虚空の方舟 25

ウルスの精鋭たちは飛空艇からホバークラフトに移動し、闇の中を前進していた。
ひょい、とセジルが操縦士の横から手を伸ばしてハンドルを切る。
飛来した閃光が、彼らの進行方向だった場所に ゴオッ! と水柱を上げた。
「前ばかり見てんじゃねえぞ」
「は、はい!」
操縦士は気を引き締めて操縦桿を握り直す。
デルタとエイオスの主力部隊は、お互いの戦力を削ぐのに必死で、この小さな船の存在に気づかない。
船を掠めるレーザー砲を避けながら、彼らはようやく島の岸壁に辿り着いた。
楔を崖の上に打ち上げ、そこから垂れ下がるロープを伝って絶壁を登り始める。




「────ここまでは予想通りだな」
ウルス最高評議会議長の執務室に作戦開始の報が届けられ、そこの美貌の主は呟いた。
リンはデルタを注意深く探らせて、その動きをほぼ正確に読んでいた。
この作戦を立案したのも彼女である。
美貌の議長は、作戦を次なる段階へと移行するため、頭上に通信用の画面を開いた。
画面に映ったのは、主力部隊の指揮官だ。
彼が率いる部隊は今、北極にほど近い海峡に展開している。
「そちらはどうだ?」
『用意は整いました。 いつでもご命令を』
「ご苦労。 すでにフォボスへの潜入作戦は開始した。 そちらも始めてくれ」
『はっ』
「必ず捕虜を捕らえよ。 そして、証拠の回収を忘れるな」
モニターを通じて、ウルス為政者の涼やかな声音が響く。
一礼した男を一瞥して、リンは回線を切った。




* * *




壁越しに伝わる銃撃戦の音が次第に接近する。
緊張は一秒ごとに水位を増す。
失敗は許されない。

「────中継衛星より 『Belenus』 圧縮データを送信」
第一管制室では、全員がスクリーンを見上げていた。
ついに軍事衛星へウイルスが送り込まれたのだ。
エイオスの頭脳を結集した、こちらの 『Belenus』。
シミュレーションはほぼ完璧であり、短期間で完成させたにしては素晴らしい出来と言えた。
それでも、多少の不安は拭い去れない。

画面にデータ量を示すバーが表れ、それが左から右に塗りつぶされていく。
数秒を経て、送信完了を示す100%の文字が表示された。
ウイルスは、衛星を神たらしめているプログラムを侵食し始める。
発光する文字と図形の羅列がスクリーン左隅の黒い画面上を高速で流れていく。
やがて、その流れがぷつりと途切れた。
直後、 「COMPLETE」 の文字が点滅し、軍事衛星を制御するプログラムが立ち上がる。
「『神の雷』、制御に成功!」
固唾を飲んで見守っていた彼らは喜びに沸いた。

その最中に、低い声がオペレーターの耳を打つ。
「・・・照準をデルタに向けろ」
彼のすぐ隣にはいつの間にか黒づくめの男が立っていた。
衛星の制御を担当していたオペレーターは引きつった表情で背の高い男を見上げる。
「早くしろ」
顔色一つ変えずに言い放つその男に、思わず助けを求めるように命令を下したであろう人物の方を振り返った。
だが、エイオスの実権を奪い取り、今 『神の雷』 を手に入れた男は、慈悲の灯らぬ視線でこちらを見下ろしていた。
冷ややかなその双眸に思わずたじろぐ。
それでもなお、彼は動けずにいた。
────彼にとって、今の状況はありえないことだった。
そもそも、『Belenus』 開発チームに加わった理由は出世のため。
風采の上がらない自分には過ぎた条件を提示されたのだ。
都市同士の戦闘など予想外であり、『神の雷』 を持ち出して少し脅せばデルタも引くのでは、と彼は考えていた。

忙しく頭を回転させて、自分の置かれた状況と命令とを天秤にかける。
デルタに住む家族の顔がよぎる。
彼女を自分の手で死なせてしまえば、一生後悔に苛まれるだろう。
また、大勢の命を奪うことにも耐えられそうになかった。
・・・その重責が彼の口を動かす。
「・・・・・・閣下に今一度お考え直しくださるよう、仰っていただけないでしょうか。
 無関係の人がたくさん死ぬでしょうし・・・あの都市には私の妹がおります」

無表情のまま、黒づくめの男は後方に目配せする。
おもむろにゲルンは立ち上がった。
悠然と階段を下り、萎縮する若い男の前に無言で向き直る。
そして、すっと取り出した銃を彼の眉間に当て、躊躇うことなく引き金を引いた。
鮮血が飛び散り、男は椅子から崩れ落ちる。
近くにいた者の口から思わず悲鳴が漏れた。
銃口を下げた男は静かに言い放った。
「私に従わぬ者はいらぬ。 さあ、デルタに神の鉄槌を下せ」

物言わぬ死体を片付ける保安部隊を、戦々恐々としながら技術者たちは見守っていた。
死んだ男に代わり、別のオペレーターが指名されその席に着く。
彼は血の気の引いた顔で、デルタの座標に照準を合わせた。
「・・・撃て」
冷酷な声に、彼は震える指を動かす。

・・・暗い宇宙に浮かぶ巨大な軍事衛星が、自身に向けられた電波を受信した。
大砲の先が仄白く発光する。
直後、膨大なエネルギーをはらんだ光の矢が地表に向かって放たれた。




地表が眩い光に包まれた。
残像が消え、爆風で吹き荒れた砂嵐が少しずつ薄れていく。
衛星の目が、風景をくっきりと捉えた。
その映像を見つめる人々の胸を複雑な感情がよぎる。
・・・ 『神の雷』 は目標を外した。
その代わり、デルタから10kmほど離れた地点に巨大な穴が穿たれている。
これほどのエネルギーが都市に命中すれば、核融合炉の暴走を招いて一帯は恐ろしい惨状となっていたはずだった。

背筋の冷や汗を感じつつ、男はゲルンに慌てて説明した。
「申し訳ありません、制御を取り戻したばかりなので衛星の照準機能に誤差が生じているようです。
 今、補正プログラムを走らせます」
「・・・貴様、次は無いぞ」
顔を青褪めさせるオペレーターから目を離し、壮年の男はスクリーンを見上げた。




* * *




一瞬の閃光とともに、デルタ全体が激しく揺れた。
揺れが収束すると、老人は浮遊都市の外部の様子を手元のモニターに映させた。
「外したか」
先程まではなかったクレーターのような穴を確認し、彼は恐怖するどころか笑った。
「・・・すごい威力だ。 だが、神の遣わす矢とて万能ではないらしい」
老人の喉がくぐもった音を立てる。
「ゲルン、お前の足元に屈するなど私の誇りが許さん。
 この都市を道連れにしてでも足掻いてみせるわ」
嗄れた声が部屋に落ちる。
十数年権力の座に君臨する老人にとって、もはや、足元に広がる都市は自分自身と一体化した存在であった。
ゲルンの野心に煽られたそのどす黒い妄執は、市民の犠牲を厭わぬほど暴走し始めていた。
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