恋灯ノ章 十

─────君ガ望ムママ 金ヲ ツギコンダ ノニ、
    コンナニ 愛シテイルノニ、 ナゼ 俺ヲ 愛シテクレナイ?
  ─────コレ以上、 何ヲ スレバイイ?

「・・・殺せ」

 ─────何かが耳元で囁いた。

「さあ、殺せ」

 ─────そうすれば、あの女は永遠にお前の物になるぞ、と。




「きゃあああぁぁあああっ!」
 ・・・自分の叫び声で目が醒めた。
 大きく開かれた瞳に、見慣れた天井が映る。少しずつ思考が戻り、ようやくここが自宅であると認識して、緊張した体から力が抜けていった。
 半身を起こすと、びっしょり汗をかいた背中が空気に触れて、ひんやりと温度を下げていく。
 手で胸の辺りを押さえれば、心臓はまだドキドキと大きく脈を打っている。
 ・・・誰かに殺される夢を見たのだ。 火を放たれ、生きながら焼かれる夢を。
 叫びながら起きたのはもう何度目か分からない程、最近頻繁に見る夢だった。
 目が醒めて現実に戻れば、自分に火を放つ相手の顔は次第に曖昧なものになっていく。だが、どこかで見知ったような────

 女は頭を振って不快な夢を思い出すのを止めた。最近、仕事が上手くいっていないから、疲れているのだ。
 時計は午前九時を指している。昼夜逆転した生活に身を委ねる自分にとって、本来眠りを貪っている時間だった。
 厚い遮光カーテンの隙間から差し込む光は、普段なら睡眠を妨げる邪魔なものでしかないが、今は唯一の味方のように思える。
 だからだろうか。何となく窓の外を見ようとベッドから這い出してカーテンをそっと捲った。
「・・・ひっ」
 ガラス越しにありえないものを認めて息を飲む。カーテンの隙間から、何者かが室内を窺っている。
 無我夢中で後退り、壁に背がぶつかった。その感覚で夢の続きではないと悟る。
 ひどくぼんやりとした輪郭。能面のような無表情を湛えたその男は────ベランダの柵の向こうに立っていた。
 全身が総毛立つ。・・・ここは、六階だ。
「・・・・・・い、やぁあああぁっ!!!」
 壁を突き抜けて、一際高い叫び声が響き渡る。恐怖に叩き落とされた女の前で、人影は空気に溶けるように消えた。




* * *




「おう、お帰り」
 居間に響いた声に、帰宅した椿は手にした荷物をバサッと床に取り落とした。
「・・・・・・」
「・・・何じゃ、私の顔に何かついておるのか?」
 数日振りに姿を見せた美しい同居人の女。彼女は、唖然としている椿に怪訝そうな視線を向けた。
 何も言えずに黄泉を見つめていた椿の肩が、次第にぶるぶると震え出す。
 吊り目を更に吊り上げてずんずん彼女に歩み寄ると、彼は、黄泉の滑らかな頬を親指と人差し指でぐいっと引っ張った。
「・・・・・・・・・何じゃ、じゃねーーーーーーよーー!!」
「いひゃいいひゃい!」
 頬を引っ張られ、上手く喋れずにモガモガしていた黄泉は、椿の腕をぐいっと剥がして非難する。
「何をするのじゃ! 痛いではないか!」
「うっさい! お前、怪我したまま急にいなくなって、人がどれだけ心配したと思ってんだよ! けろっとした顔して帰ってきやがって・・・」
 そこまで言ってから、椿ははっと顔色を変え、相手の肩辺りを注視する。
「・・・・・・怪我は大丈夫なのか」
 鬼に貫かれ大量の血を流していた彼女の華奢な肩。あれは、普通の人間であれば致命傷となる程の大怪我だった。
 だが今、その肩から伸びる彼女のしなやかな腕は、椿の手を掴む動作に何ら支障が無いように見える。
 そして、上品な艶を放つ和服の表面は、血痕はおろか僅かのほつれや傷跡も見当たらない。まるで最初から何事もなかったかのように。
「あの程度なぞ、どうってことないわ。静かな場所で三日ほどじっとしていれば塞がる」
 茶色がかった切れ長の瞳を見上げて嘯いた黄泉は、得意気に鼻をふんと鳴らした。その女に、椿は呆れ声で返す。
「病気した野生の猿みてーだな。つか、お前の体は一体どうなってるんだ」
「どうって、『煌月』を体内に宿した時からそうなっておるのじゃ。不死身とまではいかぬがのう」
「・・・だからって無茶ばっかすんな」
「無茶ではない」
 黄泉は片方の眉を上げ、椿はいつものきつい眼差しを黄泉に向ける。

 その時、台所の入口から軽やかな笑い声が聞こえて、二人は振り向いた。そこには、可笑しそうに二人の様子を眺める牡丹が立っている。
「椿は素直じゃないですねえ。あんなに黄泉のことを心配してたのに。四六時中、部屋をうろうろうろうろして、それこそ檻に入れられた野生の猿だったじゃないですか」
「・・・余計なことを言うな」
 椿は落とした荷物を拾いながら、柔和な笑みを浮かべる兄を横目で睨む。
 自室へと踵を返しかけた彼は、けれど、その途中でもう一度女の方を向いた。
「本当に、体はもう何ともないんだな」
「見ての通り、ぴんぴんしておるよ」
「・・・もう少し安静にしてろ」
 大きく息を吐き出した椿は、腕を伸ばして彼女の頭をポンポンと叩くと無言で背を向けた。
 少しして、彼の自室の扉がやや乱暴に閉められる音が響く。

「・・・・・時々、あ奴の態度は理解に苦しむ」
 牡丹は、眉を寄せた黄泉に苦笑した。
「貴女が元気そうだから安心して、ついぶっきらぼうになってるだけですよ。無事に帰ってきて嬉しい、ぐらい素直に言えばいいのにねえ。すみません、お馬鹿な子で」
 目を瞬かせた黄泉に、牡丹はくすくす笑いながら続ける。
「あ、もちろん僕もあなたが無事に帰って来てくれて嬉しいです。といっても、僕は椿ほど心配してませんでしたけど。貴女が大丈夫だと言うなら、きっと大丈夫だと思ってましたし」
 穏やかな言葉に、黄泉は急速に居た堪れなくなった。「・・・迷惑をかけて、すまぬ」と彼には率直に詫びる。
 萎れる黄泉に、牡丹は明るく言った。
「いいえー。菫も、元気そうな貴女を見たら喜びます」
 ・・・牡丹の言葉通り、菫は黄泉の顔を見た途端鞄を放り出し、体当たりする勢いで彼女と朧をぎゅっと抱き締めた。
「お姉さん、お帰りなさい!」
「・・・ただいま」
 涙声の囁きに、黄泉は苦笑して少年の柔らかい髪を撫でたのだった。




「椿、依頼が来てますよ」
 夕食の後、風呂上りの牛乳を飲む椿をちょいちょいと手招いて、牡丹が小さく言った。
「部屋に現れる幽霊を何とかしてほしい、とのことです。依頼人は若い一人暮らしの女性で、彼女は以前から何度も男に焼き殺される夢を見ていたそうですが────」
 椿は無言で牡丹に続きを促す。
「・・・数日前から、いつも見る悪夢にうなされて目が覚めると、男の霊が部屋に立っているのだという話です。 おそらく、夢の中の男と同じ人物ではないかと」
 その幽霊は、姿を現す度に少しずつ彼女の寝ているベッドの側に近付いて来るのだという。
「昨日は、彼女が寝ているすぐ傍に現れたようですね」
「・・・それ、結構切羽詰ってるな」
「ええ、あまり猶予はありませんね。でも・・・」
 そこで牡丹は一旦言葉を切り、自分より少し背の高い弟をちらりと見た。
「椿、おそらくこれは貴方の苦手とする内容の依頼だと思います」
 牡丹は、言外に「嫌なら無理をするな」と言っていた。
 だが、椿にはそれが何となく癪に触る。こういう時無駄に負けず嫌いを発揮して後悔することが時々あるが、性分なので仕方がない。
「やる」
「・・・・・・本当に、いいんですか?」
 念を押す牡丹に、椿はもう一度頷いた。
「ああ」
「・・・なら、後で詳しい内容をメールします」
「黄泉には言うなよ」
「分かってます。病み上がりの彼女を、貴方は依頼に連れて行きたくないだろうと思ってました」
 牡丹は悪戯っぽく微笑する。一見怒っているかのような弟の表情は、半分以上照れ隠しだ。
 気遣いが苦手な彼は、よくこれで誤解される。
「明日、行く」
「よろしくお願いします」
 兄の声に背中越しに頷いて、椿は居間に移動した。

『────今日、有田区の住宅地で火災があり・・・』

 広い居間に、一日のニュースを報じるアナウンサーの声が淡々と響く。
 やけに静かだな、と部屋を見回すと、テレビの前に置かれたソファで菫と黄泉と朧が一塊になってすうすうと眠っていた。

「ほら、ちゃんと布団で寝ろ」
「んんんーーーー眠いぃ・・・」
「・・・もうちょっとだけ待って・・・」
「待たない」
 肩を揺すってもなかなか起きようとしない二人に椿は溜息を漏らす。
 痺れを切らした彼は、鋭い目をすっと細めて強硬手段に出た。
 腕を伸ばして二人を米袋のように両脇に抱え上げると、目を覚まして非難する彼らをそれぞれの部屋に放りこんだのだった。



BACK TOP NEXT