狂影ノ章 九

炎が、踊る。

ゆらゆらと、闇を照らして。

その上で、同じ顔が嗤う。

俺達が、一つに戻るのは、さあ、いつだろう。




* * *




「あそこのトンネル、今月に入ってから二件も事故あったんだって?」
「そーそー。幽霊が出るって噂なんだよ! で、今日、行ってみようかって話になってんの」
「面白そうじゃん。オレも行く!」
 西日が射す放課後の教室で、菫ははしゃぐ同級生に冷めた視線を送った。
「・・・やめた方がいいんじゃないの」
「はあ? しらけること言うなよー菫」
 水をさされた少年が顔を顰め、周りの者達も彼に同意してそうだそうだと騒ぐ。そんな彼らの反応に菫は押し黙った。
 彼らが話している坂之上トンネルは、学校から一キロほどの場所にある。
 地元の人間が使う近道だが、葛城家の兄弟は全員、その周辺には近寄らない。
 ・・・理由は、押して知るべし。
 あの辺りは霊気の吹き溜まりだ。霊感が強い者にとって気持ちの良い場所ではない。
「つまんねー。おまえと一緒だとおもしれーもん見れそうなのに」
「人を何だとおもってるわけ」
 悪戯っぽい笑顔を浮かべ、自分だけに聞こえる小声で話しかけてきた友人を、菫は睨んだ。
 この尾上真砂(おのえ・まさご)は、小二以来の付き合いである。
 菫の体質を察しつつも周囲に吹聴しない、菫が安心して付き合える唯一の友人だ。
 ただ、好奇心で菫を振り回すことが多々あって、それが目下の問題だった。
「で、そっちの二人は行くの?」
 同級生の声に「オレは行く」と真砂は返事する。
「ぼくは帰・・・」
「あ、菫も行くってよ」
 ・・・菫の白い視線に、真砂はニヤリと笑った。
 だめだこいつ、全然人の話を聞いてない。
 「さー行くかー」とやたら張り切る友人の背中に、菫は大きな溜息を零したのだった。




 小高い山の斜面に穿たれた大きな穴。その空間を補強するセメントの壁に、滴る水が黒い染みを描いている。
 鬱蒼とした木々や蔦に覆われたトンネルの周囲は、菫の目にはひどく淀んで見える。
 結局トンネルのすぐ手前までやってきてしまった。
 何度か逃げ出そうとしたが、その度に真砂に見つかり、無理矢理連れ戻されたのだ。
 黒々とした空間を見上げ、菫はそこから漂う冷ややかな空気に顔を顰める。
(やっぱり、いやな感じ。っていうか・・・)
 最後にこの近くを通ったのは数年前だが、あの時よりも霊気が一段と濃くなっているような気がする。
 いい加減帰らせてもらおう、と踵を返しかけた時。
 ・・・覚えのある鮮烈な気配が、唐突に背後に出現した。
「誰かと思うたら、やはり菫ではないか」
「お姉さん・・・どうしてここへ?」
 忽然と後方に現れた同居人の女は、彼の問いに嫣然と笑った。
「ずっと家に居ては腕がなまるからのう。試しに家の近くで一番霊気の強い場所に来てみたのじゃ。
・・・ところでお主、こんな所におっては後で椿と牡丹に叱られるのではないか?」
「うわ、すっげ美人! 菫の知り合い?」
 二人の会話を耳にした真砂が、振り返って目を瞠った。その声に、前を行く数人も振り返り口々に驚いた声を上げた。
「・・・わ、きれーな人」
「なんかの撮影? げーのーじん?」
「お主ら、もっと褒めてくれても良いぞ」
『黄泉様・・・』
 飄々とした軽口に朧が呆れた溜息をつく。
 感嘆の声を上げる少年達に黄泉は微笑を返すと、彼らの向こうに広がる闇の奥に目を凝らす。
「・・・菫、こ奴らを下がらせるのじゃ」
 言いながら、黄泉は背中の竹光を抜き放つ。

 空気が、震えた。

『面白い霊気が近づいて来た、と思ったら────鬼狩姫か』

 トンネルの前の空間が、陽炎のように揺らめいた。
 その中から、不意に人影が出現する。
 黄がかった髪の、白い上下を着た青年であった。
 彼は現れた時と同じように、ふっと姿を消した。
「今の見た!?」
「見た! 一瞬で消えたぜ!」
「つか、あれ? あのきれーな女の人は?」
「いない・・・?」
 ・・・一応、黄泉は姿を消すに当たって彼らの目を気にしたようだ。
 こいつらを眠らせようか迷っている菫の服を、真砂がくいっと引っ張った。
「やっぱ、おまえといるとおもしれー」
 お調子者の同級生は、どこまでも面白がるつもりらしい。
 菫はその懲りない顔に呆れた視線を向けながら、携帯を取り出す。
 一応椿兄に報告しておこう、と兄の番号を呼び出した。
 ────その時、菫の頭上に不吉な黒い影が差した。




 巨大な穴の内側は、不気味な静寂が漂っていた。
 白い影は、深い穴の奥へと誘うように消えたり現れたりする。
『どこ見てんだ、こっちだよ』
 からかいを帯びた声音に、女は目を眇めた。ほんの僅か、違和感を覚える。しかしその理由がを見つけられないまま影を追った。

 姿が見えない相手の気配が迫る。
 黄泉は反射的に横へ飛んだ。
 背後から、一瞬遅れて鋭い爪が空間を裂く。
「朧!」
『はい!』
 ぐいっと裂けた白狐の口腔から、白い火炎が吐き出される。
『・・・つっ!』
 陽炎のように空間が歪み、その中から鬼が姿を現した。
 血の気のない唇の端から尖った犬歯が覗く。
 目と同じ金がかった髪から見え隠れする骨のようなものは、角だ。
「遊びは終いじゃ」
 月光の如く煌く切っ先を突きつけ、瞬く間に鬼を追い詰めた女は涼やかな声で宣告する。そして、細い腕を優美な動作で振り上げた。

『こいつの命が惜しかったら、止まれよ』

 血色のない額の数ミリ手前で、下ろされた刀がピタリと止まった。
 黄泉と男の二人だけであった空間に、新たに二人の人影が出現していた。目の前の鬼と同じ顔の男。そして、その腕に抱かれたぐったりしている小さな体は────菫だ。

(二匹いたのか・・・)
 違和感の正体に今更ながら気づき、黄泉は内心で己の迂闊さを罵った。
『・・・こんな単純な罠に引っかかるなんて、しょうもないな』
『おっと、そこの狐、動くなよ』
 菫を抱えた鬼が朧を牽制する。
『刀を捨てろ、鬼狩姫』
「・・・」
 女は、無言のまま足元に刀を落とした。カラン と乾いた音が闇に吸い込まれてゆく。
 その瞬間、影が閃いた。

『死ね』
「・・・・・・つっ・・・」
 白い着物に幾重にも鮮血が飛び散る。
 全身を激痛が駆け抜け、女の美しい顔が苦悶に歪む。 彼女の細い肩を貫く禍々しい腕が、傷を抉るようにゆっくり回転した。
『心臓を外したか。 じゃあ次は首を狙おうか』
 愉しげな笑みを浮かべた男は、血に染まった腕を女の体から引き抜こうとした。が、白く細い手がそれを阻む。
『・・・!?』
 人ならざる金色の瞳孔が見開かれた。掴まえられた腕は僅かも動かせないのだ。
「朧!」
 合図とともに吐き出された火炎が菫を抱える鬼の足を焼いた。
 同時に、黄泉の手が鬼の腕を引きちぎる。
『『ぐあぁあああっ!!』』
 絶叫が重なる。
 顔に自分の血を飛び散らせた美しい女は、引きちぎった腕を捨てる。そして足元の刀を拾い上げ、一閃。

 ────落ちてきた菫を朧が受け止める。
『ぐ・・・やめ・・・ぎゃあぁっ!!』
 無表情の女は、菫を盾にしていた鬼に刀を突き立てた。
 そして、片腕の無い方の鬼に向き直り、水の如く揺らめく光を纏った刃を顎にピタリと当てる。
「────お前らから、あ奴の気配がしおる。『鬼食う鬼』を、知っているな」
『・・・ああ。ここの霊気から俺達を作ったのは、『あのお方』だ』
 観念したのか、やけにあっさりと鬼は頷いた。追い詰められたことすら楽しむかのように、鬼は金色の瞳孔を細める。
「奴は、今、何処にいる?」
 冷ややかな女の問いに、鬼は唇の端をぐいっと上げた。
『俺を見逃せば会えるかもなあ。『あのお方』は、いずれ俺を食いに来るだろう』
 ・・・刀の先が、ぴくり と動いた。

『ああ、それにしても残念だ。俺達は二人で一人。共に『あの方』に食われれば、永劫に一つになれたのに』
 くくく、と笑う鬼を黄泉は温度のない目で見下ろす。
 顔を上げた鬼の双眸に、狂気と、そして他者を恐怖させることへの愉悦が映る。
「・・・見逃すわけにはいかぬ。お前らはここで、恐怖に駆られた魂を幾つも食った」
『なら、殺すのか』
「浄め、じゃ」
『俺達にしてみりゃ、同じことだ』
 言いながら、鬼は金色の目を閉じた。
 躊躇なく振り下ろされた刀が、その体を両断する。
 そして、眩い光が周囲を包んだ。

 ・・・慌しい足音が近づいてくる。緊張が解け、崩れ落ちた体を誰かが支えた。
「何やってんだお前は! 早く、病院に・・・」
 椿だ。何故ここにいる、と言いかけて、菫があの小さな箱で呼んだのだろうと思い至った。
「・・・暫く戻らぬから、牡丹殿にそう伝えてくれるか」
「何を言って・・・」
「菫は、あそこに無事におるよ。私の怪我は己のせいじゃ、あの子を叱らないでやってくれ」
 白い指が側に倒れている菫を指す。そして、椿の手を振り解いてふらりと立ち上がると、肩に白狐を乗せた女は闇に溶けるように消えた。
「馬鹿、黄泉! おい、戻れ!」
 椿の必死な叫びは空洞の闇に反響するのみで、彼女の返事は返っては来なかった。

『黄泉様・・・よろしかったのですか』
「何の話をしておるのじゃ」
 人が分け入らぬ雑木林の中で、苦しい息を吐きながら結界を張った女は、そこに体を横たえた。
 傷が治るまで、おそらく三日はかかるだろう。
 主の返答を聞いて、彼女に寄り添う白狐は『分かっている癖に』と言いたげに鼻を鳴らした。
『一つは鬼の、もう一つは椿様のことですよ』
「・・・あのような鬼を捨て置くなど、私の矜持に関わるわ。手がかりはまた見つければ良かろうて」
 黄泉は一旦言葉を切って、微かに笑った。
「血の穢れは、結界を弱める。だから傷が癒えるまで葛城家には戻らぬよ。
・・・椿にはしたたかに怒られるかもしれんがのう」
『・・・怒られるでしょうね』
「何にせよ、怪我を治すのが先じゃ。少し休むぞ」
『はい、黄泉様』
 主の声に、白狐は頭を垂れる。

 彼らの上に、静かに夜の帳が降りる。
 体を丸めた朧の背を撫でて、黄泉は黒い瞳を閉じた。



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