Souls Flow

一章 邂逅 01

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何かから逃れるように、小柄な人影が木々の間を疾走する。
青いマントが翻り、バサッと背に落ちたフードから短めの金髪が零れ落ちた。
同時に、整った面立ちが露わになる。 中性的な、まだ幼さの残るその顔にはかすかな焦りが浮かんでいる。
ガサッ
音がした方向に素早く身構える。
茂みから何かが飛び出してきた瞬間、その人影は抜き身の剣を横に振るった。
────ガッ!
牙と金属がぶつかる鋭い音が響き、灰色の影が飛び退る。
その四足の影は、身を低くして唸りを上げた。
獲物と見定めた者からの痛烈な反撃に、燃えるような怒りが野生の双眸に宿る。
相手の様子を窺いながら、毛に覆われた足をじりじりと動かし、間合いを詰めてゆく。

軽装の旅人は逃げるのを諦めて剣を構えなおし、自らと同じ身の丈はありそうな獣と向かい合う。
目の前の灰色の大型獣は、このレジエの森で食物連鎖の頂点に立つ森狼だ。
どれほど素早さに自信があろうと、人間の動きでは彼らの俊敏さに到底適わないだろう。 今、旅人が背を向ければ間違いなく瞬殺だった。 けれど、

「・・・誰も見てないし、いいかなぁ」

旅人の口から零れ落ちた呟きは、この緊張した場面にそぐわぬのんびりした響きを帯びていた。
恐れのない透明な声音に、狼の尖った耳がピクリと動く。
そのまま、身じろぎ一つせずに両者は睨みあった。
数瞬の静寂の後、獣はついに痺れを切らした。
太い四肢が力強く大地を蹴って獲物を襲う。
同時に、旅人の剣が虚空を薙ぐ。
その刃は両者のあいだに横たわる空気を虚しく一閃しただけで獣には届かない。  ・・・だが、狼の牙も対象の肉を引き裂くことはなかった。
灰色の躯は見えざる力で弾き飛ばされ、後方の木に激しく叩きつけられたのだ。

「グルル・・・」

狼は喉を鳴らし、力なく地面に崩れ落ちた。
数回体を震わせたきり動かない灰色の体を、旅人の翡翠色の双眸が注意深く見つめる。 毛に覆われた獣の胸はわずかに上下している。 鮮やかな緑の瞳に安堵の色が浮かんだ。
────その瞬間。

「!」

視界の端で何かが動いた。
今しがた倒した森狼よりも一回り大きな灰色の巨躯が肉迫する。
大きく開かれた赤い口腔と剥きだしの白い牙が眼前に迫り、剣を構え直す暇さえない。 とっさに腕を振りかざす。

(まだ旅に出たばかりなのにこんなところで死ぬなんて・・・!)

森を抜ける近道を選んだ自分を心から呪った、その時だった。

「ギャン!!」
「・・・・・・お?」

森に響いたのは、人間の断末魔ではなく獣の悲鳴。
ゆっくりとかざした手をどける。
顔を上げると、いつの間に現れたのか、旅人のすぐそばに見上げるほど長身の男が佇んでいた。
二頭目の森狼がその足元でぐったりと横たわっている。 灰色の毛に覆われた前足が数回、弱々しく地を掻く。 しかし、森狼はそれきりピクリともしなくなった。 しかし、呼吸の気配があるところを見ると、男が握る鞘ごとの長剣に急所を突かれたらしい。
・・・・・・旅人の冷静な方の頭は、すぐにこの男に礼を述べるべきだ、と告げた。
あるいは、彼の剣の技量と速さ、希少な野生動物である森狼の命を奪わずに留めたことを賞賛すべきだ、とも。
だが、旅人は硬直していた。
────なぜなら、どこをどう見ても相手がまともな人間に見えなかったのだから。

(やっべえ・・・)

無数の草や枝が絡まった、伸び放題の髪と髭。 いたるところが擦り切れて破れた服は、元の色が分からないほど汚れている。 圧迫感のある上背と、髪と髭に隠れて表情の読めない薄汚れた顔が、得体の知れなさを助長する。
────要するに、反射的に逃げ出したくなるほど怪しい男だった。

「・・・・・・助けてくれてありがとう」

逃走したがる本能を何とか押さえこみ、澄んだ声音が感謝の意を伝える。
『助けてもらったら礼を尽くせ』────旅人の育ての親はよくこの言葉を口にしていた。 彼の言い付けをないがしろにすることはできなかった。
すると、髪と髭に隠れた顔がついとこちらに向けられた。
口元のごわごわした髭が揺れ、低い声が紡がれる。

「・・・森狼は、つがいで行動する。
 一匹しか見当たらない場合は、大抵、片割れが死角にいるから次は気をつけろ」
「・・・・・・へえー、くわしいね」

思わず感心して新緑を映す瞳を瞠った旅人に、大柄な男は言葉を継いだ。

「ところで。 メーヘレンの町はどの方角か知っているか」
「メーヘレン?」
「そうだ」
「えと、道に迷ったの?」
「ああ」

外見がひどすぎて森に住みつく浮浪者か不審者にしか見えないが、その容貌からすると、彼は長いこと一人で森を彷徨っていたのかもしれない。 ・・・そう思うと旅人は彼に幾らかの同情を覚えた。

「あなたはふ・・・えーと旅行者か何か?」
「そうだ」

会話しながら注意深く観察していたが、彼の態度に特に引っかかる点はない。
小柄な旅人は、整った中性的な顔に思案の表情を浮かべる。 完全に信用するには早いが、助けてくれたお礼くらいはしたい。

「僕もメーヘレンに行くんだ。 案内するよ」
「・・・すまない」

明るい返答に男の表情が動いた。 安堵したらしい。

「じゃ、ついてきて」

柔らかな木漏れ日が歩き出した彼らを穏やかに照らす。 下草を踏みしめながら獣道を行く二人の後ろ姿が、新緑の中に溶けていった。



────すっかり日が暮れ、夜空に星が瞬きだす。
早く森を抜けたくはあったが、これ以上無闇に歩き回れば道に迷う。
静かな森の中の少し開けた場所で、二人は野宿の準備を始めることにした。

その辺に落ちている枝を集め、旅人は小さな鞄の中から火をつける魔具を取り出した。
枝にそっと落とされた頼りない炎は、少しずつ大きく明るくなり、辺りを照らし出す。
これで、火を恐れる野生の獣は寄ってこないだろう。
しんしんと冷える森の夜をやり過ごすこともできる。
旅人は魔具をしまいこんで、代わりに夕食用に携帯していた干し肉とパンを出した。
ナイフで半分に切って男に渡すと、彼は 「すまない」 と言ってそれを受け取る。
腹が減っていたために無言で食事を終えた後、「明日も早いし、今日は休もう」 と告げた旅人がてきぱきと寝支度をする間、その場でごろりと横になった男は間を置かずすうすうと寝息を立て始めた。
それを何とも言えない目でみやると、旅人も彼に倣って体を地面の上に横たえ、自分のマントにくるまったのだった。




森で一夜を明かした二人は早朝から歩き通して、午後には無事メーヘレンの町に到着した。
昨夜、旅人は寝たふりをしてずっと起きていたが、男はしっかり安眠していたらしい。
その安らかな寝息は、思わず 「お前もっと人を疑え」 と説教したくなるほどだった。 警戒していたのが実に馬鹿らしい。
それはともかく。
二人が足を踏み入れたメーヘレンは、大陸東にあるローシェンブルグ公国の公都サンティにほど近い小さな街だ。 街道に点在する宿場町の一つであり、小さいながらも旅人や商人でそれなりの賑わいを見せている。

「取りあえず、その服をどうにかした方がいいよね」

石畳の道を歩きながら、小柄な旅人は連れに声をかけた。
彼は、聞けば、森を彷徨う間に路銀を全てなくしてしまったと言う。
ならば助けてもらったお礼に、と遠慮する彼を無理矢理、店が立ち並ぶ町の中心地まで引きずってきたのだ。
きょろきょろと通りを見渡し、「あった。 あそこ」 と斜め向かいを指差すと、その先には服が描かれた看板が軒先に揺れている。
その真下にある扉をカランと開け、次に二人が出てきた時、男は真新しい服に身を包んでいた。
旅人は、彼を上から下まで眺めた。 見れるようにはなった気がする。

「よし! 似合ってる! ・・・多分」
「すまない」
「いいってこと。 次はご飯だね!」

二人は昼と夜の間に休憩が入るような格式ばった店の前を素通りし、一つ中に入った通りで庶民的な食堂の扉を押し開ける。
ボサボサ頭の男に初老の店主は顔を顰めたが、年若い旅人は気にした風もなくホール隅の席に着いた。 さっと手を上げて店員を呼びとめ、品書きを片手に注文を始める。

「えーっと白身魚の辛味揚げに、鳥もも肉の串焼き、アスラ豆の塩茹で、それからー」
「・・・俺はそんなに食べないが」
「いーのいーの、僕がきっちり食べるから。 あ、嫌いなものある?」
「特に無い」
「そっかー良かった。 あなたも何か食べたいのあったら頼んでね」

髪と髭の向こうから届く低い声は、意外と心地良く耳に響く。
遠慮深い男に対する好感が急速に上昇するのを感じ、旅人は幼い顔に笑みを浮かべた。
だが、あらかた注文を終えると連れに向き直って神妙な顔を作り、声をひそめる。

「あのさ────見てただろうから、一応言っておくけど。
 僕が魔法を使えるの、秘密にしてくれる?」
「もちろんだ」

相手が軽く頷くのを見て、緑の瞳が安堵を浮かべる。
────旅人が狼を吹き飛ばした不可思議の力は、剣に乗せた風の魔法だ。
このナダール大陸の森羅万象の全ては、大なり小なりの魔力を帯びている。
高等な知能を持つ獣や魔獣、妖魔、そして人間の中でも特に魔力の大きい者は、己の魔力を源泉とし、あるいは周囲の魔力に影響を与えることで、魔法を使いこなすことができる。
しかしこの時代、人間社会においては、魔法の使用は法律などで厳しく制限されていた。 魔法を扱うことに長けた、魔導師と呼ばれる者たちへの風当たりも強かった。
それは、十数年前、背徳の魔導師がラ・トゥールを攻め滅ぼしたことに端を発している。
強い魔力は神から愛された証、と祝福されたのはひと昔の前の話である。

「ありがと。 じゃ、乾杯!」

だが、彼の前でそれを気にする必要はないようだ。
旅人は蜂蜜水のグラスをかかげ、薄桃色の唇をその縁に口付けた。

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