恋灯ノ章 十一

 吹き抜けた木枯らしに首を竦める。小春日和で温かかった昨日と比べ、今日はひどく冷える。
 静かな住宅街の上に広がる空は、雲一つ見当たらないほど晴れていた。

 携帯と建物の入口などに書かれた番地とを見比べながら、椿は一人、駅から依頼人の家へと向かっていた。
 家を出る際は普段通り大学に行く振りをした。助手で同居人の女は、依頼のことには気づいてないだろう。
 「気をつけてな」と手を振る黄泉の顔を思い出して、小さく息を漏らす。

(この辺のはずだ)
 きょろきょろと周囲を見回した椿は、白いタイルが張られたマンションに目を留めた。壁面の文字が、依頼人の住所に一致する。椿はその建物の入口に歩み寄った。
 シンプルなデザインの扉は、不審者が入り込まぬように普段は鍵がかかっているらしい。客は備え付けのインターフォンで部屋にいる住人を呼び出し、ロックを解除して貰う仕組なのだ。
 椿は、依頼人を呼び出す前に、吊上がり気味の目を閉じた。
 精神を集中して、家にいる式神の燦(さん)を呼び出す。
 一陣の風が茶がかった椿の髪をふわりと揺らした。頭上から彼だけに聞こえる羽ばたきの音がして、微かな重量が肩にかかる。
「・・・黄泉に見つからなかっただろうな」
 椿の問いに、大きな羽を畳んだ燦はピィ、と小さく鳴いた。
「どっちだよ」
 ピィピィ、と声を上げる大鷹は、椿の父親が退魔師を引退する際に彼から譲り受けた式神である。
 本当なら朧のように人語を話す筈だが、この式神は本物の鷹のように鳴くだけだ。
 そこにどのようなポリシーがあるかは知らないが、椿の父親も椿自身も燦の好きなようにさせていた。
 意思疎通を諦めて、椿はインターホンに手を伸ばす。
 夜間の仕事に就く依頼人は、午前中寝ていることが多いらしい。けれど、今日は起きて自分を待っているはずだった。

『・・・どなたですかぁ?』
「葛城です」
『あ、来てくれたんですね。今開けますぅ』
 おっとりした声がスピーカーから響き、すぐに横の扉がガチャリと音を立てた。
 椿は小さく嘆息して、ロックが解除されたそれを押し開けた。




「・・・初めまして、葛城です」
「来てくれてありがとうございますぅ、あたし、栗山涼子と言います。あ、そちらのクッション使ってください」
 通されたワンルームのマンションで、女は上品に椿の横のクッションを示す。依頼人は、瑞々しい綺麗な顔立ちの女性だった。年は、椿と同じか一、二歳上だろうか。
 彼女の女らしい仕草や一見ナチュラルに見える化粧には、実は一分の隙もない。ただ、ここ最近の睡眠不足は隠せないようで、目元にうっすら隈が透けて見えた。
「拝み屋さんって言うから、髭の生えたオジサンが来るんだとばかり思ってました。
こんな若くて格好いい人だなんて、びっくりです」
 無邪気に笑いかける女に、椿は謙遜もせずに素っ気なく返す。
「いろんな退魔師がいるんですよ。・・・早速ですがここに現れる幽霊について教えてください」
「えーと・・・初めてあの幽霊が出たのは・・・」

 依頼人から聞き出した内容は、牡丹がから予め聞いていたものとほぼ同じ。
 話し終えて、女は自分の腕を抱いて俯いた。
「あたし、怖くって昨日から全然寝てないんです。このベッドのすぐ傍に幽霊が立ってて・・・。友達の所に泊っても同じだから、引越もできないの。ねえ、何とかしてくれますか・・・?」
 彼女は潤んだ瞳で椿を見上げる。
 女がさり気なく寄ってきた分だけ体を離し、椿は事務的に応じた。
「努力します。ところで、その幽霊や夢に心当たりはありますか?」
「・・・貴方も知ってるでしょうけど私、キャバ嬢なの。お仕事で仕方なかったとはいえ、告白されてお断りした男の人はたくさんいるもの。だから誰、って言われても分からないわ」
「・・・そうですか」
 相槌を打ちながら、椿は心の内で臨戦体勢を取る。
 彼が部屋に入った瞬間から、徐々に高まりゆく霊気と、突き刺さるような嫉妬と憎悪。
 部屋のすぐ外を中心にして、今、それらが激しい渦を巻いている。

「幽霊が、来たようですね」
 若い退魔師の視線を追って、女は振り向いた。
「きゃぁああぁっ」
 背後のベランダに、ぼんやりとした輪郭の男が立っていた。これまでは能面の如く無表情だった虚ろな顔が、燃えるような憎しみで醜く歪んでいる。
 後退る女に向かって、男は蜃気楼のように揺らめく腕を伸ばした。
 だが、ビシッ と鋭い火花が爆ぜて指先が弾かれる。
「結界を張っておいた。簡単にはこちら側に来れないだろう」
 呟いて、椿は握った拳を開く。中から、折り畳まれた護符が数枚出現した。

ヒュッ

 放った護符は生き物のように真っ直ぐに飛び、ガラスに張り付く。椿は目を閉じた。
 刹那、仄白い文様がガラスの上に浮かび上がり、そこから青い光が迸(ほとばし)る。眩しい光の束は一瞬で男に迫る。
 だが────椿の最初の攻撃は男に掠りもしなかった。紅い炎の壁が出現し、光を弾いたのだ。
 彼は次の攻撃に移るために更に護符を取り出す。
 その視界で、男の服や皮膚が数箇所から裂けた。ビシ、と音を立てて生じた幾筋もの裂け目から、黒褐色の毛皮が出現する。スーツと思しき服や人の皮を飲みこんで、その黒い体は数倍に膨れ上がった。
「燦、行けっ!」
 大鷹が主の肩からふっと舞い上がる。ガラスを通り抜けた実体の無い式神は、鋭い爪で鬼の紅い左目を抉る。

『ウゥォォーー・・・・・・・!!』

 嗄れた絶叫がビリビリと壁を震わせた。
 もう片方の目に伸ばされた燦の爪を振り払うために、均衡を崩した巨躯が窓に激突する。
 強い霊力を纏った鬼の体と結界、二つの大きなエネルギーがぶつかりあう。その衝撃で部屋が激しく揺れた。隙を突いて護符を投げ打とうとした椿も、体勢を崩す。

(まずい)
 今の衝突で、結界が壊れかけている。
 赤い髪を振り乱し、鬼は角の生えた獣のような顔を上げた。結界の綻びに気づいたのだ。
 鬼は捩れた腕を伸ばす。掌を切り裂かれることも厭わず、結界にピタリとそれを当てる。同時に手の周囲に紅い炎が舞い、ガラスの表面に一気に広がった。
 次の瞬間、パン と何かが弾ける音がして結界が解かれた。

『フ タリ トモ コ ロシ テ ヤル・・・』

 鬼の、声ならぬ声が脳内に響く。怨念、憎悪、嫉妬、殺意。吹き荒れる負の感情が、自身に流れ込んでくるような錯覚。
 ───自分の中の何かが、微かに共鳴する。椿は思わず目を閉じた。

(・・・だから、こういう依頼は嫌なんだ)

 再び開かれた視界に映る、黒く大きな影。
 女を庇った椿の首を、鬼の太い腕が掴んで持ち上げた。
 全身が幻の炎に包まれる。遠のきそうな意識を奮い立たせ、椿は袖に仕込んだ楔に似た刃物を掌に滑らせた。
「燦!」
 主の声に呼応した大鷹が、背後から鬼の頭を掴んで強引に引きずり倒す。
 燦に押さえ込まれた頭部に腕を伸ばし、椿は鬼の眉間に刃物を突き立てた。
 全身の力を込めて、深く、深く食い込ませる。

『ギャアァァアァッッ!!!!』

 最期の叫びが木霊する。同時に、椿の体がドッと鈍い音を上げて壁に叩きつけられた。
 その霞みかけた視界で、青い燐光に包まれた鬼の体が苦しげにもがいた。
 椿はぜえぜえと肩で息をしながら、額の汗を拭う。彼を呑みこもうとした炎は消えたが、掴まれた首にできた幾つもの火ぶくれがちりちりと痛む。
 鬼を取り巻く燐光は次第に辺りを眩しく照らす。次の瞬間、光は黒い巨躯ごとふっと消えた。後には蛍のようなささやかな残光だけが残る。それも、空中を彷徨ってすぐに消えた。
「・・・もう・・・終わったの?」
「ええ」
 呆然とした依頼人の呟きに、椿はぞんざいに頷く。
「よかっ・・・たあ・・・」
 女はへたり、と力を抜いた。




「もう、あれが現れることはないでしょう。では、これで失礼します」
「・・・え? あっ、待って!」
 踵を返した椿の腕がさっと引っ張られた。
「えーと、これ、名刺。あたし、李緒って名前でここで働いてるの。もし良かったら、遊びに来て? 葛城さんみたく素敵な人なら大歓迎なの! 命の恩人だから、サービスするし」
 素早く立ち直って名刺を差し出す女に、椿は露骨に顔を顰めた。
「・・・・・・。・・・護符を一枚十万円で三枚以上買ってくれたら行きます」
「・・・やだ、葛城さんたら。あたしみたいなお水の子、嫌いだからそういうこと言うの?」
 依頼人は、悲しげに首を傾げた。
「いいえ。俺は職業に貴賎はない、と思ってますよ。俺の方がよっぽど怪しい職業やってますし」
 そう言って、彼は微笑した。けれど、目が笑っていない。
 女は表面上哀しげな表情を保ちながら、内心で舌打ちした。彼は、「お前がしようとしたことをそのまま返しただけだ」 と言っているのだ。確かに、店に誘ったのはキャバ嬢として身に付いた営業の習慣からだった。客を呼ばねば、自分の給料は下がる一方なのだから。
 二人の間に横たわる白々しい沈黙を破って、椿はぼそりと呟いた。
「・・・・・・。これ程強い恨みを買うんだ。あなたは、その仕事に向いてないと思う」
「・・・っ、あなたに何が分かるって言うのよ!!」
 頭に血が上る。と、同時に、長年努力して身につけた仮面を、女はかなぐり捨てて叫んだ。
 はあはあ、と肩で息をする彼女に、椿の方も営業用の猫を捨てて淡々と告げる。
「・・・だってさあ、あれ、元は生霊だぜ? 鬼に魅入られて精神を食い荒らされた挙句、あんたを恋う余りに逆に鬼を取りこんじまったんだ。ああまでなったら、今頃、本体は廃人状態だろうよ」
「・・・・・・そんな・・・私の責任じゃ・・・」
「奴に気がある振りして、貢がせて、そこまで追い詰めたのは多分、あんただろ?」
「・・・」
「まあ、男も馬鹿だとは思うし、あんたの職業を否定する気もない。
でも、上手いことやりたいなら、相手と引き際を見極めなきゃ駄目なんじゃねーの」
 言い返せない女に、椿は背を向ける。
「あ、今回の幽霊退治の請求書は三日以内にお送りします。ぼったくりはしませんから」
 立ち尽くす女へ肩越しに声をかけると、椿はさっさと扉を閉めてその場を立ち去った。




 ちりちりと痛む火ぶくれを押さえた椿は、憮然とした表情でマンションの扉を開ける。
 ・・・その彼の足が止まった。扉の前に立つ美しい女に、唖然としてその場に立ち尽くす。
「何でお前がここにいるんだ」
 ようやく声を絞り出した彼に、黄泉は不満そうに口を曲げた。
「昨晩から挙動が怪しいと思うて、朧に後をつけさせたのじゃ。何故依頼を秘密にした? 私はお主の助手であろう」
「・・・・・・だってお前、病み上がりだろ」
「もう大丈夫だと言うておるに」
『・・・すみません、椿様。黄泉様をお諌めしたのですが聞いてくださらなくて』
 黄泉の肩から、朧が空気を和らげるように口を挟んだ。
 それとは対照的に、意思疎通の果たせない己の大鷹は肩の上で瞑想に耽っている。
「・・・」
 バツが悪そうな青年に、黄泉は少しだけ表情を緩めた。そして、気遣わしげに彼を見上げる。
「遠くから見ていたが、お主の気が随分揺らいでおったぞ。冷や冷やしたわ」
「・・・見てただけか? お前なら気兼ねなく首突っ込みそうなのに、意外だな」
「私とてお主の面子くらい気にする。それにお主なら何とかすると信じていたからのう。
・・・・・・怪我をしておる。顔色も良くないぞ。大丈夫か、椿?」
 背の高い椿の首筋に、ひんやりとした手が伸ばされた。
 本当は、立っているのも辛い程気分が悪かった。だが、喉元に触れた冷たい手を掴み、痩せ我慢の言葉を吐く。

「大丈夫だ」

 きゅっと握られた手を、椿は自分から離した。
「帰るぞ」
 ぞんざいに言い放って歩き出す。「待つのじゃ!」という声が背後から聞こえて、黄泉が小走りに自分を追いかける気配がした。
 椿は、ほんの少し歩く早さを緩めた。小柄な彼女の歩調に、気づかれず合わせるために。



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