序ノ章 参

「というわけで、このお姉さんをうちにおいてください」

 菫に連れられて来た建物の最上階。
 上下に移動する鉄の箱の扉から奥へと続く廊下に、一つきりの豪奢な扉があった。
 話に寄ると、菫は年の離れた兄二人と三人で暮らしているらしい。
 先ほど彼は、手に収まる大きさの小さな箱のようなものに向かって喋りかけていたが、それで兄を呼び出したらしい。
 離れた場所にいる人間と話ができるその道具は、「ケータイ」 と言うんだよ、と菫は教えてくれた。
 ────その菫と良く似た顔立ちの青年が、玄関に仁王立ちのまま鋭い目つきで黄泉を睨んだ。

「だめっつったらだめだ」
 頭を下げた少年に憤然と答えた彼は、菫の次兄らしかった。
 耳に派手な飾りを幾つもぶら下げ、金髪に近い茶色の髪を無造作に跳ねさせている。弟同様非常に整った顔立ちの、すらりとした二十歳前後の青年である。
 ただし。
 目つきが非常に悪い。
 再び頭を下げた菫を彼は鋭く睨んだが、顔を上げた菫も負けじと睨み返した。
 やがて、どんなに頼んでも相手にされないと悟った菫が青年に食ってかかり始めた。
「・・・何でだよ!」
「こんな怪しい奴をうちに置いておけるか!! 式神連れてるし、どー見ても商売敵だし!」
「椿(つばき)兄の稼ぎなんて大したことないのに、商売敵もクソもあるかよっ!」
「ちょ、何だとてめー!!」
「そんなんだからモテないんだよ、椿兄は!」
「ああ!? ふざけんなガキが、もっぺん言ってみろ!」
「そんなんだから、モ テ な い ん だ よ っ !」
「コロス」
「いだだだだっ」
 ピキピキと青筋を浮かべながら青年は菫の頬を掴み、むにーと容赦なく引っ張った。
 成り行きを静観していた黄泉であったが、兄弟喧嘩の様相を呈し始めた二人の会話に、これでは埒があかぬ、と口を開く。
「・・・・・・菫、無理せずとも良い。ケツの穴の小さい男と同じ住まいなど、窮屈で敵わんからのう。
それに、私は野宿に慣れておるしの」
「ほらっ、こんなきれーなお姉さんが野宿だなんて、かわいそうだと思わないの!? 椿兄の鬼! 悪魔!」
「つーか俺ケツの穴小さくねーーーーし! どさくさに紛れて何言ってんだそこの女!」
「・・・・・・何を騒いでますか」
 全員が振り向くと、これまた二人の兄弟に面差しがよく似た青年が買い物袋を抱えて立っていた。
 年の頃は、二十三、四歳。 長めの髪を真っ直ぐに下ろし、長身に良く似合う細身の黒いスーツを見事に着こなしている。
 だが、二人に比べて随分とおっとりした雰囲気だった。手にした買い物袋からはみ出す大根のせいかもしれない。
「あ、牡丹(ぼたん)。 聞けよ、菫の奴が!」
「牡丹兄、ぼくの話からきーて!」
「順番に話しなさい。 まずは菫から」
 長兄と思しきその青年は、「菫を贔屓すんな!」と騒ぐ次兄を無視して菫から話を聞きだす。

 ・・・・・・そして十分後。
 二人の弟から事情を聞いた年長の青年は、「弟が世話になりました」と黄泉に頭を下げた後、おもむろに口を開いた。
「彼女が菫の命の恩人だというなら、お茶くらい出しても罰は当たらないだろう。
とにかくここでは風邪を引くから全員中に入りなさい。椿、結界を緩めて」
「ちっ、しょーがねえ・・・」
 彼の一言に、椿と呼ばれた青年は瞳を閉じて渋々と呪を唱えた。
 夜のように暗い空から、霧のような雨は今だ降り続いている。
 玄関前の廊下は庇が付いているとはいえ、風向きによって、天井と手すりとの間から細かい水滴が吹きこむ。
 合羽を羽織っている菫はともかく、黄泉の髪は既にしっとりと湿り気を帯びていた。

「いーぜ、牡丹」
 切れ長の目が開き、青年は兄に親指で玄関を指す。
 牡丹と呼ばれた青年は頷くと、娘を振り返ってにっこりと微笑んだ。
「うちは魍魎や魔に対する目隠しの結界が張られています。
菫や私は、霊力はあっても呪があまり得意ではないから、身を護るためにね。
貴女にはきっと見えていただろうが」
 長兄であるらしい青年は幼い弟に 「菫、彼女を居間に案内しなさい」 と言い残し、玄関の内側に消えた。
 目つきの悪い次兄が不満そうにちらりと黄泉を一瞥したが、何も言わず家に入ってゆく。
 続いて菫も中に入った。
「お姉さん、どーぞ」
「では、邪魔する」
 雨靴を脱いだ菫に促され、娘は返事しながら僅かに身構えた。
 他人の結界を通過する際の違和感に備え、意識を無に保つために目を閉じ、一歩踏み出す。
 ────水の膜を通リ抜けるような奇妙な感触。
 そして、陶器の板が張られた扉の内側にすっと降り立つと、黄泉は目を開いた。
(・・・人は見かけで判断してはならぬ、ということか)
 結界に触れれば、それを張った者の力量や性質が分かる。
 それは、見事と言うほかなかった。不浄な者から彼らの住処を隠すばかりでなく、家の空気を清らかに保っている。
 ごく普通の家なのに、漂う空気は、人々の間で何百年と受け継がれる聖域のようだ。
『黄泉様、ここの空気は綺麗ですね』
「そうじゃな」
 肩に乗った朧に同意し、娘はふっと微笑んだ。
 この結界を張ったのは、先ほど入口を緩めた青年なのだろう。
 彼が、菫の言う退魔師の兄に違いなかった。
 しかしこれが不貞腐れた表情ばかり見せていた彼の別の側面なのだと思うと、少し可笑しい。
「お姉さん、こっちー」
「少し、待ちやれ」
 娘は屈んで履物を揃えると、少年の声がした光が漏れる部屋へと足を踏み出した。




「で、黄泉さん、でしたっけ」
「黄泉、でいい」
 綿が入った椅子を勧められ、出された温かいお茶を啜りながら、娘は牡丹の問いに応じていた。
「では黄泉。 まずは貴女の事情をお聞きしましょうか。
貴女のような妙齢の女性が、なぜ野宿など? 『ホーム○ス中学生』の真似ですか」
「ほーむ・・・? よく分からないが、多分違う」
 部屋の隅に佇む椿が何か言いたげだったが、結局彼は再びそっぽを向いた。
「・・・・・・家など、とうの昔になくした。家族は皆、鬼に殺されたのじゃ。私はその鬼を追っておる」
「・・・・・・」
 淡々と告げる娘の言葉に、微妙な沈黙が部屋を包んだ。
「・・・・・・どんな鬼だ」
 腕組みをして壁にもたれていた椿が、口を開く。
「鬼を食らう鬼じゃ。人の中に紛れ、自在に姿を変える。
それゆえ、今どのような姿をしているかは分からぬが、奴はこの町にいる。それは確かじゃ」
「・・・・・・ふうん」
 再び彼は顔を背け、替わりに思案に耽っていた長兄が、切れ長の目を上げた。
「その鬼を、どうやって探すつもりなんですか?」
「奴は、人間に化けて恨み辛みの種をばら撒き、餌となる鬼を育てる。
じゃが、中には奴の元から逃げ出す鬼もいる。片っ端から鬼を片付けていけば、何れ手がかりを得られよう」
「なるほど・・・・・・じゃあ、こうしては如何でしょう」
 湯飲みを茶托に戻し、牡丹はどちらかというと中性的な、端正な顔を傾げた。
「うちの椿の所には、様々な霊的な厄介ごとが持ちこまれます。
中には、鬼────僕たちは魔とか悪霊とか呼んだりもしますけど────に関わるようなことも多い。
貴女はそれを手伝う代わりに、うちに住めばいい」
「ちょ、牡丹! 待てよ!」
 思わず腕組みを解き、無茶な提案をした長兄に椿が食ってかかる。
「何ですか椿。双方にとってお得じゃないですか。
彼女は情報が集めやすくなる。貴方は助手を得られる。菫の話を聞く限り、黄泉は非常に優秀ですよ。
それに、先日のように菫に何かあった時、彼女がいれば心強い」
「菫くらい、俺が守れる!」
「僕はね、『もしも』という可能性の話をしているんです、椿」
 怒鳴った椿を穏やかに制した牡丹の目が、鋭く光る。
「それとも、この行く当てのないお嬢さんを見捨てる、と?」
「・・・・・・そんなことは誰も言ってねーよ」
 椿はふいっと目をそらせた。
 その様子を、何とも言えない心持で黄泉は見ていた。
 彼女は鬼を追って様々な場所を彷徨ってきた。
 ゆえに、野宿や孤独にさして苦痛は覚えない。しかしそれでも、人の温かさが恋しくならない、と言えば嘘だ。
 彼らを見ていると、嘗て普通の人間であった頃の自分を思い出す。

「本当に信じるのか? この得体の知れない私の話を?」
「・・・・・・得体が知れない、って自覚はあるんだな」
「これは、何かの縁です」
 沈黙を破った黄泉に、椿は小さく呟き、牡丹が微笑みかける。
「ここにいなよ、ね?」
 隣に目をやると、真剣な菫の眼差しがこちらを向いている。
「・・・・・・良いのじゃろうか」
『黄泉様の御心のままに』
 肩に乗る式神に問うと、白狐は静かに返した。
「────では、かたじけないが、暫くご厄介にならせてもらう」
「やったあ!」
 ぱあっと菫の顔に広がった笑顔につられて、黄泉も目を細めた。
「では改めて。 葛城(かつらぎ)家へようこそ」
 牡丹がにっこりと微笑む。
 狐を肩に乗せ、竹光を背負った美貌の娘は、「不束者じゃがよろしく頼む」 と三人に向かって丁寧に頭を下げた。



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