虚空の方舟 14

デスクに突っ伏して静かに泣く少女に戸惑う。
迷った末に心を決めて、そろそろと静かに近寄った。
そして、震える肩に手をかけた瞬間─────

エドは、潰れたアヒルのような声を上げた。
「あ、ごめんなさい!」
面を上げたレナの頬は、涙で濡れている。
そんな顔もきれいだな、と倒れながら状況にそぐわないことを思う。
しかし肩をひどく打った瞬間、思考は途切れた。
「本当にごめんなさい、私、背後から近寄られると反射的に攻撃してしまうの」
慌てて椅子から立ち上がったレナが、エドを助け起こす。

(どこかにそんなスナイパーがいたな・・・)
レナの動きが速すぎて何が起こったのか把握できなかったが、どうやら彼女の繰り出す拳を鳩尾に食らったらしい。
取りあえず起き上がって腹をさすりつつ、さっき言おうとしたことを口にした。
「・・・あのさ、あんまり思い詰めないで、レナも少し休んだ方がいいよ」
少女は、潤んだ目を丸くした。
ここに来たとき開けた非常食の箱に、ちょっとした食器とお茶が入っていたのを思い出しつつ、エドは微笑む。
洗面台には非常用のポットもあった。
「お茶、入れるからちょっと待ってて」
いてて、と呟きながら青年はそちらに向かった。




「ありがとう・・・いい香り」
カップを受け取り、立ちのぼる天然茶葉の芳香を吸いこむ。
少女は俯き加減でカップに口を付ける。
父親の前でさえこれほど取り乱したことはなく、落ち着いて考えると、泣いたことが恥ずかしく思えてきたのだ。
レナは、平和な顔でお茶をすするエドをちらりと見る。
不思議な人だ、と思う。
自分さえ知らなかった父や祖父の過去を知ってもなお、この青年の態度は全く変わらない。

彼が一緒に行動すると申し出てくれた時、その能力を利用できると思ったから断らなかった。
それだけ。 なのに。
手にしたカップの温かさは、胸に沁む。

「・・・ごめんなさい」
「どうしたの突然。 あ、さっき殴ったこと?」
先ほどの失敗を思い出して、少女は顔を赤らめた。
「それもだけど・・・いろいろと、迷惑かけてるから」
「全然、迷惑じゃないよ。 自分がしたくてしてるから。
 あ、でも僕の方が足引っ張ってばっかだよね」
申し訳なさそうに顔を曇らせた青年に、レナは慌てて首を振った。

しばらく二人は黙ってお茶をすする。
やがて、ぽつりとレナが呟く。
「・・・何にも聞かないのね」
「ん。 君が話したくなったら言ってくれると思って。
 今は無理に聞こうとは思わないよ」
カップの中身をくるくると回しながら、エドは穏やかに返した。
「・・・レメーニの言ったことは、真実よ。
 父の保管してたベルディシアのRウイルス開発記録に、ディノ・ハーコヴィッツの名前があったの」
「・・・そう」
「私の祖父が、あの戦争の原因なの」
「うん」
「・・・あなたも私が憎い?」
自ら発した言葉は、刃となって胸に刺さる。

あの戦争で、人類の9割が死に絶えた。
彼の親類にも、その犠牲になった者が確実にいるはずだ。

「君や僕が生まれる前の話じゃないか、そんなこと全く思わない」
目を伏せる少女に対し、エドは穏やかに、けれどはっきりと言い切った。
「僕は、最後まで君の味方をすると決めたんだ。
 だから、そういう風に言わないで」
「・・・ありがと」
再び視界がぼやけそうになり、少女は慌ててカップに目を落としてそれを誤魔化す。
そんな彼女を笑わせようと、エドは冗談めかして言った。
「でも、僕ってマゾなのかもね。 殴られても君と一緒にいたいなんて」
「・・・まぞ? どういう意味?」
少女は、きょとんと首をかしげる。
英才教息の結果なのか、彼女は一般的な知識の一部が欠けているらしい。
「あ、知らないならいいんだ、忘れて」
エドは急いで彼女の思考を遮った。




その時、唐突に、ウルスの密偵から奪った通信機が震えた。
レナはカップを置いて立ち上がり、素早くそれに応じる。
相手はそのかつての持ち主。
『俺だ』
「思ったより早かったのね」
『まあな。 首尾は上々だ。
 ウルスの中央はお前さんたちを受け入れる決定を下した。
 今から条件として出した作戦の詰めに入る。 漏らさず聞けよ』

セジルは細かく計画を伝える。
少女はそれを頭の中に叩き込んだ。
エイオスを去る前に必ず成功させねばならない。

レナがセジルに提示した、ウルスにつく条件。
それは、ゲルンの手中に落ちたと思われるスタイナー教授の救出だった。




* * * *




レナはセットしておいたアラームが鳴る前に目が覚めた。
寝袋から手を伸ばしてそれを止める。
セジルと合流するまでの数時間、エドとレナはここにストックしてあった寝袋を広げ仮眠を取っていた。
ふと耳を澄ませると、隣から安らかな寝息が聞こえる。
そっと寝袋から抜け出して黒髪の青年の顔を覗きこむ。
熟睡する青年の顔は、いつにも増して子供っぽい。
少女はくすりと笑った後、表情を引き締めて、彼を揺り起こした。




夜明け前。
セジルは四人の部下とともに集合場所に現れた。
初め、レナの作戦参加を渋っていた男は、彼女の完全装備をしげしげと見つめた。
「・・・俺んとこへスカウトしてやろうか」
「結構です」
レナは素っ気なく返事する。
ぴったりした防弾用のスーツを痩身に纏い、腰に二丁のエネルギー銃、背中には潜入用の様々な機材が入ったアルミのバックパック。
腿には投擲用のナイフが十数本。
細いながら鍛え上げられたしなやかな体は、それらを難なく使いこなせることを証明しようとしていた。

copyright (C) 2008 * 水 中 花 * All Rights reserved.