翠雨ノ章 六

──────泣いていたのは僕。
──────泣いているのは君。

ふたりのうえに さらさらと あめがふる。




* * *




「こんなもんか」
 呟いて、椿は軽く伸びをしながら立ち上がった。
 作業していた玄関からリビングに入ると、何が面白いのか、彼の新しい同居人はテレビの天気予報を食い入るように見つめていた。
 その背中に「おい」と声をかける。
「いたのかお主」
「・・・いて悪いか」
 椿は、振り向いた黄泉に冷ややかに突っこんだ。
「で、私に何か用か?」
 黄泉は天気予報の続きが気になるのか、ちろちろとテレビの方に目をやりながら問う。
 椿は無表情のまま、「手を出せ」と彼女に告げた。
「何じゃ」
「今度から家を出入りするときはこれを使え」
 差し出された小さな手に落とされたのは、銀色に光る鍵。
 黄泉は、赤と白の飾り紐に通されたその鍵と、無表情な椿の顔を交互に見比べた。
「これは?」
「・・・今までの結界は、血が繋がってる奴だけ通れるようにしてたんだよ。
 でも、牡丹と菫は出入りできても、お前はそれじゃ通れないだろう。
 いちいちお前が通る度に結界を緩めたりすんのも面倒だから、鍵穴にその鍵を挿して中に入る方法に変えた」
「ほう。お主、思ったより器用なことができるのじゃなあ」
「・・・『思ったより』は余計だ。いらないなら返せ」
「冗談じゃよ!」
 伸ばされた手を避けて、黄泉はソファの隅に逃げた。
 安全を確保してから、手の中の小さな金属を目の前にかざす。
 一見それは普通の鍵だ。
 しかし、黄泉の目には細かく呪が施されているのが見える。
 白と赤の飾り紐も、黄泉の着物の配色に合わせたのだろう。見かけによらず繊細な配慮をする男だ、と感心する。
 菫が常に身に着けている七宝の御護りも、おそらく彼の手によるものだろう。
「これで好きに外出できるだろう。失くさないように首にでもかけとけ」
「かたじけない」
 素っ気ない男に礼を言い、黄泉は嬉しそうに鍵を首にかけた。
「早速試してみようかのー」
 白い着物に包まれた華奢な体がふわりと浮かび上がる。ソファを乗り越え床に着地すると、黄泉は パタパタ と玄関の方へ走って行った。
 ・・・後に残されたのは、ソファで腹を見せて眠る彼女の式神だ。
 油断しきった猫の如き姿に呆れた視線を投げかけたが、よく考えれば自分の式神も似たりよったりである。
 燦は止まり木の上で彫像のように微動だにせず、その下で兎と子鬼が丸まって眠っている。

(・・・さて、どーすっかな)
 テレビを横目に、椿は今日の予定を考える。
 大学の講義が休講になったため早めに帰宅したが、気になっていた玄関の結界を直せば特にすることがない。
 ベランダから見える空はどんよりと曇っていて、積極的に出かける気も起こらない。
 考えあぐねていたその時、テーブルの上に置きっ放しだった携帯が鳴った。
「もしもし」
『ああ、椿。今日また依頼が来ましたよ』
 電話は、外出中の長兄からだった。
 彼は、基本的に家にいる。PCで株を売買し、それなりの収益を上げている、らしい。ちなみに、家事や金銭面で兄弟の面倒を見ているのは牡丹である。
 しかし、彼は外出することも多い。
 行き先はよく知らないが知人は多いようで、彼は口コミで退魔師の仕事を請け負う椿の窓口代わりもしていた。
「・・・どんな依頼だ」
『涙が止まらない女の子、だそうですよ』
「・・・・・・」
『心配しなくても大丈夫ですよ。小さな女の子です』
 椿の沈黙に、長兄は可笑しそうに言葉を続ける。
『その子には、空想の友達がいるそうなんです。
一人で遊んでいるのに、まるで誰かと一緒にいるかのように振舞うらしいんですよ。
まあ、それ自体は小さな子にままあることのようですが、どうも変らしくて。親御さんが、その姿が見えない友人の声を実際に聞いた、と』
「・・・分かった、取りあえず行って、確かめる」
『そうしてもらえますか』
「依頼人の住所は?」
『電話を切ったらメールを転送します。では、お願いしますね』
「ああ」
『それにしても、人嫌いで特に女性が苦手な椿が、よく黄泉さんと同居できますねえ』
 からかいを含んだ牡丹の声に、ぶっきらぼうに言い返す。
「・・・あいつ、中身は婆さんだからな。女って感じじゃないだろう」
「何か言ったか?」
 真後ろから投げかけられた冷たい声に、椿はぎょっとして振り向いた。
 何時から居たのか、ふわふわと宙に浮かんだ黄泉の胡乱な視線を、彼はバツが悪そうに受け止める。
「・・・依頼だ。お前も行くか?」
「もちろんじゃ。朧、ほら起きろ」
 彼に冷ややかな一瞥を与えて、黄泉は自分の式神を叩き起こす。
 朧は眠たげな声で 『黄泉様、乱暴ですよ』 と抗議の声を上げた。
 再び携帯電話に耳を当てると、牡丹の忍び笑いが聞こえる。
『・・・じゃあ、よろしく』
「ああ」
 苦い表情で頷くと、椿は通話を切った。




「今日は遠いから車で行く」
 車のキーを取りながら言うと、黄泉の顔がぱあっと輝いた。
「あの鋼の箱じゃな。面白い、一度乗ってみたかったのじゃ」
 ころっと機嫌が良くなった助手に、椿は何となくほっとする。

 今日は、珍しく牡丹から車を使う許可が出た。
 ガソリンや物価が高くなった昨今、長兄は節約に非常に煩い。
 椿は、その点で牡丹に頭が上がらない。退魔師としての彼の稼ぎは微々たる物だし、そもそも牡丹が基本的に仕事を取って来る。

 椿は一人と一匹と一羽を伴ってマンション地下の駐車場に移動した。
 そして、隅に停めてあったグリーンのコンパクトカーに乗りこむ。
「じゃあ、車出すぞ。・・・黄泉、お前シートベルトしろよ」
「しーとべると?」
「その、紐みたいなやつを引っ張ってここに金具を入れるんだ」
「こうか?」
 黄泉を引っ張り出したシートベルトの余計な所に首を通したり腕を入れたりして・・・何だかおかしなことになっている。
 椿が憮然とした表情で絡んだシートベルトを直してやると、女は「ありがとう」と花のように笑ったのだった。




 ・・・厚い雲が空を覆い、夕方かと思うほど辺りは薄暗い。予想した通り、道行きの途中で雨が降り出した。
(最近、本当に雨ばかりだな)
 内心ぼやきながらハンドルを握る椿は、ちらりと横を見た。
 車の中を興味津々で見回していた助手席の女は、今度は窓ガラスに顔をくっつけて外の風景に見入っている。
 婆さん、というより子供だ、と思いつつ椿は内心で苦笑した。
 その背後、後部座席には二人の式神が乗る。
 朧は主人と対照的にちょこんとお行儀よく座り、燦は何時もの如く微動だにせず目を閉じている。

「多分、ここだ」
 新興住宅街に入ったところで、椿は車を止めた。
 雨に濡れた窓から目を凝らし、表札を確認する。
「『麻生』・・・あってんな。黄泉、車降りろ」
「よーし」
「・・・ちょっと待て。その駄々漏れの霊力を何とかしろ」
「むう?」
「そんな殺気満々の霊力を放ってたんじゃ、今回は仕事にならなそうなんだよ」
「殺気じゃなくてやる気と言うんじゃ、これは」
 眉を寄せながら、黄泉は目を閉じて気を静める。
 『煌月』の気配を体の奥底に押しこめて、再び目を開いた。
「これで良いか」
「ああ」
 傘を広げて二人は車から降りる。
「雨は、鬼の気配を隠しおるから好きではない」
 黄泉の小さなぼやきは、雨音に消される。
 彼女の一瞥で、後部座席の朧は心得たとばかりにガラスをするりとすり抜けた。そして主の肩に降り立つ。
 椿はそれが少し羨ましい。が、顔には出さず、無言で後部のドアを開け、己の式神を抱え上げて肩に乗せた。

 依頼人の家は建売住宅地の一角にあった。周囲には似たような家が立ち並ぶ。
 玄関先に立った椿がチャイムを鳴らすと、間を置かずインターホンから男の声が響いた。
『はい』
「依頼があるとお聞きしてこちらに参りました、葛城です」
『あ、お待ちしておりました。今、そちらに行きます』
 黒い瞳が興味深げにインターホンを見つめている。黄泉は、その茶色い箱をちょいちょいとつついた。
 椿は(やめろ)と彼女を目で制し、マイクに「お願いします」と声をかけた。



BACK TOP NEXT