虚空の方舟 26

草の隙間に倒れる何かに足を取られて危うく転びかける。
死体だと気づき、叫び出しそうになるのを自制した。
青年は立ち上がると、前を行くレナやセジルを必死に追いかける。
体を低くして草の陰に身を隠す彼らを、海と空で行き来する光の束が時折照らし出す。

建物を囲うフェンスを越えると、巨大な白壁はすぐそこに迫っていた。
「あれ、見て」
セジルはレナが示す方に目を向ける。
その厚さ2mはあろうかという壁に、大きな穴が穿たれている。
デルタの別働隊が侵入した際に作ったものだろう。
「よし、あそこから侵入する」
周辺に人気がないのを確認すると、男はチームを誘導して穴の方へと向かった。

「・・・手間が省けたな」
辺りを見回して呟くセジルに、ミーアが囁く。
「それにしても、新型の爆弾かしら。 この壁を破壊するなんてすごい威力よね」
「デルタの爺さんが新兵器開発に手を染めてるって噂は本当だな。 ・・・全く厄介な」
度々耳にした噂を思い出して舌打ちする。
辺りには壁の破片が転がり、天井からぶら下がる壊れかけた蛍光灯が不規則な明滅を繰り返す。
だが、遠くの明りがここまで届き、それほど視認に不自由はない。
離れた場所で待機する母船に侵入成功を報告したセジルは、後方に向かってジェスチャーを送る。
今回の指揮官である彼の合図で、ウルスの潜入部隊は静かに移動を開始した。




時折、建物が爆音で揺れる。
既にフォボス内部は交戦状態にあるようだ。
セジル率いるウルスの部隊はといえば、先客が監視カメラを破壊したお陰で順調に目的地に近づいていた。

しばらく進むと、デルタとエイオスの戦闘があったと思われる場所に出た。
倒れている者の大半はエイオス兵。
例の新型爆弾で攻撃されたようだが、それにしては何かがおかしい、と直感が告げている。
セジルは足を止め、散乱する銃の部品を拾い上げた。
────すると、鋼鉄でできているはずのそれは、パラパラと脆く崩れ落ちた。
「・・・新種のガスか?」
イェン・リン議長直下の部下から受けた警告が脳裏をよぎる。
顔を上げた男は、チームに指示を出そうと口を開く。

その時、耳の無線機に通信が入った。
『今、デルタ近辺に 『神の雷』 が落とされました! 目標は外れて、今のところ都市は無事です』
「・・・予想より早いわ」
蒼白になったレナが呟いた。
セジルは全員を見回して鋭く命令する。
「敵は新型のガスを使っている。 装備と隊列を変更、急ぐぞ!」

走り出した彼らに、試練は突然訪れた。
「ようやく敵のお出ましか」
廊下を迂回したデルタの一部隊との遭遇に、セジルはガスマスクの下で好戦的に笑う。
「・・・行くぞ!」
号令と共に、彼が先陣を切った。
相手に体勢を整える隙を与えず、大ぶりのナイフを手に肉薄する。
デルタ部隊の実弾銃はエネルギー銃より威力が劣るため、多少なら防弾スーツで耐えられる。
実弾を受けつつも、彼らの強化セラミックの刃が敵を切り裂いた。
セジルの死角から彼に銃を向けた男を、ライフルで援護するミーアが撃ち取る。

白兵戦のチームと援護射撃のチームが連携しあい、彼らはデルタの部隊と巧みに渡り合った。
敵味方入り乱れての近接戦闘になれば、デルタの高性能の爆弾は使えない。
敵部隊の真っ只中を突破したウルスの精鋭は、中央に守っていた二人を管制室の方へと送り出し、自分たちは追撃に転じた敵の方に向き直った。
「頼んだぞ」
セジルがガスマスク越しに軽く目配せする。
壁に設置されたボックスのガラスを叩き壊し、防火シャッターのスイッチを押す。
鈍い音とともに、厚い壁が彼らを隔ててしまう。
「・・・行きましょう」
少女の声に促され、思いを断ち切るようにエドは身を翻した。

彼らが目指す先は、ゲルンがいる第一管制室ではなく、第四管制室だった。
だが、辿りついた二人はそこで呆然となった。
ここでもデルタとエイオスの戦闘があったらしい。
壁には大きな穴が開き、砕けた破片がコンピュータをなぎ倒している。
残った機器も金属部分が腐食して使い物にならない。
「ここでは無理だわ」
唇を噛みしめて、レナは呻いた。
「・・・でも、第三、第二だと、第一管制室に近すぎる。 辿りつく前に見つかるよ」
「仕方ないわ、予備管制室に行きましょう」
二人は頷き合うと、再び駆け出した。




────予備管制室は、このエリアの外れにある。
扉の電子ロックを解除すると、少女はおもむろに防弾スーツを脱ぎ始めた。
「ちょ、レナ!?」
防弾スーツの下はタイトな情報部の制服を着ているから問題は無いが、エドは思わずうろたえた。
「・・・ガスが付いていたら、コンピューターに影響が出るでしょう」
「あ、そっか・・・そうだね」
納得したエドは、慌てて少女に倣う。
二人は防弾スーツを脱ぎ捨てガスマスクを外した。
布で注意深く手を拭ってから、目を合わせて頷き合う。

押し開けた扉の先で、エドは胸の内の絶望を打ち消そうとした。
予想していたが、そこに並ぶ機器は年代物ばかりだ。
だが、ためらっている暇はない。 二人はそれぞれの持ち場に着き、機器を立ち上げる。
(・・・間に合って)
祈るように、二人はメインのモニターを見上げた。

埃が積もるボードに指を添え、ネットワークへの侵入を開始する。
余りの動作の遅さに、少女は眉根を寄せた。
だが、彼女はエドの予想を遥かに上回る速度でプログラムの裏側をすり抜ける。
「最後のセキュリティゲート突破!」
「第一管制室、侵入成功! やったわ!」
引き続き、厳しい表情で画面を見据える少女が顔色を変えた。
「・・・『神の雷』、二発目が発射されるわ!」
『Belenus』 を使っても間に合わない。
レナは唇を噛んだが、すぐに頭を切り替える。
「エド、サポートをお願い!」
「わかった」
頷いて、ネットワークを駆ける少女の邪魔をするプログラムを次々にダウンさせる。




* * *




「・・・撃て」
その命令に、オペレーターは無心でボードを叩いた。
己の指先に数百万の命がかかっていることを、意識から切り離す。
瞬間、衛星を映し出した画面が白く焼きつく。
彼は思わず目を閉じた。

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