虚空の方舟 15

「気をつけて」
「うん。 あなたも」
黒髪の青年は落ち着かない気持ちで、ぴんと背筋の伸びた少女の後ろ姿を見送る。
二人は、用意された別々の車に乗り込んだ。
エドも作戦に参加したいと申し出たが、あえなく却下された。
無念には思うが、レナと異なり完全にその辺りは素人なので仕方がない。
彼は、セジルの部下の一人と共にゲルンの屋敷の近くで待機する手筈となった。




レナが乗り込んだ車は、一見普通の車両だが内部は通信機器などがびっしりと並んでいた。
興味深げにそれらを見回す少女に、男が適当に腰を下ろすよう示す。
「こいつがウサド、あっちにいるのがシャオとユンだ」
部下の男たちを指して紹介する。
ウサドはセジルと同じ浅黒い肌の男で、シャオとユンは東アジア系の男だった。
ユンはやや細身だが、他の二人は屈強な体つきをしている。
20代半ばから後半といった印象で、三人とも防弾スーツを着こみ銃を腰から下げている。
彼のもう一人の部下、バリーはエドと共にいる。

「万が一無線を傍受されても、俺らは元々偽名だからな。
 身元が割れるなんてことはないだろうが、お嬢さんはどうする?」
「コードネームってこと? ・・・別にいらないと思うけど」
彼女の返答を無視して勝手に男は考え込む。
「うーん、カーリーでどうだ」
「・・・変な意味じゃないでしょうね」
「血が好きな戦いの女神だよ。 こんなところにまで首を突っ込むお前にぴったりだろ」
「何それ」
変えてくれと言う気も起こらず、レナはただ眉を顰める。
こんな作戦に参加する少女など、彼女以外にエイオスにいるはずがない。
偽名がどうとかいう前に、背格好ですぐばれてしまうのではないかと思ったが、面倒だから口にはしなかった。
一度完全にやり込められた少女への意趣返しに満足したのか、男はニヤリと笑った後、無表情の部下たちに向き直る。
「では、最終確認を行う」




少女は小型コンピュータの画面に発信器の動線を拡大表示させ、セジルが入手したゲルンの屋敷の見取り図と重ね合わせる。
「ほら、これが打ち合わせで話した発信機の受信画面。
 東の地下室の中を細かく動いてる。
 スタイナー教授は、ポケットに発信器を入れたままのジャケットをまだ着てるわ」
彼女の言う通り、現在から遡って数時間分を表す赤い線が小さな部屋の内部で小刻みに軌跡を描いている。

「ちなみに、同じものをあなたの車にも付けたの」
少女は画面を切り替え、男の車の動線を表示させた。
確かにそれは、昨夜移動したルートと完全に重なる。
男は目を瞠ったが、咎めはしなかった。
気付かなかったのは自分の落ち度であり、これによりデータの信用性が証明されたのだ。
「なるほど」
一つ頷いて、ゲルンの屋敷の見取図の一角に指を置く。
「聞いた通り、ターゲットはここだ。 俺とカーリーがここに向かってスタイナー教授を救出する。
 ユンはここで待機。 ウサドとシャオは攪乱を頼む。 いいな!」




出発の直前、レナは車内のコンピュータで設定を確認した。
この時代、電気などのエネルギー供給や通信はプログラムによって制御されている。
それらから目標の建物をいかに長く遮断できるかが作戦の要だ。
そして、それはレナに一任された。
彼女がキール中央大学のネットワークセキュリティを簡単に突破したとの情報はセジルも知る所であり、実際彼女ほどプログラムの扱いに長けた者は世界でもそうそういない。
「どうだ?」
「完了」
少女は可愛らしい顔に不敵な笑みを浮かべる。
「妨害電波の方は?」
「準備完了」
同じく機械に向かったユンが答える。
通信を遮断しても、無線で応援を呼ばれたのでは意味がない。
目標となる建物の周囲に、ゲルンの手足となるSPや情報部の無線を妨害する電波を発生させ、完全に孤立させる。
レナ達は異なる周波数の無線を使用するので妨害電波の影響はない。
全ての準備が整った。
重々しい声でセジルは告げる。
「では、作戦開始だ」




* * * *




いまだ夜は明けきらない。
静まり返る街に車や人通りは見当たらず、街灯が煌々と灯るばかりだ。
別の車内で待機するエドの視界で、突如、目の前に広がる区画の明り全てが落ちた。
作戦が実行に移されたのだ。
その様子を固唾を飲んで見守る。




屋敷の庭に放されていた犬が、人間には感知できない電波を敏感に感じ取って唸る。
そこに白い煙を発する玉が投げ込まれ、犬たちは次々と倒れた。
慌てて出てきた警備の男も、その煙を吸って倒れる。
直後、煙の向こうからガスマスクをしたセジルとレナが姿を現す。
倒れている男のそばを横切り、彼が開け放した入口から建物に侵入した。




電気や通信を遮断すると同時に、建物の防犯システムも完全にダウンさせている。
誰かが外部に直接緊急を知らせる前に、全てを終わらせなくてはならない。
二人は素早く奥へと進む。
廊下の角で、庭の不審に気づいた男と出くわした。
構える隙すら与えずセジルが殴り飛ばしたところを、レナが素早く後ろに回り、首を絞め正確に動脈を圧迫する。
十秒で気絶した男を廊下の家具の影に隠し、廊下を直進する。

「何が起こったんだ!」
向こうで人の叫ぶ声と複数の足音が聞こえた。
二人は壁際に身を隠す。
「電気がやられました。 無線も通じません」
「襲撃か」
「おそらく」
忌々しげに一人が舌打ちをし、指示を飛ばす。
「お前は外に出て応援を呼べ」
「わかりました」
荒々しい足音が遠ざかるのを待ち、セジルが車で待機するユンに無線で指示を出す。
「こちらセジル。 今、一階南通路から一人外部へ応援を呼びに向かった。 食い止めてくれ」
『了解』
ユンの声が返ってくる。

次の瞬間、建物の正面の方でガラスが割れる音がした。
ウサドとシャオが行動を開始したのだ。
彼らが警備の目を引きつけている間に、広い屋敷の中を移動する。
物陰に隠れて敵をやり過ごしながら、ほどなく目的の地下室に通じる階段に到着した。

足音を忍ばせ階下の様子を窺うと、明かりの切れた闇の中で、二人の男が不安の色を顔に浮かべ立っていた。
彼らの後ろに、扉が見える。
スタイナー教授は、あの中だ。
レナとセジルはガスマスク越しに目配せをした。

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