微睡ノ章 五

─────『鬼狩姫ダ』
─────『鬼狩姫ガコノ街二来テイルゾ』
─────『隠レロ』 『逃ゲロ』
─────『イヤ待テ、コレハ』
─────『コレハ、宴ノ始マリダ』─────




* * *




 ・・・・・・チャイムを押して待つと、すぐにカラリと引き戸が開いた。
 中から、ふくよかな体型の中年女性が顔を出す。
 意外な組み合わせの二人組に、女は一瞬驚きの表情を浮かべた。が、すぐに縋るような目を向ける。
「お待ちしておりました」
 目の下には隈、声にも張りがない。女はひどく切羽詰っているようであった。
 彼女に 「どうぞ、中へ」 と促され、椿と黄泉は軽く会釈を返す。そして薄暗い屋内に足を踏み入れた。
 女に通された居間も、何処となく重い空気が漂っている。同じ物を感じ取って、二人は目配せを交わした。

 お茶を出し、一礼して、女は二人の前に座った。
「実は、お二人をお呼び立てしたのは、母のことで。私、どうしたらいいか分からなくて・・・・・・」
「お伺いします」
 今にも泣き出しそうな女を宥めるように、椿は続きを促した。
「ええ、すみません。私、母の介護をしてるんですが・・・」
 彼女、芦屋里子と名乗る女は堰を切ったように話し始めた。

 彼女は結婚して近くの町に住んでいたが、今はこの屋敷に泊りこんで、年老いた母親の面倒を見ていた。
 母親は、物忘れがひどくなるにつれて屋内や外をふらふらと彷徨い歩くようになったからだ。
「・・・・・・最初は、夢遊病か何かと思って、お医者さんに相談したんです」
 きちんと眠らせるための強い睡眠薬を投与しても、効果は上がらなかった。
 何より気味が悪いのは、部屋に鍵を掛けておいても、母親が何時の間にか抜け出してしまうこと。
「そういう時は決まって、箪笥の引出にしまった四万円がない、と騒ぐんです」
 一度こっそり四万円を引出に入れて、「ほら、あったよ」 と芝居を打ったが、またすぐ忘れてその金を探し始めるらしい。
 母親は、今は里子の名前すら忘れてしまっている。家の中をふらふらする程度ならば問題ないが、何故か母親に鍵は役に立たぬ。目を離した隙に外に彷徨い出て何かあっては困ると、医者から彼女を拘束する案も検討するように言われた。が、さすがにそれは可哀想だ、と里子は反対したのである。
 かと言って、このままでは母親の面倒を一手に引き受ける彼女が、極度の睡眠不足で先に参りかねない。
「・・・お祓いでどうにかなれば、と思って、知り合いの伝手を頼ってご連絡した次第なんです」
「事情は分かりました。まずはお母様のご様子を見させてください」
 黙って話を聞いていた椿が、口を開く。
「ええ、こちらです」
 依頼人の女に誘(いざな)われ、二人は建物の奥へと進む。
「お母さん、入るね」
 ギシギシと軋む廊下の先、年季の入った木の扉を女は押し開ける。そこには、白い布団の上に老婆が横たわっていた。

 女によく似た面立ちの、皺の刻まれた青白い顔。
 老婆は、三人の気配に目を見開いた。
「ああ・・・ねえ、お金・・・お金が無いの、貴方たちが持って行ったの?」
「違うわ、お婆ちゃん。馬鹿なこと言わないで。・・・本当に、すみません。いつもこうで」
 体を起こそうとした老婆に、女は「お婆ちゃん、大人しくしてて」と慌てて歩み寄った。

「・・・」
「子鬼、じゃな」
 黄泉は小声で呟いた。椿も微かに頷く。
 依頼人の話や、屋敷の雰囲気だけでは確証が持てなかった。だが、どうやらこの件は彼ら二人の管轄だ。
 先程から感じる、この家に漂う淀んだ霊気。それは、この部屋を中心に濃くなっている。
 そして、目の前の老婆からは人でないものの気配が僅かに感じ取れた。
「・・・・・祓うこと自体は、そんなに難しくねーな」
 顎に手をやって呟いた椿に、黄泉は頷いた。
「そうじゃなあ・・・どうする?」
 気配からして、相手はおそらく力の弱い子鬼だ。椿や黄泉にとって老婆からそれを取り除くことは、そう難しくない。
「取りあえず結界張って、ひっぺがす」
「分かった」
 一先ず椿に任せることにして、黄泉は後ろへ引き下がる。
 椿は里子の反対側からすっと老婆に近寄って、その皺だらけの額に手を当てた。
 老婆の目がふっと閉じられる。
 椿は目を瞠る依頼人の方を振り返った。
「祓いを始めますので、部屋の隅にいてください」
「わ・・・わかりました」
 おろおろと移動する女を横目に、椿は素早く護符で結界を敷き、小さく呪を唱える。

 椿が術を行使して間もなく、部屋の空気がすっと変化した。
 空間の淀みが洗われ、清浄さを増してゆく。椿は意識を集中させ、更に結界を強めた。
 黄泉の目に、椿の結界が青白く光って見える。無駄のない霊力の流れに、彼女は思わず感嘆の息をついた。
「・・・うう・・・」
 目を閉じたままの老婆は、けれど微かに身じろぎし、小さく呻き声を上げた。
 黄泉は目を凝らした。老婆の長く伸びた白髪の中で何かが苦しげに蠢いている。
「椿、出て来おるぞ」
「・・・燦、行け!」
 主の鋭い呼びかけに、鷹は閉じていた黄金色の瞳を見開いた。
 重力を感じさせぬ羽ばたきで老婆の頭上にふわりと舞い上がると、その髪の中に鋭い爪を伸ばす。
「待て、殺させるな、椿!」
 椿の意図に気付いて、黄泉は鋭く叫ぶ。
「何?」
「そやつをそのまま捕まえろ!」
「ああ!? このまま消滅させた方が早いだろ!」
「いいから! お主なら出来るじゃろ!」
「・・・燦、殺すな!」
 舌打ちして、椿は鋭く燦に指示を飛ばす。
 だが、燦が戸惑った一瞬の隙を突いて、蠢く何かは老婆の髪の中から ひゅっ と飛び出した。
 「それ」は、猫に追われる鼠のように結界内を逃げ惑う。
「朧!」
『はい!』
 黄泉の呼びかけに、朧の口が裂ける。
 吐き出された火炎が、逃げる「それ」を結界の隅に追い詰めた。
「椿、今じゃ!」
「ったく、無茶を言う助手だ」
 取り出した護符を、椿が機敏な動作で投げつける。

シュッ

 空気を裂く音。
 護符が張りつくと同時に、「それ」は ポタリ と、畳の上に落ちた。
 ふわりと舞い降りた燦が、キュウキュウ と鳴く「それ」を足で柔らかく捕らえる。
「・・・捕まえたぜ。どーすんだ」
「家に連れて帰るのじゃ」
「は!? 待てお前!」
「そのまま燦に捕らえさせておけ。 頼んだぞ」
 黄泉は椿を一瞥し、すっと老婆の枕元に近寄った。
「・・・・・・なあ、聞こえるか。婆様よ」
 足を折った黄泉は、布団から覗く細い手を取った。
 皺だらけの瞼が震え、老婆の目が再度、ゆっくり開かれた。
「だれ・・・?」
「私は、お主を助けたい、と思っておる者じゃよ」
 黄泉の玲瓏な声が、厳かに、労わるように囁かれた。
 彼女の白い手が、年輪が刻まれた老婆の手をきゅっと握る。
「・・・・・・お主は、これまで、必死で頑張ったのじゃろう。四人の子供を、たった一人きり、女手一つで育て上げて」
「よく・・・思い出せない・・・・・・」
「気をしっかり持つんじゃ。お主はずっと彼らを気にかけておったのじゃろう?」
「・・・そう。・・・いつも不安だった」
「でももう、大丈夫じゃよ。何も心配せんでいい」
「・・・本当?」
 ぽつり、と老女は呟く。それに黄泉は深く頷いた。
「子供たちは大人になった。そしてお主にちゃんと会いに来る。だから、心配いらぬよ」
「・・・私の、大事な・・・子供たち。・・・ありがとう、思い出させてくれて」
 静かな声音に、皺の刻まれた瞼が閉じられた。その眦から、透明な雫が零れる。
 その後に部屋に響いたのは、彼女の安らかな寝息のみだった。




 去り際。
 黄泉は依頼人の女に強く念を押した。兄弟を集めて、彼女に会わせるように、と。
 その言葉に、依頼人は恐縮したように頭を下げていた。
 帰り道、椿は黄泉に怪訝そうに口を開いた。
「・・・どういうことだ?」
「ああ。あの子鬼が飛び出した時な、一瞬だけ、婆様の記憶が漏れ出して見えたのじゃ」
 椿がつり気味の目を瞠る。
「・・・お前、そんなこともできるのか」
「いや、今日はたまたま、波長が合ったのじゃろう」
 軽く首を振った黄泉は、ぽつぽつと言葉を継ぐ。
「あの婆様はの、夫に先立たれた後、女手一つで子供四人を育てたんじゃ。つまり」
 黄泉は一旦言葉を切り、ほろ苦く微笑む。
「婆様が探していた札四枚はの、彼女の子供のことじゃ。
金のない時代の記憶と、今はほとんど自分に会いに来ない子らのことが、ごっちゃになったんじゃ。
そして、子供を育てんが為に働いていた頃の、眠ってはいけない、という記憶がこの鬼を生み出した」
「・・・確かに、こいつは眠りを食う子鬼だな」
 椿は摘み上げた子鬼をぶらぶらと揺らした。子鬼は それに抗議して キュウ と鳴く。

 ────鬼は普通、人の恨みや妬みを食って成長するが、中には変り種が存在する。
 人の眠りを糧にする鬼がそうだ。この子鬼のように。
 老婆の意思に従って鍵を開けていたのもこの子鬼だったのだろう。
「で、こいつどーすんだよ」
「これは、あの婆様の心が生み出したもの。消滅させるより、菫の術で思う存分眠りを与えた方が、あの婆様にとっても良かろう。婆様の精神から、完全に切り離せぬようじゃからのう」
「・・・そうだな」
 老婆の精神と繋がっているこの子鬼を消滅させたら、徘徊は止んでも別のところで悪影響を及ぼす可能性がある。黄泉の言葉に軽く頷いて、椿は手の中の鬼を見やった。
「にしてもこいつ、メガネザルっぽいな」
「猿? 私には鼬(いたち)のように見えるが」
 キュウ、と鳴いたそれは、短い四肢に細長い胴体と尾、そしてやたらと大きな瞳孔の獣型の子鬼だ。
 小さな額には、一本の角がちょこんと生えている。
「外国には、こんな感じの猿もいる」
「ほう、この国は鎖国をしていたと思ったが」
「何時の時代の話をしてるんだ」
 思わず突っ込んだ椿は、呆れた溜息と共に疑問を吐き出す。
「お前、実際はあの婆さんよりよっぽど年上だろう。・・・本当は幾つなんだ?」
「乙女に歳を聞くでない」
 問いを笑顔ではぐらかして、黄泉はふと空を見上げる。
「おや、雨が上がったようじゃ」
 軽やかな声につられて椿も顔を上げる。
「明日は晴れそうじゃのう」
「・・・・・・ああ」
 長身の青年は傘を降ろして、雲の切れ間から覗く日の光に目を細めた。




 ────これは、それから一ヵ月後の後日談。
 とある夕方のこと。

「い〜れ〜て〜く〜れ〜〜〜〜」
「のぉっ!!」
 風呂上がり、髪を拭いていた椿は、窓の外を見てぎょっとした。
 ガラスに張りつく和服の女の姿があったのだ。慌てて窓付近の結界を緩め、ガラスを開ける。
「お前な、玄関から入って来いよ! ここを何階だと思ってんだ!」
「いや、すまぬ。あのえれべーたーというのがどうにも苦手で・・・」
「我慢しろ! 近所の人間に見られたらどーすんだよ!」
「もうしません・・・」
 しょぼくれた黄泉に、椿はやや気まずそうに話題を変える。
「・・・・・で、お前、またあの婆さんの所に行ってきたのか?」
「そうじゃ!」
 ぱっと顔を輝かせて黄泉が答える。
 時々、彼女はあの依頼人の家へこっそりと様子を見に行っていた。
 あれ以来、老婆の彷徨はすっかり収まったらしい。
「ここのところ兄弟が勢揃いで、婆様は嬉しそうじゃったよ。じゃがのう・・・」
 笑顔から一転、黄泉は寂しげに部屋の隅へ目をやる。
「お帰り、お姉さん。・・・あれ? めーちゃん?」
 キッチンから出てきた菫は、燦の足元に眠る子鬼に歩み寄った。
 結局子鬼の名は「めーちゃん」に決まり(もちろん椿が付けた)、毎晩菫が強力な眠りの術をかけていた。
 兎の式神と部屋を駆け回りつつ、昼間も良く寝るようになった子鬼は、燦の止まり木の下がその定位置となっていた。
 しかし────
「お姉さん、めーちゃんの様子が変!」
「・・・・・・寿命じゃ」

 すやすや、と。
 穏やかな呼吸が、少しずつ弱くなってゆく。
 泣きそうな菫の掌の上。
 黄泉は、茶色の毛皮を優しく撫でた。子鬼の向こうに、菫の掌が透けて見える。
「あの、婆さん・・・」
「そうじゃ」
 椿の問いかけに、黄泉は頷いた。子鬼を生んだ本体である老婆の命が消えかかっている。

 ────彼らが見守る中、徐々に薄くなっていた子鬼の姿が、ついに すうっ と消えた。
 少年は、もう何も乗っていない手をきゅっと握り、名残惜しそうに降ろした。
「・・・・・・泣くでない、菫。今日会ったあの婆様は、本当に嬉しげじゃったよ。だから」
 黄泉は腕を伸ばし、震える菫の頭を撫でた。
「泣くでない」
 女は、艶やかな黒い瞳を閉じる。
「・・・・・・。・・・お前も」
 呟いた椿は女の白皙の頬にそっと触れる。そして、壊れ物を扱うように、震える睫から零れ落ちた透明な雫をその指先で掬った。



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