オワラナイウタ

夜が明けるように、ゆっくりと覚醒する。
薄青いガラスを通して差し込む光に、目を細めて瞳孔を慣らす。
光に慣れてから、仰向けに寝たまま首だけを横に動かした。
視線の先にある銀色のボタンに指で触れると、静かにカプセルの蓋が開く。

少女は緩慢な動作で身を起こした。
そして驚きに目を瞠る。
そこには、彼女の記憶とはかけ離れた光景が広がっていた。




────西暦4805年。

科学はこれ以上ないほど発展し、人々の生活は物質的に何の不自由もないほど満たされていた。
そんな時、地表は突然の氷河期に見舞われた。
太陽光は厚い雲に遮られ、地球全体の気温が急激に下がり、食料の確保や生活水準の維持が困難となった。
人類は存続の危機に立たされ、苦渋の選択を迫られる。

そして出した結論。
それは、すべての生活基盤を凍結させ、冷凍睡眠で氷河期を乗り切るというものだった。




・・・少女は周囲を見渡した。
びっしりと並ぶカプセルの中の人々は、今も眠りを彷徨っている。
その隙間を縫って、それらのカプセルにも、自分が眠っていたカプセルにも木の根が絡みついている。
頭上には巨木が枝を広げ、床を見れば短い草がタイルを覆っていた。

むせかえるほど、濃密な緑。
呆然とその光景に見入っていた少女の鼻先を、薄い羽を震わせて蜉蝣が横切る。
慌てて身を引いた。
その時、何かの音が耳を掠めた気がした。
────誰かが、歌を歌っている。

(先に目が覚めた人がいるんだ)

草の上に素足をそっと乗せ、少女は声のする方へ、ふらふらと歩き出した。




先ほどまで眠っていた頭の動きは鈍い。
しかし、声に吸い寄せられるように、足が勝手に動く。
少女は深く考えることをせずに、ただ歩いた。
すると、急に目の前が開ける。

明るい光が差し込むその場所には、一台のピアノ。
その傍らで、白と黒の鍵盤に指を走らせながら、若い男が歌を口ずさんでいた。




「・・・こんにちは」

迷った末、少女は最も無難な言葉で声をかけた。
歌が途切れ、青い瞳がこちらを向く。
色素が薄い彼の風貌にあって、その深い青はひどく印象的だった。

「こんにちは」
「あの・・・他の人もすぐ目覚めるのよね? もう、氷河期は終わったんでしょ?」
「君が鍵を見つけたら、みんな起きるよ」

謎めいた返答に、面食らう。
少女は、無表情な男に問い返した。

「鍵?」
「うん」
「・・・どういうこと?」
「これは、一種の賭けだ」
「賭け?」

訳が分からない。
やっぱり夢の中にいるんだろうか。
抓ってみた手の甲は、けれどもしっかり痛みを訴える。
・・・どうやら、夢ではないらしい。

「君が鍵を見つけるか、それとも、探すのを諦めてもう一度眠りにつくか。 終わりは二つ」
「はあ・・・よく分からないけど、鍵を探せばいいの?」
「そう。 ただし、鍵は鍵の形をしてるとは限らない」

「賭けの終わりまで、君の世話は僕がするから心配しなくていい」 と彼は付け加えた。
そう言われて、しばし思案に暮れる。
切羽詰った雰囲気や危険な気配はない。
どうせすぐ見つかるだろう、と働かない頭で呑気に考える。

「・・・えーと、じゃあ・・・賭けに乗ってみようかな。 私は、アーシア。 よろしく」
「僕はエルトル」

エルトルは笑った。
少女もつられて笑い返した。
・・・かすかな違和感を、頭の隅に追いやって。




* * *




少女の記憶では、ここはかつて、鉛色のドームと壁で 「外」 から隔てられた無機質な空間だった。
今、外壁跡を除いて、それらはすっかり消え去っている。
どこまでも広がる風景は、少女の知る雪と氷だけの寒々しい 「外」 ではない。
小さい頃に博物館のホログラフィで見た、氷河期前の森林地帯に最も似ている。




「外壁の外に行ってはだめだよ」
「はーい」

エルトルの注意におざなりに返事をし、日中を鍵の探索に費やすことが、アーシアの日課だった。
木々や草花が生い茂る中を歩き回ることは、楽しい。
日の光は暖かく、時折、鳥が頭上を横切った。

夜になると虫が鳴き、その調べに合わせて、エルトルは歌を歌ってくれた。
それに耳を傾けながら、アーシアは眠りに落ちる。

食事はいつも彼が用意してくれた。
地下のどこかに備蓄してあるという保存食を、エルトルは決まった時間に運んでくる。

「・・・これ嫌い」

ある日の食卓のこと。
皿の上にはトマトが乗っている。
フォークで赤い野菜をつつくアーシアを、エルトルは少し困った顔で見つめた。

「食べないと、栄養が偏る。 残すともったいないし」
「でもやだ」
「・・・しょうがないな」

エルトルは、トマトを自分の皿に移し、無表情でそれを口に運んだ。

「・・・・・。 ありがと」
「どういたしまして」

────翌日から、トマトはそれと分からないように小さく刻まれて食卓に出されるようになった。
アーシアはしばらく経ってからこのことに気づいたが、もう不満を言うことはなかった。




時は、穏やかに、ゆったりと移ろいゆく。
だが、それと反対に少女は焦りを募らせていた。
彼の言う 「鍵」 は一向に見つからない。
ヒントを請うても、エルトルは困ったように笑うだけで、何も教えてはくれなかった。

「ね、いい加減教えてよ。 鍵って何なの?」
「ごめんね、僕は答えてあげられない。
 君が自分で見つけなくちゃ意味がないんだ」
「────バカバカしい。 何でこんなことしなくちゃいけないのよ!」

問答の果てに癇癪を起こし、彼の元を飛び出す。

(早くパパとママに会いたいのに)

その頬を透明な雫が零れ落ちた。

外壁近くの鬱蒼と木々が茂る辺りで立ち止まり、息を整える。
そうすると、エルトルをなじった時の衝動は急速に冷えていった。
同時に思い出されるのは、彼の悲しそうな顔。

「ああもう」

呟いてアーシアはその場にしゃがみこむ。
その目線の先に、何かがキラリと光った。
(何だろう) と、目を凝らす。
草をかきわけて歩み寄ると、それは小さな半球形のガラスケースであった。
小さな白い花をつけた草が、美しい光沢を放つガラスの内側にひっそりと佇んでいる。

取り立てて目を引くような花ではない。
もっと大きくて派手な花を、彼女はすでにたくさん知っている。
けれど、どうしてか目を逸らせない。
この花を見つめていると不思議な感覚に心身が満たされていくような気がした。

(これかしら?)

確信は無かった。
しかし、探索はほぼしつくして、他に思い当たる物もない。
立ち上がった少女は、急いでエルトルのいる方へと踵を返した。




「あんまり自信無いけど、これじゃない?」

エルトルを引っ張ってきて、ガラスの中の草を指し示す。

「どうしてこれだと思うの?」
「えーと・・・うまく説明できないんだけど」

エルトルの問いに、少女は首を傾げた。

「この花を見てると、胸が温かくなって、背筋が伸びる感じになるの。
 あなたの歌を聞いてる時と同じ、でもそれよりもずっと強く」
「僕の歌と?」
「うん。 他の花や木はきれいだけど、あなたの歌やこの花のようには感動しない」
「・・・正解」

その瞬間、何かがピシリと割れたような音が響いた。
同時に、空がパラパラと崩れ出し、同じ位置に太陽と青い空が顔を出す。
彼女の周囲にあった樹木や草も、砂が風に飛ぶように崩れていく。
どこまでも続くと思われた、外の風景も同様に。

少女は、自分を取り巻く世界が虚構であったことにようやく気づいた。

空や木や花や鳥だと思っていたもの。
それは、建物を形成していたナノマシンが、寸分違わぬ正確さで自然を模倣した幻影であった。




「エルトル!」

振り向くと、エルトルの体もまた、細かい粒に分解されようとしていた。
必死で手を伸ばすと、彼もそれに応えるように腕を差し伸べる。
けれど、それが届く前に、彼の姿は無情にも霧散してしまった。

自然を再現する全てのプログラムから解き放たれたナノマシンの粒は、少女を中心に渦を巻く。
そして、彼女の足元に、前触れもなく凝縮を開始した。
ブラックホールのように一箇所に集中する。
一瞬の出来事だった。
────後に残されたのは、深い青色の球と、ガラスケースの中の白い花。




立ち尽くす少女の背後で、人々が起き出す気配がした。

「アーシア?」

振り向くと、母親の笑顔が見えた。
駆け寄った少女は、その柔らかな体に強く抱きついた。




エルトルや自然を模倣したナノマシンの動きは、冷凍睡眠装置を制御するマザーコンピュータの設計者が密かに組み込んだプログラムだと後から知った。
設計者自身は冷凍睡眠を拒否したため、すでにこの世にいない。
彼が何のためにこんなことをしたのか、結局は謎のままだ。

エルトルの声は、設計者の息子からサンプリングしたらしい。
彼の声が 「鍵」 を導くヒントだったのだ。
そして、その優しい歌は、今も彼女の耳に焼きついている。

数年が経ち、大人になったアーシアには、設計者の意図が何となく分かるような気がした。
幻に畏怖は感じない。
作り物では、幸せになれない。

けれど、赤い野菜を食べてくれた時の、彼の表情を思い出すと自然と顔が綻ぶ。
そして二人だけの世界がもうどこにも存在しないことに、寂しさを覚える。

アーシアは、彼の瞳と同じ色の球をそっと耳元に寄せる。
あの歌声がもう一度聞こえないかと、静かに目を閉じて。


<END>


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