Souls Flow

一章 邂逅 02

小さく切った果物と氷の破片が浮かべられた蜂蜜水は、ほのかな甘さと酸味がきいていて、乾いた喉を心地よく潤した。
ごくごくと喉を鳴らしてグラスの半分を空にする。
そして一息ついてから、年若い旅人は 「あのさ」 と再び口を開いた。

「随分長いこと森で迷ってたみたいだけど、誰にも会わなかったの?
 あそこの森は猟師さんとか結構いるよね」
「俺を見るとなぜか全員逃げて行った」
「それは大変だったね・・・」

思わず、指で額を押さえた。 「そらそーだ」 と言いたいのを堪え、質問を切り替える。

「どのくらい森にいたの?」
「さあな・・・今日は何年月何日だ?」

年まで聞く必要があるだろうか、と内心首を傾げながらも素直に答えを返しておく。

「大陸歴9998年、4月3日だよ」
「なら、かれこれ一年半くらいか」
「ブフォッ!!」
「・・・汚い」

言い終わる前に真正面から蜂蜜水を吹きかけられ、男は正面に座る連れを淡々と非難した。

「あああ、ごめん、これで拭いて・・・ってそれ迷いすぎ!」
「そうだろうな」
「・・・そうだよ」

あの程度の森で一年半も迷うなどありえない。 実際に計四日ほどで森を踏破した旅人は、唖然として男を見やった。

「だが、おかげで動物を狩るのが上手くなった」
「・・・・・・。 うん。 良かったね」

呑気なのか前向きなのか分からない男に無難な相槌を返すと、髭に覆われた顔がわずかに変化した。 どうやら嬉しかったらしい。

(変な人だなー)

頬を掻きながら、向かいに座る男を眺める。
それぞれの事情に深く立ち入るのは旅人同士の礼儀に反するが、何となく好奇心がもたげる。
けれども店員が料理を運んできたことで、それを脇にどけておくことにした。 空腹を満たすのが先である。
湯気の立つ料理を彼にすすめつつ、旅人は香ばしく焼けた鳥の串に齧りついた。



「・・・・・・よく入るな」 と男が呆れるほど見事な食べっぷりを披露した後、旅人は彼に自分が代金は持つから宿を取るように申し出た。
「そこまで世話になるわけにはいかない」 と固辞する彼を繊細な外見に似合わぬ押しの強さで説き伏せ部屋に押し込み、隣の扉に入って青いマントを脱ぐ。

「うぇえ、お腹いっぱい」

何日かぶりのまともな食事で食べ過ぎた。
窓際に置かれたベッドに倒れこみ、うう、と唸りながら布団の上でごろごろ転がる。
運ばれてきた料理は、庶民的ながらどれも非常に満足のいくものであった。
特にアスラ豆の塩茹では美味で、小ぶりの実はほくほくとしていて甘みがあり、塩を振っただけの味付けがよく合っていた。 感動しながら食べていたせいか連れの男が無言で自分の分も差し出したが、そちらもありがたく頂戴したほどである。

布団の上で蹲っていると、腹の具合は随分と楽になってきた。
細い手足を投げ出してころりと仰向けに寝転がる。
食堂の喧騒はすでに遠く、部屋は静まり返っている。
ふと覚えた寂しさを紛らわせるように、服の下に隠した首飾りを細い指が引き出した。
銀の鎖に通された深い藍の石は丹念に磨き上げられ、渦巻く金の紋様が彫られている。

「じいちゃん。 あのさ、すっげ変な人に会ったよ。 じいちゃんとは別の意味で変わってる」

ひんやりとした石の表面を撫で、呟く。
すでにこの世にいない育ての親と、顔すら知らぬ両親とを繋ぐそれは、静かに光を反射して煌くだけで答えはない。
そうして石を眺めていると────急速に眠気が襲ってきた。 そういえば、昨晩は一睡もしていなかった。
長い睫に縁どられた緑の瞳が閉じられる。 その意識は、ゆっくりと眠りの中へ沈んでいった。



その翌朝。

「昨日は世話になった」
「どなたですか?」

粥を掬う手を止めて顔を上げると、長い黒髪を後ろで纏めた青年がこちらをすっと見下ろしている。
思わず、口を半開きにして相手の顔に見入った。
精悍な印象を与える褐色がかった肌と、均整の取れた長身。 引き締まった口元と形の良い鼻梁、そして切れ長の目が鋭い雰囲気を醸している。 それらは、双神が特別に祝福を施したとしか思えない絶妙な配置で顔に収まっている。
思い浮かぶ形容はこれしかない。 唖然とするほど、美しい男だった。
しかし、その感情を映さない顔にはまるで見覚えがなかった。
・・・誰だこの人、とこちらも形の良い眉を寄せて、話しかけられた旅人は顔を傾けた。
すると彼は、どこか作り物めいた無表情をわずかに動かす。
その動かし方に思い当たって、目を丸くする。
彼が背に負う剣や服を順繰りに見ていき、疑念はようやく確信に変わった。

「ひょっとして、森で一年半迷ってた人?」
「そうだ」

翡翠色の瞳がしげしげと彼を見つめる。
髭は綺麗に剃られ、艶やかな黒髪が後ろに流れている。 昨日のあのぼさぼさ具合からすると、余程手を入れたに違いない。

「うっわ、ちゃんとしてると男前だね。 めちゃめちゃ別人! ていうか思ったより若い!」
「そうか」
「すんごいモテるでしょ」
「あまり、女に興味ない」
「え」

途端、幼さの残る旅人は危ないものを見る目つきで、身を引いた。

「もしかして男色家?」
「違う」
「それなら、安心」

即答した男にカラカラと笑いかけ、向かいを指し示す。

「まあ、立ちっぱなしも何だし、そこに座りなよ。 朝ごはん食べるでしょ?」
「・・・」
「あ、遠慮しないで。 ここの宿、朝食付きだから」

「お粥おいしいよ」 と幼い声がにこやかに告げる。
その前に置かれた大きめの椀には、僅かな粥しか残っていない。
昨晩と変わらぬ健啖ぶりに、夜の空を映したかのような黒い瞳が細まる。
促されるまま座り、彼は注文を取りにきた恰幅の良い女に同じものを頼む。
その間、粥をきれいにたいらげた向かいの相手が 「ところで」 と切り出した。

「あなたはサンティの方に行きたいんだよね?」
「そうだ」
「なるほどー」

金色の頭をもたげて、年若い旅人は考え込む。 やがて顔を上げると、口を開いた。

「僕もあそこが通過点なんだ。 でさ、交換条件しない?」

言葉の意味を計りかねて、黒髪の男は整った眉を上げ、正面の緑の瞳を見つめる。

「つまり。 お兄さんは、道々僕に剣を教える。 それで宿代とかはチャラ。
 サンティまでは僕が案内するし、結構おいしい話だと思うんだけどなー」
「・・・・・・」
「・・・人とつるみたくないって顔してるね」

微妙な男の表情を見て、旅人は苦笑いを浮かべた。

「でも、その壊滅的な方向感覚だと、永遠にサンティに行けないんじゃない?」
「・・・・・・。 確かにな」

相手が考えこんでいる間、申し出た方は逸る気持ちを抑えてじっと答えを待つ。
数瞬の後、期待に輝く緑の目を見返した男が、低い声を紡いだ。

「わかった。 では案内を頼む」
「よっしゃ! じゃあ、道中よろしく。 僕はアンリ」
「ミロ、だ」

『──────ミロ。 お前の名は、それにしよう』

おぼろげな記憶の底から響く、かすかな声。
不意に遠い目をした男を、アンリと名乗った旅人は不思議そうに見た。

「どうしたの?」
「何でもない」

頭を軽く振る男の前に、白い手が差し出される。
一瞬のためらいを押しやり、彼はその二まわりほど小さな手を取る。
嬉しそうに笑う相手に、男は眩しそうに目を細めた。

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