遠紺ノ章 十二


 ────地に横たわる体の下に、赤い花が開いていく。

 闇に堕ちる意識を細い糸で繋ぎとめ、呪詛の言葉を紡ぐ。

 光を失いかけた両目が、

 最後に映したのは────頭上を染めあげる、遥か高みの深い藍だった。



* * *



『夕方のニュースフラッシュです。 今日未明、都議会の郡山哲郎議員が心不全で倒れ、意識不明の重態となりました。
 郡山議員は、次の国会出馬が確実と見られていただけに、党はその対応に追われています。
 では次のニュースです。 昨年の自殺者は去年より二千三百人下回り、過去十年を記録しました・・・────
 ────・・・・・・の桜の開花予想は・・・・・・────』



* * *



「従妹の夏女(なつめ)が明日、貴女の買い物に付き合ってくれるそうですよ」
 普段と変わらぬ葛城家の夕食の席。
 米を口に運んでいた牡丹は、思い出したように箸を止めて、隣にちょこんと腰かける和装の少女を振り返った。
「私の買い物?」
 闇の深遠を思わせる美しい少女は、華奢な首を傾げ、割烹着姿の彼を見返した。
 その片手には、透明な酒が注がれた檜の枡。葛城家の三兄弟にとっては既に見慣れた、彼女の食事風景である。
「貴女の服です、黄泉」
「ああ、そういえば、お主らの従妹殿が私の服を見立ててくれるのじゃったな。かたじけない」
 黄泉は、数週間前に取り交わした約束を思い出した。
 厄介者の身には、過ぎた取り計らいだ、と少し申し訳なく思う。しかし、彼らの気遣いを有難く受け取っておこうと、素直に頭を下げた。
「遠慮せず、ばんばん買ってくださいね」
 牡丹は黄泉に柔らかく微笑し、その笑顔を向かいに座る次兄にも向けた。
 我関せず、と魚の唐揚を口に運んでいた椿はその視線を感じてピタリと箸を止めた。
「・・・何だよ、牡丹」
「椿。明日のドライバーはお任せしますね」
 椿は吊りあがり気味の眉を不満そうに顰めた。
「ちょっと待て。 何で俺が」
「僕は、明日どうしても外せない用事があるんですよ」
「面倒くさい。電車で行かせればいいだろ」
「たくさん買い物をするなら、車の方が便利じゃないですか。夏女は運転免許を持っていませんしね」
「・・・」
 どんだけ買わせるつもりなんだ、と椿は内心思う。
 しかし、それを口に出さずに、「しょうがねーな」と渋々了承した。逆らえば、彼の夕食だけおかずを一品抜かれたりする。涼しい顔をして、彼の兄は意外と陰湿なのだ。
「では、よろしくお願いしますね」
 満足気に牡丹が頷くと、その横から「ぼくも行っていい?」と菫が乗り出した。
「もちろんですよ」
 にっこり笑って弟の頭を撫でた牡丹は、再び黄泉の方を向いた。
「明日はご一緒できなくて残念ですが、普段の服の組み合わせは僕がアドバイスしますので心配ありません」
「うむ。 私はこの時代の着こなしには疎いからのう。よろしく頼む」
 生真面目に黄泉が頷く。
 仏頂面を顔に固定させたまま会話を聞き流していた椿は、ふとあることを思い出した。
(こいつ、前に「妹が欲しい」とか言ってたよな)
 理由は確か、「服を見立ててやりたいから」。牡丹は、黄泉が家に来て以来、虎視眈々とその機会を狙っていたらしい。
「・・・変態め」
「何か言いましたか」
「いや、何でも」
 椿は慌てて、米と一緒に呟きを飲み下した。



 翌朝。
「おっはよーっす!」
 マンションの最上階にある葛城家のドアが、明るい声と共にバン! と音を立てて開く。
 軽やかな足音が近づいてきて、廊下からひょこ、と女が顔を出した。
「おー、椿やん! 菫も久しぶりやねえ」
「なっちゃん! 元気そうだね」
 菫が駆け寄って彼女に飛びつく。
「元気元気! グアムに行ってたから、すっかり焼けてしもうたわ」
 あはは、と快活な笑い声が居間に響く。
「従妹殿か」
 来客に目を瞠った黄泉は、ソファから立ち上がり丁寧にお辞儀した。
「お初にお目にかかる。私が黄泉じゃ。今日は世話になる」
「あー、そんなにかしこまらんとって。あたしは小早川夏女。なつおんな、って書いて“なつめ”って読むんよ。
 年は牡丹と同じや。よろしくなー!」
 夏女と名乗った女は、向日葵のような明るい笑顔を浮かべた。
 言葉通り日に焼けた肌は、艶やかだ。溌剌とした雰囲気の彼女は、葛城家の兄弟同様に整った容姿の持ち主だったが、「綺麗」より「可愛い」の方が似合う。
 彼女がいるだけで部屋の空気が華やぐような気がする。黄泉は思わず顔を綻ばせた。
 その黄泉を、夏女はしげしげと見つめた。
「にしてもほんま、べっぴんさんやねー! おしゃれのさせ甲斐がありそう」
 そして、「ほな、いこか!」と彼女は再び満面の笑みを見せた。

 車に乗り合わせた四人は、最近できたばかりだという屋外型ショッピングモールに向かった。
 ちなみに、今日は、朧は燦とともに留守番である。
 風は少し冷たいが、空はよく晴れている。「絶好の買い物日和やー」と夏女は道中で嬉しそうにしていた。
 椿が運転する車は、高速を一時間ほど走って一般道に下りる。目的地はそこからすぐだった。
 だだっ広い駐車場に車を停め、葛城家の面々の後ろに続いてモールの入口に立った黄泉は、目を丸くした。
「市場のようなものかと思っておったが、まるで一つの町じゃのう」
 感嘆の溜息をついた黄泉は、ぐるりと周囲を見回す。
 建物自体の高さはさほどないが、ヨーロッパの町並を模した赤煉瓦作りのこのモールは、近辺では圧倒的な面積を誇る。そして、そこにずらりと並ぶ大小無数のショップ。
「じゃあ、買い物はじめようか! まずはあそこ!」
 夏女にぐいぐい手を引かれて歩き出した黄泉は、いつもの和装ではない。
 今着ているフード付のジャケットにワンピース、フラットヒールのパンプスは夏女に用意してもらった。
 和服では試着が大変だからと、前もって牡丹が言っておいてくれたらしい。
 夏女には、黄泉がど田舎出身で行き倒れていたところを菫が拾った、としか伝えていない。
 黄泉も、自分のような不可解な存在が、簡単に受け入れられるとは思っていないため、牡丹のその提案に同意した。むしろ、あっさり受容した彼ら兄弟が変わっているのだ。
 「早くいこ!」と夏女は黄泉の手を引く。そんな女性二人の後を、興味津々の菫とやる気のなさそうな椿が追いかけた。

 ────そして二時間後。
 すでに十を超えるショッピングバッグが、椿の両手にぶら下がっている。
「次はあそこいこ!」
「・・・・・・まだ買うのか」
 次の店へと黄泉を引っ張っていく夏目に、彼は疲れた声で休息を申し出たのだった。



* * *



 歩き疲れた菫を伴い、椿がフードコートでジュースを啜っている間。
 買い物続行中の夏女が「ちょうどいい」とばかりに入った店で、黄泉は目を瞬かせた。
「夏女殿、これは髪飾りであろうか?」
 入口近くに置かれたワゴンの中を眺めた彼女は、繊細なレースがふんだんに施された商品の一つを手に取った。
 夏女は一瞬きょとんとして、ついで弾けるようにケタケタと笑い声を上げた。
「まあ頭に飾ってもきれいはきれいかもしれんけど、それで街歩いたら警察に通報されるで」
「・・・さっき試した飾りによく似ていると思ったのだが、何じゃ、違うのか」
 黄泉は、少し残念そうな顔をして、改めて店内を見渡した。ディスプレイされているマネキンによって、その用途を悟る。
 先程試着した、「めいどふく」とかいう服とセットだった髪飾りと似ている、彼女は思ったのだった。
 椿の反対によりその服は却下されたが、あの髪飾りが実は黄泉は気に入っていた。
「ほんまおもろいなあ、黄泉ちゃんは・・・じゃあ、まずはサイズを測るとこからかなあ」
 笑いをおさめた夏女は、店員を呼んで黄泉のサイズを測らせる。そして、提示された記号を元に幾つか商品を選んで黄泉の手に押し付けた。
「一応試着してな」
 そう言いつつ、彼女は黄泉をフィッティングルームに押しやった。

「どーお?」
「多分、これでいいと思うぞ」
 着けてはみたものの、よく分からないので適当に答える。
 ごそごそと元の服を着ながら、黄泉はふと胸の内に湧いた疑問を口にした。
「夏女殿は、上方の出身なのか?」
「かみがた? ああ、関西のことやね」
 帰ってきた夏女の声には、なぜか、僅かな憂いの響きがあった。太陽の光が、小さな雲に不意に遮られたような。
「違うよ。 あたしもここいらの出身や。高校と大学が関西やってん」
「なるほど。それで、その話し方なのじゃな」
「親は標準語話すから、やめろ言うけどな」
 扉越しに、苦笑する気配があった。それから少し間を置いて、「あたし、家の道具なんや」と女は呟いた。
「家事手伝いに花嫁修業といえば、羨ましがる子もおるけどなあ。
 家の金を使って、仕事もせずに買い物だ旅行だやってても、結局ペットとかと何も変わらへん。
 そんでいつか、葛城本家の長老方が決めた人と結婚させられる」
「・・・葛城本家?」
「うちのお母さんは、椿たちのお父さん、桔梗(ききょう)さんと兄妹なんよ。今は、暫定的に葛城家の当主をやっとる。
 でもな、あたしはあの家が大嫌いや。今時、政略結婚やなんて、時代錯誤も甚だしいわ」
 吐き捨てられた声が、薄い板を隔てて反響する。
「あたしかてそんなの嫌やから、精一杯反抗して関西の高校行って、そのままあっちの大学に進んだんや。
 で、そのまま就職してしまお思ったんやけど・・・卒業してすぐ連れ戻されてしまったんや。
 ・・・でも、諦めへん。あいつらの言いなりになったら、不幸街道まっしぐらや。だって桔梗さんかて・・・」
 ここまで一気に吐き出した夏女は、唐突に口を噤んだ。
「どうしたのじゃ?」
「何でもない。あたし、喋り過ぎたみたいやね。愚痴ってしもてごめんな、黄泉ちゃん。
 今、あたしが言ったことは忘れてや」
 着替えを終えて、黄泉はそっとフィッティングルームの扉を開けた。目を上げると、そこにいた夏女は、先程の焦燥を微塵も感じさせない笑顔で彼女を迎えた。
 けれどその笑みは、なぜかひどく彼女の胸を締め付けたのだった。



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