虚空の方舟 19

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「二発目来るわ!」
「分かってる!」

急降下と共に右に鋭く旋回し、辛くも一発目を逃れた飛空艇は大地に向かって更に高度を下げる。
強烈な浮遊感がエドの体を襲う。
瞬く間に肉薄する地面に、彼は思わず窓から目を逸らしぎゅっと閉じる。
セジルの操る飛空艇が今度は左に機首を返し、エンジンが悲鳴を上げそうな速度で大気を裂いた。
一瞬窓の外が明るさを増し、耳をつんざく轟音が再び鳴り響く。
爆風で激しく揺れる機体は、けれども二発目をぎりぎりのところで避けた。

地表近くまで高度を下げた飛空艇は、その鼻先を地面に擦りつけるように平行を取り戻す。
曲芸飛行さながらの操縦は、だが、衛星の目を眩ませるのに成功した。
しばらく待っても三発目はやってこない。
そのまま、『神の雷』 の領域外を目指して全速で飛行する。

エドは、席の横に取り付けられた小さな丸窓から外を見た。
風が砂煙を攫った後、荒涼とした大地の表層に直径数kmに及ぶクレーターのような窪みが出現する。
途方もない威力だ。
こんなものがよく回避できたと、操縦桿を握る男を手放しで絶賛したい気分に駆られる。

エイオスから彼らを追ってきた者たちも、目標を見失い追跡を断念したようだった。
迫る機影は無い。
低空飛行を続ける機体は、やがて一つの神が支配する空域を脱した。




────数時間後。
海を越えた先は、エイオスがある大陸と全く異なっていた。
ところどころ緑で覆われ、一部では農耕が行われている。

なだらかに続く丘陵地帯の向こうに、ウルスを取り囲む山脈が徐々に近づいてくる。
雪を頂く山々の隙間に、逃避行の終着点となる都市が姿を現した。
初めて訪れたエドは、間近で見る美しさに感嘆の声を洩らす。
身を乗り出してその光景を目にしたレナも、思わず溜息をついた。
豊かな緑に囲まれた、青く透き通る湖の上空に佇む浮遊都市は、地上に残された 「最後の楽園」 という別名にふさわしい。
古いゴシック建築の尖塔を思わせる直線的なドームが、優美さを一層際立たせていた。

「こちらA155。 誘導を頼む」
セジルの声に、ウルスの管制室が応答する。
彼らを乗せた飛空艇は、浮遊都市底辺にある発着用の巨大なゲートへと吸い込まれていく。




到着から間もなく、スタイナー教授は治療のために病院に搬送された。
だが、レナとエドの二人は、身の周りも整わぬまま評議院に直行する。
ウルスの最高議会たる評議院の前で、エイオスからずっと行動を共にしてきた浅黒い肌の男は二人に目配せする。
「ここから先は、お前さん達次第だ」
そう言って、軽く肩を竦める。
「うちんとこの議長は手強いぞ」

建物入口で身体検査を終えると、セジルは議長の秘書だという男に二人を引き渡し、戻ってきたことを上司に報告すると告げ、姿を消した。
秘書の案内で執務室近くの別室に行き、待機するよう指示される。
その部屋のソファに掛け、待つこと一時間以上。
ようやく戻ってきた男が、ついて来るように言った。

「入りなさい」
男がノックすると、声と共に擦りガラスの上品な扉が開いた。
その向こうに佇む、たおやかな黒髪の女性。
政治家に似合わぬ年齢不詳の美しさを湛える彼女は、メディアが伝えるよりもずっと鋭敏な雰囲気を纏っている。
その両の眼差しは、一つの都市を統べるだけの知性と威厳を宿していた。
彼女がウルス最高評議会議長、この浮遊都市の元首イェン・リンであった。




「初めまして、イェン・リン議長閣下。 レナリア・ハーコヴィッツと申します」
「彼女の助手という形で研究を手伝ってきた、エドワード・ニルセンと申します」
「情報部の報告は聞いています。 用件を率直に伺いましょう」
温度を感じさせない視線が二人を射抜く。
一つ息を吸いこんで、少女は黒い双眸を見返した。
「私の目的は、『神の雷』 を無力化して月を取り戻すことです。
 ぜひ、それにご協力ください」
堂々とした少女の奏上を聞きながら、隣に立つエドは、先程彼女と交わした言葉を思い出す。




* * *




「・・・ゲルンが 『Belenus』 を手に入れるかもしれない」
「どういうこと?」
待合室で議長との面会を待つ間。
信じられない思いで隣に座るレナに聞き返した。
「私のハッキングの形跡と押収した機材から、データを集めて復元を試みてるの」
スタイナー教授の救出作戦で、あの初老の男と対峙した時のことを話す。

「───実際どこまでやれるんだろう?」
「リスクは大きいけど・・・復元は不可能じゃないわ」
少女は一旦、言葉を切る。
「実際に何日かかるかは、全く予測できないけれどね。
 数か月か、数週間か・・・あるいは数日か」
「・・・」
彼女と父親が数年の歳月をかけて完成させた 『Belenus』。
完成型のデータをかき集めたところで、再構築するのはたやすくないはずだ。
だが、相応の人数をつぎこめば、彼女が言うように早く使用可能な段階まで行くかもしれない。
ゲルンがスタイナー教授から薬物を投与してまで強引に情報を引き出そうとした理由は、『Belenus』 の細部をできる限り知るためだったのだろう。

少女は、思考を巡らせる黒髪の青年を見やる。
ここまでついてきてくれた彼に、議長との会見より先に真実を知っておいてほしい。
「・・・父が 『Belenus』 を作った目的はね。
 『神の雷』 を無力化して月にある月面基地を取り戻すことなの」
「月面基地を・・・?」
「そう。 このままだと地球は再生せずに、生き物の住めない星になる可能性が高い。 だから」




地上に人類が溢れていた時代。
月の環境を作り変えてその一部を移住させようという計画があった。
そのために築かれた月面基地の実験場には、環境破壊で絶滅した種を含む数十万のDNAサンプルや、大戦で失われた緑化技術が今も眠っている。
────それはまるで、創世神話に出てくる方舟だった。

皮肉なことに、大戦によって人口の大半は失われた。
月への移住は必要なくなり、浮遊都市によって人類は当面の難局を乗り切った。
けれど今、人々は破滅の足音に耳を背け、ただ時間を消費している。




「月面基地は半永久的なソーラーシステムで稼働してる。
 DNAサンプルも、集積された技術もデータも、無傷で保存されている可能性が高いわ。
 月を取り戻せば、きっと地球は蘇る。 もっと遠い宇宙にも行けるようになるわ。
 父は、それを私に託したの」
青年はその途方もなさに、目を見開く。

「『Belenus』 のベースはRウイルス。
 衛星を暴走させた元凶のね────レメーニに話を聞くまでは知らなかったけれど。
 未完成だった32年前は失敗したけど、今の 『Belenus』 なら 『神の雷』 を制御できるはずよ」
ただし、と言い置いて、少女は膝上の手に力を込める。
「『神の雷』 を手に入れれば、世界を支配できる。
 サイバーテロまがいにウイルスをばら撒くより、確実な方法だわ。
 ゲルンの狙いは、それじゃないかと思うの」

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