Souls Flow

二章 廻リダス世界 04

「おじさーん、待って! その馬車、止まってーーー!」

神殿で祈りを捧げた後、乗合場所まで小走りで戻ると、エンク行きの馬車はまさに出発するところだった。  呼びかけに気づいた御者は動きかけた馬車を面倒くさそうに止める。 そして駆け寄る二人をじろりと一瞥した。

「・・・五分前には待合室にいろ。 いつも止まってやるとは限らねえぞ」
「うん。 ごめんね」

アンリは御者に謝りながら二人分の料金を渡し、後部に据えられた客室の方へ回る。
ギイ、と軋む扉を開けると、その内側にはすでに五人の乗客が乗り合わせていた。
五歳ほどの娘を連れた母親、いかにも商用、といった風情の男、あとは初老の夫婦だった。
興味津々でこちらを見つめる幼女にアンリが目配せすると、彼女は恥ずかしそうに母親の胸に顔を埋める。
整った顔に苦笑をのぞかせて、アンリはガタゴトと動き出した馬車の座席に座った。

「良かったね、間に合って」

向かいのミロに話しかけると 「ああ」 と低い声が返される。
何となく嬉しくなって、薄桃色の唇に自然と微笑が浮かぶ。
窓の外に目を移すと、街道の両側には草の海が風に揺れ、その向こうには青々とした森が起伏する大地を覆っていた。
それは、「土」 の属性が強いローシェンブルグらしい、何とも長閑な風景だった。

双神が最初に生み出した四元素、風・火・水・土。
世界に存在する全てのものはこの四元素の影響を受け、いずれかの属性を帯びる。
この、ナダール大陸自体も例外ではない。 世界に唯一の大陸は、東西南北で四属性がはっきりと異なっていた。
遥か昔、この属性ごとに大陸を四分割したのは、聖鳥アージェを守護する役目を戴き、世界の盟主となった初代ラ・トゥールの王である。
自らは西の地を治め、王は残る三つの地には公家を立てこれを預けた。
東のローシェンブルグ、南のシスレ、北のワイエスである。
ラ・トゥールが滅びた後は、ヤン公国が興り大陸西の領土を引き継いだが、三公国は今なお変わらず三つの地を治めている。
ローシェンブルグ公国は、中でも土属性の特徴が顕著な土地柄だ。
馬車の窓辺に見える景色のように緑豊かで、鉱物資源も豊富である。

・・・その、草がたなびく牧歌的な眺めに見入っていたアンリの髪が、突然くしゃりと撫でられた。
パチパチと瞬きする緑色の瞳がその大きな手の持ち主を見上げると、相手は眉をわずかに動かす。

「・・・はねてるのが気になって」
「あ、寝ぐせね」

アンリの金糸のように細い猫っ毛は、くせがつきやすい。
いつものことだ、と気に留めていなかった前髪のアホ毛が、ミロは気になっていたらしい。
手櫛ていどでは直らない頑固なくせ毛は今も頭上でぴろぴろと揺れている。
取りあえずわしゃっと前髪を掻きまわして見せると、男は限りなく無表情のまま目を細めた。

「・・・宿代と馬車代は、サンティで稼いで返す」
「え、いいのに」

軽く言い返すと、彼は眉を上げた。

「よくない。 借りてばかりでは悪い」
「でも、僕は命を助けてもらったし。 そんくらい安いもんだよ」
「そういう問題じゃない」
「・・・ミロは律儀だよね」

苦笑しかけた時。

「・・・魔獣だぁあああぁっ!!」

外からの悲鳴。 反射的に馬車の窓から身を乗り出し、アンリは周囲を見回す。
声の主は後方にいた。
車輪が舞い上げる砂埃の向こうに、荷車の上で男が震えている。
いつの間に出現したのか夜よりも深い黒色の獣が彼を取り囲んでいた。
アンリは目を瞠った。
白昼に魔獣を見たのは、初めてである。
大型の猫に似た獣たちは血のように赤いたてがみを靡かせて荷車を引く尾長牛に襲い掛かる。
威嚇する長い角の下をかいくぐり、己より遥かに大きな獲物の喉笛に鋭い牙を突き立てた。
尾長牛は 「ドォッ」 という地響きとともに地に引き倒される。

往来は混乱の極みにあった。
だが、引き返す者、速度を上げる者はあれど、荷車の主を救おうとする者はいない。
アンリたちの乗る馬車の御者も、速度を上げるべく鞭を振り上げる。

「おじさん、助けないの!?」
「馬鹿言うな、俺たちまで食われちまう!」

思わず抗議したアンリに、青褪めた御者が叫び返す。
肩越しに緑の瞳が馬車の内側を振り返る。 真っ青な顔色の商用らしき男と老夫婦は目を背けた。 少女は母親にしがみつき震えている。
彼らが魔獣から身を守れるはずがない。 御者の主張の正しさを認め、アンリはきつく唇を噛む。
最後に夜空色の瞳をちらりと見た。 馬車から降りる覚悟はある。 ただ、彼との別れが寂しく感じられて一瞬目を伏せた。
再び顔を上げたアンリは、御者に向かって叫んだ。

「じゃあ、僕が行く! 速さを緩めて、飛び降りるから」
「お前、何言ってやがる。 無茶だ!」
「だからってこのまま見捨てるわけにはいかないよ」

御者が思わず声の主を振り返ると、真摯な光を帯びた翡翠色の瞳と目が合った。

「・・・奴らを倒せるのかよ?」
「そりゃもう! 自信満々!」

アンリは腰に佩いていた剣を掲げる。
ふざけた返事とは裏腹に、顔は真剣そのものだった。 御者は諦めて頷く。

「・・・・・・死ぬなよ坊主!」

怒鳴り返し、手綱を緩める。
アンリは振り返り、馬車に残していく連れに笑いかけた。

「ミロ、ごめん。 エンクで会えたら会おうね! 会えなくても元気でね」

言い終わると同時に、素早く馬車の扉を開いた。
小柄な体が宙を舞う。

「・・・っと」

地面に着く瞬間に風の魔法で皮膜を作り、衝撃を吸収させる。
それでも勢いあまってよろけたが、すぐさま体勢を整えた。
荷車の方へと駆け出そうとする。

ザッ!

「・・・!?」

音がして後方を振り向くと、速度を上げはじめた馬車から長身の男が見事な身のこなしで着地したところだった。

「金を返すまではついていく」
「・・・・・・あなたは、律儀っていうよりお人好しなのかな」
「人のことを言えるのか」

追い抜きざま、横目で見ながら告げた男に苦笑する。
その大きな背を追って、アンリもまた走り出した。

copyright (C) 2009 * 水 中 花 * All Rights reserved.
無料レンタル掲示板,チャット