Souls Flow

二章 廻リダス世界 07

* * *

   ────白い髭が微かに揺れて、最後の言葉を囁いた。
   強く握った皺だらけの手から少しずつ体温が失われていく。
   胸元にそっと顔を寄せる。 着古した綿の上衣が、透明な雫を受けとめ色を変えた。



   ・・・村人の手を借りて 『賢者』 と呼ばれた老人を埋葬した翌日。
   片付けを済ませ、最後に誰もいない部屋を見渡す。
   賑やかに過ごしたこの小屋は、今はシンと静まり返っている。
   湧き上がってくる感情を抑え、外へ続く簡素な木の扉を押し開けた。
   眩しい陽光に翡翠色の目を細め────少女は革靴に包まれた小さな足を踏み出した。

* * *



『ルベンスの賢者』 ジオット────アンリの育ての親だ。
魔導師への弾圧が起こるより前に宮仕えを辞め、隠遁していたため難を逃れた、とは本人の弁である。 だが、真偽は定かではない。
軽薄で嘘つきなこのジジイの過去話を、アンリはほとんど真に受けないことにしていた。
人妻の尻を追いかけ回したり、虹色の羽虫を家の中で大量発生させたり、彼が何かしでかす度に尻拭いをさせられたのだから。
だが、このろくでもない老人は、唯一、魔法の腕だけは確かであった。
弾圧によって力ある魔導師が希少な存在となったため、人々はいつしか彼を 『ルベンスの賢者』 と呼んだ────。



「で、お前は大丈夫なのか」

ふっと記憶を彷徨ったアンリを、ピエトの声が現実に引き戻した。
「どういう意味?」 と首を傾げると、男はためらいがちに言葉を継ぐ。

「・・・育ての親を亡くした上に一人旅なんて、寂しくないのかと思ってさ」

彼の気遣いは、半分以上、誤解だった。
回想の大部分は、彼の迷惑な言動の数々だったのだから。
それに────

「そりゃ、寂しくないって言えば嘘になるけど────じいちゃんは自分の死を予め知ってたんだ。
 だから、心構えはずっと前からしてたよ」

一応、賢者って言われるだけあるよね、とアンリは微笑んだ。

「じゃあ、その男装も 『ルベンスの賢者』 の言いつけ?」
「・・・・・・何で気づくかなー」
「俺、女好きだし」

胸を反らす男を見て、アンリは 「あーあ」 と頭を垂れた。

「・・・別に、言いつけとかじゃないよ。 でも、男の振りした方が長旅は危険がなさそうだからさ」
「ま、一理あるな。 でもお前は女の格好の方が似合うと思うぞ。 もったいない」
「・・・・・・。 褒めても何にも出ないよ? 僕、ガキだし」
「褒め言葉は素直に受け取れ」
「えーと、ありがと」
「お前、あと二年くらいですげえ美人になるかもな」
「・・・それはないと思う」

ニヤリと笑う男に、アンリは薄ら寒さを感じて身を引く。

「お前見てたら、自分好みに女を育てるのも悪くないかなーと思えてきた」
「うわー・・・変態」
「ナンパももう飽きたし。 よし。 そーしよう」
「ちょ、寄らないで!」
「というわけで、俺んとこ来ないか?」
「絶 対 や だ」

一瞬、この男についてきたことを激しく後悔する。
アンリは一瞬帰ろうかと思ったが、どうにか踏み止まった。 目の前の美味しそうな料理を一口も食べていないのだ。
その時、ミロが戻ってくるのが見えた。 この変態ナンパ師と二人きりではなくなることに、心底安堵する。

「ミロには黙っててよ」

冷たい視線を浴びせながら、ピエトに小声で囁いた。
戻ってきたミロは、先程よりは幾分ましな空気を漂わせている。
立ち直りは早い方なのかもしれない。

「とりあえず、冷めないうちに食べよ」

彼が席に着くと同時ににっこり笑って声をかけ、取り皿を渡す。
そして三人は、改めて料理に手をつけはじめたのだった。



「食った食った!」
「お前、ほんっとよく食べるなー」
「・・・太らないのが不思議だ」

数十分後、テーブルの上の皿は、きれいに空になっていた。
ピラフやオムレツ、追加で注文したサラダ、口直しの栗の甘煮に至るまでどれも美味。
特にリッピの衣揚げは絶妙な火加減で、外の衣はサクサク、中はフワフワで、しかもしっかり旨味を閉じ込めてある。
「得な体質なんだよー」 と腹をぽんぽん叩くアンリを横目に、間を見計らったピエトが口を開いた。

「ミロ。 お前これから、どうするんだ?」
「先のことは保留にする。 だが、アンリには借りがあるからそれを返すのが先だ」

当初の予定通り、ミロは、アンリさえよければサンティまで同行する、と告げた。

「剣を教える約束もした」
「うん、教えてくれると嬉しいな」

アンリは笑って答える。
ピエトはミロに 「生真面目だな」 と苦笑した。

「俺も、もう少ししたら仕事を辞めてここを出る。
 元々仕えてたシスレの城からお呼びがかかってさ」
「あなたはシスレ公国の出身なの?」
「ああ、まーな」

天井から下げられた光球に透けるピエトの髪と目は、綺麗な赤茶色だ。
赤味の強い髪や目は、シスレの人間に特徴的な風貌である。
なるほどー、と納得したアンリがふと周囲を見回す。 いつしか店内は空席が目立つようになっていた。
そろそろ引き上げる時間のようだ。

「じゃ、出るか」

ピエトが立ち上がる。
勘定は席ですでに済ませた。 そのまま出口へ向かう。
外に出ると、ひやりとした夜気が頬を撫でた。
人影がまばらな町並みを、街灯が照らしている。
夜の帳が降りた天上には、双神の片方、アエリスが創ったとされる二つの月が青白く輝いていた。

「俺はこっちだ」

ピエトは二人の宿とは逆の道を指し示す。

「じゃあ、ここでお別れだね」
「だな。 元気でなー、ミロ」
「ああ」

闇に溶けこむ黒髪を夜風に舞わせて長身の男が踵を返す。
歩き出したミロを追おうとしたその時、アンリの細い腕を大きな手がくいっと捕らえた。

「まじで俺んとこ来ないか」
「・・・無理。 やだ」

にべもなく断るアンリに、そりゃ残念、と言いながら男は手を離した。
「じゃ」 と立ち去りかけたアンリは、思い出したようにふと振り返った。

「あなたが、ミロより強かったらついてったかもしんない。
 でも、あなたもかなり強いんだろうね?」

ピエトの目が見開かれる。
アンリは形の良い唇に笑みを浮かべて身を翻した。
その先で立ち止まる長身の男に駆け寄る。
並んで歩き出すと同時に、「あいつ、女好きだったはずだが」 という低い呟きが聞こえた。
顔を上げると、夜色の瞳と目が合う。

「・・・見境いなさそうな奴には気をつけろ」
「うん、そーする」

男の肩越しに、夜空が広がる。
音も無く歩く隣の男を見上げたまま、アンリはにこりと笑った。

「明日の朝、稽古つけてくれる?」
「ああ」



────「強くなれ、そして自分の運命を探せ」
それは、育ての親らしくない、どこまでも真剣で厳かな囁きだった。
『ルベンスの賢者』 が遺した最後の言葉に従って、今、アンリは旅をしている。
その先に何があるか分からないまま。

copyright (C) 2009 * 水 中 花 * All Rights reserved.
無料レンタル掲示板,チャット