遠紺ノ章 十三

 「またね!」と、夏の日差しのような笑顔を残して、夏女は帰っていった。
 家に辿り着いた荷物持ち兼ドライバーの椿は、無造作に紙袋を下ろしながら「買い物なんか二度と行かねえ」とぼやく。
「すまぬ」
 苦笑しながら、黄泉は紙袋の中の戦利品を取り出していく。
 彼女はまだ夏女から借りた服を着ていた。そのカジュアルな服が、彼女には意外に似合っている。外見の年齢相応に、少女を可愛らしく見せていた。
 その華奢な背中から目を移し、椿は室内を見渡した。
 余計なものが何一つない、生活感のない部屋。
 その殺風景だった空間が、広げられた布地の色によって彩られていく。
 服を畳むのに四苦八苦している黄泉を、椿は暫く黙って見ていた。が、「頑張れよ」と一声かけて、部屋を後にする。

 その日の深夜。椿の部屋に、軽いノックの音が響いた。
 本を読んでいた彼は、身を起こす。
 ドアを開けると、帰宅した直後の長兄が、照明を落としたまま、スーツ姿でそこに立っていた。
 彼の顔に浮かぶ曖昧な微笑。椿は眉を上げた。
「何だよ」
「黄泉を預ってるのが、本家にばれました」
「・・・夏女からか? 口止めしたんだろ?」
「もちろん、彼女からじゃありません。どうやら、僕たちには監視が付けられてるみたいですね」
「・・・・・・あのクソジジイども」
「猜疑心が強いのは仕方ありませんよ」
 苦笑しながら、長兄は弟を宥める。
「いろいろ聞かれましたが、実際の所、用事と言うのは別件でしたが」
「黄泉のことを話したのか」
 椿が低く問うと、牡丹は軽く肩を竦めた。
「誤魔化せそうになかったんです。でも、彼女がここにいること自体は反対されませんでした。
長老方は彼女に興味があるようですね」
 牡丹はやや言いにくそうに言葉を切る。
「────こう言っては何ですが、彼女を放り出してしまった方がいいかもしれません」
「・・・それが、服まで買ってやった奴の台詞なのかよ」
「それとこれとは、別です。貴方も分かってるでしょう」
 怒りを含んだ非難に対し、冷ややかな声が返ってくる。感情の見えない双眸と視線が交差する。
 普段の柔和さの奥にある兄の本質を垣間見たようで、椿は心の裏側を引っ掻かれるような不快さを覚えた。
 眉間の皺を深くした彼に、牡丹は諭すように続けた。
「これ以上あの人達に好き放題に言われるのは、椿だって本意ではないでしょう」
「うるせえよ」
「まあ、向こうもすぐにどうこうするつもりはないようなので、彼女の件は当面保留です。
それと、お祖父様があなたに頼みたい依頼があると仰っていました」
「・・・・・・」
 彼は度々、本家に呼び出され祓いを行う。
 しかし、本家に舞いこむ依頼のほとんどが彼には気に入らないものだった。とはいえ、断るという選択肢はない。
 椿は不機嫌に頷いた。
「・・・引き受けるさ」
「すみませんが、よろしくお願いします。詳しいことは、明日の朝に。では、おやすみなさい」
 牡丹は踵を返し、居間の反対側にある自室に消えた。
 長兄が消えた闇を見つめ、椿は無言で佇んでいた。暫くして扉を閉めた彼は、軽く扉に背を預けて溜息をついた。



 翌日、椿は車で本家へと向かっていた。
 本家までの道程は気が重かった。窓際に頬杖をつき、片手でハンドルを切りながら軽く嘆息する。
 ────彼の本家、葛城家は代々祓いを生業としている一族だ。その起源は平安の時代にまで遡る。
 彼の一門は、時の権力者を影で支えてきた。策謀が渦巻く権力の中枢では、時として彼らの助力が必要になる。
 けれど椿自身は、そのような生き方が誇らしいとは到底思えなかった。宿主に寄りかかって生きるしか術のない寄生虫のようだ、とさえ思う。
 退魔師としての高い能力を有しながら、彼はこの仕事に誇りを持てないでいる。
 いっそ、父のように絶縁されて山奥に篭ってしまいたい。その方がどれだけ楽だろう。
 ・・・そこまで考えた椿は、物思いを払うように軽く首を振った。

 そんな気鬱とは裏腹に、彼自身の運転する車は渋滞に巻き込まれることもなく目的地にあっさりと到着した。
 広大な敷地をぐるりと取り囲む塀の裏手に回り、来客用の駐車スペースに車を停める。
 表の門で来訪を告げ、応答した女中に門扉の鍵が自動で外してもらった。
 重厚な扉をくぐると、手入れの行き届いた日本庭園が、目の前に広がった。
 この庭だけでも余裕で家一軒が立ちそうなほどの広さがある。
 庭園の向こうには、本家の屋敷が見えた。こちらもかなりの大きさを誇る。
 ここが葛城家の本拠だった。仰ぎ見ると、敷地全体を薄青い光が覆っているのが椿の目には見える。
 彼が住むマンション同様、この屋敷自体に結界が張られている。
 椿は気を引き締めて、砂利が敷き詰められた小道を建物に向かって歩き出した。



 用意された白い装束に着替えた彼は、女中に案内されて奥の間へと向かった。
 彼女の後に続いて、中庭に面した廊下を進む。
 廊下の左側は部屋がいくつも並び、右側は木の柱が等間隔で立っており、外と内を隔てる壁はない。時代劇に出てくる屋敷のような造りだ。
 夏女や彼女の両親もここに住んでいる。しかし、予め約束しなければ会うことができないほどこの屋敷は広い。
 目的の部屋に着くと、女中は一礼して立ち去った。
 膝をついた椿が「参りました」と告げると、襖越しに、入りなさい、と嗄れた声が聞こえた。
 すっと横に引いて襖を開けると、向こうは二十畳ほどの畳の間であった。その奥に、三人の老人が座している。
 彼らの前に進み出た青年は、畳に手を付いて深く頭を下げた。
「ご無沙汰しております」
「久しいな、椿。顔を上げよ」
「・・・・・・」
 先程と同じ声に従い、彼は顔を上げる。
 その鋭い面を興味深そうに見て、向かって右側の、恰幅が良く頭の禿げ上がった老人が目を細めた。
「ますます桔梗に似てきたな。父とは会っているのか、椿?」
「いいえ、大叔父様。三年ほど顔をあわせていません」
 椿の返答に、大叔父の蓮華(れんげ)は、そうか、と喉を鳴らした。
「あやつの話をするな」
 中央の老人が不快そうに唸る。
 白く端正な口髭を整えた、風格ある居ずまいの老人だった。鋭い眼光としっかりした体躯は、齢八十を越えた今も全く衰えを見せない。
 この老人が椿の祖父にして桔梗の父、蘇芳(すおう)。現在、葛城家の当主は蘇芳の娘婿に当たる夏女の父が務めているが、実質上家を取り仕切っているのは彼だ。
「俺を呼び出した依頼は何です」
「せっかちな男は嫌われますよ」
 向かって左側に座る老婆がたしなめる。老いてなお美しく、凛とした佇まいの彼女は、蘇芳の妻で椿の祖母、苑衣(そのえ)だった。
「もっと、顔を見せておくれ。・・・本当に、あの女に似なくて良かったこと」
 苑衣はほんのりと微笑を浮かべたが、声には毒を含まれていた。母親を蔑む言葉を、椿は無表情で受け止めた。
「・・・桔梗は我が一族の誇りに泥を塗った。だが、お前は違うと信じているぞ」
 祖父と会う毎に聞かされる台詞。その言葉への嫌悪を隠して、「努力します」と淡々と返した。



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