虚空の方舟 21

・・・夢を見た。

いつしか少女と歩いた時の、頭上に輝く月。
『神の雷』 は生まれた時すでに天空を支配し、それは手の届かない存在だと思っていた。

厳かな光が、二人を包む。
エドは、指先で少女の柔らかな髪に触れた。

最後のピースは、名前。
────『Belenus』 とは、癒しと光を司る古い神の名だ。




・・・浅い眠りから意識が引きずり出される。
夢の名残は、部屋に響くコールによってかき消された。
『よく眠れた?』
「あ・・・うん。 ひさびさにしっかり寝た」
目を擦りながら、画面に向かって答える。
私も、と笑ってから、少女は用件を切り出した。
『今日、スタイナー教授の面会を申し入れようと思うの』
レナは、ゲルンがどの程度 『Belenus』 に関する情報を教授から引き出したかが気になっていた。
『あなたも行く?』
「もちろん」
二つ返事でエドは応じる。
『ありがとう、セジルには私から連絡するわ。 それとね』
先程、朝食を摂ろうと階下の食堂に行こうとしたレナは、廊下にいた男に止められた。
男はリンの命で二人を警護していると称したが、実際は監視だろう。
『というわけで、許可なしに部屋から出られないようね。
 食事はルームサービスがあるんだって』
私はジャガイモのスープとサラダにするわ、と不自由を気にした様子もなく少女は笑った。
以前作ってあげて以来、彼女はすっかりジャガイモ料理がお気に入りらしい。




支度を終えたエドが廊下に出ると、聞いた通り屈強な男が立っていた。
だが、二人の外出は確認済みらしく道を空ける。
玄関ホールに降りると、セジルの同僚というアフリカ系の若い女が歩み寄ったきた。
すらりと長身の彼女は、「ミーアです」 と名乗って人なつこい笑みを浮かべている。
ほどなくレナも降りてきて、三人は彼女の車に乗りこんだ。

後方支援に当たる医療班に属するミーアは、医療要員として作戦に参加する場合もあるらしい。
若いが医師免許を取得済みだそうだ。
そんな彼女は、セジルを完璧にやり込めたとされるレナに興味津々だった。
少女に話しをさせてはくるくる表情を変え、満足いくまで聞くとあっけらかんと笑う。
「ふふ。 私、あの男を倒すなんてどんなごっつい女なんだろうと思ってたの。
 それがこんなに可愛らしい女の子で、びっくりしちゃったわ」
再び軽やかな笑い声を上げ、助手席のレナに目配せをした。




訪れた病院で受付を済ませると、スタイナー教授がいる病室へと向かう。
部屋の入口に三人の姿を確認し、老人は半身を起こした。
足に巻かれた包帯が痛々しい。
「スタイナー教授、怪我の具合はいかがですか」
「大分良いぞ。 一ヶ月程度で治るそうだ。 心配をかけたな」
エドと教授のやりとりを黙って見ていた少女は、やや躊躇ってから口を開いた。
「教授。 実はゲルンが 『Belenus』 の再構築を進めています」
「・・・何だと」
「どのくらいの情報を尋問で引き出されたか、覚えていませんか?
 思い出せる範囲でいいので教えてください」
彼女の真剣な眼差しに、老人は靄がかかる頭を抱えて必死に思い出す。
「そういえば・・・8から11セクションについて・・・何度も質問された」
視線が集まる中、頭痛や眩暈を堪えて教授は声を絞り出した。
それは、『Belenus』 を構成する要素の中で最も複雑かつ重要な部分だった。
「・・・すまない」
間をおいて、老人はようやくそれだけ口にした。
(────いっそ、捕らわれた時点で自らの命を絶つべきだった)
沈黙の内に自らを責める老人に、少女は澄んだ声で告げる。
「・・・私が全て終わらせますから。
 どうか、教授は怪我を治すことだけ、お考えください」
その時顔を出した看護師が、短い面会時間の終了を告げる。
別れの挨拶を述べて身を翻したエドの腕を、皺だらけの手が掴んだ。
老人は彼に、ごく小さな声で 「レナをよろしく頼む」 と呟いた。




帰りの車内は、重い沈黙に支配された。
レナは無表情に黙りこくっており、エドはエドで恩師の様子を思い出すととても自分から何か話す気にはなれない。
「・・・ね、寄り道しない?」
そんな彼らを見かねて、ミーアが明るく提案する。
あまり気の乗らない二人を強引に頷かせると、「絶対後悔しないわよ」 と片目をつぶった。

ドームの一部が改造されたゲートで身分証を提示し、ミーアは小型の飛空艇を借りた。
慣れた手つきで飛空艇の操縦桿を操り、湖の側の野原に着地させる。
「情報部に報告してるから、少し歩いて来なさいよ」
彼女は、ほれほれ、と二人を送り出すと、自身は飛空艇の無線に向かう。

「・・・彼女、感じのいい人だよね」
「そうね・・・」
重い空気を振り払うように話を振るが、少女の反応はいつになく鈍い。
首をかしげてエドは問いかけた。
「ミーアは嫌い?」
「そんなことないわ」
レナは慌てて否定した。
彼女の戸惑いを察した青年は苦笑する。
少女はおそらく、同姓の友人がこれまでいなかったのだろう。
ミーアの気さくな雰囲気に慣れていないだけで、徐々に馴染んでいくに違いない。
取り合えず話題を変える。
「・・・せっかく来たんだしこの辺歩いて回ろっか」
ぱっと顔を明るくした少女は大きく頷いた。




初めて生身で歩く、浮遊都市の外の世界。
木が、草が、大地から直接生えていることに何とも言えない感動を覚える。
二人は、人が歩いた跡で自然にできた道を辿る。
その両側には、ミーアが言った通り黄色や白の花々が咲き乱れていた。
景色に目を奪われるレナを見守っていたエドは、躊躇いがちに話しかけた。

「議長閣下に、ああ言ってたけど・・・。
 この計画が全て終わったら、君は自分の好きにしていいと思うんだ」
「・・・」
少女は茶色の目を見開き、青年を見つめた。
「『Belenus』 については、君じゃなきゃできないことが多すぎるけど」
彼は昨日から少女とリンの駆け引きを何度も反芻していた。
「────君は、自由なんだよ、レナ。 どこに行くにも、何をするのも。
 何もかも終わったら、ダンスでも旅行でも、好きなことをすればいい」




────月面基地を取り戻し、地球の再生に力を注ぐ。
生きることを許される道はそれだけ。
頑なに、そう信じていた心が溶けていくようだ。
穏やかに笑う彼に心が温かくなり、少女は無意識の内に胸に手を当てる。
「・・・そうね。 そうかもしれないわ」
ようやく返事をした後、少し悪戯っぽく付け加える。
「・・・じゃあ、私のダンスの相手になってくれる?」
「え? えええ? 僕と?」
「そうよ、あなたと」
────少女の満面の笑顔は、周囲に咲く花々に負けないほど愛らしかった。

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