沢田麻紀の場合 1

今日で最後の講義が終わった。
明日から夏休みだ。
それで、浮かれない方がおかしーよねそーだよね。

「たっだいまー!」

だから、鼻歌を歌いつつ玄関を開けた私が、見慣れぬ靴に気がつかなくてもしょーがない。
そして、リビングに入って固まったのも。

「麻紀。 お帰りなさい」
「おう、お帰りー」
「オカエリナサイ」

・・・。
誰?

「・・・・・・。 ・・・この人、どしたん?」

のほほんと笑う両親の前に、金髪青目の外人さんが座ってる。

「あらーもしかして言い忘れてたかしら」
「母さんたら、うっかりさんだなー」

うっかりだと・・・?
内心突っ込んだけど、促されて輪に加わる。

「彼はアーサー君。 こっちが娘の麻紀だ」
「・・・初めまして」
「はじめまして、アーサーです。 よろしくおねがいシマス」

流暢な日本語とともに、差し出された手を握った。
彼はにっこりほほえんでた、はず。
はず、っていうのはですね。
彼のTシャツをガン見してたから、私は顔を全然見てなかったんだ。
そこにあった、たった二文字の日本語。
その文字とは─────そう、「萌え」。




萌え。 モエ。 moe。
・・・・・・あれだね。 見なかったことにしよ。

Tシャツの文字を記憶から消して、やたら上機嫌な親から事情を聞きだす。
カンガルーとコアラの国からやってきた、こちらのアーサー君。
私と同い年のこの兄さんは、一ヶ月ほど家にホームステイする予定らしい。
この状況を、私は受け入れるしかないみたいだ。
うちの親ときたら、こういうことを娘に一言の相談もなく決める。 ・・・まあいいけど。
あっさり納得してしまう私のいい加減さは、両親からの遺伝に違いない。

「そろそろ、夕飯にしようかしら」 と母さんが思い出したように言い、おしゃべりの場は食卓へと移動した。
テーブルに並べられた本日のメインは、アーサー君の好物だという、照り焼きチキン。
彼は箸を器用に使って、その一切れを自分の皿に取った。

「君は、箸の使い方も上手いんだな」
「ともだちと、れんしゅー、シマシタ」

へえええ、と母さんが目を丸くする。

「そのお友達も日本が好きなの?」
「はい、大好きデス!!」

そのTシャツもお揃いでしょ?
────と、初対面で突っ込むのもいかがなものか。
とりあえず、私は無言でご飯に専念しといた。




そして翌朝。
表で待つ金髪兄さんは、Tシャツ、ジーンズに白のコンバース。
ペタンコサンダルに足を入れながら、さりげなくそのTシャツをチェック。
ああ、良かった! 今日は普通だ!

激しくほっとして顔を上げた先には、爽やかな夏空。
彼は、玄関先で手を振る母さんにぶんぶんと手を振り返している。
話の流れで、彼が通う日本語学校まで私が案内することになった。
・・・明日はぜってー昼まで寝てやる、と心に誓う。




切符の買い方を彼に教えてホームに降りると、電車はすぐにやってきた。
何もかもが珍しい金髪兄さんは、ずっときょろきょろしてる。
しばらくそうしてたけど、さすがに飽きたのか私に話しかけてきた。

「・・・マキさん。 マキさんはアニメ見ますか?」

キタ。 キタヨ。

「あんまり・・・かな」
「マンガは?」
「少しだけ」
「○○は?」
「・・・知らない」
「■■、△△は?」
「ごめん、知らない」

他にも二、三上げられた。
けど、知らないものばかり。

「・・・××は?」
「あー、知ってる、多分」

随分前、兄が友達から借りてきたやつだ。 暇だったからパラパラ読んだ。
その兄は、地方の大学に通ってて一人暮らし中。
今年の夏はバイトが忙しくて帰って来れない、と言ってたな、確か。

「This is great manga!!!!」

現在、その兄の部屋に住むアーサー君の顔がぱあああっと輝く。
そして、それに出てくる美少女について語り始めた。

「She is soooo cute! カノジョハ、オレノヨメ」

・・・おいおい。 どこで覚えてきたその台詞!
とツッコミを入れる前に電車のドアが開く。

「あ、ここ! 降りる駅だよ!」

手招きしつつ、急いでホームに降りた。
横に並ぶ彼から、さりげなく距離をとる。
・・・・・・これは彼がオタクだから、じゃなくて。
私に事情があって、最近癖になってることだった。




道案内と手続きが済んで、私の役目は終了。
────なのに期待に満ちた視線が刺さる。

「・・・どっか行きたい?」

とりあえず聞いてみると、彼は首を傾げる。

「じゃ、学食行く?」
「ガクショク?」
「あー・・・カフェテリア?」
「カフェテリア!!」

・・・今、この兄さんにゴールデンレトリーバーぽい耳と尻尾が見えた。

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