序ノ章 弐

 霧雨煙る午後。まだ明るい時間だが、空はどんよりとした雲に覆われて一筋の太陽も見出せぬ。
「雨は嫌いじゃ。鬼の気配を消してしまうからの」
『残念ですが明日も雨です、黄泉様』
「・・・・・・。残念と申すなら、もっと申し訳なさそうな顔をしろ、朧」
『わたしのせいではありませんよ』
 誰もいない公園の片隅で、白い着物の娘は式神の正論にちっと舌打ちする。
『はしたないですよ』
「小煩い式神じゃ、まったく」
 彼らはトンネル状になった遊具の奥で、雨宿りをしている最中である。
「今日の鬼狩りはしまいじゃ。朧、お前、酒をくすねてきやれ」
『昼間から酒盛りですね。はいはい、わかりました』
 こんな日は、主はいつも不機嫌だ。
 だが、式神である朧はその理由を問い質すことなどしない。
 主の気が紛れるような軽口をあえて口にするだけだった。
「・・・・・・いや、待て、朧」
『どっちなんですか』
「誰か来る」
 娘は身構えながら、目を左右に走らせた。
 けれど、さして間が経たぬうちに娘はふっと緊張を解いた。
 直後、遊具の入口からひょいと幼い顔が覗く。
「・・・・・・あ、お姉さん見っけ。よかった、さがしてたんだ」
 薄水色の傘を差し、黄色の合羽を羽織った見覚えのある少年に、娘は相好を崩す。
「何じゃ、先日の坊主ではないか」
「こんにちはー。何となく気配がしたんで見に来たら、やっぱりお姉さんだった」
「何か私に用事か」
「お礼を言いたかったんだ」
「ああ、礼なぞ要らぬよ。 鬼を狩り浄(きよ)めたるが我が仕事なのでな」
 笑みを浮かべて嘯くと、少年は得心がいったらしい。軽く瞠目して美貌の娘の顔を見返した。
「やっぱり、ぼくの兄さんと同じ仕事だね」
「ほう、お主の兄上も鬼退治を仕事としているか」
「うん」
 霊力の高さは、鍛えれば魑魅魍魎を払う力となり得る。
 菫の兄もおそらく、彼と同じような霊力の強さがずば抜けた体質なのだろう。
 どのような術師か興味が湧いたが、娘は少年の浮かぬ顔に気づいて小首を傾げた。
「どうした。坊主、何ぞ悩みか?」
 娘の問いに、少年は顔を俯ける。
「悩み・・・っていうか・・・」
「再び出会ったのも何かの縁。私が聞いてやらんこともない。が、そこは濡れるであろう、入ってくるが良いぞ」
「・・・えーと、おじゃまします」
 少年は傘を畳んで遊具に立てかけ、腰を屈めて、洞穴のような内側に足を踏み入れた。

 黄色の合羽から水滴が幾つか落ちて、コンクリートの床に染みを描く。
 少年は、合羽を羽織ったまま娘のすぐ隣に座った。
「さあ、この私に思う存分胸の内を打ち明けるが良い」
『その言い方、むしろ話しにくくなりますよ』
「黙れ、朧」
「彼はおぼろ、って言うんだね」
「そうじゃ。憎たらしい口ばかり利きおる狐で困っておるよ」
 真面目くさった表情で応えた黄泉に、朧が 『誰の所為ですか誰の!』 と抗議した。
 思わず菫が笑うと、娘も美しい唇の端を吊り上げ笑った。
「おおそうじゃ、坊主の名前は?」
「・・・菫。でもこの名前、大嫌い」
「何故?」
「女みたいだから」
 膝を抱えた少年に、娘は軽く首を傾げた。
「そんなことはないぞ。 菫は強く逞しい花じゃ」
 「私は好きじゃよ」 と、娘は腕を伸ばし、菫の頭を優しく撫でる。
 されるがままになっていた少年は、やがて小さく首を振った。
「・・・ぼくは強くない」
「私はそうは思わぬが。先日、お主は勇敢に鬼に立ち向かったではないか」
「でも、僕はあの時・・・・・・」
「あの時?」
 言い淀んだ少年を、娘の穏やかな声が促す。
「・・・・・・ほんとは、にげたかった。あいつらを見捨てて」
「・・・・・・」
「そもそも、あいつらにからまれた原因は、あいつらから友だちを助けたから。
ぼくは、彼を助けなきゃよかった、って思ったんだ」
 消えそうに小さな声が、湿ったトンネルの空間に弱々しく響いた。
 暫しの沈黙と、雨音。
 その後に、涼やかな、けれど不思議と老成した響きを帯びた声が菫の耳に届いた。
「────のう、菫。始めから強い人間などおらぬよ」
「・・・・・・」
「私にも、逃げたいことは山程あるぞ。じゃが、踏みとどまる勇気が重要なのじゃ。
お主は、友人を助け、そして鬼に立ち向かったのだろう。なら、己を褒めてやれ。
そうやって人は強くなるのじゃからな」
「・・・・・・ほんと?」
「そうじゃ。お主は見込みがあるよ」
 顔を上げると、優しく細められた切れ長の瞳と視線が合った。胸が熱くなり、視界がぼやけそうになって慌てて菫は目を逸らせる。
「ふふ、いい男を目指して頑張るのじゃぞ。さあ、そろそろ帰らねば、お主にはあまり良くない時間になるぞ」
「ほんとだ、行かなきゃ」
 腕のデジタル時計を確認し、菫は慌てて立ち上がる。遊具を出て行こうとして、ふと彼は娘の方を振り返った。
「・・・お姉さんは雨宿り? 傘がないなら、あれ、あげるよ」
「いや・・・その、雨宿りと言えばそうじゃが・・・」
『ここが仮住まいなんですよ』
 朧の言葉に、菫は目を見開く。
「野宿してるってこと?」
「う・・・・・・つまり、まあ、そういうことじゃ」
「・・・早く言ってくれればいいのに!」
 突然声を上げた菫に、娘も白狐も面食らう。
「うち、部屋あまってるんだ。うちに来たらいいじゃん!」
「ちょ、待て、菫。そうは言ってもお主、見ず知らずの者を突然連れて来ては家族が困るじゃろ?」
「だいじょーぶ、説得するから! 女の人が野宿なんて、だめだよ! それこそあぶない。
それに、ぼくたち、もう見ず知らずじゃないし」
 年相応の明るい笑みを浮かべた少年は、娘の手を取り遊具の出口まで引っ張り出す。

「はい」
 差し出された、薄い水色の小さな傘。
「・・・・・・お主、なかなか強引じゃのう」
 呆れながらも、娘はそれを受け取る。
 その際に触れた柔らかな熱は、娘を思わず微笑ませた。
「ありがとう、菫」
「どういたしまして」
「────では、ひとまずお主の言葉に甘えることにしよう。同業じゃというお主の兄者にも興味があるしのう。では行くぞ、朧」
『はい、黄泉様』
 朧は娘の肩にちょこんと乗り、ふさふさの尻尾を襟巻きのように彼女の首に巻きつかせる。
 目を丸くする菫に、「では、案内を頼む」 と澄まして促すと、黄泉は片目を瞑って見せた。



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