虚空の方舟 28

武装解除させたエイオスの部隊は、慌てふためいて予備管制室を去っていく。
彼らが見えなくなってから、エドは少女に向かって頷いた。
正面に向き直ったレナは、管制室に備えられたマイクに向かってその薔薇色の唇を開く。
これは最後の仕上げだ。
一基残した衛星で 『Belenus』 に感染したここのコンピューターを全て消滅させる。
「────フォボス全館に告ぐ!
 一時間後、最後の 『神の雷』 がフォボス全域を破壊するようプログラムした。
 全員、フォボスより退避! 繰り返す、全員、フォボスより退避!」




────第一管制室をめぐる戦闘は、デルタ中央から発せられた退却命令によって幕を閉じた。
突然の戦闘中止に困惑する双方が目にしたのは、音もなく爆発する 『神の雷』。
宇宙の塵と化したそれらを呆然と眺める彼らの意識は、退避勧告によって引き戻された。

「・・・ここに 『神の雷』 が・・・?」
その威力を知る者ほど、顔を青褪めさせた。
「席に着け! あの衛星を乗っ取るのだ!」
ゲルンの部下が騒ぎを静めようと必死だが、彼に耳を貸す者はもはや存在しない。
「たった一つの衛星で何ができる?」
「俺達は終わりだ」
「ここにいたら死ぬぞ」
彼らを煽る恐怖は、すぐに目に見える形で現れた。 即ち、「この場からの逃走」 として。
「・・・逃げろ!」
退却を始めたデルタの部隊に覆い被さるように、彼らは出口へと殺到する。

その光景を無表情で眺めていた壮年の男は、懸命に人々を留めようとする部下に歩み寄り、肩を叩く。
「────お前も退避しろ。 もう、この茶番は終わりだ」
「・・・・・・では、脱出の用意をいたします。 こちらに・・・」
「私はいい」
素っ気無く返された言葉に目を瞠る。
男はその意味を理解して、声を絞り出した。
「・・・・・でしたら私も残ります」
「その必要はない。 行け!」
鋭い一喝に、男はたじろぐ。
ゲルンはついと取り出した銃を彼に向けた。
「行けと言っている。 お前にもう用はない」
二人はしばらく無言で向き合っていたが、やがて若い方の男がゆっくりと踵を返した。
その背に呟かれた呟きは、誰の耳にも届かずに消える。
そして、エイオスの元首は、逆の方向にただ一人歩き出した。




『・・・エド、レナ、今、どこにいる?』
「セジル! 無事だったのか」
無線に入った男の声にエドは思わず声を上げる。
『そりゃこっちの台詞だ。 第四管制室にお前らの姿がないと報告されてあせったぞ』
「あそこは使えなくなってたの。 今、予備管制室から移動中よ」
少女が現在地を報告すると、無線を通した向こう側から安堵の気配がした。
『了解。 侵入したルートを逆に辿って来い。 飛空艇を穴の外に待機させている』
「わかったわ」
彼女が無線を切ろうと手を耳にやった。
その時だ。

エドの目の端で、何かが動いた。
とっさにレナを庇う。
飛来した数発の銃弾が、壁を穿つ。
レナは青年を安全な方に突き飛ばすと、自分は床を蹴って宙を舞った。
空中で一回転して着地すると同時に相手との距離を詰め、銃を蹴りで弾き飛ばす。
乾いた金属音とともに数メートル離れた床の上にそれが転がる。

素早く腰の銃を抜き、見上げる位置にあるその額に向けて少女は構えた。
「殺してやる」

ゲルンとの二度目の対峙。
今や、彼らの立場は逆転していた。
年齢も性別も、何もかも違う二人は、ただ、その目に宿る感情だけが同じだった。




* * *




「────ご両親を殺した犯人があの中にいたら、と思わない?」

デルタ大統領ヤズミルが、空賊と結託して貨物用飛空艇を襲わせている。
作戦前の打合せでそれを知らされたエドは、息を飲んだ。
ウルス保安部隊の主力が叩く予定の本拠地には、レナの言うとおり、自分の両親を襲った犯人がいるかもしれない。
打ち合わせの後、動揺を押し隠すエドに少女はぽつりと言った。

「エドは復讐したい、とか、思うことはある?」
「・・・どうだろう。 しかるべき罰は受けてほしいと思うけど」
「・・・そう」
「君は? ・・・したいの?」
「どうかしらね」

不意に横を向いた少女の目に宿る暗い光。
それに飲まれそうな感覚を遮るように、エドは視線を外した────。




* * *




男は傲然と少女を見下ろしている。
絶対に許さない。 そう呟いて、少女は劇鉄を上げる。
「・・・レナ、待て!!」
「うるさい! この男は父を殺したのよ!」
「だめだ、レナ」
エドは、ゆっくりと立ち上がり、静かな声で諭す。
あの時は何も言えなかった。
けれど今は、少女にそれを為してほしくないと強く願う。
復讐が更なる復讐を呼ぶ血塗られた歴史が終わらなくとも、せめて。

「・・・『神の矢』 を墜として、この星を救った君が、それをしちゃだめだ。
 きっと、世界大戦だって、そうやって憎しみに憎しみを重ねて、後に引けなくなったんだよ」
「・・・」
唇が慄き、レナの目から涙があふれ出した。
銃を持つ手が震えていたが、それでも銃口は今だゲルンに向けられている。
その少女を黙って見返した男は、つと動いて彼女の腕を掴んだ。
とっさに引こうとした彼女を渾身の力で引き留める。
「綺麗ごとなど、所詮まやかしだ」
囁いた男の手が少女の指先に重なった。




────一発の銃声が鳴り響いた。
天窓を囲う明りが照らす、その光の輪の中に、男は仰向けに倒れていた。
その胸に赤い染みが広がっていく。




・・・霞みゆく視界に最後に映ったのは、天窓から覗く月。
死の淵に立った今、身の内に巣食うどす黒い憎しみが、潮のように引いていくのをぼんやりと感じた。
混濁する意識の中で、ふと、記憶の中の面影がよぎる。

(────君を、心から愛していた。
 君が傍にいてくれた時、この世界を、心から愛していたんだ)

何もかもを裏切り、血で汚れた自分が地獄に落ちるのだとしても、神に許しを請おうとは思わない。
願いがあるとすれば一つだけ。
業火に灼かれ、君と共に失くしたもの。
それが、永遠にその傍に在りますように────。

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