微睡ノ章 四

 ────なくなってしまったの。ここに置いてあった、お金が。
 誰が持って行ってしまったの?
 大事に大事に取っておいた、私のお金が、ないのよ。




* * *




 不思議な女だった。
 やってきたその日、女は夕食のおでんを用意する長兄の牡丹に向かって、「飯は要らぬが、酒とお揚げをおくれ」 と鈴を転がすような声で告げた。

「・・・未成年にお酒は困るんですけど」
「みせいねん?」
「えーと・・・つまり、二十歳以下の人のことですよ」
 微妙な表情を浮かべた牡丹に、女はカラカラと軽快に笑った。
「ああ、なるほどの。この時代では、若い者が酒を飲んではならぬ、ということか?」
「・・・まさか、二十歳以下飲酒禁止の法律を知らない、とか」
「まあ、最近目覚めたばかりだからのう」
「目覚めた?」
「ああ、こちらの話じゃ」
 意味が分からず、椿は首を傾げる。
「私は見かけよりもずっと年を食っておる。案ずるでないぞ」
 女は、澄まし顔で告げる。
 さっぱり意味が理解できない、といった面持ちの三兄弟に、女は ニッ と笑って「見るが良い」と背中の竹光を抜き放った。
 キィン、と小さな鐘の音(ね)に似た音が響く。
 同時に出現した青い燐光に、黄泉以外の全員が息を飲んだ。
 彼らの目の前で、光に包まれたその刃の部分が変化する。枯れた竹色が、月の光のような銀へと変じ、すらりと長さを増してゆく。
「・・・何だ、これ・・・」
「これ、とは失礼じゃなあ」
 呟いた椿に軽く目を眇め、黄泉は刀を一振りした。水のような燐光が、空中で尾を引く。
「鬼狩りの御神刀、『煌月』じゃ。先程の竹光は、『煌月』を具現化する媒介。『煌月』の本体は、私とほぼ同化しておる」
「つまり・・・」
「私は、只人ではない。年齢についても然り。若く見えてもお主らより遥かに年上なのじゃ。お分かりいただけたか、牡丹殿」
 彼女の式神も主に同調する。
『そうです、黄泉様が普通の人間なら、今頃とっくに骨と土ですよ』
「・・・・・・朧、もう少しましな言い方で言え」
 綺麗な弧を描く眉を寄せ、黄泉は朧を軽く睨んだが、式神の白狐は素知らぬ振りをする。

 その式神から顔を人間達に戻し、黄泉は説明に戻った。
「私の中の『煌月』の霊力は、酒の奉納を欲しておるのよ。逆に、並の食事では調子が狂うのじゃ」
 彼女の白い手の中。
 銀の刃は徐々に光を失い、瞬く間に元の竹光に戻った。同時に青白い燐光も消える。
「・・・・・・そういうことでしたら」
 実際にこのような場面を目の当たりにして、彼女の弁を否定はできない。
 では酒を出そうか、と言う段になって牡丹は申し訳なさそうに眉を下げた。
「ビール、とかじゃ駄目ですよねえ・・・」
「びいる?」
「シュワシュワした、麦が原料の酒ですよ」
「ううむ、試してはみたいが、できれば米から作られた酒が良いのう」
「あの、言い難いのですが、生憎料理用しかありませんけど」
「かまわぬよ」
 黄泉はあっさり頷いた。(料理用でも良いのか・・・) という兄弟達の視線を気にもしない。
 戸惑いつつも、牡丹は冷蔵庫から取り出した日本酒の瓶を開けた。
 誰も使っていなかった引出物の枡に、透明な液体を注ぎ、皿に盛った油揚げと共にテーブルに並べる。
「・・・どうぞ」
「おお、檜の枡じゃな。良いものじゃ」
 彼女は傍らの白狐に皿ごと油揚げを寄越すと、己はぐいっと酒を煽った。
「ぷっはーーーーー、美味いのう」
 ・・・確かに十代の小娘の仕草ではない。椿と牡丹は互いの心を察して目配せする。
 彼らの共感を知らぬまま、黄泉は満足気に枡を傾けた。
 その横では、彼女の式神がふさふさの尻尾を左右に振りながら、嬉しげに油揚げを齧っていた。




 さて、翌日。
 けたたましく鳴っていた目覚ましを止めた椿は、暫し寝台の上でぼうっとしていた。
 静けさが漂う部屋に、雨音がさらさらと響く。
 ようやく意識が覚醒してくる。布団をどけて身を起こすと、程良く筋肉の付いた上半身が露わになった。
 椿は寝惚け眼のまま、自室の扉を開ける。
「おはよう」
「っ!!!!」
 この世の者とは思われぬ美しい女が、居間のソファにから自分を振り返る。
 一気に目が覚めた椿は、物凄い勢いで自室の扉を閉めた。

「忘れてた・・・」
 上半身裸はまずい・・・・・・気がする。相手の年齢が謎とはいえ、外見は若い。相手は気にしなくても自分が気になる。
 その辺に転がっていたTシャツに急いで袖を通し、再び居間に出た彼は、もう一度絶句した。
『おはようございます、椿様』
 爽やかに朝の挨拶をした白狐の口元に、子兎が咥えられている。
「お・・・お前、そいつは餌じゃねえぞ!!」
「落ち着け、椿。朧は家具に挟まって身動きが取れなくなっていたこの兎を助けただけじゃよ」
 ・・・女に言われて冷静になる。 確かに、よく見ると朧が咥えたまん丸い白い毛玉はそれを嫌がるでもなく、大人しく手にした人参の欠片を齧っている。
 椿は眉間を押さえて、はーっと安堵の息を吐いた。
「・・・・・・」
「こやつ、お主の式神か」
「・・・・・・まあな」
 気まずい。
 強面の自分が、何の役にも立たなさそうな────役に立つどころか、家具の隙間に入りこんではよく出られなくなる、どちらかというと間の抜けた────兎の式神を使役しているなど、あまり他人に知られたくない事実だった。
 だから昨夜は兎を自室に隠していたのに、何時の間にか部屋を抜け出したらしい。
「可愛いのう、何処で拾った?」
 椿の心境を知ってか知らずか、黄泉は美しい笑顔を彼に向けた。
「・・・・・・。雪山で野犬に襲われて瀕死の所を助けて、式神にした」
「なるほどのう。で、あの置物みたいな鳥もお主の式神か?」
「・・・・・・そうだ」
 黄泉が指差した居間の隅には、止まり木にが据えられている。
 そこに、一羽の大鷹が止まっていた。
 両目を閉じ、瞑想しているが如き佇まいの鷹は、羽を広げれば大人の身の丈程はあるだろう。
「あ奴、昨日と全く同じ格好で止まっておるよ」
 黄泉が感心した風に頷いた時、別の扉から菫が顔を覗かせた。
「お姉さん、椿兄、おはよー。あれ、うーちゃん、昨日はどこ行ってたんだ?」
 朧が床に降ろした子兎に歩み寄って、菫はその背を嬉しそうに撫でた。
「・・・うーちゃん・・・?」
「兎だからうーちゃん。椿兄が付けたんだ。センスなさすぎだよねー」
「扇子?」
 噛み合ってない二人の会話に、椿は静かに背を向けた。────彼らの話を一切聞かなかったことにして。

「ああ椿。依頼が来てますよ」
 椿がカラリと椅子を引くと、台所に立つ長兄は笑顔で振り向いた。
 白い割烹着を纏い、手には柄杓を持っている。
「どんな?」
 返事をしながら、椿は無造作に椅子に腰かける。
「夢遊病のように歩き回るお婆さん、だそうです。
部屋に鍵をかけておいても何時の間にか抜け出してしまうそうなんですよね」
「・・・ふーん」
「それで、ほとほと困ったご家族が、一度見てみてほしい、と」
「今日の午後行く。場所は?」
「後で貴方の携帯にメールを転送しておきます」
「ああ」
 説明しながら、牡丹は手早く白米と豆腐の味噌汁を椿の前に並べる。
 おかずの皿には卵焼きとこんがり焦げ目のついた焼き鮭。そして、ほうれん草の小鉢。
 葛城家の食事を取り仕切る長兄は、身贔屓無しで料理が上手い。
 温かな湯気を漂わせるそれらに、「あの女はこの飯を食べないんだな」 と椿は眠い頭でぼんやりと考えたのだった。




 午前中の講義を受講し、椿は一度家に戻ってから、黄泉と依頼人の下へ向かっていた。
 柔らかな雨は、けれど一向に止む気配が無い。
「初仕事じゃな」
 そんな天気にも関わらず、浮かれた足取りで隣を歩く女を椿はちらりと見た。
「・・・・・・。何でそんなに嬉しそうなんだ」
「厄介になるばかりでは申し訳ないではないか」
 白い傘の下から、にこり、と微笑する。 まるで、大輪の花が開いたかのようだった。

 和装と派手なピアス。ちぐはぐな出で立ちの二人は、それを差し引いても人々の目を引く美貌の一対である。
 ただし、彼らの肩に乗っている白狐と大鷹は、思わず振り返った人々には見えない。
 男の肩に乗る普通は見えない筈の鳥を、黄泉は興味津々で見上げた。
 相変わらず鷹は両目を閉じている。
 式神にも一応生死はある。実は死んでたりしないだろうか。
「そいつ、生きているのか」
「当たり前だ。死体連れてきてどうする」
「ピクリとも動かないから心配になったのじゃ。・・・その鷹の名は?」
「燦(さん)」
「お主が付けたのか?」
「いや、こいつは家に代々受け継がれてきた式神だ。先祖の誰かが付けたんだろ・・・・・・『やっぱり』って顔すんな」
「お主が名を付けると、お主の子孫が嫌がりそうじゃもの」
 鋭い目で睨んでも、女は一向に動じない。寧ろ可笑しそうにしている彼女から、椿は舌打ちして視線を外した。
「着いたぞ」
 彼がぶっきらぼうに顎で指し示した先。
 彼らの目的地であるその場所には、古びた日本家屋がひっそりと佇んでいた。



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