虚空の方舟 16

涼やかな金属音が聞こえた気がした。
暗闇の中、目を凝らす。
先ほど不意に明りが消え、無線も使えなくなった。
だが、何の指示の無いまま持ち場を離れるわけにもいかない。
警護の続行を隣の同僚と確認した矢先だった。

音の主は階段から転がってくる丸い球。
訝しく思う間もなく、それは突如白い煙を噴き出す。
煙に巻かれた同僚が音を立てて床に倒れ伏す。
慌てて鼻と口を手で塞ぎ、非常を知らせるボタンに駆け寄る。
だが、指先が届く直前、引き倒されて腕を捻じ上げられた。

「それを押しても助けはこねえよ」
意地の悪い、低い男の声が耳を打つ。
声を上げる前に、両手を後ろに回され痛みに思わず息を吸い込む。
途端、彼は後悔を感じる間もなく眠りに落ちていったのだった。




男たちを排除すると、レナはすぐに開錠に取り掛かった。
コンピュータを取り出して、セキュリティシステムに繋ぐ。
電力の供給を示すランプが点灯すると、キーボードに指示を打ちこんでロックを解除する。
ものの一分もせずにガチリという重い音と共に扉が開いた。

「教授! 助けに来ました!」
勢いよく飛び込んできた少女を老人が受け止める。
「レナ・・・」
スタイナー教授は拘束もされず、部屋に一つきりの家具であるベッドに座っていた。
しかし、突然現れた旧知の少女を目にしても、老人の表情は虚ろなままだ。
「教授・・・」
「これは、薬物の影響下にあるな・・・」
屈みこんで、その頬を軽く叩いたセジルは舌打ちした。
自白剤を投与されたに違いない。
スタイナー教授に手早くガスマスクと防弾ジャケットを装着させ、ロープを取り出してその体を背に固定する。
「援護は頼む」
「わかった」
少女は短く頷く。




細心の注意を払って一階の廊下の角から角へ移動する。
教授は決して小柄な方ではないが、セジルの動きは大の男一人を背負っているとは思えないほど軽やかで静かだ。
建物奥の階段の踊り場に取り付けられた小窓を目指す。
そこは、直接外部道路に面している。
人口の過密が問題となっている浮遊都市エイオスでは、政令により建物の四方を庭で囲むことはできない。 それはゲルンの屋敷とて例外ではなかった。




セジルの部下たちは、うまく警備の注意を引きつけているようだ。
ここまで、ほとんど敵に出会わずにすんでいる。
階下から目的の小窓を見上げ、レナは安堵の息を洩らす。

近寄ったセジルが窓を格子ごとレーザーで破壊し、四角い物体を下に投げつけた。
瞬間、3メートル四方のエアバッグが開く。
少女に目配せすると、老人を背負った男はクッション目がけて飛び下り素早く死角に身を隠す。

だが、その影を追って火花が散った。
エアバッグがシューっと音を立ててしぼむ。
暗視ゴーグルによる攻撃だと瞬時に悟り、レナは 「伏せて!」 とセジルに叫ぶと下に向かって閃光弾を投げる。
一瞬、辺りが真昼のような光に包まれる。
自分もそこから脱しようと身を乗り出した時、直下の階段から数人分の足音が聞こえた。
「セジル、早く行って! 私は別のルートから脱出する」
無線に向かって叫ぶとレナは身を翻して階段を駆け上る。
エアバッグ無しで下りるにはロープを使うしかないが、飛び降りるより時間を要する。
着地の瞬間に敵の集中砲火を浴びてしまえば一巻の終わりだ。

(馬鹿か! あいつをウルスに連れてかなきゃ俺のクビだって危ねえのに!)
罵倒を堪え、無線に呼びかける。
「こちら、セジル。 ユン、車をまわしてくれ。 急げ!」




閃光の焼きついた目を押さえ呻く男を盾にしつつ、その片腕から 「ゴギッ」 と音がするまで力を込める。  躊躇するもう一人に向かって闇雲に叫ぶ男を突き飛ばすと、一気にその距離を詰めて銃を持つ手にナイフを突き立てる。
直後、階下から飛んでくる銃弾を後ろに飛んでかわす。
壁材が抉られ床に飛び散る。
再度襲う銃撃を避け、倒れざまに敵のいる方向に睡眠ガスの球を投げつける。
すでに相手もガスマスクを装着しているが、目くらましにはなる。
間髪入れず、相手の足元を狙って銃弾を叩き込んだ。
白い煙が充満すると同時に、跳ね起きて廊下を走る。

この先の部屋に、中庭へ大きく突き出したバルコニーがあったはずだ。
そこから下に降り壁を越えれば、ひとまず脱出に成功したと言えるだろう。
ドアノブを銃で破壊し、部屋に侵入する。
閉めたドアの前に、手近にあった椅子や小型の棚を乱暴に積んで塞ぐ。
ここは屋敷の主人の書斎だと記憶している。
古めかしい蔵書や家具には目もくれず、重厚なカーテンを引きちぎる勢いで押しのけた。
だが、窓を開け放ったところで後ろから声がかかった。

「これはこれは。 レナリア」
振り向くと、音もたてず侵入した男が数名銃を構えていた。
大型の書棚があったはずの場所に、隠し通路と思しき空間が開いている。
屈強な若い男たちの中にあって、ただ一人、銃口の代わりに底冷えするほど冷たい双眸をこちらに向けた壮年の男。
メディアを通して何度も見たその顔は、間違えようがない。
「─────ゲルン」
「銃を捨てろ。 ガスマスクも外せ」
歯軋りをする思いで男の鋭い両目を見返す。
その余裕の表情から、意図してセジルと分断され、巧妙な連続攻撃でここに誘導された────自分が相手の罠にかかったのだと悟った。
きつく唇を噛みしめて、言われた通り銃とマスクを足元に投げ出した。




「私に従うなら命は助けてやる。
 スタイナー教授はすでに脱出したようだが、お前さえいればあの老人に用はない」
「あなたの言いなりにはならない。 父を殺したあなたなんかに」
少女は相対する男に怒りを込めて言い返す。
「私が憎いか」
男の声は静かだった。
けれどそこには、聞く者の背筋に冷水を浴びせるような底知れぬ暗い響きがあった。
「私はそれ以上にお前が憎い。 今すぐ八つ裂きにしたいくらいに。
 ディノ・ハーコヴィッツ、お前の祖父が引き起こした戦争で、私は愛する者の全てを失ったのだから」
押し黙るレナを見やり、皮肉げに口を歪める。
「どうやらそれも知っているようだな」
「・・・祖父の罪は、これから私が償う」
少女の言葉を男は嘲笑する。
「お前に 『これから』 などない。 命乞いの機会をわざわざ捨てたのだからな」
「私を殺したら 『Belenus』 は手に入らないわよ」
相手の様子を窺いながらレナは低く告げる。
「お前の持つそれに、もう用はない」
「・・・どういうこと?」
男の台詞の真意を図りかねて、少女は問うた。
「私の配下にある科学技術班はなかなか優秀でね。
 キール中央大学の痕跡や回収したコンピュータの残骸から、本体のデータを復元中だ。
 他人にそれができないと思ったのか。 少々自惚れたな」
冷え冷えとした男の目を見つめ、少女は声を失う。




その時。
レナのに無線にセジルから通信が入った。
『カーリー、聞こえるか。 今俺はお前が見えてる。
 部屋に砲弾をぶちこむから、合図したら伏せろ。 同時にそこから脱出するんだ。
 聞こえたら右手を振れ』
その声に我に返った。
気取られぬように視線を動かす。
外はうっすら明るい。
視界の端に、ユンが待機する大型車を確認した。
レナは、僅かに手を振る。
「動くな!」
気づいた男の一人が警告して銃を持つ指に力を込めた。

『いくぞ、3、2、1!』
目の前の男に構わず、合図と同時にレナは床に伏せる。
その直後、爆音と震動が周囲を揺るがした。
衝撃が収まるよりも早く、身を起した栗色の髪の少女はバルコニーの外に躍り出た。

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