蛍ノ原 2

ナオは時々、アヤを訪ねてくるようになった。
どうやら、アヤ同様、彼も学校に行ってないらしい。
時間は日によって違っていたが、大体が昼間だった。
訪問の理由は、どうって事もない。
どこぞの庭にサボテンの花が咲いたから見に行こう、とか。
カナブンを捕まえたから見せてやる、とか。
しかし、いつしかそれは、アヤのささやかな楽しみになっていた。




友達が来たら出しなさい、と祖父が用意してくれた林檎をつまみながら、今日は二人、何をするでもなく縁側でぼんやりしている。
ふと、ナオが尋ねた。
「お前、何で学校行かねえの? 体は元気そうだよな」
よく食うし、とアヤが齧りかけた林檎を指さして笑う。
「・・・人間関係とか、いろいろ複雑なの」




アヤが四月から通い始めた中学校は、どこかのんびりした雰囲気の小学校とは、別世界だった。
おっとりしていて、悪く言えば鈍いアヤは、些細な事がきっかけでクラス中から無視され、孤立していた。
時々、物がなくなる。知らないうちに、ノートに落書きされている。
小学校時代によく遊んだ子も、話しかけてこなくなった。

耐えきれなくなって、ある日アヤは、仮病を使って学校を休んだ。
そして、何度も仮病を使ううち、学校に行けなくなった。
両親がどんなに宥めても叱っても、担任が家に出向いて説得しても、無理だった。
行こうとしても、足がすくむ。
体の震えが止まらない。吐き気がする。
そんなアヤの事を、両親が祖父に相談した結果、彼女をここでしばらく預かってもらう事になったのだ。




「俺は、学校行きたいけど、いろいろあんだな」
押し黙ったまま、それ以上話そうとしないアヤを見て、ナオは肩をすくめた。
「ナオは何で学校に行かないの?」
自分が理由をはっきり言えなかった引け目で、ためらいがちにアヤは問うた。
言いたくなかったらいいけど、と付け加える。
それに答えた明るい声はしかし、内容にはそぐわなかった。
「ちょっとした病気」
「え」
数年前から、療養のために、環境のいいこの村に来たのだと言う。
「坂の下の方に病院あるだろ? そこ抜け出してきてんの」
「大丈夫なの!?」
少しくらい平気、と言って彼は笑う。
彼の表情からは、あまり深刻さは感じられない。だが、
「じゃ、今日は帰るな」
平静を装って、「またね」 と答えたアヤの胸の内は、ざわめいていた。




見ていると確かに、ナオはアヤよりずっと疲れやすい。
時々顔色が良くない日もある。
そういう日は大抵、どこにも行かず、祖父の家の縁側でのんびりしていた。
内心、アヤは彼の病気の事が気になって仕方なかったが、口に出しては何も言わなかった。

そんな、ある日。
「いいとこに連れてってやる」
今晩、じいさんに見つからないように抜け出してこいよ、と、何か企んだような顔で笑った。




黙って抜け出すのはスリルがあった。
隣の祖父が寝入ってから、音を立てないように布団から滑り出る。
ドキドキしながら静かに戸を閉め、辺りを見回すと、生垣の影にナオが待っていた。
「じゃ、いこっか」

月のない夜。
はぐれないように、と差し出された手を、アヤは握った。
森の深い暗闇で、懐中電灯の僅かな明かりが二人の足元を照らす。
黙々と、しばらく歩く。ふと、視界が開けた。
目に、無数の光が飛び込む。

野原に、数えきれないほどたくさんの蛍が飛んでいる。
アヤは息をのんだ。
「すげえだろ」
去年、見つけたんだ、とナオが自慢げに言う。
「蛍は、きれいな水のところにしか住めないんだぜ」
俺みたいにデリケートだよな、とおどけて言うので、アヤもつられて笑った。

笑いがおさまると、二人は黙って幻想的な光景に見入った。
儚い光はしかし、鮮やかな軌跡を残して、夜の闇を焦がすように舞い踊る。
きれいだね、と小さく、アヤが呟いた。
「また連れて来てやる」 ナオはそう言い、つないだ手に、少し力をこめた。
掌から伝わる温もりに、なぜか胸が痛んだ。

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