虚空の方舟 22

────レナとエドがエイオスを脱して約二週間後。
浮遊都市デルタの近郊で大型の飛空艇が墜落した。
乗組員は全員死亡。
事故の原因は、老朽化と人為的なミスにより平衡装置が狂ったためと発表された。
朝の支度をしながら報道番組を見ていたエドは、痛ましさを覚えつつモニターの電源を切る。
出かける時間になったのだ。
部屋を後にした彼の関心は今日こなすべき訓練の内容へと移り、この出来事は次第に頭から薄れていった。




* * *




「・・・あいつ、人間かよ」
「・・・多分」
モニターを見ながら、エドとセジルは呟く。
大小の遮蔽物が設置されたその訓練場で、少女は敵チームの人間を次々と戦闘不能に陥れていた。

レナは今、実戦を想定した訓練に参加している。
相手を翻弄する少女の動きは、実に鮮やかで、時に狡猾ですらある。
味方同士の連携も難なくこなす。
連続攻撃を何とか凌いでいた最後の敵に少女の弾が命中し、彼のボディスーツの胸に鮮やかな蛍光塗料が飛び散った。

隣のモニターに表示されたスコアを見て、男二人は再び呻く。
彼女の稼いだポイントは、他の誰よりも高い。
戦闘馴れしているウルス情報部の精鋭に混じって、これである。

「お前、作戦に参加する必要ないんじゃねえ?」
「・・・そんな気がしてきた」
訓練場から出てきた少女の颯爽とした後ろ姿に、二人は顔を見合わせた。




気を取り直して、作業を再開する。
エドが組み立てた銃を、男は丹念に眺めまわした。
彼はセジルに付いて武器の取り扱いを教わっている。
「お前、学者だけあって手先は器用だし物覚えは悪くないな」
銃の分解・組立に関しては、合格点と言っていい出来だ。
男は銃をテーブルに戻しながら軽く息をつく。
「ただ、体力がなあ」
それを言われて、エドは返す言葉がない。

エドもフォボスでの作戦に参加する予定である。
レナの他にも 『Belenus』 を扱える者が必要だという主張を強引に押し通したのだ。
そうしてフォボスでの作戦に内定しているセジルを無理矢理説得したのだが、彼は条件を三つ提示した。
一つ目は武器の取扱いを覚えること、二つ目は訓練に参加して相応の成績を上げること。
そして、三つ目は20kmを2時間半で走破する体力をつけること。
武器や訓練に関しては、何とかなりそうだった。
彼は、記憶力や反射神経はそれほど悪くないし、手先も器用な方だ。
だが、研究室に篭りきりの生活をしてきたせいで、持久力が著しく欠けている。
それでも日々の訓練の賜物で目標時間に着実に近づいてはいた。
この後も、ランニングマシンで地獄の特訓が待っている。
ミーアの処方する、筋肉痛を緩和する薬が唯一の救いだ。




そうやって各々のすべきことをこなしているが、レナとエドは次第に焦燥を募らせていた。
教授の話からすると、既に 『Belenus』 が実用段階に入っていてもおかしくない。
だが、レナのハッキング能力をもってしても、『Belenus』 の有力情報は得られていなかった。
復元は外部から完全に遮断された環境で行われているらしい。
再構築を妨害できない以上、残された手段は、ゲルンより先に 『神の雷』 に手をかけることだ。
だが、フォボス衛星監視局の管理権を有するデルタとの折衝は、遅々として進んでいない。
都市間の交渉についてはリンに任せる他なく、彼らは何かに没頭することで逸る気持ちを抑えていた。




* * *




天を覆う厚い雲が、強風に煽られ形を変えてゆく。
ゆったりと流れる大河の河口にほど近い、大陸北東の地。
生き物の気配が感じられない殺伐とした風景の中、流れが湾曲する河岸上空に、世界第二の都市デルタはあった。
デルタは、単体の都市としては世界第一の規模を誇る。
その大きさはエイオスの 「ゴリアテ」 を遥かに凌ぐ。
岩山を思わせる威容は、荒涼たる風景に相応しい重厚さで宙に静止していた。




デルタ市街中央に位置する大統領府の一室。
執務机に座す白髪の老人は、瞼が垂れ下がった目を細めた。
「繋げろ」
その一声で、机上の空間に通信画面が開く。

『お忙しい所恐れ入ります、ヤズミル大統領閣下』
画面に映し出されたのは、年齢不詳の美貌に鋭い英知を湛えた黒髪の女。
「・・・これはこれは、イェン・リン議長。 いつお会いしても変わらずお美しい」
『ありがとうございます。 大統領もご壮健のご様子、何よりでございます」
社交辞令を軽く受け流し、女は本題を切り出した。

『フォボス衛星監視局への介入にご協力を要請した件、早急にお返事をいただきたいのです』
「・・・申し訳ないが、今少し待ってはくれぬか。 前例のないことゆえ、官僚どもがうるさくての。
 無理に話を進めては、私の立場が危うくなる」
老人は、人の好い笑顔を浮かべて答える。
その下にある真意を探ろうと、リンは僅かに目を凝らした。
『お立場を理解しているつもりではございますが、事は急を要します』
「もちろん、最善を尽くすつもりだ。 ウルスの頼みとあってはな」
『・・・何とぞよろしくお願いいたします』
女が一礼した後、通信は途切れた。
老人から好々爺然とした笑みが消え、老獪さを滲ませた政治家のそれに変わる。
「・・・女狐もようやくあせりだしたか。 だがもう遅い」
ウルスの首長が聞くことのできなかったその嗄れた呟きは、美しく磨かれた執務机の表面を滑り落ちて消えた。




通信画面が消えた空間から目を離し、女は席を立った。
ウルス最高評議会議長イェン・リンは、執務室の眼下に広がるウルスの夜景を見下ろす。
美しい光の絨毯は、けれど、ある一定の距離でばっさりと途切れている。
その向こうには、都市の外に広がる漆黒の闇。

────三年前、鉱山開発を巡る条約締結に際し、デルタはエイオスに後れを取った。
だが、『神の雷』 無力化に成功すればウルスとデルタは大きな手柄を共有することになる。
都市間の影響力を取り戻す好機だ。
実力第一の気風漂うデルタの首長の座に、十数年君臨するヤズミルがそれを分からぬはずがない。
彼が是といえば、あの都市は動くはずだった。
それがこうも交渉が停滞するのはなぜか。
嫌な予感がする。

美貌の女は軽く息をつく。
最も安全、かつ時間がかからぬと判断した策だったが・・・・・・この際デルタの意向は無視して実力行使に出る時期だろうか。
思案に耽っていた時、部下の一人が慌しく駆け込んできた。
「失礼いたします、閣下。 ────エイオスでクーデターが起こりました」
「何だと」
一瞬、美しい双眸が見開かれる。
だが、すぐに動揺を立て直した議長はいくつかの指示を立て続けに飛ばし、自らも事態の情報収集に乗り出したのだった。




時計は夜中の一時を回ったところだ。
訓練で疲れ果てた体がベッドに投げ出される。
その時、着信を知らせるコールが部屋に鳴り響いた。
『ゲルンが動いたわ────エイオスでクーデターよ』
モニターに映った少女は険しい表情で開口一番に告げた。
『今、セジルから連絡があったの。
 私たちも情報部に急行するように言われたわ』
「分かった」
通信が途切れる。
エドは重い体に鞭打って外出の準備を整え始めた。

車を飛ばして駆け付けた情報部では、深夜にも関わらず、そこに勤務する全員が顔を揃えていた。
会議室を見渡した局長がエイオスの状況を説明し始めたが、中には不確かな情報も含まれている。
現在エイオスでは都市全域に戒厳令が敷かれ、情報部の連中は身動きが取れないらしい。
しかし、その隙を縫ってもたらされた情報の一つにエドは息を飲む。
エイオス保安部隊が大規模な遠征の準備を始めたというのだ。
「ゲルンの狙いは・・・」
「おそらく、フォボスでしょうね」
局長が指し示すスクリーンを見つめるレナは、隣に立つ青年の言葉に低く呟いた。

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