Love Like Vanilla Beans 10

姉御肌クールビューティの幕引

Status
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名前 : 市谷美音  年齢 : 41歳
恋愛レベル : 84  称号 : 辣腕クールビューティ
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「あの男、どう思う?」
「いーんじゃない」

部屋の隅に設置された衝立の後ろ側で、ひそひそと囁きあう。
感情に乏しい相手の反応に、軽く眉を顰めた。
全く、この子は誰に似たんだろうね? ・・・あたしか。

「・・・そろそろ行こうか」
「うん」

小さな手を取り、立ち上がる。
黒のピンヒールを、高級絨毯が柔らかな反発で受け止めた。
同時に、目の前で繰り広げられていた茶番の終了を知らせる合図が鳴った。

「さて、数学の時間が終わったようだね」

女王のように悠然とした足取りで、衝立の影から歩み出る。
あたしは空いている方の手を腰に当てた。

「お母さん!? 眞咲 (まさき) まで! 日本に帰ってたんだ!」

驚いて声を上げる娘に、あたしは微笑んだ。
あたしは、あまり表情筋が活発に動く方じゃあない。
だから、あたしが笑いかけると、初対面の人間は、何か企んでるんじゃないか、と勘違いする。
もちろん、家族や親しい人間なら、親愛がこもってるかどうか見分けられるけどね。

「元気そうだね、莉世」
「お姉ちゃん、久しぶり」
「わー! 眞咲、また背が伸びたんでしょ!」

無表情の息子は、とびきりの笑顔を浮かべた莉世に駆け寄る。
これでも、あの子は姉である莉世によく懐いてるんだ。
一方、腕組みしたあたしは、顔面蒼白で目を泳がせている夫に、冷ややかな視線を向けた。

「・・・おやおや、どうしたの。 随分と顔色が悪いよ? 愛する妻と息子が顔を見せたっていうのに」
「君達・・・いつ帰ってきたんだい」
「昨日。 ・・・それよりも、惣一郎。
 あたし達を除け者にして、楽しいショーを開いてたみたいじゃない」
「ええと・・・君達は、あの後ろでずっと見てたのか?」
「そうだよ」

あの、明らかに怪しい衝立に何の注意も払わないなんて、この男も大概ツメが甘すぎる。

「あたしに隠れてこそこそしようなんざ、百年早いわ」
「いや、これは男と男の・・・」
「とりあえず、黙っててくれる? 事情は全部、佳代子さんから聞いた」

割と本気の冷たい微笑を浮かべると、夫は急に大人しくなった。
その後ろで、義理の甥っ子が顔を強張らせている。
佳代子さんは、あたしの義理の姉。 つまり、この青年の母親だ。
彼が不用意に漏らした一言から、佳代子さんは進行中の事態を察知して、知らせてくれたってわけ。

「あたし、何度も言ったんじゃない? 惣一郎、あなたは莉世に過保護すぎるって」
「あ・・・アイム・ソー・ソーリ」
「日本人なら日本語を話しなっ!」

こういう場面で、表情に乏しい、きつめのこの顔は、非常に効果を発揮する。
周囲には傍若無人で知られる夫が、今は子犬みたいだ。
「す、すいません・・・」 と震える夫の後ろで、眼鏡の男が 「・・・ラスボス登場か」 と呟く。
あたしは片眉を上げた。
・・・なかなか度胸が据わっているじゃないか。 気に入った。
内心ニヤリと笑って、あたしは義理の甥っ子に向き直った。 茶番の結果が気になったのだ。

「それで」
「は、はいっ」
「その解答は、どうなの?」

びっしりと数式が書きこまれたホワイトボードを、顎で示す。
弾かれたように、彼は手にしたシートとそれを見比べ始めた。

「────正解です」

一分後。 彼が遠慮がちに告げると、

「やったーーーー!!! センセイ、すごいっ」
「うっ・・・」

歓声とともに、莉世は男に抱きつく。
体当たりと大差ないその抱擁を受け止めた彼は、八割の苦痛と二割の安堵を浮かべた。
・・・思いあってる二人じゃないか?
過保護・過干渉・過剰愛の3Kを誇る、我が夫を振り返る。

「さて、あなたの試練を、彼は見事に乗り越えて見せた。
 彼が莉世と付き合うことに、異存はないでしょう?」
「・・・はい」

────異存があるつったら、コロスよ。
言外の意味をきちんと受け取った夫が、コクコクと首を縦に振る。

「そういうわけで、改めて自己紹介しましょう。 あたしは莉世の母親の市谷美音 (みね) 。
 これから、娘をよろしくお願いします」
「いや、お母様、顔を上げてください」

深々と頭を下げると、眼鏡の男が慌てた。

「こちらこそ、名乗るのが遅れて申し訳ありません。 僕は、佐倉直史と申します。
 お嬢さんは、僕が責任を持って幸せにさせていただきます」

そうして、莉世を片側に張り付かせたまま、丁寧にお辞儀する。

「ありがとうっ、お母さん! お父さん! 眞咲! 私幸せになるね!」
「莉世。 あなたはもう一人前だ。 これからは彼と仲良く、しっかりやっていくんだよ」
「うんっ」
「お姉ちゃん、嫁の貰い手がいて良かったね」
「ありがとう、眞咲!」
「いや・・・気が早すぎだろ」

陶酔するあたし達に、横から入ったツッコミは聞こえない。
感情をあまり表に出さないあたしも、ホロリと来そうになって、ごまかすように顔を上げた。

「これから、佐倉君とは家族同然の付き合いになる。 というわけで、酒だ! 酒を持ってきな!」

手を掲げ、パンパン、と軽く打ち鳴らす。
それが開始の合図だった。
スタンバイしていたサービス係が、扉を開けてわらわらと集まってくる。
あたしを除いた四人が目を瞠ってる間。
彼らはテキパキとテーブルをセッティングし、料理やアルコールを並べ、完璧な宴会場を作り上げた。

「ビールでも焼酎でもウイスキーでも、好きなものを手に取りなさい。 さて・・・用意はいい?」

満足げに頷くあたし。 戸惑う四人。 そして、一人だけ冷めてる息子。
彼らに無理やりグラスを持たせ、高らかに宣言する。

「いいかい、グラスに酒の一滴でも残ってたら承知しないよ!
 ・・・では、佐倉君と莉世の新たな門出に乾杯!」

────めくるめく宴の幕が上がった瞬間だった。



さて。 日付が変わって、草木も眠る午前三時。
酒盛りは、莉世の部屋で佳境に突入。
ちなみに、息子は早々に莉世の寝室に閉じこもり、一足先に寝てしまった。
酒香漂うリビングでは、すっかり出来上がった夫が、甥を相手にうじうじと愚痴を垂れている。
本当に鬱陶しい。

「莉世が・・・莉世が嫁に行ってしまう・・・」
「叔父さん、それ、まだ先の話じゃないですか」
「そんなこと言って、君だってがっかりしているんだろう?
 君がもうちょっと莉世に積極的になってくれたら、君なら僕は・・・もががっ」
「ちょっ、何言ってんですか!」

慌てて総一郎の口を塞ぐ青年。
ピクリと反応した佐倉君は、殺意のこもった一瞥を彼にくれた。 おお、威嚇してるしてる。

「いや、今のは惣一郎さんの勘違いですよ、ははは・・・は」

誤魔化す声は、次第に萎んでいった。 見たくないものを見てしまったのなら、当然だろう。
うちの娘は、佐倉君の膝枕で爆睡しているのだ。
どうやら、莉世はジュースとチューハイを間違えて飲んでしまったらしい。
それから目を背けるように、甥は壁に向かって体育座りする。 そして何かぶつぶつ呟き始めた。
本当、酔っ払いの行動ってのは面白い。
彼を同情半分、面白半分に観察した後、満足したあたしは、晴れて娘の彼氏となった男に向き直った。

「・・・で、佐倉君。 うちの娘のどこが気に入ったの?」
「明るい、ところですかね」
「ほほう」

おそらく、普段は饒舌な方ではないのだろう。
しかし、ビール十本、日本酒三本を空けた彼はすんなりと胸の内を吐露する。

「笑った顔も、泣いた顔も、ずっと見ていたいと思うんですよ」

彼はいったん言葉を切ると、小さく笑った。

「いつもは子供っぽい顔をしてますが、寝顔は別人ですよね」

愛おしそうに目を細めて、莉世の頬にそっと触れる。
端正と言って差し支えない横顔が優しい笑顔を浮かべる。 愛しちゃってんな!

「・・・さあ、もっと飲みな! 家族の杯を交わそうじゃないの!」
「いや、そろそろお暇を・・・」
「ほら、まだいけるだろ?」

慌てる男にあたしは上機嫌で酒を注ぐ。
海外有名ブランドのライセンスを一手に握る、曲者ぞろいの天ヶ原商社で、「天ヶ原のクールビューティ」 「影の女帝」 と謳われたあたしの注ぐ酒がマズイはずがない。

乾杯して 「ぷっはーっ」 と息をついたら急に、様々な感情があたしを襲った。

「次はウォッカだ、ウォッカ!」

嬉しくて、誇らしくて、少し寂しい。
それらの感情を酒で洗い流しながら、あたしは彼方の面影に語りかける。
────「あなたの娘は今、すごく幸せだよ」、と。



────そうして、空瓶を増やしながら夜は更けていくのであった。



* * *



「今回の帰国は、心から満足したよ」
「美音・・・君は本当にザルだよね」

アメリカに戻る飛行機で、夫はげっそりした顔であたしを見やった。
その額には、冷えピタが貼り付いている。 普段の美意識をかなぐり捨てて、実を取ったらしい。
結局ゴールデンウィークまで日本に居続けた、あたし達。
温泉だディズニーランドだ芸者遊びだと、いろんな理由をつけて、週末ごとに莉世と佐倉君を連れ出し、宴を繰り返した。
昨夜ももちろん、深夜遅くまで飲んでいた。

「お母さんの底なしは、今に始まったことじゃないじゃん」

冷めた表情で八歳の息子が言った。

「お父さん、頼むから機内では吐かないでよ? 他の人に迷惑かかるから」
「アイル・トライ・・・」
「お母さんも、気が済んだ?
 お父さんがお姉ちゃんに構いすぎだから、ヤキモチ焼いてたんでしょ?」
「誰が、何だって?」

冷たい口調でゆっくり言うと、息子は素知らぬ顔で本に没頭する振りをした。

「オー・・・美音。 そういうことだったんだね! 気づかなくてごめんよ!」
「暑苦しい! 離れなっ!」

夫のテンションが、二日酔いを吹き飛ばす勢いで急上昇する。
イタリア人ばりの濃い抱擁をかまされそうになって、その長身を全力で押し返した。

「照れ隠しはノーサンキューだよ美音!」
「だから違うってば!」
「・・・じゃれるのはいいけど、二人とも静かにしてよ」
「はい」
「ふん」

子供らしくない冷静な声に、夫が大人しくなり、あたしは鼻を鳴らした。
ふてくされて窓の外を見る。
機体は高度を上げ、陸が次第に遠ざかっていく。



時間は刻々と過ぎていく。 生けるものは全て変わっていく。
変わることのない死者の面影に縛られていた自分に、その幸福を教えてくれたのは娘だった。
隣にいる男との再婚を、踏み切らせてくれたのも莉世だ。
そして、新しい命も授かった。やたら冷めた息子に育ったけれど。

次に会う時には、娘も更に成長しているんだろう。
その、何と愛しいことか。
温かい幸福感を覚えて、小さく笑った。

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