ごはん味噌汁たまご焼き。

行きつけのおでん屋さんに涼しげなメニューが増えた。
茄子の揚げびたし、特製冷奴、そしてかわいい手毬寿司。
でも、クーラーでよく冷えた店内で食べる、冬より温度低めのおでんもいい。

夏真っ盛りな金曜の夜。
私は、定位置となったカウンターの席で、おでんの大根を肴にちびちびビールを飲んでいた。
どことなく上の空な私を見て、女将さんは笑う。

「そろそろ間宮さんが来る頃かしらね、紗世ちゃん」

女将さんの目配せにあわてて周囲を見回すと、常連の親父どもがニヤニヤしながらこっちを見ている。
な、何なのよ。

「間宮に紗世ちゃんはもったいないよなあ」
「そうだよ、あんなのより俺はどうだい」
「今日、上手くいくといいね」

・・・冷やかされるのはいつものことだ。
しかし、最後のは聞き捨てならなかった。 女王様っぽいと形容されたこともある顔に、かあっと血が昇る。

「どうして、それを・・・」
「あれだけ、『来週は絶対来て』 と念を押してたら、そりゃぁねー」

気のいい親父連中がいっせいに笑い出す。
ああああ。 あれを聞かれてたのね。 どおりで、今日はお客さんが多いような気がしてたのよ。
店にいる全員の生温かい応援に居たたまれなくなった私の脳裏に、先週の会話がよぎる。



* * *



「来週、誕生日?」
「そっすよ。 でも、祝ってくれる相手がいないんすよねー」

隣に座る男は、ここ数ヶ月ですっかり飲み仲間となった、間宮。
しみじみしてはいるけど、それほど嘆いた口調ではない。

「い、いくつになるの?」
「25っす」

なるほど、一つ年下なのね。
そんな他愛ないことにもキュンとする乙女心って、ほんと謎よね。

「それならここのみんなでお祝いを」

・・・と言いかけて、その先を飲みこんだ。
間宮の肩越しに、女将さんが小刻みに首を振っていたからだ。
『絶好のチャンスを棒にふる気か!』 っていう電波がビシビシ伝わってくる。
うう、と突然カウンターに沈んだ私を、間宮は不思議そうに見た。

「どーしたんすか? 頭痛?」
「・・・いえ、何でもないわ。 とにかく、来週もここに絶対来て! いいわね!?」
「は、はい?」
「絶対、絶対よ!」
「はぁ・・・」

女豹と渾名される私に凄まれても、間宮はあまり動じない。
ただ、困ったような顔で頷く。
その後ろ、沈痛な面持ちで額を押さえた女将さんに、私は心の中で謝った。
すみません、これが精一杯でした。



* * *



というわけで。
今日は、夜明け前に起きて必死でケーキを焼いた。
それがうちの冷蔵庫に入ってる。
間宮の家が近いことは、お茶漬けの一件で知っている。 帰る途中に、うちに寄れば問題ないはずだ。
もし、ふられたらヤケ食いすればいいだけの話。 そう、それだけの話よ。

そう思いながら、ひたすらカウンターで粘った。

時計はすでに、夜の12時を指している。
「すぐ来るよ」 と慰めてくれたおじさん達も、ちらほらと帰っていった。
女将さんは、「仕事が忙しいのかもしれないわ」 と言ってくれたけど────

「もう、帰ります」

ゼブラ柄のふちどりがついたバッグを手に取り、うつむき加減で席を立つ。
心配そうな彼女に無理に笑顔を作ってお店を出ると、温い風が頬を撫でた。

避けられたんだろうか。 いや、忘れちゃっただけかも。
それとも・・・事故?
嫌な想像が頭を掠め、必死でそれを打ち消す。

目を落とすと、お気に入りだったラメの豹柄カットソーが目に入る。
やっぱコレか。 アニマル柄がいけなかったのか。

(ヤケ食いコース確定だわ)

どうってことない。 泣くほどのことじゃないわ。
ため息をついて歩き出す。 カツン、カツン、とピンヒールの踵の音が静かな住宅街にやけに響いた。
重苦しい胸を抱えて、人気のない十字路の差し掛かった、その時。

不意に、ドン、と強い衝撃が襲った。
アスファルトの上に倒される。
突き飛ばされたのだと気づく間もなく、バッグを奪われる。

「・・・待ちなさいよ!」

ひったくりだ!
走り出す男を追おうとして立ち上がる。
けれど、駆け出そうとして無様に転倒する。
こんなピンヒールで走れるわけない。
今度こそ泣きたくなった私の横を、別の人影が走り抜けた。
影は、角を曲がろうとした犯人に追いつくと、勢いそのままに鮮やかな飛び蹴りを食らわせた。
くぐもったうめき声と同時に、もんどりうって倒れる二人の男。
それからほんの数秒。 揉み合ってたうちの一人が、相手を振り切って走り去る。

残された方は、逃げた男を追おうか、少し迷ってたみたいだった。
でも、そうしなかった。 彼は、こちらに歩み寄って手を差し出した。

「怪我、ないっすか、紗世さん」

聞きなれた柔らかい声は、間宮だった。
走ったせいか、肩で息をしてる。

「カバンは取り返したけど、犯人は逃がしちゃいました、スンマセン」

彼は、優しく私を立たせた。
怪我がなさそうだと分かると、「警察行きます?」 と彼は尋ねた。
その時、緊張の糸が切れた。

「う、あぁあああんっ」

私は、子供のように声を上げて泣いた。



家まで送ってくれた間宮は、今日のことを何度も謝った。
先輩の発注先でトラブルがあって、その処理をずっと手伝ってたこと。
ようやく仕事が終わって、電車に飛び乗ったこと。
おでん屋に寄ったら、私が店を出た後だったこと。

「で、走って追っかけたんすけど、目の前で、いきなり物陰から飛び出した男が紗世さん突き飛ばして。
 ・・・俺が遅くまで待たせたから、あんな目に遭ったんすよね。 ホントすみません」

間宮が申し訳なさそうに再度謝る。
結局、警察には行かなかった。 動揺してたし、一刻も早く家に帰りたかったから。
バッグも貴重品も、間宮のおかげで、ちゃんと手元にある。

「ううん、私の不注意だから気にしないで。 助けてくれて、ありがとう」

ぎこちなく笑うと、隣を歩く間宮は複雑な表情を浮かべる。
けれど、彼が口を開くより早く、「ぐーっ」 とその腹の虫が鳴った。

「・・・夕メシ、食べるヒマなかったんすよ」

間宮の情けない顔に、私はくすりと笑って 「甘いもの、好き?」 と聞いた。



「誕生日おめでとう」
「うお、何これ、すげーーーーーー!!」

冷蔵庫から取り出したケーキに、リビングで待っていた間宮は目を皿のように丸くした。

「お店のケーキみてー。 しかも二段になってる! 本当に紗世さんが作ったんすか!?」
「当たり前でしょ」

三時間早起きして作った渾身の一作は、大小の円形が二つ重なった二段ケーキだ。
・・・女友達には、「プレゼントとしては時計より重い」って言われたけど、まあ気にしないわ。

「では、いただきます」

キラキラした目がケーキと正面から向かい合い、ものの数分で上の段がなくなった。

「あっ」

夢中でケーキを口に運んでいた間宮が唐突に声を上げる。

「え、まずかった? 苺酸っぱい?」
「まさか! めちゃめちゃおいしいっすよ!」
「じゃ何」
「紗世さんも一緒に食べましょう」

ニコリと笑った彼に促され、私も自作のケーキをつつく。
ふむ。 口でとろけるふわふわの生クリームも、スポンジの焼き加減も申し分ない。
苺の甘酸っぱさとのバランスも絶妙だ。
・・・我ながら、素晴らしい出来よね。

「ご馳走様っす」

礼儀正しく手を合わせて、間宮はフォークを置いた。
二段ケーキの九割は彼の胃の中に納まった。 残りの一割は私がちまちま食べた。

・・・さて、ここからが正念場だ。
空の皿を前に、タイミングを計る。 一方で、間宮はよれよれのジャケットをそそくさと羽織り出した。

「日付は過ぎちゃったけど最高の誕生日だったっす! ありがとうございました! んじゃ失礼しまっす」
「ちょっと待ったぁーーーーー!!!!!!」

立ち上がった彼のスーツの裾を掴むと、彼はバランスを崩して倒れる。
その上に乗っかるように私も倒れる。

「ちょ、紗世さんっ」
「好きなの!」
「は?」
「あんたが好きなのーーーーーー!」
「・・・・・・」

呆然とした間宮は、縋りつく私をまじまじと見返した。
ちなみに、私の必死の形相は般若に似てると評判だ。
でも、化粧はさっき落としたから今は迫力三割減だろう。

「だって前来た時、触ったら刺すって言ってたじゃないすか。
 ・・・あ、今も触ってるけど、これ不可抗力なんで刺さないでくださいよ」
「刺すか! あん時は初対面だったでしょうが!」

反論すると、間宮の肩がびくっと揺れた。
しばし見詰め合った後、「・・・紗世さんが俺を・・・?」 と間宮は呟き、知らなかった、と頭を抱えた。
・・・私、もっかい泣いてもいいかな?
大体、好きでもない男に全身全霊かけてケーキ焼く女なんていないだろう。 ケーキが出てきた時点で気づけよ。
おでん屋の常連や女将さんには、随分前からバレバレだった。
気づいてなかったのは、あんただけだ。

長い長ーーーーーーい沈黙の果て。
振られる覚悟はできた。 しかしそこから更に数分経過して、ようやく間宮がぼそっと呟いた。

「・・・・・・俺も好きかも・・・・・・」
「そっかーしょうがないわよね、私、年上だし、ケバイし、気強いし・・・って、えええっ」
「紗世さん、自分のことよく分かってるっすね」
「そうじゃないだろ! すすすすす」
「落ち着いてー、ね」

お腹の上に乗っかったままの私の頭を、間宮はぽんぽんと撫でる。

「何でっ? 何で私!?」
「ええと、さっき泣いてる紗世さん見て、俺が守ってやらなきゃっていう気がして・・・」
「・・・つまり、気のせいかっ」
「今日のケーキも美味かったし、この間のお茶漬けも美味かったっす」

不純物一切無しの、まぶしい笑顔を向けられる。
その瞬間、私は全てがどうでも良くなった。
────気のせいでも餌付けでもいい。 彼が側にいてくれるなら。



そして翌朝。
今日は土曜だ。
間宮も私も仕事はない。
結局、間宮はうちに泊まってったけど、私に何もしなかった。
こういう状況で、キスすらしない男は初めてだ。
ただ、手を繋いで一緒に眠った。 本当にそれだけ。

なのに、掌から伝わってきた体温は、ものすごい威力だった。
私の知る世界を塗り替えるほどの、幸福感。 そして、安心感。
それは、昨日まで心の底で渇望してたもの。
でも、男に裏切られ続けて、いつしか自分には絶対手に入らないと諦めてたものだった。

その握られた手を、彼を起こさないようにゆっくりほどいた。
そうっとキッチンに移動して、朝ごはんの用意を始める。
私は基本、和食党だ。 朝はお米だと決めている。
炊飯器にといだお米をセットして、わかめと豆腐の味噌汁を作る。 だしはきちんと昆布から。
そして、たまご焼きは甘めにふんわりと。 慣れた手つきで、四角いフライパンの上のたまごをくるくる巻いていく。
次に、白身の切り身を焼きつつ、おひたしも作る。

「紗世さん、おはよう」

寝ぼけ眼をこすって、間宮が起きてきた。

「朝ごはん作ったわよ。 食べる?」
「食べます、ありがとうございます」
「すぐ用意するから待ってて」

そう言って、私は炊飯器を蓋を開けた。
お米が一粒一粒立ってる。 今日の朝食も完璧だ。

「うわ、すっげ。 こんな朝ごはん、久しく食べたことないっす」

お膳の前で、間宮が嬉しそうに目を瞠る。
そして彼は、「いただきます」 ときちんと手を合わせた。
彼の、口調に似合わない礼儀正しさや、綺麗なお箸の使い方がすごく好きだ。
昨日と同じく、朝食をあっという間に食べつくした彼は、「ご馳走様」 と再び手を合わせた。

そして顔を上げて、「やっぱ紗世さんはすっぴんのが可愛いっすよ」 と朝日みたいに屈託のない顔で、笑った。


<END>

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