなたの話は、後で事実関係を確認するわ」
それとは別に、と続ける。
「あなたは父の死に加担した。 そうでしょ?
 父の死の直後、あなたの銀行口座に多額の振込みがあったけど、どうしてかしら?」

ハーコヴィッツ博士は、視察先の溶鉱炉試験場で事故に巻き込まれ亡くなった。
だが、レナは父親の死がずっと腑に落ちなかった。
核融合炉が実用化されたこの時代、溶鉱炉など簡単に不具合が生じる代物ではない。
だから、セジルからレメーニの名前を聞いて疑念は確信に変わった。
父の死は偶然ではなく故意によるものだと。
『Belenus』 の研究開始以来、博士は公人としての活動をほとんどしていなかったが、この男なら視察の要請を直接本人に伝えられる。
罠だとしても、それとは気付かせずに。

「・・・あれは、ゲルンが部下たちと計画してやったことだ。
 まさか、本当に殺すとは・・・」
「御託はいらない。 知っていることを全部吐き出さないと、脳みそをここにぶちまけるわよ」
少女の声音に本気を感じ取り、今度は男の顔から血の気が引く。
冴えない顔を引き攣らせて、重い口を開いた。




────最初は、小さな綻びだった。
レメーニは、ハーコヴィッツ博士から金銭の管理を一任されたのを利用し、研究費を少しばかり掠め取っていた。
初めは少額だったが、気を大きくした男は、次第に高額の金に手を付けた。
だが、数か月前、危うく不正を知られそうになり、博士の弱みを握ろうと思い立った。
横領が露見した場合、少しでも自分の立場を有利に持ちこむために。
そんな時、『Belenus』 という覚えのない単語を、本当に偶然、耳にした。
使えるかもしれない、と密かに嗅ぎまわるうちに、博士が世間に秘密で怪しいコンピュータウイルスの開発を進めていると知った。
そしてそれが、先の大戦に深く関わるものであることも。
危険な橋を一緒に渡るのはごめんだ、と思った。
男は、その情報と共にハーコヴィッツ博士を新しい就職先に売り渡したのだった。




「データを盗んだのも、あなただったのね」
「・・・ああ、そうだ」
じっとりと脂汗を浮かべ、男は頷く。
「では、横領の記録を全部出しなさい。 それと、ゲルンとの通信記録も全部」
「全て処分したんだ! 出せるものは何もない」
「じゃあ、ここで死になさい」
カチリ、と引き金にかけた指に力を込める。
エドが少女を止めるより早く、男の悲鳴が上がる。
「待て、撃つな!」
先ほどの尊大な態度を投げ捨てて、レメーニは懇願した。
「わかった、あるだけの資料を出すから、殺さないでくれ」




電気も点けていない、薄暗い書斎のコンピュータの前でデータを呼び出す。
恐怖で指は震え、数回文字を打ち間違えたが、男は手元に残るもの全てを要求通りに揃える。
ざっと中身を確認したレナは、デスクに座る男に命じた。
「これにコピーして」
極小のチップを渡す。
このデータが人手に渡れば、自分は破滅だと分かっている。
だが、死ぬよりはましだ。
レメーニは滴り落ちる汗を拭って、コピーを開始する。
コピー完了を知らせるメッセージと同時にチップは押し出され、恐る恐るそれをレナに差し出す。
「どうも」
チップを受け取った瞬間、少女はいつの間にか手にしていた注射を男の首に打ちこんだ。
呻き声一つ上げず、レメーニの体が椅子から崩れ落ちる。
二、三度痙攣して動かなくなった男を見て、こわごわエドは聞いた。
「・・・死んだ?」
「・・・殺意はあるけど、殺してない。
 強力な睡眠薬よ。 二日ほど寝ててもらわないと困るから」




冷たい空気が頬を撫でた。
窓やドアの隙間から外を見渡し、人の気配がないのを確かめてから、二人はレメーニの家を後にした。
すでに深夜をまわっている。
助手席に座る少女は、感情を押し殺したまま顔を伏せている。

大戦後に生まれたエドでさえ、戦争で奪われたものの大きさは肌身に染みている。
真実を知って、ディノ・ハーコヴィッツや博士を糾弾したがる者は少なくないだろう。
現に、英雄だった科学者は、巨大な功績にも関わらず、その怨嗟によって足元をすくわれたのだ。

やがて起った 『暗黒の火曜日』、ディノ・ハーコヴィッツは命を落としたという。
息子であるパウロ・ハーコヴィッツもこの世を去り、残された血族はおそらくレナ一人。
ことによっては世間の憎しみを一身に浴びることになりかねなかった。

だが、父親の計画に巻き込まれてこの世に生を受けた少女と、先の大戦を直接結び付けては余りに酷だ、とエドは思う。
憎むのは、たやすい。
でも、憎しみで過去は変えられない。
自分たちにあるのは未来だけだ。

重い沈黙が車内を支配する。
少女を気遣いつつ、エドは結局何もいえなかった。
どんな言葉も物事の表面を撫でるだけで、少女の心の奥までは届かない気がして。
この時、青年は自分の無力さを心から呪った。




地下室に戻ると、レナは無言で事実の検証に取り掛かった。
レメーニの話から、思い当たるファイルがある。
コンピュータに向かい、父の残したデータベースにアクセスする。
(確か、ここに・・・)
記憶を辿りながら、大量のデータから目的物を探す。
ファイル名は 「Rウイルス開発記録」。
父の死後、このデータベースを整理した時に目にしたものだ。
ベルディシア一級機密文書という注釈付きのそのファイルに、首を傾げたのを覚えている。
だが、博士は他にも 『Belenus』 の開発に必要だと思われる機密文書を他にも保存していることが分かったので、特に内容の確認まではしなかった。

唇を噛みしめる。
目的のファイルは、ほどなく見つかった。
開くと、開発チームメンバーの筆頭にディノ・ハーコヴィッツの名前が書かれている。
・・・膨大な記録はしかし、32年前で途切れていた。

「ディノ・ハーコヴィッツ博士がRウイルスの使用を許可、実行作戦を指導する。
 しかし、軍事衛星の奪取に失敗、衛星は全て暴走」

足もとが崩れ落ちるような錯覚。
涙が止まらない。
レナは、白い両手で顔を覆った。

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